突破口は開かれた
巨大な岩盤が崩落した鉱山の後は見る影も無く、山肌に建てられていたはずの管理棟もトンネルも全てが土砂に埋め尽くされ、全く姿が見えなくなっていた。大体、ここは閉鎖されていた鉱山だろ。何でこんなことが起こったんだ?久しぶりに重機の操作員が大量に必要だ、とようやく仕事にありつけると思ったら、連れて来られたのはこの辛気臭い鉱山。おまけに近くにはベルカの孔までありやがる。何の施設か分からないが、こんなことばかりやっているから、俺たちの国はばらばらのままなんだ――ブルトーザーを動かしながら、男はそう毒づいた。15年前の戦争で徹底的に打ち負かされ、ようやく戻ってきた故郷にあったのは人々の涙と絶望ばかりだった。家に帰ってみれば、中はもぬけの殻。国境沿いの町に住む義母が体調を崩したので見舞いに行きます――そう書かれたメモには埃が積もり、相当の期間が経っていることが分かった。国境の町――妻と娘は、そこで命を奪われたのだ、と思い当たったときから自分の人生は変貌してしまった。あの頃は、若かったのだ、という思いが苦味となって心を蝕み、あらゆることに対する興味を失った人間が堕落していくのは容易だった。故郷にすらいられなくなり、夜逃げ同然で飛び出したあの日から今日まで、いいことなど何も無かった。男は胸ポケットから、色褪せてセピア色になってしまった写真を取り出した。そこには、笑顔で子供を抱えた妻の姿がある。15年前と同じ、彼女の姿が。思えば、あの戦争で自分は全てを失っている。いつの日か、自由に記事を書き、ジャーナリストからの視点で社会を変えていくんだ、といつも言っていた幼馴染も、妻も子供も親戚も、皆消滅してしまった。そして、抜け殻になった自分だけが今も生き続けている。
男の回想は、前触れも無く響き渡った轟音によってかき消された。太陽がまるで地上に出現したかのような光が、男たちが重機を操っている鉱山の側で炸裂したのだ。いくつもの光に分散した無数の光は、そして爆炎と轟音を挙げて一斉に地面を打ち砕いた。爆風と衝撃波が容赦なく辺りを嬲り、男もまたブルトーザーから弾き飛ばされて地面に転がった。何だ!一体何がどうしたんだ!!混乱する頭に、15年前の記憶が突然蘇り、反射的に岩陰に身体を潜り込ませた。一瞬遅れて殺到した衝撃波が重機を、人を粉砕し、断末魔の絶叫ごと吹き飛ばしていく。そうか、と男は納得した。この国は、15年前から結局何も変わっていなかったのだ、と。この国で生活する人間のことなど、家畜同然にしか考えられないような連中によって牛耳られる、独裁主義国家。民族の勝利とやらのためには、同朋の死すら強制する連中が生き続ける限り、犠牲になるのは結局俺たちということか。そう考えたら、もう枯れ果てたと思っていた感情が俄かにこみ上げてきた。言いようの無い激しい怒りが。血と煤にまみれた顔を拭い去り、何とかこの場から逃げようと、男は走り出した。生き残って、ここで起こったことを伝えなければ。どこの誰だか知らないが、非戦闘員を殺戮して何とも思わないような連中を絶対に許すわけにはいかない。
何か音がした。空気を切り裂くような、鋭い小さな音が。男は思わず空を見上げた。その網膜に、無数の光に分裂する、さらに細かい光が焼き付いた。その光は鉱山を覆い尽くすように広がっていく。もはや逃げ場は無い。観念した男が腰を下ろそう、と考えた瞬間、炎と衝撃が空間に飽和した。一瞬にして炎に包まれた男は、最期の絶叫をあげながら思った。誰でもいい、俺たちを何度もこんな目に遭わせるような連中に復讐を、何も知らないまま死んでいく者たちが存在したことを誰でもいいから覚えていてくれ、と。炭に変わっていく男の姿が衝撃波によって粉々に打ち砕かれ、炎と衝撃と轟音と黒煙の四重奏が鉱山を舐め尽くしていった。それらが全て去った後に残されたのは、生ける者を焼き払った後の残骸と、沈黙だけだった。
「鉱山への着弾確認。作戦は成功だ」
「フリューゲル1、了解。これより帰投する」
「フリューゲル2、了解した。クク……早くこの力をオーシアに降らせたいものですよ」
僚機の姿をディスプレイ越しに睨み付けながら、彼は機体を旋回させた。戦勝国たちの追及を物理的に封じるための行動はこれで完了だ。復旧のために民間人が動員されていたと聞いたが、これもまた民族の勝利の為のささやかな犠牲だ。我々には、再びベルカの覇権を掲げるという大義があるのだから――。
