白い鳥の変貌
2010年10月25日、ハーリング大統領の対ユークトバニア停戦交渉を進めるうえで切り札となるはずだった白い鳥「アークバード」は、輸送物資に仕掛けられていた爆発物によって機能停止を余儀なくされることとなった。既にアップルルース副大統領ら主戦派によって政権が掌握されつつあったこの時期、対ユークトバニア攻撃の切り札になるはずのアークバードが損傷したことは主戦派政権にとっても寝耳に水であった。警察と軍がバセット宇宙基地に対して捜査を開始し、ユークトバニアに協力していた研究者ら4名が逮捕されているのだが、実際にはそれ以前にこの基地の主要機能を掌握している者たちがいた。バセット宇宙基地はオーシアとユークトバニアの共同プロジェクトとして建設された両国最大の宇宙への玄関口であるが、数多くの民間企業の中でもノース・オーシア・グランダー・インダストリー(以下NOGI社)の果たしている役割は非常に大きい。管制系のコンピューター設備や通信設備、SSTO自体の設計・メンテナンス、基地の各種施設、電源設備などにおいて、NOGI社の持つ旧ベルカの高い技術が民間転用されているのである。従って基地全体ではNOGI社の関係者が相当数働いていることになるのだが、NOGI社は実態としては旧ベルカ残党勢力の一機関であった。つまり、NOGI社のルートで、ベルカ系の技術者や工作員がほとんどノーチェックで宇宙基地に潜り込んでいたのだ。
もちろん、主戦派政権はベルカの思惑に関しては全く念頭に無かった。だが、ユークトバニアに対する戦闘で、迎撃不可能な高度から高い破壊力を持つレーザーを放つことが出来るアークバードの戦力は是が非でも欲しいものだった。2010年10月28日に行われた戦時特別軍事委員会において、アップルルース副大統領は「ハーリング大統領の提案」として、アークバードの復活計画を議題に挙げた。それは、平和利用を主眼としたために設計図から削除された各種攻撃機構の設置をも含むものであった。委員会の満場一致で採択されたことにより、NOGI社とオーシア軍宇宙開発局は改良計画と攻撃により破損したアークバードの修理を行うべく、バセット宇宙基地からの物資搬送を決定する。もともとアークバードは、80年代、まだオーシアとユークトバニア両国が冷戦関係にあった時代のSDI構想で計画された戦略兵器であった。初期の設計図では、大気圏内での空中戦を想定して対空砲・対空パルスレーザー砲を持ち、胴体数箇所にはSAMランチャー。そして胴体下部には主武装というべき大口径のレーザー砲塔と高照準のランチャー群。そして、核弾頭を発射するためのレールガン。まさに、機動要塞と言って良いような装備の搭載を行うことを想定していたのである。実際に建造されたアークバードがこれらの武装を搭載していなかったことは周知の事実であるが、その胴体はユニット毎に交換を可能とする構造になっているため、戦闘用モジュールを搭載したユニットと元の胴体ユニットを交換することは容易であった。アップルルース副大統領は、アークバードを戦略兵器としての本来の姿に戻し、ユークトバニアとの戦闘における切り札にすることを目論んでいたわけである。
かくして11月からアークバードの改修・修理が本格化する。NOGI社において試作されていた戦闘用モジュールが再整備され、バセット宇宙基地に次々と運び込まれていった。大きいユニットは幾つかのパーツに分割され、宇宙空間で組み立てが行われたのである。アークバード改修要員としてNOGI社と宇宙基地から数多くの技術者たちが宇宙空間に赴き、そしてアークバードで生活することになった。それまで使われることの無かった乗組員室は満室となり、中には大広間で寝起きした者もいたそうである。オーシア政府・軍は12月からの実戦再配備を目標に掲げていたため、改修作業は夜を徹して行われるものとなっていた。だが、大半の作業員たちはその改修は戦争を早期に終結させるための作業であるとしか知らされていなかった。オーシアとユークトバニアの技術の結晶であるアークバードの改修工事に携わることを喜ぶ技術者たちを傍目に見ながら、主戦派政権はアークバードを使用しての攻撃作戦を着々と検討していたのである。攻撃作戦の主眼に置かれたのは、ユークトバニア軍の拠点に対する攻撃と首都シーニグラードの政府機関に対する攻撃であった。そんな状況下でのリムファクシ撃沈の報は、オーシア政府を狂喜させた。ユークトバニアの切り札であったミサイル潜水母艦が完全に失われたことによって、アークバードは唯一の超兵器となったのである。復活したアークバードによる反撃不能の攻撃は、ユークトバニアに徹底的な破壊をもたらすはずであった。
