古強者、再び
数日間に渡る大統領の呼びかけは完全に無視されていた。ユークトバニアのプロパガンダとしてオーシア政府はまともに受け取らず、まして敵であるユークトバニア軍が戦いを止める気配もなかった。ユーク政府の内情はともかくとして、オーシア政府の中枢、恐らくはアップルルースのブレーンにまでベルカの残党、或いは「灰色の男たち」が潜り込んでいることは明らかだった。ハッカーことハマーが開設したサイトは数日毎にアドレスを変え今尚情報を発し続けている。累計のアクセス数は数十万を超えているだけでなく、同調する個人サイトが乱立しはじめた。ろくな根拠も持たない与太話が多いのだが、中には核心を突いたコラムを掲載するサイトまで現れていた。オーシア国民も、この長引く戦争に疲れ、そして疑問を持っている。ユークトバニアでは軍事政権化した政府に対し、多くの市民がレジスタンス活動をしていた。20世紀の話ではなく、21世紀の今日に、レジスタンス活動が行われている。一体、私たち人類は、過去の何度もの大戦で何を学んできたのだろうか?
「本気ですか、大統領?」
艦橋でのミーティング。艦長、おやじさん、大統領、そしてオブザーバーとしての私は、こうしてマグカップを片手にコーヒーを飲みながら実は独立艦隊としての決定事項を議論することが日常になっていた。その日、大統領が提案したのは、無謀とも言えるものだった。大統領は開口一番こう言ったのだ。首都に凱旋するから、シー・ゴブリン隊と海兵の猛者たちを貸してくれ、と。
「ああ、本気だ。ついでに言うと正気だよ。悔しいがここから声だけを乗せていても、アップルルース君たちに封殺されるだけだからね。これ以上のことを行うなら、やはり私自身があるべき場所で為すべきことを果たす以外に道はない。」
「しかし大統領、オーシア軍は今やベルカ人たちの思うままになっております。ヘリを飛ばしたとしても、捕捉され運が悪ければその場で撃墜される可能性すらあります。そうなったら、最早この戦争を止める術はなくなってしまいます」
艦長の言うとおりだった。ハーリング大統領の脱出を知る人間は、まだまだ少ないのだ。私たちと大統領を拉致した張本人であるベルカ残党、そして恐らくはその報告を耳にしているであろうアップルルースたち。つまり、闇に葬ろうと思えばいくらでも方法があるというわけだ。奴らのことだ。ありもしない事実をブレームアップするくらいのことは、やってのける。
「もちろん、私とて好き好んで命を捨てるつもりは全く無いさ。……そこでだ、大佐、艦長、こんな作戦はどうだろうか?」
大統領の顔は、国家元首のそれではなく、優秀な指揮官である顔に戻っていた。そこで大統領が提案した作戦を聞いた私は、あまりの辛辣さと皮肉の効いたスパイスに唖然としてしまった。
「それにしても大統領、これは作戦というよりもペテンに近いものですな。……ふうむ、貴方が海兵たちの猛者たちに好かれていた理由が分かったような気がしますよ」
「よしてくれ大佐、私は自分と自分の仲間たちが生き残るためにはどうしたら良いか、と考えているだけさ。それに、ブレイズ君たちには大きな借りがある。彼らばかり危険な目にあわせて、私だけが安全な場所に座しているわけにはいかない。彼らのためにも、私は私に出来る方法で戦いたいんだ。」
艦長は、しばらく腕を組んで目を閉じていた。一度窓の外に目をやった彼は、少し冷めてきたコーヒーをすすり、ため息をついた。
「仕方ありませんな、こう言い出したら絶対にお止めにならないのは分かっていますよ。何点か修正を加えてやってみましょう。大統領の凱旋作戦をね」
大統領と艦長、おやじさんはにやりと笑った。
