同時テロ〜報復の応酬〜
11月2日に発生した工科大学襲撃事件は、ユークトバニアの人々に大きな衝撃を与えると同時に、ニカノール首相を排除して政権を握っていた主戦派たちに格好の言質を与えた。それは「残虐非道な行いを繰り返すオーシアに対する徹底的な報復」の実行であった。工科大学襲撃事件の真相を全く知らなかったユークトバニア軍事政権は、この事件をオーシア本土に対する無差別テロ実行の大義名分として使用したのである。もっとも11月以前においても、ユークトバニア軍の空軍を中心にオーシア領に対する攻撃は行われていただけでなく、バセット宇宙基地に対する攻撃の際はユークトバニア陸軍に所属する空挺部隊が実際に降下作戦を実施していた。その点では、既にオーシア本土における戦闘は発生していたわけだが、一般の市街地を舞台にした戦闘は発生していなかった。それ故に、ユークトバニア本土における侵攻作戦が進められている間も、首都オーレッドはまるで平和であるかのような雰囲気に包まれていた。
だが、工科大学襲撃事件を巡る両政府の激しい応酬が行われてから2日後の11月4日。ユークトバニアから二手に分かれてオーシア領攻撃部隊が密かに発進した。攻撃部隊の目標の一つは、オーシア最大の空の玄関口であるアピート国際空港。そしてもう一つは、工科大学の復讐としては最も相応しいバーナ学園都市だった。戦時中ともなれば、双方のスパイが互いの国に潜り込むのは日常茶飯事であり、オーシア国内もその例に漏れなかった。アピート国際空港に民間航空機を使用して入国したバーナ学園都市工作班は、オーシア国内に既に潜伏していた工作員と合流し、何食わぬ顔でバーナ学園都市への移動を開始した。またアピート国際空港攻撃部隊のうち、4機の輸送機は民間のカーゴ便機の便名を名乗り、機体も民間機使用に偽装して、堂々と着陸していた。空港職員に気取られぬよう、カーゴルームの半分ほどは本当に民間の貨物を積み込み、カーゴ便の駐機エリアに侵入したのである。貨物の向こう側では、フル武装の兵士たちが作戦開始時刻を待って息を潜めていた。そして、火の手はバーナ学園都市で上がった。市内の数十箇所に設置された神経ガス発生装置が一斉に排出を開始し、紅葉に染まる風雅な街は一変して阿鼻叫喚の地獄と化した。工作員が設置したのは、古くからその凶悪さが実証されているマスタードガス。ガスを吸い込んだ市民が地面をのた打ち回り、そして動かなくなるのを目の当たりにした人々は途端にパニックを起こした。ユークトバニア本土侵攻に大半の陸軍兵力が派遣されている状況下で、市民たちのために敢然と立ち向かったのは地元の警察官と消防だった。彼らは自らもガスを吸い込まざるを得ない状況で、市民を避難させるべく奮闘していた。やがて空軍の戦闘機が中和剤散布のため飛来し(一説にはこの戦闘機部隊が第108戦術戦闘飛行隊であったとする説もある)、ガスは市の全域に行き渡るよりも早く中和され、被害は最小限に食い止められた。無差別テロが失敗したことを察知した工作員たちはトレーラーで逃亡を図ったが、バーナ市警の警察官たちの追跡により彼らはついに投降した。
一方、バーナ学園都市が大混乱に陥っていた頃、アピート国際空港においても作戦が開始された。ユークトバニアは空港を制圧するに当たって、周到な準備を行っていた。先の民間機に偽装した輸送機は言うまでも無いが、バーナ学園都市でテロ発生の報を空港が掴むのを待って、「オーシア空軍の指示により、重要物資運搬の輸送機を一時待機させたい」として、今度はオーシア空軍機に偽装した輸送機を空港に着陸させたのだ。そして、展開を終えた輸送機からは、貨物ではなくフル武装の兵士と戦車が姿を現した。当時AOエアの旅客係員であったアイク・ソータフ・アイガー氏は、その時の状況をこう語っている。
「いきなりPBL(※パッセンジャー・ボーディング・リフト、航空機とターミナルを繋いでいる可動式の通路のこと)の窓ガラスが一斉に砕け散って、窓側にいたお客さんが吹き飛ばされるように倒れたんだ。何事かと思って外を見たら、近くにあったカーゴ機から戦車が顔を出していた。パニックに陥っているお客さんたちをとにかく逃がして、自分もターミナルの建物に入った途端、PBLが砲撃を受けて粉々になってしまった。怖かったけど、とにかく頭を低くしてお客さんを逃がしたよ。あんな怖い思いをするのは二度とご免だね」
輸送機から姿を現したユークトバニア兵たちは、無差別に銃撃を行った。空港施設は次々と破壊され平和そのものだった空港は、たちまち最前線の戦場と化した。だがオーシアにとっては幸いだったことに、彼らには空の護衛がほとんどなかった。空港からの緊急事態宣言を受け、オーシア空軍の戦闘機部隊(一説にはこれも第108戦術戦闘飛行隊だったとする説がある)が空から攻撃を開始する。対空装備を持たない攻略部隊は、彼らの攻撃によって次々と葬られていったのである。この状況をレーダーで把握していた戦闘機部隊は、攻撃の矛先を空港本体ではなく、空港付近で足止めされていた民間航空機に向ける。幸い、民間航空機には被害は発生しなかったのだが、戦闘機部隊の支援があと一歩遅ければ、空港上空でさらに多くの人々の命が失われてしまった可能性もあるのだ。空からの支援も無く、展開した地上部隊と上空からの攻撃に挟撃される形となった空港制圧部隊は完全に孤立した。だが彼らの大半は降伏を潔しとせず、最後は自爆して自ら命を絶っていったのである。こうして、アピート国際空港における戦闘は終結し、数少ない投降者が逮捕されることとなった。
