オーシア無血クーデター@
ハーリング大統領の拉致・監禁に成功したアップルルース副大統領たちであったが、彼らが政権を完全に掌握するためには、ハーリング大統領のブレーン及び有力な融和主義議員・軍人たちの動きを封じ込める必要があった。ユークトバニア本土侵攻部隊司令となったハウエル将軍ら、軍部の「主戦派」の中でも特に右派の軍人、ジーン・マクガバン上院議員のような与党右派議員たちは速やかなる政権掌握をアップルルース副大統領に具申していたが、中でもジョージ・ブラクストン上院議員は政権掌握のために追放すべき融和主義議員・軍人名簿と実行プランを持って大統領府を訪れた。そして彼の持ち込んだ資料と計画に基づいて、大半のオーシアの人々が気がつかないうちに、大規模な政権交代が行われていたのである。真っ先に狙われたのは、陸海空の三軍に対する指揮統括権を握る統合参謀本部であった。10月23日深夜、陸軍第308連隊及び第33連隊が警備行動のため統合参謀本部に到着した。ハーリング大統領からの直接の指令によるものとして展開したこの部隊は、実際には「主戦派」軍人であるマイヤーズ陸軍少将の指揮する部隊であった。この日、ギルバート・A・ヘンダーソン参謀総長らはエイカーソン・ヒル上空での戦闘記録と、彼らの手元に届けられた事態のレポートとの事実関係の相違に関する会議が行われていた。主戦派にとっては、まさにギリギリのタイミングであった。ヘンダーソン参謀総長らは、ハーリング大統領がオーシアに帰還していない情報を既に掴んでいたのである。部隊の兵員たちに対し、「参謀総長たちはユークトバニアと結びスパイ活動を行っている」と自らのことを棚に上げてマイヤーズ少将たちは命令を下した。参謀本部内の「主戦派」もこれに呼応してセキュリティなどを解除したため、「警備行動」はあっという間に進められ、「スパイ容疑」によってヘンダーソン参謀総長らは囚われの身となってしまうのである。
これに味をしめた主戦派は、翌24日から、大統領を支持するリチャード・ハリントン上院議員議長、クリストファー・ウィリス下院議員議長、ハーリング大統領のブレーンの一人であるジェーン・サッチャー広報官といった、大統領のブレーンと目されていた人々の姿が公の場から消えていく。大半の人間が「敵国スパイからの攻撃に備えるため」という名目で、実際には自宅に軟禁されてしまったのだが、陸軍基地の独房に押し込められていた人間もいる。さらにはアクション映画ばりの脱出を果たし、主戦派の追撃を逃れるため逃亡生活を行ったジャーナリストもいる。OBCのニュースキャスター、フォレスト・アナハイムもまた「主戦派」から要注意人物として認定され軟禁された一人であるが、彼は自宅の台所の床下からマンホールへ脱出、自宅から2キロほど離れた公園から屋外に出て、ホームレスたちの協力もあって脱出に成功した。物音がしないことを不審に思った兵士が屋内へ踏み込んだとき、既に彼は首都オーレッドを離れていたのである。後にオーシア・タイムズのハマー記者と合流した彼は主戦派に乗っ取られたオーシア政府の内情を暴露するために暗躍し、12月30日の終戦宣言で公の場に復活する。が、彼のようなケースは極めて確率の低い成功例であって、大半の人間が2ヶ月近くに渡る軟禁生活を強いられることになるのである。
こういった異常事態に全ての人間が気が付かなかったわけではない。余程のことが無い限りは必ず電話でのコンタクトに出ていた参謀総長が連日不在となっていることに気が付いた防衛省外交部のジョン・スタローン・マクナマラは、知人である参謀本部付士官であったジミー・F・ライン大尉にコンタクトを入れている。ライン大尉はこのときまで、参謀総長の不在を知らなかったそうである。だが、残念ながらマクナマラ氏とライン大尉のコンタクトは完全に盗聴されてしまっていた。陸軍の一部部隊が独断で首都における警備活動を行っていることを察知したライン大尉は第33連隊指揮官の逮捕に向かおうとしたが、逆に身柄を拘束され、次いでマクナマラも防衛省の建物を出たところで拉致されてしまう。地方の陸軍基地に監禁された彼らがオーレッドに戻るのは、ハーリング大統領が極秘裏にオーシアに帰国して以後のこととなる。かくして、首都オーレッドでは連日のように人が消えていった。軍部からも、政界からも、民間からも。そしてアップルルース副大統領はこの「蒸発」事件を巧みに活用した。つまり、連日発生している「蒸発」事件は国内に侵入したユークトバニアのスパイによるものであると発表し、そして大統領を支えるブレーンたち、軍の要人たちの安全確保のため陸軍の部隊を派遣しているとして、実際には己たちの敵対者を封じ込めていることを正当化したのである。
