おとぎ話の北の悪魔
ユークトバニア本土侵攻部隊の総司令官、ハウエル将軍が総司令部の置かれた港町に上陸した。彼はユークトバニア全軍を撃退し、首都を陥落させるその日まで決して兵を退かないことを明言した。これ以上にユークの人々の憎悪をかりたてる発言はないだろう。そして、その後ユーク各地では正規兵だけでなく市民たちが中心となったゲリラ兵までが戦場に登場することになった。
本来ならとうに始まっているはずのミーティング開始が遅れている。時間にはうるさいペロー司令官にしては珍しい。どうやら、それほどまで司令部要員を慌しくさせるような事態が発生したようだ。だが、命令を受ければ疲れきった身体で飛ばなければならない彼ら、ウォー・ドッグの4人は落ち着いて談笑まで交わしている。私はブリーフィングルームの入り口からカメラを構えてみた。ナガセがいつものように本に何事かを書き込んでいる。
「この先がどうしても思い出せないのよ……その日鳩はえさをもらえないの。お姫様が病気になってしまったから」
「お!それってラーズグリーズの仕業だろう?」
「知っているの?」
「知っているもなにも。昔イタズラをしてうちのばーさんにさぁ、悪いことばっかりしているとラーズグリーズに捕まえられてしまうよ、と言われて夜中にトイレ行けなくなってよぅ。んでオネショのおまけがついてもっと怒られたのさ」
「もう……!」
「あれ?俺何か悪いこと言ったっけか?」
「チョッパー、最後が落としすぎじゃないのか?」
彼らはもう全く動じていない。常に最前線にあり続ける事で慣れてしまったのか。それとも感覚が麻痺してしまったのか。私なら決して耐えられないだろう、その重圧に。そして私は、戦いが長引いた結果、戦争なしには生きていけなくなってしまった人間を知っている。彼らには、決してそうはなってほしくなかった。
ブリーフィングがスタートしたので、私は席を外すことにした。ここから先は軍規。後から聞くことは出来ても、その場にいては結局追い出されるだけだった。それにしても、ラーズグリーズか。私も伝説の部分は知っている。「歴史が大きく変わるとき、ラーズグリーズは現れる。最初は漆黒の悪魔として。悪魔はその力を以って大地に死を降り注ぎ、やがて死ぬ。しばしの眠りの後、ラーズグリーズは再び現れる。」古代のオーシア北洋に面した国々で信じられていた神々の伝説の一章だ。ラーズグリーズには幾人もの姉妹たちがいて、主神に仕え時にその代理人として神の、ときには悪魔の力を使う。専門ではないからはっきりとは覚えていないが、そんな内容ではなかったろうか。
基地の建物から出てきた私を、おやじさんが呼び止めた。彼は格納庫へ向かうジープに何やら色々な物を載せていた。
「何ですか、この荷物は?どこかに引越しでも?」
「いや、グリムからの依頼さ。あいつが機械いじりが得意なの知っているだろう?そうしたら、敵の秘密無線傍受機を作るとか言い出してなぁ。ま、過度に期待しても仕方ないが、それで彼の場合気分転換になるというのだからこれくらいの手伝いは構わんだろう?」
おやじさんはジープを発車させた。年代物のジープだが、エンジンは快調に回りマフラーから黒煙が吹き出すことも無い。季節としてはそろそろ寒くなってくる頃だが、サンド島は比較的緯度の割に暖かく、まだ半袖でも良いくらいだった。
「ときにジュネット、彼らの今度行く先を知っているかね?」
私は首を振った。さすがにそこまでは軍規に触れるから聞かせてもらえないだろう、とおやじさんに告げた。
「彼らが向かうのは、ラーズグリーズ海峡さ」
ラーズグリーズ!またもその悪魔の名前か。偶然にしては出来すぎのような気もする。
「ほら、少し前だが、この基地自体が狙われたことがあったろう?あのとき、ウォー・ドッグが沈めた潜水母艦の同型艦がそこに現れたらしい。そしてそういう厄介物に回されるのは、自分の戦功を挙げたくて仕方ない勝手な士官たちに仕えなければならない彼らのような兵士なのさ。」
「ちょっと待ってくださいよ、おやじさん。それじゃあ、今回の作戦はまさか司令官たちの独断で行われるものってことですか?」
そんな無茶苦茶な。実際に戦場に向かう4人が何も知らないところで、その功績を掠め取るなんて。
「ひょっとしたら、これまで彼ら4人が参加した任務にも、そんなウラのあるものがあったのかもしれない。でも、難しいね。その結果戦況が大きく動き、結果として戦争を終わらせてしまうこともある。……捕まらない程度に、調べてみてはどうかね?」
「そうですね。私の友人で司令部付きの報道を担当している男がいます。どこまで聞き出せるかは別ですが、総司令部経由でない作戦が遂行されているかどうかは確認できると思いますね」
私に出来ることは少ない。だが、私が出来ることを行うことで、多少なりとも彼らの役に立つことは出来る。……少なくとも、一部の人間の欲望のために、彼らを死地に追いやることを多少は防ぐことが出来るかもしれない。
そう考え事をしている間に、ジープは格納庫についた。既に4人の乗る機体が格納庫から出され、出撃の準備が進められている。整備兵たちが機体に群がり、最終確認を進めている。私は、彼ら4人の無事を普段は決して祈ることに無い神に祈らずにはいられなかった。