始まりの地からのエピローグ


青い空。青い海。雲もほとんど見えないほどの秋晴れの空。ヘリの外には、穏やかな秋の空が広がっている。そして、眼下には私の目的地――かつてここで数ヶ月を過ごし、大切な仲間たちと出会った、懐かしい島の姿が見えている。――サンド島。戦争の終結により、この島は航空基地としての役目を終え、基地は閉鎖された。それ以来無人島となったこの島の住民は、もともと島を生活の場としていた鳥や動物たちだった。カモメの大群が、聞き慣れない羽音を立てて降りて来る無粋な来訪者から離れようと飛び立っていく。真っ白な翼が、空に無数に舞い上がっていた。
「ジュネット、もうすぐ着陸するぞ。しかし、こんないい天気の日に、何も無人島でバカンスはないだろう?こういうときは、南の島でのんびりとするもんじゃないのか?」
「そういう君だって、南の島勤務はどうしたんだい?」
「残念なことに、よくよく考えたらオーシア領に南の国は無かったんだよ。くそ、他の国に傭兵に行こうかな……」
降下を開始したシー・ゴブリンのパイロットは、南の島での勤務という目的を達成することが出来ず、今日も北の孤島行きのヘリの操縦桿を握っていた。窓から下を見下ろすと、見慣れた滑走路、見慣れたハンガー、見慣れた建物が近付いてきた。4年前のあの日、ここからおやじさんの操る練習機で脱出して以来の上陸だった。ヘリはゆっくりと高度を下げ、そして管制塔やかつての隊員宿舎がひっそりと佇んでいる駐機場に着陸した。
海兵隊員が開けてくれたドアから、私はゆっくりと足を踏み出した。その後に続くように、カークがヘリから飛び降りる。
「さて到着だ。ジュネット、俺たちもこの辺をぶらぶらしているから、気が済むまで探索してくるといい。何かあったら、無線で呼んでくれ」
「分かった、帰りたくなったらコールするよ」
私は愛用のデジタルビデオと、すっかり私物化してしまった一眼レフを首にぶら下げ、まずは隊員宿舎に向かって歩き出した。

既に全てのものが運び出されてしまった宿舎の中は、がらんとしていて何の音も聞こえてこない。数年前まで、ここが最前線基地として機能し、数多くの兵士たちが詰めていた場所とは思えない程の静けさ。私は、2階の部屋のドアを開けた。そう、そこは私が寝泊りをしていた、この基地での住処だ。窓からは昔と変わらない秋の日差しが注いでいる。壁には、昔貼ってあったロックバンドのポスターがまだ残っている。色落ちして、カーキ色になってしまってはいたが、シャウトするボーカルの姿は変わらぬ姿でそこにあった。私は目を閉じた。そしてここを訪れた人たちのことを思い出す。戦いで命を失っていった人、今でもこの世界のどこかで再会できる人……。
部屋から出た私は、廊下の一角で足を止めた。ここにあったベンチも回収され、今では大きな窓だけが残っている。ここのベンチはナガセのお気に入りの場所で、待機中の彼女はあの絵本をここで開き、失われたページを思い出そうとしていた。陽の光を浴びながら大胆にもタンクトップ姿でベンチを占領していた彼女も、今では一児の母になっている。娘さんはもう3つになるだろうか?きっと、彼女の持っていたあの絵本は、娘のお気に入りの絵本になっているに違いない。
私はふと思い立って、管制塔のある本部棟へと向かった。あの日おやじさんとグリムと共に、司令官室へ向かったときと同じ道で。司令官室には足を踏み入れる気にもならなかったが、そのまま管制塔へと上がっていく。機材が運び出された後の管制塔はもはやその機能を失い、展望台も同然だった。どうやら管制塔の屋上はカモメたちが羽を休める格好の休憩場になっているらしく、彼らの鳴き声がガラス越しに聞こえてくる。管制塔からは、滑走路の全景が良く見渡せた。この滑走路から飛び立ち、ブレイズたちは戦場へと向かい、そしてこの滑走路の明かりを目指して帰ってきたのだ。――今は、役目を終え、コンクリートの長い直線が、まるで海まで続くかのように続いているだけだが。

本部棟から出た私は、いくつかあるハンガーの前で足を止めた。かつてここには、ハートのエースのエンブレムを描いた男の機体が格納され、彼がいなくなった後には炎のエンブレムを描いた若者の機体が格納されていた。バートレット大尉のハートブレイクの話を聞いたのは、この滑走路の前だった。そして、あの大戦の真の敵の存在をおやじさんと共に認識したのも、この格納庫。何も入っていないハンガーの中はただ広いだけで、寂しくなってくる。誰かが置いていったものだろうか、ベンチの上にはからっぽのコークの瓶が置かれたままになっていた。
滑走路の方を見ると、カークがゆっくりとかつての生活の場を確認するかのように歩き回っていた。彼の最初の飼主であった男はもうこの世にはいないが、彼が身に付けていたドックタグはカークの首にぶら下がっている。ひょっとしたら、カークは亡き飼主の匂いを探しているのかもしれない。空からエンジン音が聞こえ、私は空を見上げた。青空に漂う白い雲の間を、セスナ機がゆっくりと飛んでいくのが見えた。この基地の上空を、セスナが飛ぶ。4年前では考えもしなかったことだ。滑走路の真ん中で、カークが遠吠えをあげる。それに驚いたのか、カモメたちが一斉に飛び立ち始める。白い翼が再び大空を覆っていく。もう、この滑走路から飛び立つのは鋼鉄の翼を持った戦闘機ではないのだ。

そう、あの空は、英雄を必要としない空に戻った。ラーズグリーズの英雄が戦場の空を飛ぶことは二度と無かったのだ。そして、恐らく、それこそが、彼らが求めて止まないものだったのではないだろうか。この世界が平和になった、と知った黒い翼の戦乙女は誰に知られることも無く、人々の間に消えていった。数多くの伝説と、そして人々に受け継がれていくであろう「心」を残して。ラーズグリーズの点した炎は、きっと私たちの行く道を照らし続けるのだろう。

ありがとう、そして、さようなら、ラーズグリーズ。誰よりも傷つき、誰よりも哀しい思いをしながら、それでも平和を求めて戦い続けた、誰よりも優しい戦乙女。彼女を必要とするような哀しい出来事が二度と来ないように。彼女と、彼女と共に戦った無数の名も無き英雄たちが勝ち取った、この平和。変わらぬ太陽が、明日も当たり前のように大地を照らす日々が、どうかいつまでも続きますように。

2014年9月27日、閉鎖されたサンド島航空基地にて
――アルベール・ジュネット

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