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古強者たち
オーシア第3艦隊所属の空母ケストレル。開戦当初から常に前線にあり続けてきた彼女は、一発の攻撃も受けることなく健在だった。15年前の戦争でも適切な指揮で友軍の被害を最小限に食い止めたアンダーセン艦長は、自らを「負け戦ばかり繰り返したきた男だ」と言うが、乗組員たちは彼に絶対の信頼と忠誠を寄せている。そしてその彼は私たちが気が付いた真の敵の存在をより早く察知し、探り続けていたのだ。
乗組員の一人がハーモニカを吹いている。あまり上手なものとはいえないが、夕暮れの光に照らされるセレス海の風に旋律が乗り、通りかかる乗組員たちが足を止めている。数少ない航空機が甲板に並ぶその一角に、アンダーセン艦長とおやじさんが立っている。いや、おやじさんについては大佐、と呼ぶべきか。
「船は健在でも、出撃のたびに部下が減っていくのは辛いものです。とうとう搭乗員は分隊長のスノー大尉だけになってしまいました。私は部下の命を浪費してしまった、愚か者です」
「そんなことはありませんよ、艦長。乗組員たちはあなたに絶大の信頼を寄せています。僭越ながら、私はあなたのような指揮官に15年前の戦争でも出会えませんでした」
「それは買いかぶりですよ、大佐」
おやじさんが遠くを見つめるように、夕焼けの空を見上げた。
「……15年前、私は祖国の都市に核を落とすよう命令を仰せつかりました。その任務を放棄して逃亡した私を助けたのが、バートレットです。「ブービー」はその頃の彼のあだ名でした。ま、あの性格ですから彼の上役も苦労したような気がしますがね。その彼が私を追撃してきた部隊から、私を守ってくれたのです。自らの機体を部隊の隊長機に衝突させてまでして……。オーシアの最前線まで到着したはいいけれども、友軍のものでないパイロットスーツを身に付けた私を疑っている兵士たちを強引に説得したんですよ、彼は」
アンダーセン艦長はゆっくりと頷いている。ひょっとしたら彼もまた、15年前のことを思い出しているのかもしれない。
「変わった男でしてな、私が出会ったとき大尉だったのに、以後15年間昇進もしていない。でも、この私を15年間もの間匿い続けてきたのは、まさに彼だった。祖国を失った私ですが、彼のおかげで随分と楽しい時間を過ごさせてもらったように思います。その彼が大事に育てようとしていた若者たちが、戦争という過酷な現実で苦しみ、傷つき、命を失っていくことをまた目の前で見ることになるとは思いませんでした」
「私も同じです。15年前の戦いのときも、私の船や僚艦から飛び立っていった若者たちが核の炎に巻き込まれ帰りませんでした。護衛艦の何隻かも、空母の盾となって沈んでいきました。あと少し、生き延びることが出来ていれば、彼らは家族の待つ家へと帰ることが出来たのにね。あのときは辛かった……でも、再びそんな思いをする日が来るとは、つくづく私は運の無い男のようです。」
私は無言で二人の古強者たちの会話を聞いているしかなかった。ともに15年前の戦いを経験し、激戦の中を生き延びた男たちだ。強靭な精神と優れた判断力、技術を持ち、幸運の女神に見込まれた彼らでさえ、戦争で負った心の古傷は大きいのだ。
「ときに、行方不明のハーリング大統領ですが、私の祖国には「灰色の男たち」と呼ばれる連中がいましたが、彼らがからんでいるのではありませんか?」
おやじさんが話を転じた。灰色の男たち……?初めて聞く言葉だった。言葉だけなら地味なものだが、そこに込められた意味は深いように感じた。アンダーセン艦長はしばらく沈黙を保っていたが、やがてケストレルを守る護衛艦の1隻に視線を移した。
「この空母艦隊に、1隻非常に優れた通信能力を持つ船がいましてな。あの情報収集艦アンドロメダです。その通信室が、偶然ベルカ語の極秘通信をキャッチしました。……大佐、あなた方にお越し頂いたのはそのためなのです」
おやじさんは、拳で身体を数回叩いていた。
「激しい飛行は、身体に応えます。月並みな言葉ですが、寄る年波にはかなわないということでしょう。ほとんど寝ることも無く出撃を続けていたなんて、今となっては信じられませんよ。……これからは若者の時代です。私が飛ばなくても、ブレイズたちがおります。彼らは私とバートレットの最高の後輩たちです。なあ、ジュネット?」
私は苦笑するしかなかったが、この戦争で最前線に常にありながら困難な作戦を成功させてきたのは、まぎれもないブレイズたちの実力だと私は思っている。艦長は何度も嬉しそうに頷いていた。だが、いかにブレイズたちの腕が良くとも、彼らが操る戦闘機がなければ話にならないのではないか?
「実は、偶然何処かの国に密輸をしようとしていた南ベルカの会社の船を拿捕しましてな。中を見てびっくりしましたよ。最新鋭の戦闘機が勢ぞろいでした。よりどりみどり、というやつですな」
おやじさんはにやりと笑った。南ベルカの会社、といえばあの会社しかない。ノース・オーシア・グランダー・インダストリーだ。偶然などではあるまい。ユークに至るには、この海域を抜けるしかないことを把握したうえで、艦長は網を張っていたのだ。艦長と大佐、まさに「古強者」と呼ぶに相応しい男たち。その二人が、謀略の裏側に気がついたことは、きっと真の敵にとって脅威となるに違いない。しかも、彼らはまだそのことを知らないのだ。
艦内のブリーフィングルームでは、ハーリング大統領救出作戦の説明が為されている時間だ。私は艦長の許可を得て、アンドロメダが傍受した通信記録やデータに目を通していた。艦長曰く、軍事的視点からしか物事を見られない我々とは異なる視点から、アドバイスをもらいたい、ということだった。私は通信記録のデータを無造作にめくっていた。そして、目が止まった。ノーベンバーシティ、狂言の舞台、ラーズグリーズ、そして時間。緯度経度。その情報は、結果としてユークに流された。その情報を元に、ユーク軍はあれほどの大規模な攻撃部隊を送り込んだのだろう。他にも、いろいろなものが出てくる。両軍の主力部隊の現在地。進行中の作戦。攻撃目標。ベルカ残党、いや、灰色の男たちの協力者が相当軍の上層部にまで潜り込んでいる証だ。それも両軍に。
だが、彼らの目論見がようやく根底から崩れるときが迫っている。少なくとも、ケストレル隊は真の敵を察知した。そして、ラーズグリーズの悪魔と呼ばれた、ブレイズたちが加わった。両国の主戦派とベルカ残党が恐れるのは、彼らを封じ込めてきたハーリング大統領ら和平主義派が再び息を吹き返すことだ。まず、私たちの第一歩はハーリング大統領救出。考えてみると、私も既に公式見解としては死んでしまった人間なのだ。今の状態では記事を書き本社に送ることも出来ない。記者としては完全に死んだ身だ。だが、その代わり私は歴史の動く瞬間を特等席で見る機会を得たのだ。
亡霊となった者たちの反撃が、今始まる。