ラーズグリーズの帰還


私は新たな「タスク」に結構熱中している。アンドロメダが傍受し続けているユーク軍の通信からは、ベルカに操られた両国の軍人たちの愚かな戦いの経過を追うことが出来る。クルイーク要塞を突破し、ユークトバニア首都シーニグラードを目前に捉えたオーシア軍であったが、彼らの士気の支えだった英雄的航空隊「サンド島の四機」が実はユーク軍の敵性スパイであり、友軍の手で撃墜されたという話が広まったことで混乱を生じ、要塞先の町に立て篭もったユーク軍地上部隊との戦いで地上兵力も航空兵力も甚大な損害を被る結果となった。その結果、今度は逆にクルイーク要塞にオーシア軍が立て篭もり、ユーク軍が要塞を攻めあぐねている、という皮肉な戦況となっている。両軍の数日間の戦闘の被害は目を覆いたくなるようなもので、近々ユークもオーシアもこの領域に戦力を集中させ、決戦をしかける手筈だという。……両国の軍人、自分たちの実力で無血クーデターを成し遂げ、権力を掌握したと勘違いしている連中は、実はベルカの手の平の上で踊らされていることに気がつかぬまま、憎しみは次々と拡大再生産されていく。かつて、世界に戦争を挑みかけたベルカに鉄槌を食らわしたオーシア・ユークトバニア両国が、今度は自らが主役となった戦争で疲弊していく。それも、取り返しようの無い深い憎しみを両国に生み出して。これほど、効果的な復讐はないだろう。
アンドロメダ通信室の一角にデスクを構えることになった私を、乗組員たちは快く迎え入れてくれた。部屋中が様々な機器で埋め尽くされた通信室で、彼らは日々様々な通信を傍受し続けている。そんな彼らのうちの一人、航空管制に関するデータリンクを傍受し続けている乗組員が、数列だけを書き記したメモを私に手渡した。
「この数字、なんだと思います?」
渡されたメモを睨みつけて、私はしばらく考え込んでいた。無造作に並べられたような数字だが……経度・緯度・日、それに時間。これは分かる。が、そのあとの8桁ずつの数字は何だろう?
「この暗号はいつごろから?」
「分からないのですが、航空管制なんて結構セキュリティの固いところに紛れ込ませるくらいですから、相当の技術と……あとは相当のコネでもないとここまでの芸当は出来ないと思いますよ。」
確かにその通りだ。航空管制のデータが実は解析されているとなれば、ユーク軍の航空兵力の作戦内容は全て把握されているも同然なのだから。
ふと窓の外を見ると、空母ケストレルの甲板にウォー・ドッグの機が戻ってくるのが見えた。そして、シー・ゴブリン隊のヘリもホバリングで甲板上にある。……ということは、作戦が終了したということ。つまり、大統領が戻ってきたということだ!乗組員たちの間でも歓声があがっている。大統領の命には別状も無く、突入した海兵たちも怪我人こそ出したものの帰還した。もちろん、ウォー・ドッグの4機も健在だった。

