最後に掴み取った勝利


カレンダーはとうとう12月30日を告げた。もう間もなく、激動の2010年が幕を閉じようとしている。開戦まで、ごく普通に平和であったはずの世界は、9月を境に一変した。私もまたフリーの記者という立場から、公式的には死亡した亡霊として、今はケストレル艦上にある。「少佐」の持ち込んだディスクの中身は、驚くべきものだった。ベルカ残党勢力は、15年前の戦争で開発が中止していた大量虐殺兵器「V2」の開発を進め、実用化に成功していた。しかも、その核兵器は既に完成し、少佐が私に指し示してくれた空に青く輝く人工の星「SOLG」に搭載されている可能性が高いのだ。V2はMIRVだ、とおやじさんは教えてくれた。MIRV――数発の核弾頭を搭載し、同時にいくつもの攻撃目標を核攻撃出来る大陸間弾道弾。随分と昔に、オーシアとユークトバニアで締結された核兵器削減条約に基づき、両国では全てが廃棄されたことになっている。これを地上から打ち上げるとなると、かなりの大推力を持つロケットが必要となるが、これを宇宙空間から打ち出すとなると話は別だ。より搭載量の大きい運搬用シャトルに弾頭を搭載してしまえば、SOLGへ搬入することはそれほど大変な話ではないのだから。マスドライバー基地が連日のようにせっせとシャトルを打ち上げていたのは、結局SOLGの復活のためだったというわけだ。つまり、ユーク・オーシアの科学技術の結晶とも言うべき宇宙開発関連施設のほとんどは、実は15年の間にベルカの息のかかった者たちによって私物化されていたことになる。
だが、このSOLGのコントロール施設が判明した。その場所は、予想とおりと言うべきか、グランダー・インダストリーの内部。つまり、南ベルカ国営兵器廠だ。おやじさんは呆れたように首を振って言ったものだ。私の祖国は、15年間の間過去しか見ることが出来なかったのだろうか、と。ユーク・オーシア両国を操る者たちは、現実と将来を見ていないのかもしれない。ベルカの栄光のため。南の地を確保し、大ベルカによる世界統治を実現するため。戦争でベルカの「悲願」を撃ち砕いた者たちに復讐を果たすため。そのどれもが、将来を見据えていない。そして、妄執と言うべき願望で視野狭窄を起こした者たちが暗躍を続けているのだ。……だが、ベルカの全ての人たちが今暗躍する者たちと志を同じくしているとは到底思えない。この戦いにおいてベルカ残党が敗北すれば、その影響はまさか自分たちの同朋が戦争を拡大していたとは考えてもいない人々に及ぶ。それはまた新たな憎しみを生み出すかも知れないというのに……。

おやじさんがブレイズたちとのミーティングに向かったので、手持ち無沙汰になった私は甲板に上がった。甲板要員たちが今日もカタパルトなどの設備の点検を進めている。ケストレルの周囲には、これまでと違いケストレル隊の護衛に加わったユークトバニア艦隊が展開しているのが、この間までとの大きな違いだった。セレス海は今日も穏やかで波も高くなく、海風がゆっくりとケストレルを撫でて通り過ぎていく。すっかり馴染みになった乗組員たちと私はとりとめもない世間話をして時間を潰していたその時だった。突然、ケストレル右舷を固めていた駆逐艦の対空ファランクスが動き出し銃撃を開始した。海面目掛けて放たれる砲弾が水柱をあげていく。
「おい、どうしたんだアレ?」
甲板要員たちも不思議そうにそれを眺めていたが、彼らの顔が緊張したものに変わり、皆右舷から一斉に離れていった。呆然としていた私も甲板要員の一人に強引に引きずられ、そして甲板に突っ伏す。
「何だ、一体どうしたんだ!?」
「対艦ミサイルだ!畜生、どこから撃たれたんだ。しっかり掴まってろ、来るぞ!!」
