嵐の前の休息
保護と言いつつ、実質的には拿捕したノルト・ベルカの輸送船を引き連れてエルアノに帰港した僕らは、叛逆者として飛び立ったはずのベースに舞い戻っていた。僕ら自身で破壊した格納庫や輸送機の残骸はそのままで無惨な姿を晒していたが、滑走路は修復が為されていた。松葉杖を突きながら僕らを迎えたクライスラー大佐に、「なかなかの男前ですな」とガイヤ大尉が言い放って敬礼すると、彼は精悍な笑みを浮かべながら敬礼を返したものである。痛みはまだまだ消えていないのは、血色の悪い顔色を見れば一目瞭然だったが。アルウォール艦長と共にエルアノに到着した輸送船の船長は、大佐の手を取って礼を言うものだから、ユークトバニアの駆逐艦を攻撃した張本人である僕らとしては後ろめたい気持ちもすることになったのだが。船長以下20人程度の乗組員はいずれもノルト・ベルカに本社を置く民間会社であり、確かにベルカ軍に在籍した経験を持つ者もいたが、現在も残党勢力と関りを持つ物はおらず、さらには当の本人達ですら積荷の中身を知らなかったのだという。それ故、グランダー・インダストリーに騙されたと知った彼らの怒りは大きく、積荷についてはエルアノ基地が全て回収することとなった。まさに、大佐と艦長の思いとおりの展開というわけで、この二人の策略家ぶりに改めて僕は舌を巻いたものである。
輸送船から下ろされたコンテナは、格納庫の残骸後ではなく、僕らも攻撃しなかった大倉庫に運び込まれることになった。コンテナから出てきたのは、戦闘機を構成するに必要な部品の数々。そして、整備班が総出でコンテナの中身を出し終えた、とオズワルド曹長から知らされた僕らは、今や試作機の隠れ家と化した倉庫の中に足を踏み入れた。もちろん完全に組み立てられた姿ではなかったが、改めて目にしたZOE-XX02の異形は圧倒的な威圧感を放っていた。尾翼を持たない機体後部は3基のエンジンを搭載するために大きく膨らみ、主翼は前進翼。何より目に付くのは、キャノピーを持たない機首と、その下に搭載されるのであろう、大口径の砲身――レールガン。実際にコクピットの中を覗き込んでみて、驚かされた。装甲で覆われたコクピットの内部は、外部カメラの映像が転送されることによって全面ディスプレイのようになるのだ。僕らに配られたTAN-Fのメモに書いてあったとおり。恐らくはこのディスプレイ上で敵を追尾することすら可能なのだろう。まさに映画やSF小説などの世界の話が、現実の物として今僕らの前に転がっているのだった。
「しかしこいつは大した代物だぜ。戦闘機でエンジン3発なんざ正気の沙汰じゃねぇと思ったが、その分の重量増を補って余りある推力を実現しているってわけか。おまけにレールガンだと!?ベルカの連中、本気でオーシアとユークをぶっ潰すつもりみてぇだな。いやしかし……ごっつい機体だ。アネカワ少尉、乗りたいというなら組み上げてやるぞ。どうだい?」
カカズ班長の問いに苦笑しながら僕は断った。確かにこの戦闘機を運用できるようになれば、僕らの戦力は飛躍的に強化される。それだけではなく、キニアスたちの基地の居場所さえ把握出来れば、基地ごと壊滅させることも可能だ。魅力的な提案ではある。
「確かに、この機体がデータ通りの物なら、F/A-22やYF-23Aを凌駕する戦闘機であることは違いありません。格納庫が吹き飛ばされてますから多少は時間がかかりますが、その気になれば組み上げることも可能でしょう。ただ、さすがにレールガンの方はお手上げですね。専門の技師でもいれば話は別ですが……」
「いやいや、マイカル、きっとカスター部長が適任かもしれないぞ。一つ脅かしてみればいいんだ。命が惜しければレールガンを使えるようにしろ、ってね」
だが僕の答えはとっくに決まっていた。破滅的な力を得た敵に対抗するため、僕ら自身が破滅の力を手にするのでは、結局大昔の核の均衡理論の繰り返しになる。より多く、より強力な装備を手にした者が勝つと言う――。それではまずいのだ。それはまさに、今のオーシア政府を乗っ取った主戦派の政治家と軍人が繰り広げている愚策に乗るようなもの。だから、僕は断った。これは決して使ってはならない兵器だから、と。
「ね、おやっさん、言ったとおりでしょ。結局誰も乗りたいなんて言わんわけですよ」
「確かにな。クライスラーの旦那の言うとおりだったぜ。ごっつくて手間のかかりそうないい機体なんだがなぁ……ま、別の戦いのネタとして組み上げるとするか」