アンドロメダからケストレルに戻り、艦橋の階段を駆け上って司令室にたどりついたとき、ハーリング大統領はおやじさんや艦長と楽しげに会話していた。まるで古くからの付き合いであるかのように、まるで古くからの戦友であるかのように。私と一緒に駆け上がってきたナガセやブレイズたちが、一斉に姿勢を正して敬礼をした。私もつられて敬礼をしたが、似合っていたかは微妙なところだ。大統領は私たちに気がつくと、マグカップを片手に敬礼を返した。
「ありがとう、みんな。君たちのおかげで、私はこうして人間のいる場所に戻ってくることが出来た。本当にありがとう。」
大統領の声には、真情がこもっていた。表面上ばかりを繕い、本心では何を考えているのか分からない二流の政治家とは完全に一線を画している彼の姿に、改めて私は驚かされる。だからこそ、彼はオーシアにしては珍しく二期に渡って政権を維持してきたのでもあるが。
ブレイズたちが戻った後も、私は司令室に留まっていた。一つには、艦長に例の通信メモを渡さなければならなかったということもあるのだが、それ以上に大統領に「インタビュー」をしたかった。もっとも、今では取材をしても公表する術を持たないのが私の現状であったが。
「助け出されるまでの間、毎日私はベルカの孔ばかりを見ていたよ。かつての大戦の傷跡は、今尚大地を穿ったままだった。今でも私はあの光景を忘れることは出来ないよ。ベルカ本土に攻め入るということで、山越えをすべく向かっている先の空が真っ赤なんだよ。夕焼けが見える時間でもないのにね。何本もの火柱と真っ赤な空が、まるでこの世の終わりみたいだった。そして今日まで見ていた世界は、終わりの通り過ぎた何もない世界だった。皮肉なものだね」
「山越えって、大統領、15年前のベルカ侵攻に何故加わっていたのです?」
「閣下は、当時海兵隊の指揮官だったのですよ。士官学校出のパリパリのエリートなのに、あの頃から荒くれ者ばかりの海兵たちに気に入られてね。そして15年前の戦争では、私の船に配属された猛者揃いの海兵隊の頭領でした。戦後政治家を目指すと言ったときは驚いたものです」
「勘弁してくれ、アンダーセン。もうずっと昔の話だろう、それは。……そう、私はあの終わりの日を目の前で見てしまった。部隊を進めることも忘れて、呆然と核の火を見上げていたよ。今になって思えば、あれが私の原点なのかもしれないね。戦術とか戦略とか、そんなくだらないもののために自らの国を支える人々まで盾代わりにする、愚かな戦争。それを繰り返すまいと考えていたのに、この体たらくさ」
大統領は肩をすくめて笑った。私は、ポケットに突っ込んでいたメモのことを唐突に思い出し、艦長に手渡した。艦長はしばらくそれを眺めていたが、少し首をかしげるとそれを大統領にさらに手渡した。
「なんだね、これは?」
「ユーク軍の通信に仕込まれていた暗号通信なんですが……最後の8桁の数字が2つ、そこがわからないんですよ。通信室の士官たちも首を傾げていました。時間とか場所を指し示すものではなさそうなのですが……」
大統領はメモを見て、しばらく目をつぶり数字をぶつぶつと呟いていた。やがて記憶に該当するものがあったのか、彼は驚いた顔で再びメモの数字を読み出した。
「驚いたな。これは、私の大統領選挙での得票数だよ。最初の方が、初当選のときの。次の方は2回目のときのものだ。私が勝利を勝ち取ったときの数だから、忘れようがないさ。こいつは私に当てられたメッセージだ。アンダーセン、このメモに載っている緯度と経度の地点には何があるのか分かるかい?」
「早速調べさせましょう。」
「ジュネット、お手柄だね。」
おやじさんが笑いながら肩を叩いた。もちろん私の手柄であるわけはないのだが。それにしても、大統領が加わったこの雰囲気は何だろう。歴戦の提督であるアンダーセン艦長と、歴戦のパイロットとして航空部隊を指揮するおやじさん、そして、大統領。大統領は、まるで自らもここに昔からいたように馴染んでいた。彼の解放は、私たちが考えていた以上のインパクトを、この不正艦隊に与えていた。いや、今や国家元首を擁する私たちが正規艦隊となり、大統領から権力を奪い取ったアップルルースらが反逆部隊となったというべきか。

翌日、面白いものを見せるから、とおやじさんに言われた私は艦内の格納庫へと向かっていた。空母の備品室を漁っていて見つけた一眼レフのカメラを首から下げて。だいふ地理勘を掴んだ空母の通路を抜け、私が足を踏み入れたのは、だだっ広い空間。そしてそこには、ケストレルが搭載している航空機たちが静かに出撃を待って佇んでいた。だが、その機体を見て私は驚いた。そこに並んでいたのは、最新鋭の部類に入る、オーシア軍でもまだ一部の部隊にしかまわされていないような戦闘機たちだった。その中の1機は、戦闘機なら持っているはずのキャノピーすらない特異な形をしていた。しかし、それ以上に驚いたのは、そのカラーリングだった。
「驚いたかい?」
階段の下でおやじさんがにやりと笑う。階段を下りていった私は、あらためて立ち並ぶ戦闘機たちを見上げた。オーシア軍の基調とするカラーリングはグレーをベースにしたものであったが、今私の前に並ぶ機体は黒を基調としたカラーリングに、ウイングレットや尾翼の先端を赤くカラーリングしたもので統一されていた。こんなカラーリングを施した部隊は、両軍を通じて存在しない。
「おやじさん、これは一体……?」
「今日から、これが私たちの部隊のカラーリングだよ、ジュネット。今日から私たちは、オーシア軍の不正艦隊から大統領直属の秘密部隊に生まれ変わったのさ。見たまえ、あのエンブレムを」
各機の尾翼には、部隊章とも言えるエンブレムが描かれている。そこにあったのは、これまでのウォー・ドッグのマークではなく、羽飾りのついた鉄兜を被った女性の横顔。
「大統領の提案でもあるが、あれ以上に相応しい呼び名はないと私も思う。」
ラーズグリーズ。歴史が大きく変わるとき、ラーズグリーズは現れる。最初は漆黒の悪魔として。悪魔はその力を以って大地に死を降り注ぎ、やがて死ぬ。しばしの眠りの後、ラーズグリーズは再び現れる。かつて、両軍に「ラーズグリーズの悪魔」として知られた航空部隊が蘇ろうとしていた。それも、亡霊でもなく悪霊でもなく、この戦争の陰で暗躍する者どもを撃つ黒い翼を持った戦士として。私は、一眼レフを構え、ファインダーに「彼女」の姿を捉えた。彼女、ラーズグリーズは新たな出撃を前に、微笑んでいるように、私は思えてならなかった。

ラーズグリーズ隊。後に平和を導いた謎の部隊として多くの歴史家と研究者たちの興味を引くことになる航空部隊は、こうして誕生した。真の敵に鉄槌を下ろす黒い翼として。

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