核戦争は目の前にあった


2010年12月になると、オーシアとユークトバニアの戦闘はついに硬直化し、双方の進撃が止まった。両軍は互いの陣地に篭り防戦がいつしか主任務となっていたのである。また、際限なき戦線拡大と無謀な進撃ばかりを命令する司令部や互いの政府に対する前線の不満は頂点に達し、兵士たちの士気もまた地に落ちていた。旧ベルカ残党勢力の思惑とおり、両国はいつ終わるかも分からない戦争に没頭して自国を破滅へと確実に陥れつつあったのである。ところが、旧ベルカ残党勢力の予想外の事態が進みつつあった。それは、ユークトバニアにおけるレジスタンス組織の一大攻勢と、オーシアにおける厭戦運動の活発化とベルカの目論見を察知した者たちの存在であった。彼らの運動と存在は、憎しみの連鎖に陥っていくはずの両国市民を食い止めるだけでなく、戦争の舞台裏で暗躍する旧ベルカ残党勢力の存在を白日の下に晒しかねない「脅威」となりつつあったのだ。

自国の市民たちすら抑えられない両国主戦派政府を、旧ベルカ残党勢力はこの辺りから見限ったようである。というより、独裁政治形態に慣れた彼らは、市民の総意が時に政府の決定を覆すことすらある民主化体制を充分に理解していなかったのかもしれない。彼らは、彼らの手によって更なる破壊と憎しみを生み出すための作戦を発動する。それは、彼らが理想として掲げる、核の恐怖を以って世界を統治するという手段の実施だった。1995年、ベルカ公国軍は自らの領土に戦術核兵器「V1」を投下し、連合国軍のノルト・ベルカ進撃を物理的に遮断した。このとき使用された「V1」は航空機に搭載して作戦目標に投下するタイプの戦術核爆弾であり、ベルカ空軍のエース部隊である「グラーバク」・「オブニル」隊機によって自国に投下された。1970年代〜1980年代にオーシア、ユークトバニアで開発されたものと比べると大幅に小型化されながらも、爆心から3キロ以内に壊滅的な打撃を与える威力を持ち、さらに投下地点の半永久的に汚染するという、どちらかといえば大量報復兵器であった「V1」の威力は今だ強い放射能を放ち続けるノルト・ベルカの旧市街地に穿たれたクレーターからも明らかである。ベルカ国内投下に使用された「V1」は全部で7発だが、1995年時点でなお20発程度がベルカ国内に残っていたとされる。このうち2発については「グラーバク」及び「オブニル」航空隊がオーシア、ユークトバニアのアグレッサー部隊に就く見返りとして両国に極秘裏に渡ったのであるが、残りの18発程の所在は戦後の調査でも明らかにならなかった。その所在が明らかになるのは、2010年12月中旬の事だった。

セレス海に展開していたケストレル隊が、ユークトバニアの航空管制通信に仕込まれていた暗号通信を察知する。その通信は、ノルト・ベルカ北西部の森林地帯の先にある鉱山地帯の緯度経度を伝えていたのである。当該地域には、確かに1995年まで稼動していた縦坑鉱山地帯が存在していた。ベルカ大戦の集結によって放棄されたはずであったが、ベルカ公国軍は来るべき再起の日のために鉱山内の坑道の奥深くに残りの「V1」を隠し、さらに手前の坑道を爆破して鉱山を一時的に閉鎖していたのである。それを、2010年になって旧ベルカ残党勢力は掘り出し始めた。2010年11月から始まった発掘作業によって再び坑道が口を開き、15年の眠りから「V1」は目覚める。旧ベルカ残党勢力は、18発の戦術核をいくつかの用途に使用するプランを立てていた。@市街地への直接投下による、オーシア、ユークトバニア両国の戦争の再燃。Aオーシア、ユークトバニア両軍への供与。B自衛・恫喝手段として保有。発掘された「V1」はまず@の用途に供するため運び出される。最初の2発はベルカの切り札として復活したアークバードに搭載するため、バセット宇宙基地から宇宙空間へと運び出された。そして次の1発についてはユークトバニア側からオーシアへの攻撃に使用するため、「オブニル」航空隊によって運び出される。トータルで8発が、オーシア、ユークトバニア、そして周辺諸国に使われる予定であったとされ、その攻撃が現実の物となっていたとしたら、ノルト・ベルカに穿たれたものと同じクレーターが、私たちの国にも出現していたかもしれない。

