張り巡らされたネットワーク
オーシア・タイムズでは、当時のハーリング大統領の宣言のとおり、昨年全ての情報が原則として開示されることとなった「ベルカ事変」に関して改めて当時の取材や新事実に基づいて、既に11年前の事件となったあの戦争を振り返ることとした。なお、本記事では確証のない証言等も用いることを了承頂きたい。
2010年9月27日、ユークトバニアの宣戦布告同時攻撃によって始まり、同年12月30日に行われたハーリング・オーシア大統領、ニカノール・ユークトバニア首相の終戦宣言によって終結した環太平洋戦争(ベルカ事変)のそもそもの始まりについて諸説がある。戦争自体は9月27日の宣戦布告により始まっていることは事実であるのだが、ベルカ事変はその名のとおり、戦争の当事者たちが操られているということに気が付かずに最悪の事態へとオーシア、ユークトバニア双方が進んでいった戦争であった。両国を操っていたのは、積極的南進・拡大思想を色濃く残していた旧ベルカ軍部を中心とした残党勢力であることは周知の事実であるが、彼らは1995年から2010年までの15年間、両国の覇権主義者や「主戦派」と呼ばれた勢力と結びつきを強め、民間レベルにおいても多数の協力者を得ていた。さらには両国軍部との間にも結びつきを強め、これが後に両国の戦争を勃発させる原因ともなったのである。
1995年の大戦終結後、ユークトバニア、オーシアの二大超大国はこれまでにない大規模な軍縮を推し進めることとなり、この結果軍需産業及び軍本体では大リストラが進められた。もちろん大リストラ=失業率の大幅な増加という1980年代に蔓延したリストラ至上主義による大失業時代の再来を防ぐため、両国とも再就職対策や退役年金の増額などの対応を進め大戦後の民間産業再生に人材を活用していったので、大失業時代の再来は訪れなかった。だが、両国の軍部の中でも「超大国主義」を是とする人々にとっては、両国政府の推し進める融和主義と大軍縮は受け入れられるものではなかった。このため軍中枢などでのサボタージュなどが繰り返されるようになり、軍縮の一方で新兵器開発や部隊再編が進められるといういびつな事態が両国で発生し、融和を進める要人が暗殺されるなどの深刻な事態に進展した。これに鉄槌を下したのが、海兵隊の指揮官から政治家に転身したビンセント・ハーリング大統領であり、地方の書記長から大抜擢され首相の座についたニカノール首相であった。彼らは合法的な手段によって軍拡を進めようとする軍上層部を事実上退役、左遷させるに留まらず部隊長レベルにおいても覇権主義を是とするような人材を配置転換するなどして一線から退かせたのである。当時の報道において「融和大リストラ」と報じられた一連の施策により、オーシアでは実に数百人に及ぶ高級軍人が退役を余儀なくされ、軍縮政策は一層推進されるのであるが、軍を追われた人々に目をつけたのが、ベルカの残党勢力だった。
旧ベルカの類稀なる工業力はベルカ大戦から25年が経とうという今でも伝説的に語られているだけでなく、ベルカ事変での反省から徹底的に民需転換され、今日の私たちの生活を支えている。かつてのノース・オーシア・グランダー・インダストリー、旧南ベルカ国営兵器廠をベルカ大戦後オーシアが接収し民需中心の大工業地帯として再編したはずのこの企業の実態は、ベルカの復興を望む勢力の温床となるだけでなく、融和政策を進める政府・軍部から追放された人々の再就職先となっていた。しかもオーシア政府はグランダー・インダストリーの工業力を有効に活用するため、国内の主要企業との提携を進めていたため、経営層だけでなく実務レベルの担当者の交流が盛んであった。これはかつての敵国であるベルカに対する蔑視や優越感を民間レベルで薄め交流を深め、友好的関係を築いていこうとする戦後の政府方針、そしてハーリング大統領の意向を反映したものであったのだが、結果的にその構造を利用される羽目となった。グランダーに就職した後に「主戦派」と目される人々はかつての人脈やグランダーの張り巡らせたネットワークを活用し、水面下で軍拡の基盤を築いていった。もちろん、彼らはこの世界における唯一の超大国としてのオーシアを築くために暗躍していたのであるが、その彼らを背後で操っていたベルカ残党勢力はそのネットワークをオーシアとユークトバニアを破滅に追い込むための方策として後に活用することを企図していた。取材においても、当時グランダーの関連企業などの役員として勤めていた人々の話としても、まさか自分たちが操られているなどとは夢にも思わなかったという意見を多く聞く。
ネットワークが張り巡らされたのは民間レベルだけではない。より機密性の高い両軍にまで、ベルカ残党勢力はネットワークを構築していた。中でも空軍兵力においては、ベルカ大戦末期の混乱に乗じてグラーバク航空隊及びオブニル航空隊と呼ばれる旧ベルカ空軍のエースパイロット部隊がアグレッサー部隊として採用されたため、その後彼らの指導を受けたパイロットたちが協力者となるケースもあった。またベルカ残党勢力がより重視したのはいざ戦争が始まった場合に具体的な作戦計画を策定する参謀本部の掌握であった。事実ベルカ事変勃発時、参謀本部の実務レベルである士官には数多くの「主戦派」軍人が両国共に就いていた。オーシア、ユークトバニア双方とも前線部隊に配属されている士官や指揮官たちのほうが融和主義を歓迎していたという環境もあり、より実戦を経験していない後方の人間がベルカの駒として利用されたようだ。そういった人間を参謀本部のような重要な決定機関に数多く配属することを黙認してしまった軍上層部の姿勢は非難されるべきものである。結果として、戦争を未然に食い止めるという抑止効果が全く得られなかったわけであるから。
そして政界である。残念ながらより詳細のデータは、ベルカ事変の最終段階においてハーリング・ニカノール両首脳の呼びかけに応えたオーシア・ユークトバニア両軍の混成部隊とベルカ残党軍の決戦の結果、完全に崩壊したグランダー・インダストリー社中枢部とともに失われてしまった。だが、両国の政党に残された断片的な資料から、相当額の献金が行われていたことをうかがい知る事が出来る。表向き開示されている政党の財務諸表には全く記載されていない裏献金として、オーシアでは与党・野党問わず、ユークトバニアでは巧妙に国営企業からの献金としてベルカ・マネーがばらまかれていた。中でも第2期ハーリング政権の途中まで副大統領を務めたアップルルース受刑者(故人、戦後開かれたノースポイント裁判にて有罪判決、処刑)の場合、ハーリング大統領と戦った大統領選挙資金の多くがグランダー・インダストリーから出資されていた。また政治家ではないが、ベルカ事変においてオーシア軍のユークトバニア本土侵攻軍指揮官であったハウエル元司令官(ノースポイント裁判で有罪判決、現在服役中)の場合、昇進工作資金としてベルカ・マネーが政界に使われている。ユークトバニアにおいても、当時国防省大臣職にあったエリノフスキー氏(故人、シーニグラード市民の一斉蜂起の際に死亡)の政治資金が国防産業を迂回したベルカ・マネーであったことが明らかになっている。また当人たちが気が付かないところでベルカ残党勢力の息のかかった団体・企業からの献金が行われていたケースもあり、ベルカ残党勢力がオーシア、ユークトバニア両国政府首脳に対する不満分子を巧妙に活用し、彼らの基盤を根底から覆すべく工作を進めていたことは明らかである。
かくして張り巡らされたベルカ・ネットワーク。私たちは自ら気が付くことも無く、破滅への道を歩み始めていたのである。