ベルカ航空隊@
ベルカ事変における戦場で、しばし真っ白に機体を染めたF-15S/MTDの4機編隊の姿が目撃されている。整然と編隊を組み飛行する彼らの技量は相当のものであったはずなのだが、オーシア軍の公式記録に彼らのような部隊が存在したという記載が無い。だが、彼らは実在した。彼らの部隊名を、「8492」という。オーシア空軍の部隊番号は原則として3桁に統一されていたから、4桁の部隊名を持つ彼らはイレギュラー的な存在とも言える。彼らの存在を知っていたのは、オーシア空軍のごく一握りの将官と参謀本部付将官の中でも主戦派に属する者たちだけであった。公開された資料の中で、彼らに関する情報はそれほど多くないが、オーシア空軍の記録から新たな事実が明らかとなった。「8492航空隊」を構成するパイロットは、オーシアの人間ではなかったのである。彼らは、ベルカ人、それも1995年のベルカ大戦において、その圧倒的な腕前で連合軍を恐怖に陥れたベルカ空軍エース部隊、「グラーバク」航空隊そのものだったのである。
1995年6月、自国に戦術核兵器「V1」を投下したベルカ軍は、混乱に陥った連合軍に対して最後の突撃を行う。絶対的な兵力差、乏しい弾薬……数多くのベルカの兵士たちは、連合軍の反撃の砲火の中に埋もれていった。空軍の飛行隊もその戦いの姿を消していったとされていたが、地上部隊と異なり戦闘機で長距離を飛行できる彼らの中には、既に連合軍の統治下に置かれたはずの南ベルカへと脱出した者がいた。ベルカ空軍部隊の中でも、最もベルカ覇権主義色が強かったと言われている「グラーバク」・「オブニル」の両飛行隊も、南ベルカへ脱出した部隊であった。当時南ベルカ国営兵器廠の指揮官であったハインリヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク少将は、進駐した連合軍への恭順を誓う裏で、ベルカからの脱出者を広大な兵器廠の敷地内に匿っていたのである。最後の突撃を敢行し、ベルカ軍が凄惨な最期を遂げて戦いが終わった後、まんまと生き延びた者たちは「兵器廠の職員」という肩書で自由な移動を確保した。ある者はノルト・ベルカへ帰還し、ある者はそのままオーシアに住み着き、或いはユークトバニアへと渡り、それぞれの居場所を確保していった。だが、彼らの大半が平和に暮らすための移動をしたのではなく、ベルカの栄光を取り戻す戦いを再び仕掛けるため、それぞれの目的地に潜伏したというのが実状であった。
「グラーバク」・「オブニル」両航空隊も終戦処理に紛れて姿を消した者たちであるが、彼らの行き先は驚くことについ先日までの敵国、それも連合軍の中心的役割を果たしていたオーシア・ユークトバニア両国であった。実は両航空隊はベルカ脱出に当たって、あるモノを極秘に持ち出していた。それは、ベルカの街を消滅させた戦術核兵器「V1」である。連合国への絶対的恭順を近い、初代のノース・オーシア・グランダー・インダストリー会長に就任することとなるブラウンシュヴァイク少将は、その核兵器と極めて高い操縦技術を持つエースたちを両国の軍部に売り込んだのであった。この時期、ユークトバニア・オーシア両国の軍部は微妙な立場にあった。もともとニ超大国として対立関係にあった両国の軍人は、平和と融和を良しとする勢力と覇権主義を是とする勢力とに二分されていたが、当面の敵であったベルカが消滅したことにより、両者の歩み寄りも消滅して本来の対立関係が復活しつつあったのである。さらに、両軍の空軍兵力は大戦によって大損害を出しており、その立て直しが急務であった。かくして、ベルカの復活のための尖兵である「グラーバク」・「オブニル」を温存したい旧ベルカ残党勢力と、互いの軍事力に対するアドバンテージを確保したいオーシア・ユークトバニア両軍の覇権主義派との間で取引が成立し、「グラーバク」はオーシアへ、「オブニル」はユークトバニアへと配属されることとなったのである。
しかしながら、「グラーバク」航空隊の存在を良く知るパイロットたちが、オーシアには生き残っていた。後に第108戦術戦闘飛行隊に配属となるジャック・バートレット大尉は彼らと実際に戦った経験を持つ人物であったし、「グラーバク」によって部隊を壊滅させられた生存者も少なくなかった。このため、オーシア空軍司令部は「8492飛行隊」という部隊名を彼らに付け、さらに彼らの隠れ家たる航空基地を用意した。当時のオーシア空軍所属の将校であったダニエル・オースティン少将は、オーシアが接収したばかりの南ベルカ国営兵器廠の滑走路整備を命じ、ここに航空基地を作り上げてしまったのである。実際問題としてこの航空基地は実験機や試作機の運用テストを行う目的で使用され、「8492飛行隊」はそのテストパイロットを務める腕利きの部隊という扱いで表向きには配備されたのであるが、もう一つの役割が彼らには課された。それは、大戦で激減した航空戦力を復活させるため、彼らにアグレッサーとなって将来のオーシア空軍を担うパイロットたちを育成する、という任務であった。大戦後に軍へと入隊したパイロットたちはいくつかの航空基地に分けられて訓練過程を過ごすことになるのだが、このうち民間大学卒業後の入隊者の教官を8492航空隊が務めることとされ、1997年から実際に新兵が彼らの元に派遣されるのである。
