崩れ行く謀略


空母ケストレルに、いや、私たちの元に「彼」が戻ってきた。ユークトバニアから強奪したプロペラ機で着艦した彼は、ハーリング大統領同様にベルカの「灰色の男たち」にそそのかされた連中の手で拉致されていたニカノール首相を連れてくることに成功したのである。そして、驚いたことにもう一人の連れがあった。ユークトバニア陸軍の情報部少佐殿。彼女は、バートレット大尉の15年前のハートブレイクの相手であったのだ。私は倉庫から失敬して以来すっかり自分のものとしてしまった一眼レフと、チョッキのホケットに丁度入るので愛用しているデジタルビデオをぶら下げて、彼らを出迎えた。
「おおっ、ジュネット!おまえもやっぱりここにいたのか!」
以前と変わらない大声。着ているものこそユーク空軍のものであったが、ウォー・ドッグ隊の隊長であった頃と何も変わらないバートレットがそこにいる。
「大尉、お元気そうで、何よりです」
「世辞はよせよ。すまなかったな、心配させちまってよ。俺ゃ記念すべき捕虜第一号になったわけだが、その代わり記念すべき脱走者第一号になっていたのさ。その後どうなったかは、分かるだろう?もっとも、脱走に成功してレジスタンスの連中と巡りあえたのも、彼女のおかげだがな」
ニカノール首相の傍らには、バートレット愛用のジャケットを羽織った長身の女性士官が立っている。サングラスをかけている彼女の顔はとてもクールに見えるが、その声は落ち着いていて耳に優しい。脱出中に意識をようやく取り戻したニカノール首相をサポートするように、彼女は付き添っていた。
「バートレット大尉、久しぶりだね。無事の生還、おめでとう」
「アンダーセン艦長!ご無沙汰しております。娘さんはお元気ですか?」
「ああ、彼女も今や3人の男の子の母親だ。顔を合わせると年寄りの冷や水は止めてさっさと退役しろ、とばかり言われているよ。もっとも、退役しなくて本当に良かった、と最近は思っているけれどもね」
バートレット大尉は笑いながら敬礼した。艦長も嬉しそうに微笑みながらそれに応え、もう一人の客人、ユークトバニアの国家元首に改めて敬礼した。
「私はオーシア海軍第3艦隊所属、航空母艦ケストレルの艦長、アンダーセンです。もっとも、今では第3艦隊の指揮を離れ、ハーリング大統領直属の部隊として活動しています。お会いできて光栄です、首相」
長身のアンダーセン艦長は、身をかがめるようにして右手を差し出した。ニカノール首相は身体の幅はともかく、身長自体は私よりも小さいのだ。ニカノール首相は差し出された右手を両手でがっちりと握り返した。
「やはりハーリング大統領も気が付かれたんだね、私たちの国を背後で操る者たちに。アンダーセン艦長、私たちの脱出への支援に、心から感謝します。本当にありがとう!」
ニカノール首相はユークトバニアの農村部出身であるため、話し言葉の端々に訛りが残っている。もっとも、その地のまま語る彼の姿勢が評価されていたからこそ、ユークの市民は彼を首相として選んだのである。だが、彼の掲げる宥和主義は、オーシア同様に覇権を目指す軍人や政治家たちにとっては邪魔な存在でしかなかったわけだ。私は、手を握り合う艦長と首相の姿をフィルムに収めた。もしこの戦争の真実を語る機会があるとしたら、これは非常に貴重な証拠写真になるだろう。
「ときにアンダーセン艦長、その肝心のハーリングの旦那……じゃなかった、ハーリング大統領はどこにいるんですかい?」
バートレットがきょろきょろと辺りを見回していたのは、どうやらハーリング大統領を探していたようであった。
「バートレット大尉、大統領閣下は既にオーシア首都オーレッドの大統領府に戻られたよ。君からの通信とちょうど入れ違いだったんだ。もし無事なら、そろそろ在るべき場所に戻られている頃であろう」
「何ですって?相変わらず無茶をなさる御仁ですなぁ、大統領は」
呆れたようにバートレットは首を振った。私はカメラのズームを上げ、ニカノール首相の傍らに立つ女性にピントを合わせた。彼女はサングラスを外し、優しく微笑んでくれた。
「あなたのことは、何とお呼びすればよろしいですか?」
「単に、「少佐」と」
「本当のお名前は?」
「おいおいジュネット、人の女に勝手にちょっかい出すんじゃねぇ。……後で写真はよこせよ、いい女だろう?」
彼女は微笑んだまま何も語らない。その代わり、彼女は制服の内ポケットから一枚のディスクを取り出した。PCで使用する光学ディスクのようだったが、何のタイトルもつけられていないその端には鎖がつけられていた。
「アンダーセン艦長、これは情報部から私が持ち出してきた極秘扱いの資料になります。……残念ながらパスワード解読が出来ておらず内容の確認は出来ておりませんが、ベルカの「灰色の男たち」のたくらみがこの中に収められています。」
「ありがとう、少佐。この船には、そういった解析を得意とする人間もいるし、「灰色の男たち」に詳しい人もいます。早速解析を進めさせることにしましょう。首相、お疲れでしょうから、今日はもう身体を休められたほうがよろしいか、と。陸の上のようには行きませんが、お部屋をご用意しています」
ありがとう、と首相は返し、艦長の案内で歩き出した。少佐とバートレット大尉も、こちらは二人仲良く並んで歩いていく。私はもう一度カメラを構え、そしてバートレット大尉と少佐のツーショットをフレームに収め、シャッターを切った。