私は突っ伏しながら頭を上げた。ケストレルのファランクスからも銃撃が始まるが、その弾幕を嘲笑うかのように突破し、接近するものが微かに見えた。そしてそれはケストレルに吸い込まれるようにして姿を消し、轟音と激しい振動がそれに代わった。艦橋が振動でミシミシと音を建て、しっかりと固定しているはずの艦載機が振動で揺らぐ。何人かの甲板要員が吹き飛ばされ、甲板に転がっている。中には負傷した者もいるようで、腕や頭を押さえた同僚を無事だった者が抱えている。ケストレルは腹から黒煙を吹き上げ始めた。艦内で火災が発生したのだった。
「対艦ミサイルにより右舷ファランクス付近で火災発生!死傷者が出ている模様です!」
「甲板設備に異常なし、ただし右舷から浸水が始まりました。」
アンダーセンは部下たちの報告にいちいち頷いていた。艦橋から敵艦船・敵航空機の接近は捉えられていなかった。だとすれば、残るは巡航ミサイルによる攻撃か、潜水艦からの攻撃だったが、巡航ミサイルだったらこの程度では済むまい。となれば、潜水艦がこの海域のどこかに潜んでいる。そして海中のどこかで、聞き耳をたてながらこの船の慌しい雰囲気を楽しんでいる。
「展開中の各艦に伝えよ。一撃だけで攻撃が止まるとは思えん、次の攻撃に備え対空警戒を取れ!!」
「了解、ケストレルより展開中の各艦、第2次攻撃に備え警戒を強化せよ。繰り返す第2次攻撃に備えよ!!」
ケストレルを中心に展開する駆逐艦やフリゲート艦が慌しく動き出す。だが相手は海面スレスレで飛んでくる対艦ミサイルだ。察知したとしても、ファランクスで撃ち落すのはなかなか至難の業なのだ。イージス艦でもあるなら別だが、この混成艦隊にそんな高性能艦はいないのだから。
「セントレアよりケストレル!ケストレル右舷方向海面からミサイル発射を確認!回避、回避!!」
「右舷ファランクス、第二波攻撃を迎撃せよ。オープンファイア!!」
ファランクスから機関砲弾が次々と打ち出され、海面に水柱を激しく上げていく。巻き上げられた海水のシャワーを浴びながら、だがミサイルは確実に迫りつつあった。それにしても潜水艦まで出してくるとは、オーシアの主戦派たちは意地でもケストレル隊を闇に葬りたくて仕方がないらしい。アンダーセンはコートのポケットに両腕を突っ込んで下を向いた。
「第二波急速接近!!」
「駄目です、間に合いません!総員、ショック体制を取れ!!弾着まであと10秒!!!」
ファランクスの歓迎をすり抜け、対艦ミサイルが迫る。そして吸い込まれるように右舷にミサイルが突き刺さり、炸裂した。再び轟音と衝撃が艦隊を揺さぶり、新たに起こった爆発で黒煙がもうもうとあがる。
「右舷に直撃!!ダメージコントロール急げ!!」
「駄目です!浸水止まりません!!艦が傾斜していきます!!」
「艦長、退艦命令を出してください!このままではケストレルはもちません!!」
黒煙を吐き出しながら、ケストレルは次第に右へと傾いでいく。アンダーセンは甲板を見下ろした。甲板ではブレイズがFALKENに乗り込もうとしていた。やがて開いていたコクピットの蓋が閉まり、鋭角なフォルムの機首にモニターの明かりが灯る。アンダーセンはそれを見て確信した。まだケストレルは死んでいない。いや、彼女は深手を負いながらもまだ戦おうとしていた。自分たちの希望の翼を持つラーズグリーズたちを解き放ち、そして彼女に乗る数多くの乗組員たちの命を守るために、のたうちまわりながらも。彼の腹は決まった。
「発艦を続けろ!」
「無理です、艦の傾斜止まりません!沈んでいきます!!」
「発艦を続けるんだ!射出要員を除いた全乗組員は直ちに退艦せよ!!だが彼らの発進だけは全うせよ。急げ!!」
これほどまで鋭い彼の指令を乗組員たちは聞いたことが無かった。普段は温和な光を称えている瞳は、今や険しい眼光を発している。彼はマイクを手に取り、艦外マイクのスイッチを入れた。