「チェスター中佐、やはりこのADLERは素晴らしいですな。これさえあれば、数機でオーシアの全てを手にする事も出来そうだ。私がオーシアの英雄として帰還するときは、是非中佐のお力もお借りしたいものですな」
馴れ馴れしく話し掛けるな、と言いたいのを堪えて、チェスターは別の事を言った。作戦行動中はコールサインでの会話を徹底しろ、と。少しも反省していない答えが返ってくるのを聞き流し、改めて側を飛ぶフリューゲル1の姿を睨み付ける。――馬鹿な男め。ベルカがこの世界を手にするときには、国を滅ぼした張本人として人民への生贄にされることすらも理解出来ないとは、全くもって扱いやすい愚物。そう、奴は人間ですらないのだ。ベルカの行動を支えるための駒の一つ。せいぜい、今を楽しんで手に余る破壊の力を弄んでいるがいいのだ――。それよりも、もう一仕事残っていたな。チェスターは無線の周波数を変更し、オーシア軍の交信帯に割り込んだ。複数のチャンネルで交信が傍受出来ることを確認して、彼は口を開いた。
「こちらオーシア空軍9103飛行隊、目標の制圧に成功した。繰り返す、こちらは9103飛行隊、目標の制圧は完了した」
エルアノ基地に久しぶりの客人が訪れている。上空でエンジントラブルを起こした空中管制機が、最も近い位置にあったエルアノ基地へ緊急着陸したのだった。普段こうしてお目にかかることの無いE-767の巨体は、コクピットから眺める以上の迫力を持っていた。基地の整備兵たちが破損したエンジンを見上げて何事か言葉を交わしている。素人目には良く分からないが、飛行中に2番エンジンが停止してしまっただけでなく、燃料供給装置にも支障をきたしたのだという。整備兵たちに混じって機体の周りを歩いていくと、機首に描かれたエンブレムが目に入った。夏の空に現れる入道雲をあしらったデザインに書かれた文字は、「Thunderhead」――サンダーヘッドだった。410飛行隊時代、何度かサンダーヘッドの指揮を受けたことがあったが、まさに規律そのものといった指示に対してローゼズ大尉がぼやいていたことがある。ありゃ、サンダーヘッドではなくストーンヘッドと言うんだ、と。そしてサンダーヘッドの名前は、「サンド島の四騎」ことウォー・ドッグ隊の上空管制を行っていたことでも知られている。そして皮肉にも、彼らが敵性スパイとして脱走し、追撃した8492飛行隊に対する支援や空母ケストレル搭乗員のスノー大尉らに指示をを行ったのも、サンダーヘッドだったのだ。ただし、その作戦後、サンダーヘッドはオーシア国内の空中管制に回されることとなっていた。
トラブルを起こしたというエンジンを覗き込んだ整備兵たちが首を傾げていた。素人目には、外見に特に支障があるようには見えず、バードストライクか何かでファンブレードがやられたのだろうか、と思って覗き込んでみたが、やはり支障は無さそうに見えた。整備兵たちも同意見らしく、もしかしたら計器盤の方が故障しているのかもしれない、と話し合っている。
「或いはどこも壊れていないか、だな」
整備兵たちが敬礼するのを「そんなことはしなくていい」とばかりに手をひらひらさせたガイヤ大尉が、僕と同じようにエンジンを覗き込む。もちろん、ばらしてみれば分かることだし、その前にエンジンを実際に回してみれば分かる話ではあるが、仮にも機密だらけの空中管制機に勝手に乗り込むわけにもいかず、整備兵たちも僕らと同じように見上げているしかない、という状況だった。唯一触っている場所と言えば、ガスアップのため燃料補給車が翼の下に張り付いているくらいのものか。
「さっきサンダーヘッドを見かけたぞ。何というか、冷徹クライスラーといい勝負のクールさだったな。似た者同士、今頃話が弾んでいるのかもしれねぇな。ま、クライスラーの旦那、最近は「冷徹」とは呼べなくなっちまったけどなぁ」
「大尉、少し気になったのですが、クライスラー大佐はもともとは……」
「ああ、俺らと同じ戦闘機乗りだった。それも、結構な腕前の、な。15年前のベルカとの戦争の結末は、お前だって知っているだろう?」
「はい、連合軍の足止めのために核爆弾を自国内に投下して、最後の決戦を挑んで惨敗した」