オーシアにとってさらに悪いことに、本来なら真実を人々に伝えるはずのメディアも、敵の手に落ちていた。というよりも、むしろ民間のメディアの方がより早く、旧ベルカ残党勢力に抑えられてしまっていたと言って良い。何も知らない最前線の記者たちの多くは、実際に「警護対象」となった要人たちの自宅を取材に向かい、軍の一方的な取材拒否によって追い返されてしまった。死者は出ていないが、兵士から暴力を受けた者も少なくない。これを異常と思わない記者はいないだろう。だが、彼らの活動は、上層部からの圧力によって押さえつけられてしまった。「利敵行為を可能な限り防ぐため、メディアとしても可能な限りの協力をするべきである」として締結された報道協定の中身は、事実上のメディア活動の大幅な制限であったのである。各メディアの報道は一見自由なように見えて、実際には「主戦派」政権に都合の悪い記事が闇から闇へと葬り去られていったのである。残念ながら、取材を強行しようとして命を落とした記者やカメラマンもいる。それですら、主戦派政権は都合良く利用した。ユークトバニアへの憎悪と恐怖を駆り立てるために、実際には兵士によって行われた殺人が、ユークトバニアの仕業にすりかえられてしまったのである。中には「残虐さ」を演出するためだけに損壊された遺体もあったという。このプロパガンダの効果はてきめんであったが、やがてユークトバニアとの戦闘が泥沼化するに従ってさらにエスカレートしていく。2010年11月8日の各紙一面には、オーシアの進撃によって撤退するユークトバニア軍が、ある街の市民数百人を虐殺したという報道が為されているが、実際にこの野蛮な行為をしでかしたのはオーシア軍であった。ユークトバニア軍に偽装した陸軍部隊は、夜更けの町に夜襲をかけ、逃げ惑う人々に対し容赦ない銃撃を加えていった。この銃撃によって死亡した市民は100人に満たなかったのだが、パニックに陥った街は大混乱となり、結果さらに多くの人々が命を失ってしまったのである。いわゆる「シンシアブルクの虐殺」として知られるこの事件の全貌はベルカ事変終結の翌年明らかになり、ハーリング大統領は実際に現地を訪れ、被害者に対し全面的な補償を行うことを確約したが、この際被害者の一人から銃撃を受け、右肩貫通の重傷を負っている。今なおこの事件はオーシア、ユークトバニア両国に深い傷跡を残したままである。
かくして、オーシアの暴走を止める者はいなくなってしまった。だが、オーシア国内において大多数の国民が積極的侵略を支持していたかというと必ずしもそうではない。自分たちの紙面が自由なものでなくなったことに気が付き、地下に潜伏した記者たちは旧世紀のレジスタンス顔負けの方法で真実を伝えようとしていたし、無制限に戦線を拡大していこうとする政府に対して連日のように反戦デモが行われ、そして多くの人々が投獄されている。ノーベンバースタジアム事件の際も、会場に集まった人々はアップルルース副大統領の演説を称えるのではなく、「Journey Home」の歌を以って反戦を訴えた。だが、オーシアにおいては主戦派に対抗するためのまとめ役を徹底的に欠いていた。ハーリング大統領がオーレッドに復帰するのは12月下旬であり、主戦派がオーシア政府の実権を握ることに成功した10月下旬においては、何者も彼らを止めることが出来なかったのである。もっとも、主戦派政権も一つ大きな問題を抱えていた。それは、実質的に政権交代が行われたことを公に出来ず、全ての方針をハーリング大統領によるもの、と演出しなければならなかったことだ。ユークトバニア本土制圧の決定も、国内における報道規制の決定も、様々な軍事作戦に対する承認も、それらは大統領の名を騙ってアップルルース副大統領や、防衛省のジェームズ・クライトン大臣を追いやって実権を握ったアンソニー・クラウス副大臣たちが決定を下していたのである。
しかしながら、主戦派の理想とする積極的侵略と強権発動による国内の締め付けは、ハーリング大統領のそれまでの政治姿勢とは完全に相反するものであった。それが故に、大統領の突然の「豹変」に疑問を感じたものは少なくなかった。積極的融和主義と軍縮推進、一国覇権主義と積極的軍拡。戦争という異常事態にあるとはいえ、一人の人間が完全に正反対の考え方に振れることは稀である。このため、政府官庁の人間だけでなく、前線の兵士、一般市民を問わず、「実は大統領はブライトヒルにいないのではないか?」という噂が広まっていく。主戦派政権が大統領の決定を強調すればするほど、噂はより真実味を帯びたものとなっていったのである。その噂が真実であったことが明らかになったとき、主戦派政権は一瞬にして崩壊した。皮肉にも、彼らが国の実権を握り続けるためには、敵たるハーリング大統領が必要だったのである。
覇権主義と軍拡に溺れた者たちの狂気の舞は、オーシアとユークトバニアを更なる泥沼の戦いへと追いやっていく。自らが踊らされているということに気付かないまま。
なお、この話に登場する人物名は、masakunさんに提案していただきました。masakunさん、ありがとうございました!!