コートを着て無くては寒くてたまらないような風が甲板を吹き抜けていく。甲板上には、首都オーレッドへ向かう海兵隊員たちがフル装備で整列していた。誰もがこの天候で直立不動でいられるのはさすがというべきか、それとも鈍感と言うべきか。彼らは、彼らが守り抜かねばならない人物の到着を待っていた。しばらくして、大統領が現れた。艦内にいたときのワイシャツにジャンパー姿というものではなく、スーツにコートをまとい、そして彼の愛用品である黒い皮の手袋をはめて。ハーリング大統領は海兵隊部隊の隊長と共に、猛者たちの前に立った。ザッと音がして、猛者たちは一斉に敬礼した。大統領がゆっくりと、だが姿勢良く敬礼を返した。
「気をつけ!聞け!これからおまえたちは、大統領を首都に無事到達させ、大統領府の執務室に到着するまで片時も離れず大統領をお守りする盾となる。口答えは許さんぞ。首都に行くのを遠慮したいという馬鹿は手を上げろ!俺が今ここで始末してやる」
猛者たちからわいわいと罵声がかえる。
「大統領、15年間で弛んだこいつらに一発ビシっと喝を入れてくだせぇ。目の覚めるヤツを一発!」
「おいおい、パウエル君、私は今は軍属ではないのだよ?」
「いえ、閣下は全軍を統括する指揮官であらせられます。それに、私にとってあれほど強烈な指揮官は閣下以外におりませんでした。」
大統領は笑いながら、姿勢を正した。温厚でにこやかに彼が話し掛けるのかと思ったら、私の予想は完全に裏切られた。
「そのやかましい口を閉じろ!いいか!おまえらには首都到着まで気を抜く暇も無い!我々が向かうのは、我々を闇に葬りたくて仕方が無いクソどもの巣だ。さえずっている場合か?愚痴っている場合か?気合を入れろ!余計なことを考えるな!」
マイクなしで響く激しい怒号。さっきまでささやきあっていた猛者たちの背がピンと伸び、緊張で顔が引きつっていた。ハーリング大統領はにやりと笑い、話を続けていく。
「おまえらには俺の到着までの護衛を命じる。嬉しいか?俺が可哀想なことにならないよう各自善処せよ。それからもう一つ!この作戦の条件は、全員が無事に帰還することだ。決して命の大安売りをするな。命令を破った者には厳正な処罰を与える。分かったな?分かったら持ち場につけ!出発だ!!」
うおおおお、という歓声が木霊する。右手を突き上げた大統領に応え、猛者たちも腕を上げる。そしてハーリングのコール。猛者たちは先を争うようにしてヘリへと乗り込んでいく。それに少し遅れて、パイロットたちも歩き出す。私は馴染みのパイロットに呼び止められた。常々、南国勤務に行けない自分の身を嘆いている陽気な男だ。
「ジュネット、南国じゃないが、少し暖かいところに行けそうでラッキーだ。」
「おいおい、気をつけて行ってくれよ。向こうは敵さんの伏魔殿なんだからな」
「なあに、そんな修羅場はこれまで散々通ってきたよ。……いやしかし驚いたな。俺やっぱり、大統領選挙でハーリング大統領に票入れといてよかったよ。もっとも、あんな恐いと知っていたら入れなかったかもしれないがね」
「聞こえているぞ、曹長。もう一度気合を入れてほしいかね?」
「いえ、失言でした!十分です!持ち場につきます!!」
彼は慌ててヘリへと走り出し、甲板のくぼみに足を取られてひっくり返った。猛者たちの罵声が彼に向けられる。大統領と私は苦笑するしかなかった。
「大統領、ご武運を!」
私は右手を差し出した。大統領は私の手を握り、そして左手も添えてくれた。
「そんな顔をしないでくれ、ジュネット。私は死にに行くんじゃない。……まぁ、やるだけやってみるさ。それにね、私は今とてもワクワクしているんだよ。こんな感じは久しぶりだね。」
