零れ落ちた希望


「サンド島の四機」の記事は大評判となり、オーシア・タイムズの売上も大幅に伸びている。そうなると記者魂がふつふつと沸き上がってきて、自然とやることが大胆になる。その日も、たまたま廊下で部下達と難しい顔で話し合っているペロー司令官を見つけ、私は廊下の片隅に体を隠してデジカメを構えた。最大ズームで思わず彼のたるんだ横顔を映してしまい、言いようの無い吐き気がしてきた。ここまで音はよく聞き取れないが、何事かがあったのだろう。大げさな身振りで話しかける部下をこれまた不機嫌そうな表情で見下ろしている「帝王」の姿は、決して世論の支持を得ないだろうな、と私は思った。
「馬鹿、やめておけ」
強烈な力で私は引きずり出され、廊下の奥へと連れて行かれた。ハミルトン大尉だった。
「今日はひどく機嫌が悪いんだ、今度ばかりは謹慎程度じゃ済まないぞ、ジュネット。」
「何かあったのかい?4人が何か失敗したとか?」
「そういうことじゃない。ただ、私もまだ何も聞かせてもらっていないんだよ」
大尉は首を振って答えた。副官たる大尉にも話していないとなると、今入りたての情報なのか、それとも司令官の個人的な問題なのか……?
「とにかく、司令官殿の横顔をまた撮ろうなんてしてくれるなよ。今日みたいにかばえるとは限らないんだから」
彼は両手を広げて大股に歩いていった。それでも懲りずに私は廊下の角から顔を出したが、今度はペロー司令官に思い切り睨みつけられてしまい、あわてて退散する羽目になった。

司令官室から退散する途中、待機中はいつもそのベンチを愛用しているナガセが今日も一人で占領していた。女性の数がとにかく少ないこの基地において、タンクトップ姿の彼女の姿は嫌でも目を引いてしまう。整備班の間では彼女を口説くことに成功する賭けが行われているが、未だ誰一人として成功せず、賭け金の残高はかなり積み上がっていることをおやじさんから教えてもらっていた。その彼女は、今日も赤い本のページに何かを書き込んでいる。
私の姿に気がついた彼女は、伸ばしていた足を引っ込めて座るスペースを開けてくれた。例を言って私はそのスペースに腰をかけた。
「ジュネット、また危ないショットでも撮っていたの?」
「勘弁してくれ。本当に今日はヤバかったんだから」
「そういえば、ジュネットもう聞いている?」
私は彼女の顔つきが出撃前のそれになっていることに気が付いた。
「大統領の対ユーク交渉の切り札が失われてしまった、ということ」
「それって、戦争がいつ終わるか分からなくなってしまったということかい?」
彼女は無言で頷いた。先日の出撃の後、ハーリング大統領がノースポイントでユーク首脳部との停戦交渉に臨んだことが記者連中の情報網で伝わってきてはいた。だが、その交渉がうまくいかなかったため今日も各地で戦闘が続いている。ようやくその原因を私は知ることが出来た。サンド島防衛線において、ウォー・ドッグ隊を宇宙空間から支援したアークバード。その極めて精度の高い照準機構と高い威力を持つレーザー攻撃はユークに対する強力な抑止効果を発揮するはずであったが、そのアークバードに対し破壊工作が仕掛けられ、動力部を損傷したアークバードは航行不能となっていたのだ。
「しかし、マスドライバー施設はオーシア国内のものなのに、ユークはどうやって工作部隊を送り込んだのだろう?」
「アークバードは国家プロジェクトだけれども、実際の運用などは委託された民間企業が行っている。だから、もしどこかの企業がユーク寄りだったりすれば可能性が無いわけではないのだけれども……いずれにせよ、停戦のための希望が、大統領の手の平から零れ落ちてしまったのよ」
彼女は深いため息を付いた。いつだったか、彼女からアークバードのことを色々と聞く機会があったが、平和のシンボルの一つともいえる白い鳥が戦況を左右しかねないカードとして使われることは、彼女だけでなく私も複雑な気分であった。主戦派の議員らはアークバードによるユーク本土の殲滅作戦までも提案をしているくらいだから、私などは大統領が物理的にアークバードを使用不能にするために破壊工作を行ったのではないか、と思ってしまっていた。
「となると、主戦派の勢いはますます強まるばかりか……厳しいね、大統領にとっても、君らにしても」
ユーク本土侵攻という暴挙が現実のものとなれば、その最前線に送り込まれるのは言うまでも無く彼女達だ。それも、腕利きの航空部隊として激戦区を駆ける尖兵となってだ。開戦から激戦区を回らされてきた彼女らは、今やオーシア空軍の中でもトップクラスの航空部隊として認識されているが、同時に相次ぐ戦闘による疲労の色は濃くなってきていた。
「私たちは大丈夫。頼れる隊長もいるし、チョッパーたちもいるから。こんなところで、私は死にたくないもの。いいえ、死ぬわけにはいかない。……バートレット隊長のためにも」
その言葉は、自分自身に言い聞かせているように、私には聞こえた。それだけ、彼女は大統領の臨んだ停戦交渉に期待していたということになる。しかし、ユークトバニア首脳部はいつからそんな硬直した政治姿勢を取るようになったのだろう。開戦以後、ニカノール首相はメディアへの露出を極力避けるようになり、スポークスマンばかりがニュースに登場している。ハーリング大統領と彼とは、今後の両国の宥和と不可侵を互いに誓い合った仲ではなかったか。その彼が、停戦交渉で一方的にハーリング大統領の提案を退けたということに、私は例えようの無い違和感を拭い去ることが出来なかった。

大統領の交渉失敗からほどなく、ユークトバニア本土侵攻作戦が大々的に報じられた。サンド島の四機も、その第一波として出撃することとなっている。強硬姿勢を貫こうとするユークトバニアに、平和主義で知られたハーリング大統領もついに堪忍袋の緒が切れたのだろうか。超大国同士の激突という最悪のシナリオが最悪の方向に進みつつある。零れ落ちた希望の価値は決して小さいものではなかったし、後日その零れ落ちたはずの希望が最大の脅威となって戻ってくることに私はまだ気付くはずもなかった。

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