もうひとりの王の帰還


ハーリング大統領同様に、主戦派と旧ベルカ残党勢力の手によって監禁されていたユークトバニアのニカノール首相。ハーリング大統領よりもさらに1ヶ月近く長い監禁状態にあった首相は、ノルト・ベルカではなくユークトバニア僻地の軍施設に監禁され続けていた。その間首相は何度も脱走を試みては見張りの兵士に見つかるということを繰り返しており、兵士を呆れさせていたという。彼がそれでも殺されることが無かったのは、ユークトバニアの主戦派政権が結局はニカノール首相の「存在」を必要としていたからに他ならない。事実、ユークトバニア政府・軍の方針はほとんどが「ニカノール首相の決断」として発表されていたのだから。そして、市民も含めて大半の人間がニカノール首相の不在を知らなかった。2010年10月の時点でその事実を知っていたのは、実質的に主戦派政権のトップであったヴィクトール・ガルマショフ人民議会議長ら数人の政治家と軍人、実際に首相の拉致に加わった陸軍部隊士官と、彼らをそそのかしたベルカの「細胞」たちくらいのものであった。シーニグラードから近郊の輸送部隊の航空基地に陸路運ばれた首相は、そこからヘリで監禁場所となった僻地の軍施設に囚われることとなったのだ。

ユークトバニア政府にニカノール首相無し、という噂はマスコミ関係者らの間で囁かれていた。だが、オーシア以上に厳しい報道管制が敷かれた国内において、それを表沙汰にすることは危険なことであったため、新聞やテレビなどのメディアで取り扱われることはほとんど無かった。だが、その噂の真相に着目していた勢力がある。――「ユークトバニア解放同盟」である。彼らは、突如として積極的なオーシア制圧を掲げるようになった政府の姿勢に対して、強い疑問を抱き続けていた。同盟発足直後においては、無意味な戦争を続ける政府の長たるニカノール首相を暗殺すべし、と主張する組織のリーダーも少なくなかったのであるが、彼らの活動が活発化し、様々な情報を得られるようになったことで、彼らは政府の抱える矛盾に気が付き始めていたのである。それは、反対する軍人たちを押し切ってまで融和と軍縮を積極的に進めてきたニカノール首相が、辺境の空で発生した空中戦の一時だけでオーシアを征服せん、と己の政治姿勢を変えるものだろうか、という根本的な疑問であった。シーニグラードの首相官邸へ潜入することは困難であったが、ソユーズ通信社の記者たちは解放同盟に情報提供という形で協力していたため、ニカノール首相不在の噂はやがて真実味を帯びた真実として、レジスタンスたちの間に浸透していったのである。

その「噂」が事実であることを証明したのが、彼らの協力者である「少佐」からもたらされた情報だった。セルゲイ・ロヴィンスキー・トルストイ解放同盟委員長らの下に届けられた暗号情報には、ユークトバニア国内の緯度経度、そして「our leader」というコメントが添えられていた。調査の結果、現在は使用されていないはずの軍の研究施設が存在する地点であることが判明し、その地方で活動している組織が、施設付近をユークトバニア軍以外の部隊が守っている、という情報を伝えてきたのである。レジスタンスたちは、ここに囚われている人物がニカノール首相であることを看破した。だが首相が囚われている地点は内陸部であり、地上を移動するにはかなりの危険を伴うことは明白であった。となれば、空路を使うしかないのであるがレジスタンスの中にはセスナ機程度の操縦経験を持つ者はいたが、いざという場合には戦闘機動が必要となるようなフライトが可能なパイロットは存在しなかったのである。このため、解放同盟首脳部での首相救出計画はかなりの時間をかけて議論されるのであるが、地上移動での決定的なルートを見出せず、計画の策定は難航を極めていた。そんな場面にアジトに帰還してきたのが、解放同盟生みの親とも言える「Mr.B」だった。

首相の所在に関する情報を聞いた「Mr.B」の決断は迅速であった。軍用機操縦経験を持つという彼が提案したのは、大統領脱出後ユークトバニアの野戦飛行場を襲撃して航空機を奪い取るというものであった。無謀とも言えるこの作戦に当然レジスタンスたちからは反対意見が相次いだのであるが、彼は「大丈夫。これ以上ないくらいの護衛部隊を呼んでやるぜ」と半ば強引に彼らを説得してしまった。「Mr.B」の提案した救出プランは下記のようなものであった。
@ニカノール首相救出の実行は夜明け前。地元組織は引き続き偵察を継続すること。
A首相脱出後、突入部隊は脱出ポイントまで車輌で移動。
B車輌については速度の乗るSUV車を用意すること。この際拝借するのも止むを得ない。
C別働隊は突入部隊の脱出確認後、野戦飛行場を襲撃して航空機を確保すること。
D野戦飛行場にて合流後、全員揃って脱出する。
ここで問題となったのは脱出先であったが、「Mr.B」の回答はレジスタンスたちを再び驚かせた。――最終的にはハーリング大統領の下へ。彼は、今のオーシア政府にはハーリング大統領が存在せず、ニカノール首相同様に囚われていたこと、その大統領が救出されたこと、さらにオーシア・ユークトバニア両政府から独立して、「真の敵」と戦い始めた部隊が存在することを、彼らに伝えたのである。この国の戦争が、実は操られていたものであった。それが明らかとなれば、軍事政権の正当性は完全に失われるだけでなく、むしろこの国を破滅へ追いやろうとした罪を問うことが出来る。かくして、ユークトバニア解放同盟は、組織を挙げてニカノール首相を救出することを決定したのである。

