希望は砲火を越えて
まだメディアなどを通じての会見が行われているわけではないが、全ての権限を取り戻したハーリング大統領は着々とオーシアを主戦派とベルカの「灰色の男たち」の手から取り戻しつつある。特に政府内における対応は電撃的と表現するのがもっとも相応しく、アップルルースの自白(ひょっとしたら自白剤くらいは使われたのかもしれないが)により、芋づる式に権力の甘い汁に群がった者達が検挙され、檻の中に次々とぶち込まれているらしい。その中には、「灰色の男たち」――南の地を手中にし、覇権国家の樹立という妄想に突き動かされているベルカ残党たちの手足となって暗躍する者どもも幾人か含まれているという。リムファクシ攻撃作戦においてサンド島から直接指揮を行った、参謀本部のミッチェル大佐は本部に巣食っていたベルカの協力者と共に脱出を図ったが、シー・ゴブリン隊の急襲を受けヘリもろとも爆死したというニュースも入ってきた。15年前の戦争で敗北したベルカは、国としての組織を解体するよりも早く細胞をユークとオーシアにばら撒いていたのだ。後日の再起に備えて力を蓄え、そして協力者を作っておくために。彼らが目をつけたのは、宥和と平和を第一に掲げた者たちから追放された「主戦派」――覇権主義者たちだった。ベルカにそそのかされた彼らは、15年かけて国を蝕み、ついに激発したのだ。
しばらくは薬物の後遺症に悩んでいたニカノール首相も、もともとの身体が強靭であったのか、それとも精神力が身体を蝕む薬物を乗り越えたのか、ようやく回復しつつある。街の大学病院での治療のように大掛かりな対応は出来ないものの、艦内の設備をフル活用した軍医たちの戦果と言う事が出来るだろう。その間も少佐は情報収集艦アンドロメダに通い、ベルカたちの動向を極力把握しようと努めていた。ニカノール首相の掲げる宥和と平和に忠誠を誓う彼女にとっては、首相を妨げるベルカとその協力者こそがこの戦争の敵であった。
突然の警報。カメラを手に慌てて飛び出した私は、持ち場へと全力疾走する甲板要員たちに混じって表へと駆け出した。慌しい空気の中、整備兵がミサイルを積んだカートを押しながら走り、既にカタパルトに待機しているブレイズたちの機体に装備を搭載していく。遮るものの無い海平線に、明らかに自然のものではない影がいくつも現れていた。どうやら、ケストレルの行く手を阻む「敵」がしびれを切らして私たちを叩き潰しにきたらしい。
「おいおい、記録上死亡でも従軍記者根性は健在か?間違って海に落ちるんじゃねーぞ」
後ろからかけられた声の主はバートレット大尉だった。見慣れたオーシア軍のパイロット服に、今日はジャケットを羽織っている。そして、左脇にはヘルメットを抱えていた。
「大尉、いよいよブレイズたちと出撃ですか?」
だが大尉は苦笑いを浮かべながら首を振った。
「ラーズグリーズ隊のことなら、全部ブレイズに押し付けてきた。俺はマイハニーとついでにニカノールのおっさんを連れて、一足先にオーレッドへランデブーさ。久しぶりに首都でうまい酒を飲むことが出来そうだぜ。この船じゃよぉ、ビールと安物のワインしか置いてないんだから困ったぜ。」
「その割には随分と消費していたじゃないですか、ビールを」
「あんなもの酒のうちに入るかい。放っておいても痛むだけだから、俺が始末をしてやったのさ」
甲板上では、バートレットたちが脱出のときに乗ってきたプロペラ機が、ブレイズたちの後ろにスタンバイしていた。バートレットたちは、来たときと同じ機体で飛び立つのだ。
「さっきハーリングの旦那から連絡があったそうだ。首都から大統領の指揮下に入った海軍航空隊の連中が俺たちの迎えに来てくれることになっている。ま、この俺を落とすつもりなら、戦闘機の2個中隊はいるだろうがな。それに、この海域からなら、サンド島は通らずに済む。流石は古狸の長、アンダーセン艦長だぜ」
「サンド島?だって、あそこは仮にもオーシアの空軍基地じゃないですか」
「おいおい、あの基地には誰がいたと思っていやがる。ハミルトンだよ。こうなってみると、ちと可哀相だがペローのデブはもうこの世の存在じゃないようだ。あそこにいるのは、オーシアの連中じゃねぇ。」
「まさか……!」
バートレットは頷いた。そう、かつて私たちの住処であったあの島は、今では「敵」の手に落ちていたのだ。そして、そこにいるのがオーシア軍ではないとなれば、そこにいるのは決まっている。
