凱旋〜ハーリング大統領編〜
久しぶりに乗り込んだ海兵隊の輸送ヘリ。ローターのあげるやかましい音はいつまでたっても慣れなかったが、改めてこうして聞いてみると心駆り立てられるものがある、とハーリングは考えていた。操縦席では通信担当が頻繁に無電を放ち続けていて、恐らくは司令本部や海兵隊本部の通信室を相手に罵声を浴びせ続けている。もっとも、その通信の内容自体にはあまり意味は無く、無電を打ち続け自分たちの所在を明らかにすることが目的であったから、通信担当の迫真の演技は合格と言えるだろう。海岸沿いを南下するヘリの窓からは、見慣れたオーシアの海岸線が流れていく。ベルカの残党たちによる監禁から解放されてから昨日までは、アンダーセンとラーズグリーズのエースパイロットたちが彼を守っていたわけだが、今日からは彼自身が戦わなければならない。
「大統領、迎えの戦闘機が飛んできましたぜ」
「ほう、どこの所属か分かるか?」
「ありゃあ、俺たちの本部所属の海軍航空隊でさぁ。これが空軍だといきなり後ろからズドン、かもしれませんが、あいつらならとりあえずは大丈夫でしょう」
小隊長の言うとおり、海軍航空隊のマークを付けたF/A-18がヘリの両側を挟み込んだ。パイロットが手を振り、ヘリのパイロットたちに合図を送っている。
「こちら第378航空隊。シー・ゴブリン、マシューズ少将から護衛任務を任されてきた。邪魔するヤツには味方機でもミサイルを撃ち込んでいいとさ」
「378、そいつは有難い。最近は味方でさえ信じられない奴らがいるからなぁ」
「同感だ。アップルルースの野郎なんざその最たるものだぜ。ついうっかり、対地ミサイルで誤爆しちまいました、といきたいところだ」
アップルルース君も嫌われたものだ、とハーリングは苦笑した。だが、その嫌われ者の彼が今やオーシア政府そのものとなり国と軍を動かしているのもまた事実。仮にも自分と大統領選を戦うだけの能力を持っていたわけだから、必要となる基盤とブレーンを手にすれば国を動かすぐらいはやってのける。だが、彼の失敗はよりにもよって過去の亡霊を招き寄せ、それだけでは飽き足らずオーシアを滅ぼしかねない覇権至上主義の軍人たちを呼び戻したことだ。ノーベンバーシティでは、集まった市民たちが「Journey Home」の大合唱でアップルルースにアンチテーゼを突き付け、そして今や前線にいる部隊でも首都への特攻作戦を命じるハウエル将軍に対し多くの部隊が消極策に出ているという。ユークトバニア国内では多くのレジスタンスたちが反政府活動を展開しているというから、内情は似たようなものだった。所在は分からないが、ニカノール首相もどこかに捕えられ、果たすべき役割を奪われたまま国が暴走しているのは間違いなかった。
F/A-18に護衛されたヘリは海岸沿いを南下し、首都オーレッドから数十キロほど離れたところに港を構えるサザンシスコ海軍基地に到達した。ここはオーシア海軍海兵隊本部や主力艦隊の司令部が置かれることもある大規模な軍港であり、大半の兵員が最前線に派遣された今でも、何隻かの強襲揚陸艦や艦艇がドックに停泊していた。一方、ヘリの中は着陸が迫るにつれ緊張感が高まっていった。それはそうだろう。ハーリングを突き出してはいおしまい、というわけではなく、出迎えに来た友軍に銃口を突き付け、血路を開かなければならないのだから。
「大統領も一応お持ちください」
シー・ゴブリンの分隊長から渡されたのは、15年前も使用していたことのある拳銃。ズシリとした重さは昔も今も変わらない。マガジンを取り出してみると、既に全弾装填済となっていた。苦笑いしながら、ハーリングはその銃をスラックスの腰の辺りで挟み込んだ。ホルスターも無い以上、こうでもしていないと邪魔で仕方ないからだ。ヘリの高度はどんどん下がり、地上が近づいてくる。既にヘリのランディングポイントには待機している兵員たちの姿が見え、その先頭にはマシューズ少将自らが腕を組みヘリの着陸を待っていた。やがてヘリのローター音が地上に反射するようになり、軽い衝撃と共にヘリは接地した。ローターの回転音が遅くなっていき、辺りの風が弱まっていく。待ちきれない、といった様子でマシューズ少将が近づいてきた。側にいる分隊長が「撃ちますか?」と目で問うてきたが、軽く首をふり逆にハーリングはヘリのドアを自ら開け放った。ローターの巻き起こす風と海風でコートがばさばさと音を立てる。ジャキッという音が響き、付近の兵士たちの銃口がハーリングに向けられるが、驚愕した表情になっていたのは彼ではなくマシューズの方だった。いるはずのない人間を目の当たりにした彼はなす術を知らず、呆然と立ち尽くしている。
