平和式典襲撃
2010年11月25日、ジラーチ砂漠における戦闘でユークトバニア軍を潰走させることに成功したオーシア軍は、ユークトバニア首都シーニグラードの間近に迫ろうとしていた。だが、上陸後1ヶ月間に渡る戦いで命を失った兵員の数は決して少なくなかった。実のところ、オーシア軍は11月25日以前に大規模侵攻をしかけようとしていた。11月14日、侵攻準備を終えたオーシア軍は陸軍兵力を主体にジラーチ砂漠を抜こうとしたのである。だが、この攻勢はユークトバニア海軍のリムファクシによる散弾弾道ミサイルの攻撃によって妨害され、オーシア軍は撤退を余儀なくされたのである。飛来した散弾弾道ミサイルが数発に留まったのは、第108戦術戦闘飛行隊が同時刻にリムファクシに対する攻撃を開始し、撃沈に成功したおかげである。仮にリムファクシを放置していたとしたら、オーシア軍は壊滅的な損害を受けていた可能性が高い。だが、それでもこの一日だけで侵攻部隊の1/3が壊滅し、3,000人以上の兵士が一瞬で命を失い、倍以上の兵士が重軽傷を負い後方送りとなったのである。装備面での損害も著しく、オーシア軍は本土から無傷の車輌などを前線に送らざるを得なくなった。こうしてオーシアの進撃が止まっている間に、ユークトバニア軍は部隊の再編成を整え、ジラーチ砂漠に展開したのだ。
ジラーチ砂漠での戦闘は、実のところ陸上兵力、航空兵力共にユークトバニア軍が優位のはずであった。ところが、オーシア軍の上空支援は第108戦術戦闘飛行隊であった。リムファクシをたった4機で沈めることに成功した彼らは、いつしか「ラーズグリーズの悪魔」と呼ばれるようになった彼らの出現に、ユークトバニア軍で混乱が発生したのである。事実、彼らの戦闘技術は両軍で比肩する者の無いレベルに達しており、名実共に彼らはオーシア空軍の切り札とも言える存在になっていた。彼らの効果的な支援に支えられたオーシア軍は奮戦し、量的不利を乗り越えてしまうのである。展開部隊の危機的状況に驚いたユークトバニア軍司令部は、近隣の基地から増援の航空部隊等を送り込むが、これもオーシア軍によって撃破され、損害をさらに拡大する羽目となった。ジラーチ砂漠から潰走したユークトバニア軍は、開戦前の実に1/5以下まで撃ち減らされていたとされ、完全な惨敗であった。兵員の損害も著しく、一日の戦闘で5,000人以上の兵員が死亡し、同程度の兵員が捕虜となってしまうのである。惨敗のニュースは即日ユークトバニア国内で報じられ、市民たちは際限なく続く数多くの人々の死に落胆した。
圧倒的勝利を収めたオーシアであったが、国内は戦勝ムードに酔っていたかというと、実態は正反対であった。大衆紙サンズ・マガジンがこの時期に行った世論調査では、市民の8割以上が優位な状況での停戦交渉を望んでいたということからも分かるように、既にオーシア国内では厭戦ムードが色濃く広まっていたのである。もちろん、こうした世論の動きは主戦派政権も把握していた。アップルルース副大統領は、一向に盛り上がらない世論に焦りを感じていたとされる。この時期になると、「ハーリング大統領がブライトヒルにいない」という噂が囁かれるようになり、大統領派の下院議員などから「大統領の決定方針と言うなら、何故大統領自身が姿を現さないのか」と核心を突き付けられるようなことも増えていたのである。そこで、副大統領はオーシアのユークトバニア本土侵攻を改めて正当化するため、「平和式典」と称して一世一代の舞台を企画するのである。その場として選ばれたのが、ノーベンバーシティ・スタジアムであった。
この情報は、前項「ユークトバニア解放同盟」でも述べたように、オーシア国内のベルカ・ネットワークによって完全に筒抜けとなり、ユークトバニア政府の知るところとなった。ジラーチ砂漠での惨敗とレジスタンス抵抗運動の活発化により国内での支持を失いつつあったユークトバニア政府は、起死回生を狙って平和式典の名の下にユークトバニア侵略を正当化するような政治家と愚かな市民に対する報復作戦を実行に移すのである。オーシア領土内に完全に侵攻せざるを得ないため、航空兵力中心に集められた攻撃部隊は副大統領の演説終了時間に合わせるべく、出撃していった。このとき動員された航空兵力は極めて大規模なものであり、4〜5中隊が動員されたとする資料もある。2010年11月29日、まさか全ての情報が漏れているとは知らないアップルルース副大統領は、第108戦術戦闘飛行隊のセレモニー飛行の後、数万人を前にした晴れ舞台に立った。彼の演説は、ユークトバニア政府や旧ベルカ残党勢力の期待とおり、ユークトバニア侵略の正当化の枠から出ず、「平和」の名には遠い内容であった。オーシアの一国覇権主義を称え、ユークトバニアを貶めることに徹底した演説は、まさにユークトバニアによる報復作戦を正当化するに充分なものであったのである。演説のクライマックスは、まさに彼にとって最高の舞台であったに違いない。だが、副大統領の言葉に酔っていたのは他ならぬ副大統領自身であった。
