凍土に散った花
いつもはこちらからかけてばかりのオーシア・タイムズ編集室。珍しいことに、その編集室から私に電話だという。電話の相手は、オーシア・タイムズ国際版担当記者のハマーだった。
「どうしたんだハマー、おまえがかけてくるなんて何か良くない話のような気がするよ」
「そういうなよ、ジュネット。おまえさんこそ、特ダネの最前線に居座りやがって。すこしぐらい担当かわれ。俺がいくから」
ハマーは国際部の記者とは思えない程陽気な男で、必要とあらば社内のどんな部署にも出没して情報をかき集め、そしてどこからそんな情報を聞き出したのかと思うようなヤバいネタを平然と拾ってくる男だった。ついについた名前が「ハッカー野郎」。だがそんな呼び名をむしろ彼は誇りにしているようであった。
「ジュネット、今回ばかしはこっちの特ダネだぞ。もう編集は通したからな!おまえさんの記事より先だ!」
「おいおい、こっちの取れるネタは空軍主幹のものだけだぞ。陸軍や海軍の動向まではこちらじゃ分からないんだから。……で、どんな話なんだい?スコッチの18年物一杯でどう?」
「2杯にしといてくれ。この間うちの海兵隊がユーク本土への強襲攻撃をかけたのは知っているだろう?そのときにさ、収容所を発見したらしいのさ。それもあんな極寒の地にな。近々その収容所に対する救出作戦が実施されるそうだが、その基地はこれまで捕虜になったオーシア兵のうち、空軍所属の人間が集められているそうだ。それにしても、あの辺といったらこの時期マイナス20℃になる地帯だぞ。こんなの、完全にサンサルバシオン人権条約違反だ。国際部は明日これをトップで出す。これが、うちの特ダネだ」
サンサルバシオン人権条約。2005年、ユージア大陸における一年戦争後に締結されたこの条約は、戦争捕虜に対する処遇に関しても細かく規定した画期的なものであり、ユージアの各国だけでなくユーク、オーシア両国も批准したものだ。もちろん、その規定の中には極地での捕虜収監は禁止されている。ハマーの情報が事実とすれば、ユークの非道をあからさまにすることはオーシア国民の怒りをかきたてるだけでなく、ユークの人々に落胆を与えることが出来る。だが……。
「ハマー、まさかとは思うがオーシアはそんなことをしてはいないんだろうな?この戦いでユークの兵士もかなりの人間が捕虜になっているはずだ。先日のSBCニュースでは収容所での虐待が問題として提起されていたはずだそ。」
「ちっ、相変わらず手厳しいな。分かっているさ。国内版で、虐待を働いた軍部への詰問記事が載ることになっている。まいったなぁ、折角おまえさんを喜ばせようと思ったのに、逆に怒らせちまったようだな」
「え?私が喜ぶ?どういうことだい?」
「だからさっき言ったろ、この収容所に囚われているのは空軍の人間だって。そこの基地の前の隊長さん、捕虜になっているんだろうが。恐らくは、その基地にいるはすだ。」
そうか!私はすっかりその事実に気がつかなかった。空軍の捕虜が囚われているのなら、そこにはウォー・ドッグ隊の前隊長、バートレット大尉がいてもおかしくないのだ。彼のことだ。きっとどんな過酷な状況でも怒鳴りまくり、不平たらしまくり、挙句の果てに仕切りまくっていることは違いない。これを知ったら、ウォー・ドッグの皆は喜ぶだろう。私は部屋の窓のブラインドに指をかけ、外を見た。いつもは格納庫に入ったままの輸送機が珍しく表に出されていることに気がついた。何かあったのだろうか?私はハマーに礼と、帰国の暁には2杯だけじゃなく瓶ごとスコッチをプレゼントする、と彼に約束して宿舎から表へ駆け出した。
輸送機には担架や毛布、簡単な医療器具類が積み込まれている。航空機の備品や機材が積み込まれるならともかく、ストレッチャーやベットまで積むのは珍しい。そして、おやじさんがいつになく困った顔で積み込み準備を見守っていた。
「おやじさん、一体何があったんです?負傷兵でも運搬するんですか?」
「ああ、ジュネットか。ちょっとまずい事態が起こったんだよ。……ナガセが撃墜された」
「なんですって!?」
あのナガセが?戦争の発端となった遭遇戦でも、ただ一人生き残った彼女が撃墜だって?私には到底信じることが出来なかった。
「今日、4人はうちの捕虜が捕まっているユーク極地の収容所に支援に向かっていたんだ。そこで、隠蔽されていたSAMの攻撃を受けてベイルアウトしたらしい。彼女は無事のようだが、現地はあいにくの吹雪でな。雪が止むまでは救援部隊も出せない。とりあえず、うちの基地としても彼女を移送する手筈を整えなければならない、というわけでドクターたちを向こうの基地まで空輸というわけさ」
極地の収容所?まさか!
「おやじさん、その収容所って、空軍の兵士が捕虜になっていたという収容所ですか?バートレット大尉は?」
おやじさんは首を振った。
「残念ながら、バートレット大尉は捕虜の中に含まれていないそうだよ。さっきブレイズから通信があった。そしてナガセは彼の所在を確かめに行こうとして、攻撃を受けてしまったらしい」
彼女は、彼女のミスでバートレット大尉が墜落したことに、ずっと責任を感じつづけてきたに違いない。指揮官として十分な能力と技量を持ちながら、ブレイズにそれを委ねたのも、彼女の目の前でもう誰も落とさせない、という決心の現れだったのではなかろうか。
「今は、残念だが彼女の無事を祈るしかない。彼女ならきっと大丈夫さ」
「そうですね……」
サンド島は細かい雨が降り出し、滑走路を湿らせていく。灰色に染まった空と、低く張り出した雲は、まるで私の不安な心境を代弁しているかのようであった。