「そんな幽霊を見たような顔をしないでくれよ、マシューズ。足があるのは見えるだろう?」
我に返ったマシューズはその場で直立不動の姿勢を取り、敬礼した。司令官殿の異常とも見える行動に戸惑っていた兵員たちも、しばらくして銃口を下げその場で敬礼した。ハーリングもまた敬礼を返す。
「隊長殿、いえ、大統領閣下。私はアンダーセン艦長より敵性スパイの確保と取り調べを依頼されておりましたが、何故大統領閣下がこんなところに、しかもシー・ゴブリンと共にいるんです?」
「それを話すと長くなるだろうから、場所を移したい。何よりここで話すと声が大きくなって仕方ない。」
ハーリングは軽い驚きを覚えていた。マシューズのようにある程度軍の上層部に近い人間ですら、自分自身が大統領府にあると信じている者もいるということに。全機が着陸したシー・ゴブリン隊のヘリからはわらわらとフル装備の猛者たちが展開して、出迎えの男たちを驚かせた。銃を手にしていた一部の兵士たちが両手を挙げ、銃が地面に転がっていく。海兵隊部隊の中でも猛者ぞろいの部隊として知られるシー・ゴブリンだ。このまま銃撃戦になったとしても、圧倒的な損害を受けて壊滅するのは基地の警備兵たちだったろう。ハーリングはマシューズとシー・ゴブリンの兵士二人とともに軍用ジープに乗り込んだ。さらに警備兵たちの乗ってきたジープをシー・ゴブリンが占領し、明らかに定員オーバーの状態で走り出す。
「それにしても、隊長殿は相変わらず無茶ばかりされますな。しかし大統領。大統領がこんな所にいるということは、まさかとは思いますが大統領府には……?」
「そのとおりだよ、マシューズ。だが、私は自分が在るべき場所で為すべきことを果たさなければならない。力を貸してもらえるか?」
車の中でマシューズは呆れたように首を振った。そしてもう一度「無茶をなさる」とため息混じりに彼は言った。彼らを守るように走るジープでは、フレームに捕まりながら猛者たちが罵声を上げている。マシューズは被っていた軍帽を取り、そして昔を懐かしむように顔をあげた。彼らの車列は、装いの変わった男たちに仰天した兵士たちの呆然とした顔に見送られながら、海兵隊本部の建物の中に吸い込まれていった。
その晩、海兵隊本部のマシューズ少将から、大統領府に緊急連絡が入った。敵性スパイの尋問の結果、ユークトバニア軍がオーシアの殲滅を目的とした一大反抗作戦を実行に移し始めていることが分かったのだった。マシューズ少将は盗聴などによる情報漏洩の危険を避けるため、アップルルース副大統領に直接面会を申し入れた。既に時間は深夜であったが、驚いた副大統領は直ちに出頭するようマシューズに命じた。
深夜のハイウェイを海兵隊のジープが猛スピードで通り過ぎていく。交通規制のかけられた高速を走る一般者は無く、何台もの装甲車と軍用ジープが車列を組んでハイウェイを疾走していた。明らかに、アップルルース副大統領との会見に行くような数ではなかった。実際問題として、ジープに乗っているのは制服を来た者たちではなく、鉄兜に持てるだけの武装を身に付けた戦闘のエキスパートたち。それも、敵の最前線に突貫し拠点を確保することを主任務とする海兵の猛者たちだ。
「キングバッファローより各隊、分かっているな?一般市民の殺傷は禁止。民間施設の破壊もご法度だ。ただし、行く手を阻もうとする連中には例え味方でも容赦するな。命を奪えとまでは言わないが、腕の一本や二本撃って、開いていないお目目を見えるようにしてやれ。大統領、何かありますか?」
彼自身も完全に現役時代の格好となったマシューズ。ハーリングと長時間に渡り、謀略の舞台裏について説明された彼は自らの不見識を罵った。真実を知らない彼は、今や戦争を拡大させるしか能の無い政府のトップたる大統領の暗殺まで考えていたのだった。必要のない戦いで多くの部下の命を失う羽目となったマシューズが、ユークトバニア侵攻部隊司令のハウエルやアップルルースたちと分かり合えるはずもなかった。
