灰色の男たち


ベルカ事変において存在が謎のままになっている最たるものは「ラーズグリーズ航空隊」であろうが、同様にその全貌が依然明らかになっていない組織がある。――「灰色の男たち」。ベルカ事変の道筋を立てただけでなく、それ以前もベルカ公国において暗躍していた彼らについて語る資料は極めて少なく、断片的な資料から彼らの全貌を伺うことしか出来ない。だが、明らかに彼らは存在していた。かつてのベルカ公国において、政府の管理からも外れ、ベルカ公直属として設立された機関が存在するのだ。「統合戦略研究所」(Geostrategic Research Administrative Institute)と名付けられた機関の表向きの目的は、地政学的戦略研究の観点からベルカ公国の戦略・戦術を研究、報告する、というものであったが、実態はベルカ公直属の諜報機関であったと言われている。 特筆すべきは、この研究所はそれ単体では完結せず、様々な組織を束ねる存在であったという点だ。科学技術・軍事技術の開発部門は国営の軍需産業とも深い関りを持って新兵器開発などで重要な役割を果たし、何とベルカ公国軍とは別の指揮系統を持つ「親衛隊」まで存在していた。この「親衛隊」は公国軍などから選抜された兵士たちによって構成されていたが、ベルカ公国軍の一部部隊は双方に属していたとも言われているのだ。

彼らの暗躍の良き例として挙げられるのが、悪名高き自国内への核攻撃である。1995年、南ベルカが陥落し、ノルト・ベルカに追いやられたベルカ公国軍にとって、連合国軍の侵入阻止は最優先で行われなければならないものだった。公国軍司令部は、残存兵力をノルト・ベルカに至る山脈に展開させ、地の利を活かして連合国軍を迎え撃つ方針を当初取っていたとされるが、ベルカ公アウグストゥスはより効果的な手段の選択を軍部に求めた。それは、先制核攻撃によるオーシア領内の無差別攻撃だったのだ。その意向は統合戦略研究所にも伝えられたが、彼らはベルカを生存させ、かつ連合国軍を退かせることを目標に据え、ベルカ公を説得した。彼らが提示したのは、ノルト・ベルカへの進入地点にある全ての都市に対し核兵器を投下して物理的に連合国の侵入を遮断するという方針であった。臣民に対し自ら手を下す行為にさすがのベルカ公も難色を示したと言われているが、「再起のための尊い犠牲」という大義名分で計画は実行されてしまう。ベルカ公国空軍に属するエース部隊「グラーバク」・「オブニル」、さらに民間出身のパイロットたちで編成された「臣民戦闘飛行隊」の隊長であった「凶鳥フッケパイン」に対し、戦術核兵器「V1」の自国内投下が命じられる。かくして、何も知らない市民たちを核の炎が焼き払うことになるのであるが、このとき「凶鳥フッケパイン」は攻撃命令を無視して逃走したため、ノルト・ベルカ東部の町は生き残った。残された唯一の突破点から侵入した連合国軍部隊はついにノルト・ベルカに足を踏み入れ、前線にほぼ全兵力を送ったために防衛部隊すら持たない後方司令部を急襲。この結果、前線部隊は一切の情報支援も受けられないまま、乱戦に倒れていったのだ。

しかしながら、統合戦略研究所の本音は、ベルカの敗北は不可避のものである、ということだった。彼らは自国内の核攻撃計画と並行して、組織の中核を温存しかつ隠蔽する準備を着々と進めていたのである。ベルカ大戦終結後、ベルカ公国軍や旧ベルカ政権の作り上げた組織が次々と解体されていく中で、彼らは本来業務たるベルカ公直轄機関としての機能を地下に潜伏させ、表向きの研究機関としての機能を理由にして、大戦後も組織を存続させることに成功する。さすがに組織の名前は変更され、研究分野は地政学的戦略研究から、ベルカ民族史や民需に係る研究内容へと転換されることとなっていたが、旧政権時代からのエッセンスの大半を生存させてしまったのだ。そして、地下に潜伏した中核組織は、ベルカの再興のための計画を静かに進めていく。民主化勢力に政権機能を奪われたベルカ公たちの手に実権を取り戻すため、政府与党「革新」のスキャンダルを暴き或いは捏造したことを皮切りに、彼らは野党となった保守勢力へのテコ入れを行い、いくつかに分散した保守派を統一組織へとまとめあげていく。さらに、彼らのメンバーであったノース・オーシア・グランダー・インダストリー経営陣を利用してのオーシア国内への協力者――彼らは「細胞」(セル)と呼んでいた――の拡大に力を注いでいく。戦術核兵器「V1」を餌にして、オーシア・ユークトバニアのアグレッサー部隊として生き延びた「グラーバク」・「オブニル」航空隊とのコンタクトも、「細胞」を利用して行われていったのである。