アグレッサー部隊となった8492航空隊は、新兵たちを厳しく鍛え上げた。彼らの指導は的確であり、彼らの下を巣立ったパイロットたちは後のオーシア空軍で鍛えられた腕前を遺憾なく発揮することとなる。しかし、8492航空隊の指導はそれだけに留まらなかった。彼らは、彼らが目をつけた若者たちに対して先の大戦でのオーシア・ユークトバニアの暴挙とベルカ人たちの戦いを説いたのである。さらに、好感を得た若者達に対してベルカ覇権主義を植え付けていった。「グラーバク」はアグレッサー部隊という大義名分を得て、彼らの協力者を育成するだけでなく、オーシアを崩壊させるための尖兵たちを軍の内部に解き放っていったのである。さらに、ベルカの教え子たちはそれぞれの立場で協力者を募り、かくしてベルカ・ネットワークが静かにオーシア軍の中に築かれていく。ハーリング大統領の就任後、空軍基地は効率化と集約化が進められることとなり、南ベルカ基地における8492飛行隊による新兵訓練は打ち切られ、彼らは新型機のテストパイロットを主任務とするようになった。だが、1997年からおよそ10年に渡って「グラーバク」航空隊のエースたちが作り上げたネットワークはより強固なものとなり、ノース・オーシア・グランダー・インダストリーだけでなくユークトバニアの協力者たちとのリンクまでを確保していた。ちなみに、2004年期に配属された新兵の中に、後にサンド島航空基地の司令官付となるアレン・C・ハミルトンの名を見出すことが出来る。彼は歴代の教え子の中でも特にベルカ覇権主義に染まった一人であったが、操縦技術も相当な腕前を持つパイロットとして成長した。そして来るべきベルカの蜂起を支援すべく、敢えてオーシアの最果ての地サンド島へと赴任していったのである。
「グラーバク」航空隊のリーダーは、アシュレイ・ダンゲルマイヤー中佐(ベルカ空軍時の階級は大佐)である。ベルカ大戦からずっと、航空隊のリーダーを務め続けた彼の技量は、凶鳥フッケパインと呼ばれたベルカのエースパイロットに次ぐものであったと言われているが、彼らはベルカ大戦において敵にも味方にも容赦ない部隊として知られ、友軍からも恐れられていたとされる。彼のライバルたる凶鳥が末端の兵士からまで慕われていたのとは対照的と言って良いだろう。白旗を揚げている敵の降伏を許さず、全滅するまで攻撃を止めない彼らの攻撃スタイルは連合軍を震え上がらせたものである。オーシア逃亡後の彼らの行動から、その容赦の無さは一見姿を消したように見えなくも無い。そんな彼らは、自らを「ラーズグリーズ」と自認していたようだ。ベルカ大戦において、自らの国に核兵器を放つことで戦争を終わらせたのは、他ならぬベルカの功績である。だが大戦後、ユークトバニアとオーシアはベルカの地を蹂躙し、ベルカの民を北と南に分断した。だから、自分たちが再び戦争を起こして祖国を破壊した大国を破滅に導き、今度こそベルカの手で平和をこの世界にもたらす。些か倒錯しているとしか思えないこの論理を、ベルカの覇権を唱える者たちは信じ込んでいたという。しかし、「ラーズグリーズ」と呼ばれるようになったのは、彼らではなかった。2010年9月27日より始まったオーシアとユークトバニアの戦いにおいて、その名で呼ばれるようになったのは、第108戦術戦闘飛行隊「ウォー・ドッグ」だったのである。初めのうちは彼らの存在をむしろ嘲笑を以って傍観していた「グラーバク」航空隊であったが、やがて彼らが「英雄」と呼ばれるようになると過度と言って良いほど敵視するようになった。戦争を長引かせ両国を疲弊するための駒だったはずの彼らがコントロールを越えて活躍するようになったことが、「ラーズグリーズ」を自認していた彼らのプライドを傷つけてしまったのである。
蘇ったベルカの亡霊は、再びその容赦の無さを発揮する。工科大学襲撃において、数多の一般市民に対し機銃の雨を降らせただけでなく、ノーベンバーシティでは、スタジアムの数万人の市民すら犠牲にしようとした。だが、彼らはそれ以上の方法を以ってこの世界を破壊しようと企んでいたのである。