この演説をユークトバニア本土で聞き終えた空軍将校、リゲル・J・サシュリン大佐は攻撃部隊に対し、作戦行動開始を告げた。「もはや聞くに耐えぬ。愚かな独裁者どもに鉄槌を下せ」、という彼の言葉に応じ、既にオーシア領空に潜入していた戦闘機部隊がノーベンバーシティに襲い掛かった。この迎撃に当たったのが、他ならぬ第108戦術戦闘飛行隊であった。セレモニー飛行の後、同空域の哨戒に就いていたのは彼らであったのだ。「ラーズグリーズの悪魔」の登場に攻撃部隊に緊張が走る。だが、それ以上に彼らに衝撃を与える出来事が起こった。攻撃部隊が、「侵略を正当化する独裁者を支持する愚かな人々」として葬るはずの市民たちは、副大統領を支持するどころか、反戦と平和の歌として1995年のベルカ大戦時に流行した「Journey Home」を歌い出したのである。攻撃部隊に混乱が起こった。当時、攻撃部隊の一員であり、戦闘で撃墜されたアスト・A・ザンギエフ少尉は、そのときのことを次のように語った。
「あの戦争のとき、もう既に私は幾度もの空戦を経験し、多くの敵をこの手で殺すことに慣れてしまっていた。あの日も、スタジアム上空に到着するまで、私は憎しみを抱いていたんだ。工科大学では、私の知人も命を落としていた。憎きオーシアに、この手で復讐をするんだ、とね。そんな気分が、一瞬で消し飛んでしまった。まさか、敵国まで来てあの歌を聞く事になるとは思いもしなかったからね。そうしたら、例えようもなく怖くなったんだよ。私は、あそこで歌い続ける人々、私達に対して何の抵抗も出来ない人たちを容赦なく殺そうとしていたのか、と気が付いてしまったんだ。もうトリガーを引くことは出来なかったよ。結局、ラーズグリーズに撃墜されたわけだけど、彼らはあの状況でコクピットを避けてくれたんだ。」
もちろん上空で始まった空中戦の様子は、スタジアムに集まった人々も目にしていた。副大統領はいち早く裏口から脱出したのであるが、ほぼ満員の観客席では避難が進むはずも無かった。さらに、多くの市民は避難をすることもなく「Journey Home」を歌い続けていたのである。スタジアムのバックスクリーン近くの席で式典に参加していた高校生エレノア・ホプキンスは、ユークトバニア軍との戦闘で損傷し、スタジアムに墜落したアルヴィン・H・ダヴェンポート中佐を看取った一人であるが、彼女はスタジアムの状況をこう語ってくれた。
「スタジアムの上空に、飛行機の描く雲が幾筋も現れたから、あ、ここが狙われているんだ、ということに気がついたわ。でも、だから他の人たちも歌い続けていたんだと思う。こんな哀しい戦争を今すぐ終わらせよう、お願いだからもう戦うのを止めて、と。そうしたら、セレモニー飛行で私たちの上空を通り過ぎた戦闘機の一機が、スタジアムに落ちてきたの。私は前の方の席にいたから、後ろに下がることも出来なかった。でも、最後までその戦闘機は観客席を避けるように落ちていったわ。地面に激突した飛行機から、パイロットが弾き出されて転がるのを見て、気がついたら観客席から飛び降りていたの。その人はひどい怪我で虫の息だったけど、こう言ったわ。"いい歌だ、もっと聴かせてくれよ"って。だから、本当に怖かったけど、そこで歌い続けたの。逃げ出そうとしていた人たちも、また歌い始めたわ。もう戦うのを止めて、と心の中で叫びながら」
ダヴェンポート中佐を抱きかかえ涙を流しながら歌う彼女の姿を写真に収めたカメラマン、ランディ・バーソロミュー。翌年のピューリッツァ賞を受賞することになる彼の写真は、当時オーシア国内のほとんどのメディアに無視されたが、ネット上に流されたその写真を見て無数の人々が涙した。
「本当は、さっさと逃げていくアップルルースを徹底的に撮影して、自分も逃げ出すつもりだったんだけどね。そうしたら戦闘機が落ちてきて、スタジアムの真中に突き刺さったんだ。その飛行機の側で、虫の息のパイロットに呼びかける彼女の姿を見たとき、僕の中で何かが弾けたんだ。こんな哀しい思いを、こんな哀しい光景を僕たちはこれからあとどれくらい見なければならないのだろうってね。後は夢中になってシャッターを切り続けた。あのときのスタジアムの歌声を、僕は一生忘れないと思う。今の僕の原点とも言える場所だから」