だが、旧ベルカ残党勢力の核兵器はこれだけではなかった。1995年当時、ベルカ公国は連合国への無差別報復に使用するため、大量報復兵器「V2」の開発に着手していた。「V2」はMIRV――多弾頭搭載型ICBMであり、「V1」が限定的な戦場での使用をコンセプトとしていたのに対し、無差別に攻撃対象国を消滅させることが目的であった。技術的な問題と時間的な問題から「V2」開発計画は放棄されるのであるが、あのとき「V2」が完成していればベルカの勝利は間違いなかった、という「V2」神話思想は公国軍の残党を中心として根強く信仰されることとなり、南ベルカ国営兵器産業廠がノース・オーシア・グランダー・インダストリーと名をかえて以降、敷地内の一角で開発が続けられていたのであった。当初「V2」は地上発射型として開発されていたのであるが、アークバード建造が彼らに良いヒントを与えた。より正確な照準精度を持つプラットフォームが宇宙空間にあるなら、そこから核攻撃を行えば良い。かくして、「V2」は弾頭部分の開発に集中することになり、2008年、プロトタイプが完成する。推定データではあるが、その威力は弾頭合計で90メガトンに達し、弾頭投下範囲(フットプリント)は半径1,000キロ以上。これ一発で、オーシア全土がほぼ全て壊滅するほどの威力を持っていたと言われている。彼らは、アークバードが失われた場合の代替手段も用意していた。1980年代の冷戦期、オーシアが完成間近で封印した、無人軍事プラットフォーム衛星「SOLG」。彼らは、この衛星を復活させるだけでなく、その心臓部に「V2」を4発搭載していたのである。

戦術核「V1」使用によるオーシア、ユークトバニア両国への核攻撃、そして「V2」による核恫喝を以って両国政府の機能を奪い取り、場合によっては破滅的な攻撃を実施して、核の恐怖を以って名実共にベルカが両国を支配下に置く。普通に考えれば絵空事に過ぎないような計画を、旧ベルカ残党勢力は崇拝していた。核戦争の恐怖は、私たちの知らない間に目前まで迫っていたのである。ケストレル隊が仮に彼らの通信の傍受に失敗していたとしたら、私たちの国のいくつかの街が核の炎に焼かれ、汚染されていたかもしれない。そして戦争を陰で操る存在に気がつかないまま、私たちは憎しみをさらに募らせ、更なる核報復すら支持してしまったかもしれない。私たちは、実はその瀬戸際に立たされていたのである。オーシア、ユークトバニア両軍とも、目前の危機に全く気が付いていなかった。……だが、核攻撃はついに現実のものとはならなかった。2010年12月12日、ノルト・ベルカの鉱山地帯は突如飛来した所属不明の戦闘機部隊の空襲を受け、壊滅的な損害を受ける。この攻撃で、「V1」を掘り出していた坑道は完全に崩落し、再発掘には相当の期間を要することとなったのである。空襲から逃げ惑うベルカ兵士たちは、機体を漆黒に染めた戦闘機の姿を目撃している。およそ人間技とは思えない機動で次々と友軍機を屠っていくその姿は、伝説の「ラーズグリーズの悪魔」に重なって彼らの目に焼き付いた。