「各隊、無茶は承知で突っ込むぞ。時間は正直な所あまりない。作戦通り、目標の確保と人質の救出が最優先だ。私が責任を全て持つ。そして必ず皆帰還せよ。これは命令だ。よし……作戦開始!!」
ハイウェイのインターチェンジから次々とジープや装甲車が姿を消していく。アップルルースたち主戦派の連中は、かつてのハーリングのブレーンや宥和派の軍人たちを事実上の軟禁状態にしていたのだ。そのうち明らかに所在がわかっている数人を救出すべく、海兵たちが動き出した。もちろん、その中にはシー・ゴブリンの面々も混じっている。海軍基地で暴れられなかったと欲求不満気味の連中が、今回の作戦への参加を申し出たのだ。おかげで本来動員するよりもはるかに多い面子が確保できたのであった。そしてハーリングたちの車列は、闇に覆われたハイウェイをさらに加速する。オーシアを我が物として好き勝手に操る者どもの伏魔殿を目指して。やがて首都オーレッド環状線に入った車列は、官庁街の中心に下りるインターチェンジを一気に駆け下り、大通りへと踊り出た。ここまで来れば、大統領府はもう目と鼻の先だった。
「さあて、大統領、ここまで来たからには派手にやりますぜ。おい、一発あのきれいな門にぶちこんでやれ!!」
マシューズの号令で、装甲車の砲塔が動き出し、そして火を吹いた。大統領府の門扉を砲弾がぶち破り、意匠の凝らされた扉を残骸に変える。そのまま直進した装甲車が門扉を突き破り、大統領府に突入した。後続のジープも機関銃を撃ちながら次々と突入する。突然の襲撃者の侵入に、警備の兵士たちは反撃することも出来ずに逃げ惑う。装甲車が玄関口に横付けで急停車し、外部からの攻撃に対するバリケードを作る。海兵たちは扉自体を打ち破り、次々と中へと侵入していく。銃撃戦が始まり、薄暗い廊下を曳光弾の筋が行く筋も飛び交う。だがフル装備で侵入してきた海兵たちが圧倒的優位にあった。ましてや、ここは天下の大統領府。いかに主戦派やベルカの人間であっても、対地ミサイルで吹き飛ばすことはできやしない。橋頭堡を確保した海兵たちは、外部での戦闘を早々に切り上げて、次々と大統領府内に滑り込んでいく。そして増大していく玄関口からの銃火によって、内部からの反撃は確実に衰えていった。ハーリングは物陰から建物の中を見上げた。住み慣れたこの建物の中が戦場になるとは思いもしなかったが、彼が在るべき場所はあの階段を上った先、3階の奥だ。あそこに辿り着かない限りは、自分自身を取り戻すことが出来ないのだ。
「くそっ、一体どういうことだ!どこの部隊が叛逆したのだ!?何?海兵隊?マシューズ少将か!?陸軍は何をしている!?」
大統領の執務室では、全権委任を自称しているアップルルースの怒号が響き渡っていた。彼の居城となった大統領府は、突然の「敵」の侵入により、轟音と銃撃音で覆い尽くされていた。彼にとっては遠い存在でしかない「戦場」が今目の前にあった。それが、余計に彼の驚愕を深いものにしている。
「何?大統領府を破壊していいのかだと?既に大統領府の門は吹っ飛ばされ、内部では銃撃戦が繰り広げられているのだ!早くしろ、早く!!」
床下で轟音が響き、アップルルースは椅子によろめいて座り込んだ。座り心地の良い椅子が彼の身体を受け止めるが、その感触ですらアップルルースには恐怖でしかなかった。椅子をはらいのけた彼は、血走った目で執務室の窓から見える戦場の光景を睨み付けていた。
「執務室の椅子の座り心地は、あまり良くないものだったろう、アップルルース君?」
突然背後からかけられた声に、アップルルースは悲鳴をあげながら振り向いた。その視線が一点を凝視して動かなくなり、顔面全体に驚きが広がっていく。額からは冷や汗が吹きだし、彼の顔を湿らせていく。
「ハーリング……大統領」
「まさか君がここまでやるとは思いもしなかったよ。私は、私の掲げる政策を共に作り上げていくことで君に平和の意味を伝えたかったんだが、残念ながら君に届いていたのは別物だったようだね」
ハーリングはゆっくりと歩きながら執務室のデスクに近づいていった。アップルルースはその場で動くことも出来ず、視線がちらちらと下を向く。
「ところでアップルルース君、君に私を監禁するよう囁いた人間が誰だかわかっているのかね?いや、いいたくないだろうからこちらから言ってあげようか。ノース・オーシア・グランダー・インダストリー。彼らの真意を君は分かっていたのかね?」