だが、10月下旬の爆発物事件から12月の復活までのアークバードを取り巻く一連の事象は、旧ベルカ残党勢力の予定通りに進められた事態であった。ユークトバニア軍によって行われたとされる破壊工作は、実際の行動を行ったのはユークトバニアではあったが、裏で破壊工作を計画したのはベルカの協力者たちであったのだ。旧ベルカ残党勢力は初めからアークバードを奪い取るために爆発物による破壊工作を実行に移し、NOGI社による改修工事という名目で旧ベルカのための改造を行ったのである。オーシア政府は自分たちの切り札として使用するつもりでいたが、実際には彼らは踊らされただけであり、改修工事が完了する12月上旬には管制・コントロール含めて完全に旧ベルカ残党勢力に乗っ取られていたのである。オーシア政府は復活したアークバードによる攻撃の最初の目標として、クルイーク要塞近郊に展開したユークトバニア地上軍を選んだ。12月に入ると両軍の戦闘は完全に硬直化していた。それまでオーシア軍の進撃を支えてきた第108戦術戦闘飛行隊の裏切りによって、効果的な上空支援を得られなくなった地上軍の進撃は止まり、拠点防衛が主要任務に変わった。広大なユークトバニア国内に攻め入っているのである。補給線は完全に伸び切ってしまい、前線では弾薬だけでなく食料も不足する部隊も出てきていた。ユークトバニア軍も国内の混乱から戦意は低下の一方を辿り、両国には厭戦ムードが広がりつつある時期であった。まさに両国は戦闘によって自らの国を破滅へと陥れていっていたのである。旧ベルカ残党勢力は、この対立をさらに加速させ、憎しみを拡大再生産する作戦を開始するのである。
2010年12月19日。これまでの記録では、アークバードは推力制御機構に重大な欠陥を起こしセレス海に墜落したとされている。このときの唯一の生存者ジョン・ハーバード氏は長らくその真相に関してのコメントを避けてきたが、資料公開により様々な真実が明らかになったことを機に、次のように語ってくれた。
「世界平和のシンボルとして建造されたはずの白い鳥は、私たちが気が付いたときには別の代物になってしまっていた。大部分の運行管理に就いていた人間は改修が終わると同時に突然地上勤務に転勤となって、軌道コントロールと推力系のメンテナンス担当だった私ともう一人くらいだけが残って、後は新しいメンバーが配属されてきたんだ。まさか、そのメンバーがベルカの残党だとは思わなかったよ。私たちは偶然、彼らのベルカ語での通信を聞いてしまった。詳しいことは聞き取れなかったけど、オクチャブルスクに対してV1を投下する、という話を聞いたときはびっくりしたよ。自分たちの乗っている船に、まさか先の大戦の時に使用されたのと同じ核兵器が搭載されていたわけだからね。このままにしてはいけない、と思ってフラップに細工をして脱出ポッドに向かったんだけど、その時の銃撃で相棒は死んでしまい、私だけが生き残ってしまった。彼を助けられなかった私は、あの鳥の慰霊碑に名前を刻んでもらう資格はやはりないんだろうね」
なお、ハーバード氏は2018年に完成したアークバード級軌道船「フリーダム」の航宙士の一人として、同船の運行業務に就いている。
「この船はアークバードとは異なって、最初から兵器転用出来ないよう構造を見直したものだけれども、私たち一人一人が「平和」を維持するために何が出来るんだろう、ということを常に考えるようにしていかないと、またいつかアークバードと同じ運命を辿ってしまうかもしれない。だから、私たちは人間の馬鹿馬鹿しい思惑によって本来の目的から外れ、海に沈んだアークバードのことを決して忘れてはならないんだ。この船が、二度と戦争に使われずに済んでほしいものだよ」
氏の言葉にもあるように、戦争のために目的を捻じ曲げられてしまった「白い鳥」。平和のシンボルですら、戦いを優位に進めるための一手段として使うような愚かな行為を、私たちは二度と犯してはならない。