謎の航空部隊の攻撃によって、旧ベルカ残党勢力の計画は大幅な修正を余儀なくされることとなった。彼らの手元に残った「V1」は僅か3発。しかも、そのうちユークトバニアに運び込まれた一発はレジスタンスたちの襲撃によって行方不明となってしまい、実質的にアークバードに搭載された2発のみであった。焦った彼らは一刻も早く憎しみを駆り立てていくために、核攻撃を実施に移す。2010年12月19日、これまでアークバードの墜落は操縦系・推力系の故障によるものとされてきたが、その墜落の実態が明らかになった。この日、オーシア政府は復活したアークバードに対し、クルイーク要塞近郊に展開したユークトバニア軍に対するレーザー攻撃を命じていた。この指令はアークバードにも当然伝わっていたはずであるが、既にベルカの手に落ちたアークバードには別の攻撃目標があった。「AsatによるオクチャブルスクN攻撃1400」。ケストレル隊が傍受した通信からも分かる通り、彼らは核攻撃をついに実行に移したのだ。だが、オクチャブルスクへの核攻撃を行うため、大気圏内へと降下したアークバードは搭乗員唯一の生存者であるジョン・ハーバードの手によって、本来の高度を大幅に下回った高度まで降下してしまう。フラップの異常を察知したベルカ人機関士たちが気が付いたとき、アークバードは漆黒の翼を持つ戦闘機部隊による襲撃を受けることとなったのである。1980年代に計画された機動兵器として姿を取り戻してしまったアークバードは、搭載されたレーザー砲等により戦闘機部隊を迎撃したが、全てのエンジンを破壊され、ついにセレス海の海の藻屑と消えたのである。この戦闘時、宇宙空間へと脱出するブースターを破壊されたアークバードは、一度針路を南に変更している。彼らはオクチャブルスクへの攻撃が失敗した場合、オーシア本土に核を抱いたままアークバードを落とすつもりであったらしい。幸い、かれらの目論みは「ラーズグリーズ航空隊」と思われる戦闘機の手によって屠られたのであるが、仮にアークバードが墜落していた場合、本体の爆発と核爆弾の炸裂によって相当範囲に被害が出ていたことが想定される。実のところ、核攻撃はギリギリのタイミングで防がれたのであった。

ベルカ事変終結から2年経った2012年、オーシア、ユークトバニア共同プロジェクトによって、ベルカ事変の際に海中などに沈んだ核兵器の回収が実施され、セレス海やノルト・ベルカから、「V1」及び「V2」が回収された。ハーリング大統領とニカノール首相は、それらの弾頭の即時処分を決定し、ユークトバニアの核弾頭処理施設において、回収された全弾が分解、無効化された。かくして、旧ベルカ残党勢力が頼みの綱とした核兵器たちは、完全に姿を消したのである。折りしも、両国の間では双方の保有する核弾頭全廃条約の締結に向けて調整が進められている時期でもあった。ベルカの旧体制の人々が何故そこまで核兵器の威力に固執したのかは分からない。だが、核の均衡によって保たれる平和は過去の産物となっていたことに、彼らは気が付かなかったのだ。ベルカ事変終結後のノルト・ベルカの民主化を完全なものとするため、戦勝国の合同信託統治領化を自主的に進めた新生ベルカ自治政府のフリッツ・カーセルバーグ首相は、2013年に行われた平和会議の場で次のように発言している。
「核の恐怖を以って世界を統治する。そんな時代遅れの妄想のせいで、一体いくつの命が奪われたというのか、私たちの祖国は改めて反省しなければならない。私たちの責任は、二度とそんな愚かな行いを繰り返すことの無い新しい国を作ることであると思う。だが、私たちはそのための術を十分に知らない。だから、世界の国々から様々なことを学び、平和に貢献できる国家を作るため、私たちの国を国際世界に委ねることにしたい。もう、家族を、恋人を奪われた人たちが涙を流すような悲しい出来事を見るのはたくさんなのだから。核の恐怖が平和をもたらすはずがない、ということを私たちは心にしっかりと刻み付ける必要がある。」

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