2010年12月23日。「Mr.B」はレジスタンス部隊を率いて軍施設に潜入した。軍施設を守っている兵士の数はそれほど多くはなく、彼らは闇に紛れて施設内への潜入に成功した。そこで、彼らは意外なことに気が付く。いや、「Mr.B」は既に気が付いていたのかもしれないが、そこで交わされていたのはベルカ語の会話だったのだ。外部への通報を妨害するため通信室を襲撃した彼らは、施設からベルカの何処かに対して行われていた通信記録を入手する。そして施設の会議室であった部屋から、薬物を投与されて眠っているニカノール首相を発見したのである。このときの銃撃戦で一人が負傷したものの、首相を確保した彼らは施設に仕掛けた爆弾を一斉に爆破して追撃を振り切り、脱出することに成功した。3台の車輌に乗ったレジスタンス部隊は追撃から逃れるために、地元住民しか使用しない山道を抜け、ユークトバニアの野戦飛行場を目指した。「Mr.B」に同行していたレジスタンスたちは、自信たっぷりに「とっておきの護衛が来る」と言う彼の言葉に半信半疑であったが、彼らは現れた航空部隊を見て仰天した。その航空部隊は、機体を漆黒に染めた戦闘機部隊だったのだ。ユークトバニア軍から奪い取った組織を支援し、ユークトバニア軍を追い払った時と同じ部隊が、再び彼らの下に現れたのである。ちなみに、一行の同行者には、一人のユークトバニア士官が加わっていた。「Mr.B」の乗る車を調達してきた彼女は、自らを「少佐」と呼ぶよう彼らに伝えたのである。ユークトバニア解放同盟に、政府の内部情報を伝えてきた協力者がユークトバニア陸軍の情報 将校で、さらには「Mr.B」とも旧知の仲であったことにレジスタンスたちは驚くのを通り越して呆れもし、後日その報告を聞いたトルストイ委員長は、ベルカ事変終結後のテレビ局のインタビューで次のように語っている。
「我が国の軍事政権がベルカの残党に操られていたように、私たちも実は「Mr.B」と「少佐」に操られていたのさ。しかも、よりスケールを巨大にしてね。彼らは、ユークトバニア再建の最大の功労者だよ。彼らがいたから、私たちは戦いを成功におさめることが出来たし、無数の人々が立ち上がることが出来たんだから」

別働隊が確保した輸送機に合流したニカノール首相救出班は途中「グラーバク」航空隊の襲撃を受けるが、「Mr.B」たちの脱出を上空から支援した黒い翼の戦闘機部隊は旧ベルカのエース部隊を全て撃墜してしまう。こうして障害を全て取り払った輸送機はユークトバニアを抜け、セレス海に展開していたケストレル隊に合流するのである。タッチの差でハーリング大統領は首都オーレッドを奪還すべく、オーシアへと出発してしまっていたが、ニカノール首相は3ヶ月ぶりに敵の手から解放され、健康な目覚めを迎えることが出来たのである。そして、旧ベルカ残党勢力にとっては、彼らが最も恐れる二人のキーマンが彼らの手から零れ落ちたことを意味した。ベルカと主戦派の手から逃れたニカノール首相は、彼の不在の間に行われた数々の事件を耳にして愕然としていたという。彼には、監禁中の出来事が何も伝えられていなかったのである。そしてユークトバニアが今や内戦に近い状態に陥っているということも。「少佐」や「Mr.B」、そしてアンダーセン艦長たちから可能な限りの情報を得たニカノール首相は、まず何より無意味な戦争を終わらせる必要がある、そのためには首都オーレッドへ赴かなければならない、と艦長に伝えた。もとより艦長はそのつもりであったし、既にこの時点においてハーリング大統領はオーレッドの掌握に成功していたから、ケストレル隊は首都オーレッドへと針路を取った。だが、「オーシア、ユークトバニア、ベルカの全てから独立して」活動していたケストレル隊の動きはベルカ経由で両国の主戦派政権に掌握されてしまった。ユークトバニアはニカノール首相を事実上抹殺し、その死をオーシアによるものとして戦争継続の理由を作るため、オーシアは主戦派の栄光を奪い去った原点とも言えるケストレル隊を葬るため、2個艦隊が半個艦隊に満たないケストレル隊への攻撃を開始したのである。

ニカノール首相はこの戦いの最中、「Mr.B」の操縦する航空機で戦場を離脱、途中、ハーリング大統領の差し向けた空軍部隊と合流してアピート国際空港へと降り立った。大統領官邸ブライトヒルで再開を果たした二人は、戦いを終わらせるためにハーリング大統領のブレーンたちとともに綿密な打ち合わせを行った。同じ頃、ユークトバニア解放同盟はついに主戦派政権を完全に追い詰めることに成功する。首相官邸に潜入したレジスタンスたちが、ニカノール首相が官邸に存在しないことを明らかにしたのである。この結果、ユークトバニア各地の首長たちが政権からの離反を相次いで表明。ユークトバニア軍事政権は、もはや首都シーニグラードの一角を占めるだけの存在となってしまった。そして12月30日。「終戦宣言」において、ニカノール首相は公の場に姿を表した。ハーリング大統領と共に戦争の終結と平和を呼びかける彼の姿に、軍事政権からユークトバニアを取り戻すために立ち上がった無数の市民たちは涙した。それはまさに、彼らが待ち望んだ指導者の帰還だった。

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