旧政権崩壊後の「灰色の男たち」は、大まかに分けると3つの部門に分解できる。かつての「統合戦略研究所」を中核とした「決定機関部門」と、破壊工作或いは戦闘行為を担当して後の旧ベルカ残党軍の中核を担う「戦闘部門」、そして各国の「細胞」を統括し諜報活動・政治工作等行うだけでなく、ベルカのための活動資金や軍事力の確保を担当する「行政部門」――その中核は、ノース・オーシア・グランダー・インダストリーが担い、民間企業を隠れ蓑として工作が進められた――。この3部門を持つことにより、旧ベルカ政権は表向きの保守派政権の裏側でまた別の国家運営体制を保有していたと言って差し支えない。中でも、「行政部門」は民間企業となった旧南ベルカ兵器産業廠だけあって、巨大な資金力と膨大な活動要員を擁していたのである。「決定機関部門」からの指令は「行政部門」を経て、各地に散らばった「細胞」たちに届けられるようになり、ノルト・ベルカとオーシア、ユークトバニアのベルカ・ネットワークの活動は活発化していく。

「灰色の男たち」の掲げたベルカ再興の主要な活動方針は次のようなものであったと言われている。
@先のベルカ大戦の戦勝国たるオーシア、ユークトバニアに対する復讐
Aオーシアとユークトバニアを戦争状態とするための諸準備・工作
B封印された核兵器の奪還
C開発途上となっていた「V2」の開発再開及び発射プラットフォームの確保
Dオーシア・ユークトバニア両政府の覇権主義者たちの抱き込み
Eオーシア・ユークトバニア両軍内部での「細胞」の増員確保
Fベルカ公国軍の使用する兵器群の調達
G南ベルカ奪還のための地上戦力確保・同朋への啓蒙
Hノルト・ベルカ政府の無力化
彼らはこれらの方針を実行し、ベルカ再興のための戦いの戦端を開くまで、10年程の準備期間が必要とした。民主化勢力を貶め、保守派政権を擁立することによって政治的実権を彼らが取り戻したのは2000年の事なので、実際にベルカ事変が発生した2010年迄の期間で、彼らはオーシア・ユークトバニア両国を破滅に導くための諸準備を着々と進めていたということになる。

ベルカ公コルネリアスを擁した「灰色の男たち」は、10数年に渡るベルカ再興計画の総仕上げにかかった。まずはユークトバニア国内における「細胞」を活用して、覇権主義派の軍人・政治家たちを中央政府に送り込み、融和主義派の政治家たちを合法的に追放していったのである。たきつけられた覇権主義者たちは、まさか操られているとは夢にも思わず、ユークトバニアの覇権を確実なものとするための活動と準備を開始する。「灰色の男たち」は彼らの欲する情報と資金、人材を確実にかつ「ベルカが支援している」と気取られないように行っていった。そしてついに融和主義者たちの力を削ぎ落とした覇権主義者たちは、オーシアに対する攻撃とニカノール首相の拉致という暴挙に出て行くのである。自らの国家元首を非合法に監禁してまで権力を欲する連中を、彼らは嘲笑しながら眺めていたことだろう。そしてそれはオーシアにおいて拡大再生産されていく。ユークトバニア以上に融和政策の徹底されたオーシアにおいては、退役させられた軍人や追放された政治家たちを中心とした主戦派が、ハーリング大統領の姿勢を腰抜けと評し、オーシア軍による報復戦争の開始を迫った。だが、頑として姿勢を転じないハーリング大統領を除かないことには、オーシアを全面戦争に突入させることが出来ないと悟った「灰色の男たち」は、和平会談に赴いた大統領を拉致監禁し、表舞台から強制的に退場させたのである。重しの無くなったオーシアは、簡単に破滅への道を転げ落ちていった。憎しみの連鎖を互いに深めていった両国は、国家の衰退と消滅の瀬戸際まで追い詰められたのである。「戦勝国への報復」は、まさに彼らの思うままに進んだと言って良いだろう。