残念そうに顔をしかめながらも、カカズ班長は納得したように何度も頷いた。マイカルが教えてくれた。実は僕の前に、他の4人にも乗るかどうかの意志を確認していたらしい。そして4人とも断ったのだという。
「アネカワ少尉、実は乗るかどうかを聞いたのは、大佐のテストなのさ。もしこんな物騒な物に乗りたいなんて言う奴がいたら、部隊から追放するっていうね。大佐はこの機体を運用する気はこれっぽっちもないんだ。その代わり、この機体の存在はグランダーとベルカ、それに主戦派の繋がりを証明する立派な証拠となるし、現在のオーシア政府を転覆させるに十分すぎる材料なのさ」
なるほど、大佐の狙いはそこにあったのか。僕ら末端の兵士たちの間にも、ある噂が広がりつつある。"ハーリング大統領はオーシアにはいないのだ"という噂だ。そして僕らはそれを事実として認識している。今のオーシア政府は、大統領の威を借る狐達によって牛耳られてしまった、偽りの政府であるということを。そして今となっては参謀本部ですらその下部組織と化している。その証拠がドレヴァンツ中佐を調査官として送り込んできたという事実だ。裏ではロックウェルの野郎ももちろんからんでいるに違いない。正々堂々と告発してもあらゆる手段を弄して保身に走りそうな連中の息の根を止めるには、言い訳が一切出来ない証拠を突き付ける以外にはないのだ。その証拠の一つとして、ZOE-XX02のユークに対する密輸を掴んだことは、まずグランダーの不正を暴くことになる。さらに、カスターやドレヴァンツの自白によって、グランダーがベルカと繋がっていることが明らかになっているし、僕ら自身の戦闘記録には、ベルカの飛行隊との戦いがはっきりと記録されている。そして何より、今僕らの前にあるZOE-XX02の現物だ。この試作機がベルカの手に落ち、オーシアに対して使用される、などと広まろうものなら、国内はパニックに陥るかもしれない。より効果的に、より確実に、僕らが戦闘機を駆って戦い続けているのと同様に、別の事件で大佐たちは戦い続けているのだった。
ZOE-XX02の隠れ家となった倉庫から戻ってくると、食堂が騒がしかった。まだ飯時でもないのだが、いつになく賑わっているのは、9103の面々と輸送船の乗組員たちが椅子を占領していたからだった。中には輸送船の船長の姿も見える。名前は確か……フォルクマン船長だったか。ウォーレン大尉に手招きされた僕は、集団の中にそのまま引きずり込まれ、椅子の一つに腰かける羽目となった。一体何の騒ぎなのですか、と尋ねると、ガイヤ大尉は傍らに座るグレッグ中尉の頭を脇に抱えて思い切り締め始めた。
「た、大尉!勘弁、勘弁してくだ……あ、頭が砕けるぅぅっ!」
「グレッグの野郎が、口を滑らせちまったんだよ。"ユークの艦艇を沈めたのは自分たちだ"ってな。全く、このお喋りめが!!」
「ガイヤ大尉、もう事情は分かりましたから、放してあげて下さいよ。結果的に我々は命拾いしたわけですから」
ガイヤ大尉の言うとおり、グレッグ中尉がうっかりと先の作戦の話を船長に漏らしてしまったらしいのだ。それを聞いた乗組員たちが中尉に詰め寄り、騒動になりかけたところをウォーレン大尉とガイヤ大尉が何とか収拾して事情を説明し、乗組員たちの質問責めがあり、ようやく一段落――そこに僕が通りかかったということらしい。フォルクマン船長はパイプ煙草をくゆらせながら口を開いた。
「それにしても、まさか同朋――いえ、母国の裏切者たちがこの戦争を操っていたとは思いもしませんでした。港で積んだコンテナも、ユークトバニアへの支援物資ということだったので受け取ったのですが、まさか、あんな兵器だったとは……もうグランダーの荷物を運ぶのはこりごりですよ」
同感だ、というように乗組員たちが頷く。
「しかし船長、考えようによっちゃあ、今のオーシアとユークトバニアの有様は、先の大戦の復讐には最高の舞台とも言える。ノルト・ベルカじゃその辺りはどう考えられているんだい?」
ガイヤ大尉の問いに、船長は首を振った。
「昔の軍の上層部とか、ベルカ公たちはともかく、私ら一般の人間には縁の無い話さ。確かに、恋人や肉親を奪われた人たちは数多くいるが、それはお互い様ってもんだ。ようやくベルカ公や貴族たちがいなくなったと喜んでいたら、いつの間にか裏で国を操っていやがったんだ。迷惑な話だよ。知らないうちに、オーシアとユークトバニアの戦争の片棒を担がされようっていうんだから」