「射出要員を除き全乗組員は直ちに退艦!!ラーズグリーズ隊の発艦だけは全うしろ!!私たちの希望を、こんなところで潰えさせるな!!」
ラーズグリーズの4人を打ち出したケストレルから、次々と乗組員たちが脱出していく。私はこの期に及んで沈みいく船をカメラに収めつづけていた。この戦争で最初の攻撃を受けながらも脱出し、今日この日まで生き延びつづけたケストレルの姿を可能な限り残しておくために。
「ジュネット、艦長がいらっしゃった。私たちも行こう。そろそろ、冗談を抜きにして船が危ない」
おやじさんは既に脱出用のボートを確保していた。既に海中に没しつつある甲板からボートを浮かべ、おやじさんと艦長が乗り込んだ。私はボートをしばらく押して飛び乗ろうとしたが、冷たい海水が身体を一気に冷やし、ぞくりとした悪寒が頭に突き抜けた。救命胴衣が効果を早速発揮して私が海中に沈んでいくのを防ぎ、もがく私をおやじさんと艦長が引き上げてくれた。あとはオールを使い、ボートはケストレルから離れていった。既に生存した乗組員の全員が脱出に成功し、無数のボートが洋上を漂っている。
「敵潜水艦撃沈!!」
双眼鏡を持った乗組員が叫ぶ。友軍の駆逐艦のそばで派手な水柱があがり、そして弾けた。歓声が脱出した乗組員たちからあがるが、それはすぐに悲鳴に変わった。
「ケストレルが沈む……!艦が沈んでいく!!」
ほとんど一番最後に脱出した私たちが安全地帯に離れるのを待っていたかのように、ケストレルは一気に傾いていった。既に海中に没していた艦首から、次第に海中へとその姿を消していく。スクリューが私たちの目の前に現れ、ほとんど横倒しになりながら、でも大爆発などは起こさず静かに彼女は沈んでいった。誰とも無く、乗組員たちは一人、また一人と敬礼をした。これまで、彼らの命を守り続けてきたケストレルに。艦長は無言でその光景を眺めていた。
「ケストレルが……」
艦長はゆっくりと頷き、そしてしばらく手にした軍帽を見つめていた。
「開戦からこれまで、負け続けてきた私ですが、今回は私の勝ちだ」
「え?」
「見たまえ、彼らは今空にある。困難な任務だが、彼らならやってのけるだろう。彼らがこの空にある限り、私の負けはない。これこそ、私が最後に掴み取った勝利だよ。」
私たちの上空をラーズグリーズの4騎がフライパスし、旋回した。そして東へと進路を変え、彼らの姿は雲の向こうに消えていった。その先に、この戦いの最後の舞台が待っている。
「そうですな、彼らは飛び立った。でも艦長、私たちもまだ生きておりますぞ。出来る限りのことを私はしたい。困難な目的に向かって飛び立った、私の大事な後輩たちを無事に帰還させるためにも」
艦長は頷き、そして再び軍帽を被った。帽子のつばから水滴が滴り落ちる。そして、艦長はラーズグリーズの4人が飛んでいった方角を向きながら、鼻歌を歌いだした。それは、反戦のスタジアムで市民たちが歌った、あの曲。チョッパーが死んだ日、彼の部屋でブレイズがかけていたあの曲。そして、先の海戦でこの曲――「Journey Home」のレコードをかけていたのは他ならぬアンダーセン艦長だったのだ。

最後に掴み取った勝利。私も同感だった。ブレイズたちが空にある限り、私たちには負けはない。これまでも困難な局面はいくらでもあったが、彼らはその度に奇跡を起こし勝ち続けてきたのだ。この哀しい戦争はもうすぐ終わる。そして、ケストレルはその最期にオーシア・ユークトバニアを平和へと導く希望の翼を空へ放ったのだ。私は、完全に海中へと姿を消しつつあるケストレルにもう一度カメラを向けた。役目を終えて、眠りにつこうとする彼女の姿をこの眼とフィルムに焼き付けるために。

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