かなりの数の敵機が侵入したにもかかわらず、増援が遅れたことには理由がある。ユークトバニア、オーシア両政府とはまた別の思惑を持った者たちが、この事件でも暗躍していたのだ。スタジアム上空での戦闘中、この空域のレーダーに対する電子妨害が行われている。このとき、ノーベンバーシティの戦闘を「演習」とし、基地への帰投を促した部隊が存在するのだ。さらに、最も近いマクネアリ基地で発生した墜落事故も、故意に起こされたものであった。彼らの狙いは、アップルルース副大統領でも市民でもなく、第108戦術戦闘飛行隊、「ウォー・ドッグ」そのもの。ベルカ事変においてオーシア、ユークトバニアを貶める謀略のシナリオを狂わせ続ける「ウォー・ドッグ」は、旧ベルカ残党勢力にとって脅威となってきていたのだ。そう、彼らはユークトバニアによるスタジアム襲撃と同時に、目障りな「ウォー・ドッグ」をも抹殺しようとしたのである。最前線で戦い続ける彼らを呼び戻し、セレモニー飛行を行わせるよう提案したのも、ベルカの息のかかった軍人たちであった。「演習」発言に連動して、各空軍基地に配属されていたベルカへの協力者たちは一斉に戦闘の事実を隠そうとした。滑走路で待機しながら、空中管制機の必死の呼びかけを無視し続けることに耐え切れなくなったパイロットたちが、基地の司令官たちの命令を無視して出撃するまで、「ウォー・ドッグ」はたった4機でユークトバニア軍の大群と戦い続けなければならなかったのである。
ユークトバニア軍による大規模市街地攻撃という事実を、主戦派政権はむしろ歓迎した。これでユークトバニアをさらに叩く口実が出来たからである。だが、彼らの思惑とは裏腹に、守るべき市民たちを置き去りにして逃げ出したアップルルース副大統領らに対する人々の不信と不満は、オーシア全土へと広がっていった。ノーベンバーシティでの「ウォー・ドッグ」隊を援護しなかった空軍にも非難の嵐が包み込んだ。必死に弁明する防衛省の広報官には卵やケチャップが投げつけられ、一言も発することも出来ず会見場から彼は退散する羽目になったし、アップルルース副大統領自身も詰めかけた記者たちの激しい質問に罵声を飛ばし、会見場から立ち去ってしまうハプニングも発生した。記者たちの間では、この期に及んでも姿を現さないハーリング大統領は、実は主戦派政権によって監禁されているのだ、という噂がいよいよ真実味を帯びるようになるのだ。そして、攻撃をしかけたユークトバニアも、独裁者に対する報復どころか、無辜の市民を虐殺するような作戦を実行に移した政権に対する批判は頂点に達し、抵抗活動を続けるレジスタンスたちに格好の攻撃材料を与えてしまったようなものだった。しかも、この作戦におけるユークトバニア戦闘機部隊の損害は大きかった。作戦参加機のうち、無事に国内に帰還したのはわずかに10機だったのである。この損害が、後のユークトバニア軍の戦いを一層不利なものへとしていく。さらに、事件を利用して謀略の障害となった「ウォー・ドッグ」を排除しようと画策した旧ベルカ残党勢力の目的は達成されず、逆に増援部隊の出撃を妨害した協力者たちが更迭される結果となった。ノーベンバーシティ・スタジアムを舞台にした様々な勢力の思惑は、たった4機でスタジアムを守り続けた第108戦術戦闘飛行隊と、戦争継続を叫ぶ主戦派たちにアンチテーゼを突き付けた無数の市民たちによって、完全に撃ち砕かれてしまったのである。
スタジアム上空での戦闘で機体を損傷し、一般市民に一人も被害を出さずに殉職したアルヴィン・H・ダヴェンポート中佐は、ベルカ事変の開戦からこの日まで常に最前線で戦い続けた第108戦術戦闘飛行隊の一角を担うエースパイロットであった。2020年11月29日にノーベンバーシティ・スタジアムで開催された平和式典において、スタジアムに集まった人々全員での「Journey Home」の大合唱が行われたことは記憶に新しい。この日、スタジアム中央に設けられた壇上に立っていたのは、本年のゴールデン・レコード大賞を受賞したエレノア・ホプキンスその人であった。"この歌を、10年前の戦いで命を失い、或いは傷を負ったこの世界の全ての人たちのために、10年前のあの日のように皆で平和を願って、この歌を歌います。でも、私は、今日だけはこの歌をただ一人のために捧げます。私の腕の中で息を引き取った、アルヴィン・H・ダヴェンポート中佐、今私たちの手にある平和を取り戻すために戦い続けてくれていた、陽気なロックンローラーにこの歌がどうか届きますように――。"彼女の言葉と、スタジアムの人々の歌う「Journey Home」は、生前この上なく音楽を愛した一人のエースにきっと届いたに違いない。