しかし、彼らの栄光は極めて短いものでしかなかった。「所属不明の漆黒の戦闘機部隊」を擁する勢力がベルカに対する戦端を開くだけでなく、彼らの最も恐れていた二人の指導者――ハーリング大統領とニカノール首相が彼らの手から零れ落ち、帰還してしまう。さらに、ベルカの切り札であった核兵器もアークバードも失われ、「細胞」たちは次々と失われていくことによって、「灰色の男たち」と旧ベルカ政権は1995年と同じように、追い詰められていった。そして2010年12月30日、必要のない戦いに終止符を打ち、両国を破滅へと導こうとしようとしていた旧ベルカ残党へ、国籍を問わず「歌に集いし者たち」の総攻撃が開始される。そしてついに彼らの最後の拠点であった南ベルカ――ノース・オーシア・グランダー・インダストリーが陥落。彼らが15年をかけて集めたはずの軍事力は消滅したのであった。「灰色の男たち」は、改めて地下に潜伏することを企図したが、ノース・オーシア・グランダー・インダストリーの陥落によって、ベルカ残党への協力者が白日の下に晒されることになる。また、自らが旧ベルカ政府の傀儡であることをベルカ保守党政権は明らかにし、2011年1月1日、政権の総辞職を宣言して、オーシア・ユークトバニア諸国に対して選挙管理委員の派遣とベルカ人民によるベルカ人民のための政府の樹立を行うための民主化総選挙の実施を宣言した。10数年に渡る暗躍を暴露された旧政権の崩壊は早かった。2011年1月10日、選挙実施までの暫定政府として保守派の若手を中心に作られた臨時政府の元に、旧公国軍の制服を纏った男たちが現れる。彼らが手にしていたのは、何とベルカ公コルネリアスの首だったのである。臨時政府は彼らの証言に基づいて、旧ベルカ時代の貴族たちの荘園数箇所に対してベルカ国軍を派遣して急襲、ベルカ公に従っていた大貴族たちだけでなく旧政権の要職にあった者たちの逮捕に成功する。こうして、ベルカ大戦から15年に渡って地下に潜伏、国を操り続けてきた旧ベルカ政権は壊滅、さらに各国の「細胞」たちの存在も失われ、ベルカ事変を引き起こしたベルカ・ネットワークは事実上消滅したのである。

だが、「灰色の男たち」の中枢とも呼べる旧統合戦略研究所のメンバーたちの消息は依然として知れない。新生ベルカ政府は、旧政権解体の総仕上げとして「灰色の男たち」の総検挙を目指したのであるが、中枢を占めていた者たちの確保には至らなかった。なぜなら、彼らの名前や所属は、驚くことに既に80年以上前に死亡した人間たちのものであったのだ。歴史の陰に隠れて暗躍し続けた彼らは、2021年の今日においてもその所在は知れない。今尚、ベルカの再興を目指し謀略を繰り広げているのか、それとも、2010年のあの日、彼らも消滅したのか、それは分からない。だから、私たちは、今私たちが享受している平和を守り続けるため、破滅と破壊をもたらそうとする勢力の甘言に惑わされることの無い社会を作り上げなければならない。必要の無い戦争によって、無数の人々が犠牲になるような悲劇を繰り返さないために。そして、「平和」をこれからも守りつづけていくために。それはベルカ事変を経た私たちの責任と言えるのではなかろうか。

注意:
本項はAC05本編でも全く語られていない部分であり、攻略本などの設定資料にも出てきていません。よって、ここで書かれている内容はmasamuneの完全な妄想と創作によるものとなります。このため、本編の物語と不整合を起こしている部分もあるかと思いますが、ご容赦頂ければ幸いです。

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