「俺は父親を戦争で失ったけど、別にオーシアとかをどうとは思っちゃいないぜ。それに、ベルカ公や軍は俺たちの同朋を自らの手で虐殺したんだ。だから、そんな連中が今でものうのうと生きていやがる方に腹が立つね。その手伝いをさせられかけたと考えると、余計に頭に来るってもんだな」
乗組員たちがそう言うのを、僕は不思議な気持ちで聞いていた。学校で学んだ近代史、というよりもニュースや新聞で知っている「他国の出来事」を改めて別の視点から認識したのだから。ベルカは侵略者、自国に核兵器を投下してまで抵抗しようとした民族――だが、僕の前にいる男たちは、僕らと同じ人間であるし、彼らもまた戦争の犠牲者であったことを痛感させられた。一部の支配者たちの誤った判断が、結果として無数の国民の命を奪い去る悲劇を味わった人々。そして今、同じことがオーシアとユークトバニアで拡大再生産されているのだ。過去の栄光に縛られたままの、旧ベルカ公国の残党たちの手によって。
「船長、もうここまで話しちまったし、俺らは何しろ叛逆者のレッテルを貼られた独立愚連隊だから教えるんだが、あんたらの言う裏切者を何人か、この基地で預っているんだ。今のノルト・ベルカの警察か軍隊で、連中を裁く勇気のある連中はいるかい?」
「ベルカ公の犬かい?そうだなぁ……ただ警察に突き出しただけじゃ、すぐに手を回されて現場復帰されるのがオチだろう。直接国軍にでも引き渡せれば話は別なんだが……」
「ドレヴァンツっていう大飯喰らいのクソ野郎でな、おまけに性格は陰湿でそこにいるアネカワ少尉に手を出そうとして断られ、男前に傷付けるような男だ。引取先を探しているんだが、なかなか見当たらなくてな」
「なんだって?ドレヴァンツだって!?」
グレッグ中尉の冗談を聞いた船長の顔色が変わった。帽子の下の目が殺気を帯びていたのだ。他の幾人かの乗組員も、その名前を知っているらしい。
「手を出そう……ってところは余分ですが、大体そんなところです。船長、中佐をご存知なのですか?」
「ああ、忘れようも無いくらいにね。15年前の戦争のときは、私も兵士として南ベルカに行っていたんだ。その時に部下を見捨てて一人でトンズラしやがった腰抜け士官殿が奴だよ。観念して投降していればもっと多くの命が助かっただろうに、よりにもよって俺たちの退路に火を放ちやがったのさ。……そうか、生き残っていやがったか。ガイヤ大尉、奴に会う機会があれば言っておいてくれ。第55連隊のフォルクマンが、ベルカにお帰りの際は必ず打ち殺す、とね」
「過激だねぇ。ま、了解した。ウォーレンの怖いお仕置き付でね」
ウォーレン大尉が無言でにやりと応じる。ケネスフィード大尉が声を出さずに笑い、気が付けばその場にいる全員が笑い出していた。さっきまでの殺伐とした空気が嘘のように。ガイヤ大尉と船長が互いに肩を叩きながら笑っているのを見て、僕はふと思った。かつては敵同士で銃を向け合ったガイヤ大尉とフォルクマン船長のように、オーシアとユークトバニアの人々が笑いながら手を取り合えるのはいつの日なのだろう、と。ベルカとの戦争をさらに上回る犠牲者を互いに出し、関係の修復が不可能なほど互いを憎みあう両国の人々は、仮に戦争が終わったとして憎しみを忘れることが出来るのだろうか、と。戦争を巧みに操って、両国を陥れたのはベルカかもしれない。だが、命を失った兵士たちを傷付けたのは、実際に兵器を操り、殺戮の道具を行使したオーシアの兵士であり、ユークトバニアの兵士なのだ。そして僕自身も、操られていることに気が付かないまま、戦っていた一人なのだから。今になって思えば、そんな前線から放れ、9103飛行隊の配属となったことは幸運だったのかもしれない。前線にいたら気がつかないであろう、戦争の舞台裏の真実を掴むことが出来たのだから。
エルアノに入港してからも、やるべき仕事は山積みになっていた。クライスラー大佐と簡単に打ち合わせをした後はまたカノンシードに戻って、アルウォールは先の戦闘の記録に目を通していたのだったが、そんな彼の元にレッド・アイから「面白いものを傍受した」と通信記録が届けられた。通信記録は12月22日からのもの。発信元は――シー・ゴブリン。海兵隊のシー・ゴブリンか。確か彼らは空母ケストレルの配属なって、現在はセレス海の哨戒任務――早い話が、カノンシードと同じように干されてしまったはずだが……。