「黙れ。黙れ黙れ黙れ!!ハーリング、貴様の掲げる宥和と平和が、オーシアの栄光を翳らせたのだ。我らがオーシアは、この世界を統べる超国家なのだ。ユークトバニアごとき、対等のパートナーなど冗談じゃない!!今更のこのこと姿を現してどうするつもりだ!?最早オーシアの国民はユークトバニアを許しはしない!誤った方向へと進んだオーシアを立て直すのは貴様ではない、このアップルルースなのだ!!」
アップルルースはデスクの引き出しを引き、中からリボルバーを取り出した。だが、それよりも早くハーリングは背中から拳銃を引き抜き、引き金を引いていた。アップルルースの手から拳銃が弾け飛び、床の上に転がる。銃声を聞きつけた海兵たちが、一斉に部屋の中に突入してきた。その彼らを制し、銃を構えたままハーリングはアップルルースに近づいた。
「勘違いしてもらっては困るよ、アップルルース。私は、この世界を平和にしたいといつも考えていた。だがね、その平和のために銃を取らなければならなかったことも知っている。そして、私は君よりも遥かに上手に銃を使う術も知っているんだ。親父さんのコネでまんまと軍役逃れをして、15年前のあのときも遊び呆けていたような君には、平和の重みを理解することが出来なかったようだね。」
手を押さえてうずくまったアップルルースの後頭部にハーリングの銃が突き付けられた。アップルルースの身体は、がくがくと震え、情けないことに失禁していた。震えて歯の根が合わない口からは、ガチガチという音が聞こえてくる。
「撃つな、撃たないでくれ……なんでもする。そうだ、私が手に入れた権限を全て返す。大統領がいなかったから、私はその責務を代行していただけだ。いや、そうじゃない。私をそそのかしたグランダーインダストリーの連中を捕まえようじゃないか」
ハーリングは首を振った。安全装置を外す音が、室内に妙に響いた。
「アップルルース君、君を操っていたのは、オーシアとユークトバニアの共倒れを狙っていたベルカの亡霊たちなんだよ。君はね、そんなことにも気がつかず、無数のオーシアの人々、そしてユークトバニアの人々の命をこの安全な場所から奪ったんだ。お前分かっているのか?最前線で戦う兵士たちが家族を想う心を。後方に残された人々が、最前線から最愛の人たちが帰ることを切望していることを!オーシアが望んでいるのは、覇権なんかじゃねえ!!この国に暮らす、いや、この世界に生きる人々が、必要の無い戦いで傷つき命を失うことのない、平和こそ、皆が望んでいるんだってことがわからねぇのか、アップルルース!!てめぇはてめぇの無能さ故にそれを奪ったんだ。死んで詫びろ、このクソ野郎!!」
アップルルースは甲高い悲鳴をあげ床に突っ伏した。その頭の上で、ハーリングは大声で「バン!!」と叫んだ。
「ひあああああああっ!!」
両手を大きくあげて、アップルルースは完全に気を失った。ハーリングはつま先で彼を仰向けに転がした。
「なんだよ、もう気を失いやがった。」
ハーリングはもう一度、床に転がった副大統領の頭を蹴飛ばした。入り口の前では、海兵たちが豹変したハーリングを見て呆然としている。
「何をしている。この叛逆者をさっさと運び出さんか!」
マシューズの怒号に反応した海兵たちがアップルルースを小突き回し担ぎ出す。無様に引きずられながら、彼は執務室から追い出された。彼らが去った後の執務室には、ハーリングとマシューズが残った。ハーリングは、何ヶ月ぶりかで執務室の椅子に腰を下ろした。
「大統領……あらためて申し上げます。お帰りなさいませ」
敬礼するマシューズの目が潤んでいた。15年前の戦い。いや、全世界に戦いを挑んだベルカとの戦いで、指揮を執るハーリングの部下として戦場を生き抜いた彼にとって、上官の帰還は悲願でもあったのだ。
「ありがとう、マシューズ。さて、そろそろ君の部下、いや私の友人たちも戻ってくるだろう。これから忙しくなるぞ」
「国を取り戻すための戦いですか?」
「ああ、最前線では、アンダーセン、それにラーズグリーズの皆が戦っているんだ。彼らのためにも、私はこの国をまずはベルカの手から取り戻す。私は、そのためにここに戻ってきたのだからね」
そう、オーシアをこれ以上ベルカの好き勝手にさせるわけにはいかない。ユークトバニアとの戦争を早く終結させ、「真の敵」を討つ戦いに臨まなければならないのだから。