大統領はにこやかに笑うと、ヘリに乗り込んでいった。シー・ゴブリンのローターがゆっくりと回りだし、そして辺りに風を巻き起こす。ローターの速度が高速回転に移行し、ヘリは甲板を離れていく。
「ケストレル隊、凱旋作戦を発動する。作戦参加要員は持ち場につけ!」
甲板要員たちが慌しく動き始める。大統領の凱旋を支援するためのミッションが始まろうとしていた。
ハーリング大統領作曲、アンダーセン艦長編曲の凱旋作戦は、極めて辛辣なものだった。ヘリがある程度離れたのを確認した後、艦載機に電子戦用のジャミング装置を装着して出撃させ、セレス海の一角のレーダー網を妨害した。そのうえで、アンダーセン艦長は艦載機を発進させ、先行する2機を追撃させた。もちろん、乗っているのはラーズグリーズの4人だ。艦長は司令本部に対し、艦内でユーク軍スパイの反乱が発生、銃撃戦の後鎮圧に成功したが2名が戦闘機で逃亡し、これを追撃中と送信した。そして、首謀者を逮捕し、シー・ゴブリン隊の手で首都オーレッド近郊の海兵隊本部の置かれた海軍基地まで現在移送中と伝えたのだった。軍司令本部は空軍機を急行させたが、そのときには敵性戦闘機は撃墜されていた。というよりも、私たちがケストレルに辿り着いたときと同じ方法で、パイロットがベイルアウトとした機体を撃墜したのだ。くじ引きで負けたスノー大尉は、こんな寒中水泳は二度と御免だ、と言って我々を笑わせてくれた。一時的に出来た間隙を抜けて、シー・ゴブリン隊はまんまとセレス海から脱出しオーシア領内に入ってしまった。猛者たちが派手に通信を打ちながら進み、アンダーセン艦長は海兵隊本部に通信を繋いで改めて捕虜の移送を伝えた。15年前の戦争当時から顔馴染である海兵隊の司令マシューズ少将はスパイの引き受けと取り調べを艦長に確約した。艦長の意地の悪いところは、「首謀者」が誰であるかを伝えなかった点だろう。ここから先は、大統領の運と実力にかかっていた。
寒中水泳を余儀なくされたスノー大尉らが戻ってきた直後、再びユークの航空管制ラインに暗号が仕込まれて来た。今度の暗号に記されていたのは、時間と周波数だけ。暗号の発信主はどうやら私たちに直接コールをするつもりなのだ。私たちはブリーフィングルームのスピーカーの前に集まった。ナガセやブレイズ、グリムたちも集まる。そして、壁に掛けられたアナログ時計が1800時を告げた。空線信号と軽い雑音の後、聞きなれたとても懐かしい怒鳴り声がスピーカーから響き渡った。
「……俺だ!ひよっ子ども、きちんと並んでいるだろうな?」
そう、それはハートブレイク・ワンこと、ジャック・バートレットの変わらない元気な怒鳴り声だった。
「いいか、耳かっぽじってよく聞けよ。ユーク首相ニカノールの救出に成功した!この戦争は彼の意志じゃねぇ!!……これから俺は脱出を図る。俺の救援ヘリはまだ来てないんだ。ブービー、数ヶ月ぶりに出迎えに来るのが礼儀ってもんだぞ。わかったな、わかったらさっさと出撃の準備をしろ!詳しいことは後で連絡する。じゃあな!」
ブレイズたちの顔に安堵が訪れる。彼は死ぬどころか、戦闘機を降りた後も暗躍し続けていたのだ。そして、ハーリング大統領同様、ベルカにそそのかされた覇権主義を掲げる現政権のメンバーたちの手で拉致監禁されていたニカノール首相まで助け出していた。これで私たちが彼らの救出に成功すれば、ベルカと覇権主義者たちが最も恐れる二人の政治家たちが彼らの魔の手から逃れたことになる。だが、ベルカに操られた連中もそろそろ気がつく頃だ。自分たちの統制から離れ、彼らの権力を根底から覆そうとしている勢力があることに。いよいよ戦いは正念場を迎えつつあった。