「大佐は、核爆発のせいで部下を全部失ってしまったんだ。ベルカ側の妙な動きを低空で確認するよう指示した直後、爆発が起こったそうだ。その後はベルカ空軍機に取り囲まれて、何とか脱出したものの足と手に大怪我してな。その傷が元で地上勤務に鞍替えになったのさ。そして冷徹クライスラーの誕生だ。命令を正確にこなすことが生きがい、というな」
そう言われると納得がいく。そんなに気が合わないなら何で転属希望を出さないのだろう、と思っていたが、ガイヤ大尉はガイヤ大尉なりに、一方のクライスラー大佐は大佐なりに、戦闘機乗りという共通の価値観を持つもの同士、一応は信頼を置いていたということなのだろう。もちろん、大佐のスケジュール最優先姿勢には閉口させられることも多かったが、少なくともザウケン少尉を失って以降は「冷徹」というよりも優秀な前線指揮官としての一面を見せられることが多かったように思う。だからこそ、アルウォール艦長も大佐に同調しているのだろう。結果としてオーシア軍の求める模範的な軍人像評価においては落第点ばかり集まっている点だけは、今も昔も変わらなかったが。
「それにしても、サンダーヘッドはどうしてエルアノなんかに下りたんだろうな?」
それきりガイヤ大尉は腕を組んだきり黙ってしまった。確かにそのとおりだ。片肺飛行でも充分な航続距離を持つE-767を敢えて着陸させるような話でもあったのだろうか?
「お、珍しい組み合わせじゃないか、アネカワ少尉」
横合いからかけられた声は、アルウォール艦長のものだった。勢い良く敬礼をしようとするのを、先ほどのガイヤ大尉と同じように遮った艦長の様子を見て、グラハム中尉が頭を抱えている。その様子を見てスマキア伍長が笑いを堪えている、という寸法だ。
「少将も石頭野郎にでも呼ばれたクチですかい?」
「ストーンヘッド?……大尉も口が悪い。ま、そうとも言える。クライスラー大佐から呼ばれてな。案外ばれたのかもしれんぞ、貴官らをこき使って火遊びしているのがな」
嬉しそうにそう言う少将に、ガイヤ大尉はニヤリ、といつもの笑いを浮かべながら嬉しそうに答えたものである。
「なあに、叛逆部隊の名に箔がつくってもんでさぁ」
アネカワ少尉拉致監禁の舞台になった応接室を避け、窓側の広い部屋に客人を案内したクライスラーは、ソファの一つにゆっくりと腰を下ろした。サングラスをかけ、髪をオールバックにした客人は改めて敬礼を施してから、対面に座った。そしてサングラスを外すとパイロットスーツのポケットからケースを取り出し、静かにそれをしまい込む。
「久しぶりだな、コーウェン少佐」
「お久しぶりです、クライスラー大佐。しかし、自分は現在も任務中です。"サンダーヘッド"で結構です」
空中管制機サンダーヘッド。オーシア空軍の保有するいくつかの空中管制機の中でも最前線の指揮を執り続けてきた彼らであるが、現在はオーシア本土の防空管制に追いやられている。理由はある程度想像は付くが……。風の噂では、少佐自身がそうすることを望んだのだとも聞いている。
「積もる話は後に回すとして、サンダーヘッド、わざわざこんな辺境基地で「整備点検」するくらいだから、何か話があるのだろう?聞かせてもらおうか」
「そうして頂けると幸いです。まずはこれを」
少佐がアタッシュケースの中から取り出したのは、いくつかの通信記録とオーシア北東部の地図。それらを整然と机の上に並べていった彼は、地図上にマーキングされた地点を指差した。クライスラーは通信記録を受け取りながら視線をそこに移す。彼が指し示していたのは、旧南ベルカ――ノース・オーシア州から山を越えた先の地点。15年前の大戦で穿たれたベルカの孔の西側と言えば良いか。今そこは、ノルト・ベルカと呼ばれている。
「この地点には、先の大戦で封印された鉱山が存在していました。数日前、この鉱山において所属不明機同士の戦闘が発生し、主に南ベルカ等から飛来した戦闘機が多数撃墜されています。ところが、オーシアもノルト・ベルカも、さらにはユークですらその事実を報じていない。そして今日、この鉱山が改めて攻撃されました。――まるで、シンファクシ級の攻撃でした」
「それは散弾弾頭による爆撃だった、と?」
少佐が頷く。ZOE-XX02が大量量産されているとは考えにくい以上、恐らくは奴ら――シュヴェルトライテ航空隊の仕業の可能性が高い。問題は、何故ここを攻撃したか、だ。オーシアの領土でもなく、祖国を攻撃するまでの意味があるとするならば、証拠隠滅?