「おいジュネット、人の断りなく写真を撮んじゃねぇっ!……恥ずかしいじゃねぇか」
本当に照れくさそうに頭をかくバートレット大尉。私は苦笑することしか出来ない。
ふと星が見たくなって、私は夜の甲板上に出た。冬の風が吹き抜けていく甲板上は、そろそろこの格好では寒くなりつつあった。空を見上げると、そこには満点の冬の星空が広がっている。サンド島で見た星空もなかなかのものだったが、そのときの空はまだ秋だった。あれから月日が過ぎ、季節は次の季節へと変わった。私が在る場所も、その間に大きく変わってしまった。何しろ、今の私は記録上は既に死んでいる身の上なのだから。
「ジュネット?どうしたの、こんな遅くに」
振り返ると、少佐が相変わらずバートレットのジャケットを羽織ったまま立っていた。あの後、艦長と首相、それにバートレット大尉に少佐、さらにはおやじさんも入ってかなり長い間ミーティングが行われていた。作戦会議は終わったのか、と問うと彼女は首を振った。
「ジャックがビールを飲みたいと言い出してね、一時休憩となったのよ。あの人のことだから、間違いなく今ごろ食堂で半ダースはビールを空けているはずだわ。で、ジュネットはこんなところで何を?」
「いや、ただ星を見ていただけです。ここからですと、都会では見られないような星空が見られますからね」
少佐は私の隣まで歩いてくると、東の空を指差した。その先には、白い星たちに混じって、青い光を放つ星があった。
「あなたは、あの星を知っているかしら?」
「いえ……天文学にはあまり詳しくないので星の名前までは……」
「あの星はSOLG。15年前、あなた方の国が作りかけ、戦争終結と共に放棄された軍事衛星よ。」
「何ですって?」
それは初耳だった。確かに、今日でも偵察を目的とした軍事衛星は平和な時代であっても打ち上げられてはいた。だが、それらは地上から見えることは在ってもわずかは光点にしか見えない程度の大きさだ。あの規模となると、少なくても数十メートルを超える建造物となる。そんなものが、私たちの頭上を漂いつづけていたのか。
「あの星は今では放棄された衛星ではなく、完成した軍事衛星として機能を始めている。テロ攻撃に遭って機能停止したはずのアークバードが復活したのは、あの星の復活の前兆でもあったのね。そして、アークバードの墜落後もマスドライバーからは物資が打ち上げられている。」
「まさか、ベルカの連中はアークバードだけでなく、あの衛星にまで核を持ち込んでいると?」
「それは分からない。でも中枢のコントロールも含めて全て掌握しているのだとすれば、SOLGはもともと対地攻撃用のプラットホーム。十分にありえる話でしょうね。でも、彼らが先の大戦で使用したような小型戦術核は大気圏に突入する能力を持っていない。一体、あの星に送られている物は何?」
彼女は口を閉ざし、再びSOLGを見上げた。私もつられて、その青い星を見上げる。ベルカの亡霊たちは、一体何を企んでいるのだろう?使用できない核兵器をSOLGに送っていないのだとすれば、連日のように打ち上げられるシャトルには一体何が?
「私の友人が、ノース・オーシア・グランダー・インダストリーを追っている。ひょっとしたら、意外な線から何かわかるかもしれない。でも、今の彼は自分の勤める会社ですら敵に回して真実を掴もうとしている。何事もなければいいんだけど……。」
「それは、あなたの協力者ということですか、少佐?」
「そう、ユークとオーシアの友好関係の賜物よ。ジャックと私のようにね。新聞記者もいいけれど、あんな風に走り回っている方が、彼には似合っているのかもしれないわ」
新聞記者?それに彼女は言った。ノース・オーシア・グランダー・インダストリーを追っている知人がいる、と。そして私はその条件に合致する人間を一人知っている。
「じゃあ、まさか、ハマーの活動を後ろで支えていたのは、少佐、貴方なんですか!?」
彼女からの答えは無かったが、その代わり微笑が返ってきた。
「彼から伝言よ。戦争が終わったら、必ず酒をおごれ、それまでは俺も絶対に死なないからな、と。もし、彼に伝えることがあれば、私がメッセンジャーになるわ」
バートレット大尉は、彼女の存在がユークトバニアに大規模なレジスタンス活動を発生させたのだ、と語ってくれた。その彼女はいち早く戦争の舞台裏に気がつき、ユークだけでなくオーシアにも協力者を得ていたのだ。つまり、私たちがアンドロメダで傍受していた暗号通信の本当の発信主は彼女だったというわけだ。
ハマーに伝えたいことは山ほどあったが、私はその中から一番伝えたいことだけを彼女に伝えてもらうことにした。私は健在だ、戦いが終わったら一週間分の酒をおごるから、必ず生き残れ、と。

長時間に渡ったミーティングの最中、首都オーレッドから吉報が舞い込んだ。ハーリング大統領はついに大統領府の奪還に成功し、それだけではなく海兵隊や軟禁から解放された和平派の司令官たちの協力でついに軍司令本部の掌握にも成功したのであった。まだ多少の時間はかかるとはいえ、これでオーシアの政府・軍部の主な機能は主戦派やベルカの息のかかった人間からついに取り戻されたことになる。かつて大統領たちが失脚したときと同じように、水面下、表で続く戦争の舞台裏でまた別の戦いが進行している。そう、表舞台に出ることの無い、だけれどもこの世界には必要な戦いが。

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