「この記録によれば、シー・ゴブリンは空母ケストレル艦内で発生した敵性スパイの確保に成功し、容疑者引渡しのためにサザンシスコ基地に到着しています。途中、海軍航空隊の支援も受けているようです。これより先、アンダーセン提督が海兵隊司令部のマシューズ少将に連絡を取り、シー・ゴブリンの母港たるサザンシスコでの引き渡しを取り付けています」
「何故、オーレッドに行かなかったのだろうな?」
サザンシスコからならオーレッドはそれほどの距離ではない。ましてや海兵隊の使用するヘリなら尚更のことだ。敵性スパイの取り調べならばオーレッドの参謀本部の調査官が適任だろう。さらに、シー・ゴブリンは飛行中必要以上と言ってもいいほどの通信を発している。そう、まるで自分の現在位置をわざわざ知らせるかのようにして――。空母ケストレルはカノンシード同様に搭乗員を失って、編境海域の哨戒に飛ばされていたも同然だったはずだ。ユークトバニア軍が、不足した空母を補充する為にオーシアの空母を奪う気になったのなら話は別だが、あまりに高リスクな方法を彼らが取る可能性は極めて低いと考えて良いだろう。何より、膠着化した戦いにおいて、ユークトバニアは本土での徹底的な防衛を戦略として構えているのだ。搭乗員のいない空母を奪ったところで、ユークトバニアの戦力が増強されるはずもなかった。首都オーレッドにスパイが送り込まれるのなら話は別――というよりも、ベルカに情報が筒抜けだったからこそ、今日の状況があるのだ。そしてそんな実りの得られない辺境の空母に、スパイだと?アルウォールは、ケストレル隊の指揮を執るアンダーセン提督の姿を思い浮かべた。
「それから、これはカノンシードのCICからの情報ですが、第1艦隊分遣隊の艦艇がセレス海を北上、ケストレル隊の展開海域に向かっているとの話があります。移動を開始したのが23日の未明のようなのですが、海軍司令部で展開している作戦行動はありませんし、現在のところユークトバニア軍の洋上兵力に動きは見られません」
「分遣隊の指揮官は?」
「サイモン少将です」
アルウォールは思わず顔をしかめた。あの生きる弾薬庫、サイモンか。軍隊内部だけでは飽き足らず、「勉強会」などの機会を利用して政界のタカ派議員たちとの交流を平然とやってのけるあの男か。海軍としての作戦行動で無いとしたら、政府――主戦派たちが彼らを動かした可能性もあるわけだ。「来るべきユークトバニア海軍との決戦に勝利して敵戦力を打ち砕くため」に、最前線での戦闘に加わることはほとんど無かった第1艦隊は、オーシア海軍の戦力の中で今や唯一フルセットでの艦隊運用が可能だ。もっとも、第1艦隊自体がアップルルース副大統領らとも親睦の深い提督たちで固められた艦隊であることが最大の理由なのだろうが。つまり、自分たちは彼らの代わりにこき使われ数多くの部下を失う羽目となったのだ、と考え出すと笑い話では済まされない。だが主戦派にとって虎の子と言うべき第1艦隊の兵力を分散して動かすくらいだから、彼らにとっては脅威と言って良い自体が発生したことは間違いないだろう。そして、その脅威は決して国外のものとは限らない――。もしや、アンダーセン提督は我々が気が付いているのと同様に、この国の背後で蠢く者たちの存在を察知したのだろうか……?仮にそうだとすれば、分遣隊の狙いはケストレル隊そのものであり、事と次第によっては闇に葬り去るつもりなのだろう。何てことだ、とアルウォールは思う。戦争を積極的に進めながら、政権基盤維持のために「臭いものには蓋をする」とばかりに口封じをするなど、民主士主義国家のすることではない。もはや、そうせざるを得ないほど、政府は追い詰められつつある理由があるに違いなかった。
「クライスラー大佐とも話してみよう。ZOE-XX02の存在は、連中を追い詰める最後の切り札にもなり得る。グラハム、レッド・アイには引き続き通信の傍受に全力を挙げるよう伝えてくれ。どうやらアドミラル・アンダーセンは何か掴んでいるようだ。可能なら、彼らと連携することも一つの手段だろう」
「了解しました」
それにしても、アンダーセン提督、あなたは一体何を掴んだのだ?15年前の戦争を知らない世代が想像するのは難しいのかもしれないが、提督の洞察力と行動力は海軍の中でも随一と言って良い程の高さを誇る。その彼が、ただ単純に「敵性スパイを送る」ためだけに海兵隊を動かすはずがない――買いかぶりなのかもしれないが、アルウォールはそう確信していた。きっと、辛辣なスパイスの効いた策略が、実は張り巡らされているに違いない。
だが、事態は首都オーレッドを舞台にして、アルウォールの想像を超えたスケールで急展開していたのであった。