「そう、ベルカ、さ。俺たちが脱出するとき、俺たちの正面からグラーバクが現れただろう。あれは、サンド島から飛んできやがったのさ。ハミルトンの野郎、俺たちの通信を傍受するだけじゃあきたらず、ケストレル隊の動向を探っていたんだろうよ。」
そう、まだハーリング大統領の攻撃の及ばない拠点が残っていた。かつてユーク攻撃の最前線だったサンド島は、ベルカによるオーシア・ユーク攻撃の最前線基地に姿を変えてしまったというわけだ。そしてベルカに踊らされているもう一方、ユークトバニアは未だ彼らのコントロールから脱していない。レジスタンスの活動はさらに拡大し、中央官庁の職員達によるサボタージュや一部の部隊の造反も始まっているようだが、軍事政権化した政府は未だ健在で、火消しに躍起になっている。それ故、オーシアへの強硬策ばかりが目立ち始めていた。
「さて、ジュネット。冗談抜きで早く船の中に入った方がいい。もし写真が必要なら艦橋に上げてもらえ。何だったら俺がビーグルの奴に話しつけてやる。今回ばかりは、砲火飛び交う艦隊決戦になるだろうからな。俺もそろそろ、機体のチェックでも始めるとするさ」
バートレットは抱えたヘルメットをもう一度抱え直し、そして空いている手で私の肩を叩いた。
「ジュネット、おまえさんは開戦から今日まで生き残った、俺の数少ない知り合いなんだ。ここまで来たら、最後までいこうぜ。全部終わったら、これまでの分もまとめておごってやる。首都で会うのを楽しみにしているぜ。人見知りで照れ屋のこの俺様がここまでしてやるんだ、勝手に死んだらゆるさねぇぞ」
肩から手を放し、もう一度「あばよ」と言って、彼は出撃を待つ機へと歩き始めた。歴戦の古強者が操る輸送機は、必ずやニカノール首相をハーリング大統領の元へと送り届けるに違いない。もっとも、ニカノール首相を送り届けた後、彼が戦闘機の操縦桿を握るつもりでいたことに、私は全く機が付かなかったのだが。
セレス海における、ケストレル・ラーズグリーズ隊とユーク・オーシア艦隊の戦いは、私たちの一方的な勝利として終結した。ユーク艦隊は全滅して既に洋上にその姿は無く、オーシア艦隊も大半が戦闘不能となり救助された兵士たちが毛布に包まりながら残存艦に転がっている。友軍を攻撃するという愚挙を犯したのはユークだけではなくオーシアも同じだった。洋上に逃れた兵士たちの多くは救助されつつあったが、脱出もままならず艦もろとも海の藻屑と消えた兵士たちの数は相当数に達するだろう。これまでケストレル隊が挙げてきた戦果の中でも特筆すべき大勝利であったが、それは同時にそれだけ多くの命を奪い取ったことということだ。ケストレルがハーリング大統領直属の部隊として動いていると説明したところで、仲間を奪われ、自らも命の危険にさらされた兵士たちがそうそう簡単に納得するとはとても思えなかった。
「血塗られた道ですな……これも愚かな人間の性というものですか」
「そうだとしたら、大佐、私たちは哀しい生き物ですな。誰もが望んでいることは分かっているはずなのに、そのために血を流し合わなければならない。もう、こんなことを繰り返すのは充分でしょう。この愚かな戦争を一分でも早く、我々は止めなければなりませんな」
「もう、バートレットがニカノール首相を送り届けている頃でしょう。いよいよ、大詰めです」
アンダーセン艦長は頷いた。その顔からは険しさは消えていたが、代わりに疲労の色が濃い。一個艦隊に満たない部隊が、正規艦隊を短時間で2個艦隊撃破したなどという記録はこれまで私は聞いたことがない。だが、それだけに艦長たちは極限の緊張状態にさらされていたはずだ。戦闘に関しては何もすることが無く、海戦の様子を撮り続けていた私とは違う。
「レーダー担当の警備要員を除いて、警戒態勢を解除しましょう。今は、身体を休めることが必要です。私たちも、多くの乗組員たちも」
戦いの終わった海が暮れて行く。オイルと破片で汚れた海を、夜の帳が覆い隠していく。何事も無かったかのようにセレス海には静けさが戻り、波の音だけが聞こえてくる。生き延びた者、命を失った者、その双方に等しく、夜が訪れを告げていた。
私たちは立ち止まることを許されない。一刻も早く、この戦争を終わらせなければならないのだから。