バーナ学園都市・アピート国際空港双方での死者は500人以上、ガス中毒による入院者も含めれば重軽傷者は1,000人を軽く超えた。アピート国際空港の施設はターミナルビル、管制塔、滑走路など主要施設に損害を受け復旧に3週間を要し、駐機中だった各エアラインの旅客機が25機破壊されてしまった。オーシアが経験したテロとしては最大のものであったこの11月4日の同時テロにより、既に主戦派によって掌握されたオーシア政府の対応は尖鋭化の一途をたどる。11月2日に発生した工科大学襲撃事件をユークトバニアのブレームアップと決め付け、アップルルース副大統領はユークトバニアの徹底的制圧を行うべく本土侵攻部隊の大幅増員を決定し、2011年1月からは軍役経験者の徴集を行うことも明らかにした。まさに、オーシアの軍事政権色を一層強めていくのである。オーシア国内には防衛に必要な部隊を残し、大半の部隊をユークトバニア本土へ送り込む、というわけだ。だがこれには三軍の指揮官層から猛反発が出た。本土防衛の必要性もさることながら、三軍には具体的な侵攻作戦の概要が示されなかったからである。無制限の戦線拡大と無謀な進撃作戦には多くの前線指揮官が意義を唱え、実際問題として積極的サボタージュが蔓延していく。これがまた戦闘を長期化させるだけでなく、死傷者を増やしていく要因となってしまい、オーシアはまさに負の悪循環に陥っていくのである。
かくして憎悪を深めていった両国であるが、実際に事件の最前線にいた者たちも互いに憎しみを深めていたかというとそうでもない。バーナ学園都市におけるテロ作戦に参加した元工作員のフョードル・スコイトビッチ氏は、後に彼を逮捕したバーナ市警の警察官、アーノルド・コーエン氏と再会した。地元メディアが撮った当時の写真には、目頭を押さえたスコイトビッチ氏の肩に私服姿のコーエン氏(この日コーエン氏は長女の誕生日パーティから駆けつけた為)が手を置いて何事か話しているものがある。事件後ユークトバニアに戻ることなく、テロで被害を受けた人々一人一人に謝罪を続けたスコイトビッチ氏は次のように語ってくれた。
「あのときは、皆がおかしくなってしまっていた。でも、何の罪も無い人々をただ殺すための任務はおかしい、とずっと思っていた。そして実際に目の前で人々が倒れていく光景を見て、もう私は目を開けていることが出来なくなってしまった。他の仲間たちも同様だったと思う。だから、橋の上で投降したとき、私たちはほっとしていたんだよ。これで、私たちは断罪されるんだ、とね。そんな私に、コーエンはこう言ったんだ。"お互い、馬鹿な上を持っちまって辛いよな。多分うちの国の馬鹿な奴がそっちでも何かやらかしたんだろう?だから、戦争が終わったら、お互いに罪を認めて謝ろうぜ"とね。あれは効いたよ、ホント。」
一方、彼を捕えたコーエン氏は次のように語る。
「折角の休み、それも娘の誕生日パーティを台無しにしやがって(笑)。でも、俺たちがあいつらを車から引き摺り下ろしたとき、何の抵抗もしないのさ。取り返しのつかないことをしてしまった、と追い詰められた顔をしている連中に、さらに追い打ちをかけるなんてことは出来なかったさ。だから、あいつに言ったんだ。戦争が終わったら、一緒に謝ろう、ってね。奇麗事で済むほど生易しい戦争ではなかったんだろうけど、俺たち一人一人のレベルになったら、まずお互いの悪いことを認めるべきだろう?今でも、あいつを許さない、と思っている人間もいるけれど、一人一人本当に回って謝り続けたフョードルを誰が非難できるっていうんだい?」
直接対決姿勢を強める政府に反し、同時テロ事件後、オーシアの市民の間では急速に厭戦ムードが広がる。「ハーリング大統領がブライトヒルにいない」という噂も広まる中、主戦派政権は積極的な進撃と劇的な勝利を演出して世論を引き止めようと躍起になるのだが、そうすればそうするほど、いつ終わるかしれぬ戦争に対する人々の不安は増大していったのである。
あの事件から10年が過ぎ去った今、完全な復興を遂げたバーナ学園都市とアピート国際空港から当時の状況をうかがう事は難しい。が、アピート国際空港の一角には戦闘で命を落とした民間人とユークトバニアの兵士の名が刻まれた慰霊碑がひっそりと佇んでいる。その碑に刻まれた言葉は短いものだが、かつて過ちを犯した私たちへの戒めの言葉なのかもしれない。
"憎しみは憎しみしか生み出さない"