「弾道ミサイルのような形跡は無いのですが、この攻撃が行われた際に、ノース・オーシア州側を飛行する未確認機の機影を捉えました。南ベルカの工業地帯から出現した光点は攻撃実行後再び同じ地点に戻っていることから考えても、ノース・オーシア・グランダー・インダストリーを拠点にしている可能性が考えられます。そしてここからが本題なのですが、鉱山攻撃後、9103飛行隊を名乗っているのです。大佐、貴方の指揮下にあり、オーシア空軍に叛逆したとされる9103飛行隊にそのような破壊力を持つような新兵器が配備されていたということはありませんか?」
コーウェン少佐はじっとクライスラーの目に鋭い視線を送り込んできた。クライスラーは手に持っていた通信記録をデスクに下ろし、その視線を受け止めた。
「ある、と言ったらどうするかね?」
「腹の探り合いはこの際止めにしませんか、大佐。それに私は大佐がそのようなことをやってのけるなどと信じたくも無いのです」
二人の視線が交錯し、沈黙がしばらくの間空間を支配した。融通の利かないところは自分も同様か……クライスラーは言葉を選びながら、口を開いた。
「9103飛行隊は確かにここにはいない。だが、私の信頼する部下たちに、そのような虐殺をしでかすような輩はいない。まして、叛逆という言葉は彼らを葬ろうと画策するような連中に相応しいと私は思う。……私に言えるのはこれだけだ」
再び沈黙が漂う。が、降参、とばかりに苦笑したのはコーウェン少佐だった。クライスラーは、おや、と思った。彼の教え子の中でも、「鉄面皮」のあだ名で呼ばれたこの男は、およそ感情が感じられないような表情をしていたはずだった。だが、今目の前にいるのは、それだけではない、人間らしい感情が感じられる男であった。――彼もまた、戦争の中で変わった人間の一人なのだろう。
「大佐も、色々とご苦労をかかえていらっしゃるようですな。……私は……自分は、自分が何をやってきたのか分からなくなってしまいました。この国のために戦い続けてきたウォー・ドッグ隊が敵性スパイだったなど、今でも信じることが出来ない。ひょっとしたら、友達になれたかもしれないパイロットを救うことも出来ませんでした。私は――指揮官として失格なのかもしれません」
「馬鹿なことを言うもんじゃないぞ、少佐。ならば尚更、やるべきことがあるだろう。……一つだけ頼みがある。聞いてくれるか?」
「南ベルカでの航空戦力の動向を伺い、先日の敵機が出現した場合は情報を流せ、と?」
「そういうことになる」
コーウェン少佐は暫く腕を組んでいた。そして再びアタッシュケースから書類の束を取り出すと、サングラスをかけ、敬礼を施した。
「……考える時間をもう少し下さい。この国のため、私に何が出来るのか、もう少し考える時間を頂けますか?……それらの書類は、ご自由にお使いください。私は、ここでは何も聞かなかったし、何も知らなかった、ということです。そして、9103に関する交信も、私は聞きませんでした」
不器用な男の、精一杯の協力。まだまだ、オーシアには心を持つ人がいるじゃないか。戦っているのは、自分たちだけではないのだ。クライスラーは敬礼を返し、かつての教え子に感謝した。
「ありがとう、支援を頼む、サンダーヘッド」
「整備点検」を終えたE-767が離陸していくのを窓から眺めながら、クライスラーは通信記録の束に再び目を落とした。すると、ドアがノックされ、答える前にアルウォール少将が顔を出した。
「悪巧みの準備はどうかね、大佐?」
「準備運動はそろそろ充分かな、と」
コーウェン少佐がもたらした情報は、たまたま偶然傍受した、というものではなく、徹底して彼らの動向を追跡したものだった。これからの9103の活動において、存分に役立てることが出来るだろう。これまでは堪えに堪えてきたが、次はこちらの番だ。その国に生きる人々のことも考えず、妄執としか例えようの無い理論に身を委ね、さらにそんな餓鬼の言うままに踊る者たちの筋書き通りには決して進ませるものか――。操縦桿を握って自ら戦うことは出来なくなったが、今の立場だからこそ出来る戦いもあるのだから。