ベルカ航空隊A
ベルカ事変を背後から操る者たちの尖兵として暗躍していた、旧ベルカのエースパイロット部隊「グラーバク」と「オブニル」。彼らの障害となっていた第108戦術戦闘飛行隊が取り除かれたことによって、彼らは更なる暗躍の場を得ていたかというと必ずしもそうではなかった。ノルト・ベルカに封印されていた核兵器を手にした「オブニル」であったが、彼らの滞在していた基地はレジスタンスたちの襲撃を受け、戦術核兵器「V1」は行方不明となってしまう。さらに封印場所であった鉱山は「黒い翼」の戦闘機部隊の奇襲によって陥落し、物理的に再び封印されてしまうのであった。そしてまず、「オブニル」が謎の航空隊と接触した。その日、ユークトバニア軍は、空軍基地から核兵器を持ち去ったレジスタンスのアジトを攻略すべく、ヘリボーンを中心とした部隊を渓谷内に派遣していた。自らが使用するはずだった核兵器を奪われた「オブニル」はこの作戦の上空支援に就いていたのだが、果たして「彼ら」が現れる。漆黒の翼を持つ戦闘機部隊は、土地鑑もないであろう渓谷内を自在に駆け巡り、ユークトバニア軍を次々と葬り去っていったのである。その尋常ならざる操縦技術は、「オブニル」たちのプライドを刺激するには十分だった。渓谷内に急降下した彼らは、漆黒の戦闘機部隊――ラーズグリーズ部隊とのドッグファイトを開始するのである。「オブニル」にしてみれば、土地鑑も経験もある自分たちに圧倒的有利な戦のつもりだったのかもしれない。だが、戦いが終わったとき、空にあったのはラーズグリーズ部隊だった。「オブニル」は全機撃墜され、その残骸を渓谷にさらすことになってしまったのだ。
エース部隊の撃墜にユークトバニア空軍には動揺が走った。だがそれ以上に動揺したのは、旧ベルカ残党勢力であった。「ラーズグリーズの悪魔」と呼ばれた「ウォー・ドッグ」隊を葬ったことで、ベルカのエースたちを凌駕するようなパイロットたちは両軍を通じて存在しないはずであった。だが現実に、「オブニル」は一矢も報いることもなく、敗北の苦杯を嘗めたのである。帰還した彼らはその後、ユークトバニア国内から姿を消してしまった。「オブニル」のための新鋭機を準備し、苦しい戦況を打開しようと考えていた軍事政権には寝耳に水であった。ベルカ大戦終結後、秘密裏に彼らを受け入れて使役してきた軍も大っぴらに彼らを探索することが出来ずにいるうちに、軍事政権にとってはトドメとなる事態が発生した。それはニカノール首相の脱出という報告であった。このとき、脱出を図る首相たちを抹殺するためにユークトバニア領空に侵入したオーシア空軍機がいた。――「グラーバク」航空隊である。彼らはレジスタンスたちの護衛についた戦闘機もろとも抹殺するつもりであったとされるが、夜明け空で行われた空中戦によって、「オブニル」同様に全機撃墜という辛酸を舐めることになった。ベルカのエースのプライドはズタズタに引き裂かれてしまったのである。つまりそれほどまで、「漆黒の翼を持つ航空隊」――ラーズグリーズ部隊のパイロットたちは凄腕であったというわけだ。
「オブニル」と同様に姿を消した「グラーバク」航空隊は、どうやらノルト・ベルカへと潜伏していたようである。彼らの帰還は想定外のものであったが、彼らは帰らねばならない理由があったのだ。それは、オーシア、ユークトバニアに対する一大攻勢をかける前に減殺されてしまった航空戦力の増強であった。12月上旬から度々ノルト・ベルカに出現した黒い戦闘機部隊との戦闘で、旧ベルカ残党勢力は予想外の損害を出していたのである。戦力の大半が航空戦力であるといういびつな戦力配分を行っていたベルカ残党軍にとって、航空戦力の損失は何よりも耐え難い損害であった。この損失を補填するため、ベルカのエースたちはかつての教え子たちをベルカに招聘する。全てのパイロットたちが彼らに呼応したわけではないが、それでも失われたパイロットたちの穴を埋めるには十分な数のパイロットが揃った。戦闘機は極端な言い方をすればノース・オーシア・グランダー・インダストリーからいくらでも調達が可能であったが、戦闘機を操るパイロットは有限であったから、旧ベルカ残党勢力も喜んで協力者たちを受け入れていった。そして、追い詰められつつあった彼らは、オーシア、ユークトバニアに対する復讐の仕上げに取りかかろうとする。彼らの作戦計画とは、SOLGによる無差別連続砲撃の後、ベルカの誇る空軍戦力によってオーシア首都オーレッド、ユークトバニア首都シーニグラードを破壊し、制圧するというものであったのだ。しかし、彼らは忘れていた。彼らにとって最大の脅威となり得る二人の指導者が彼らの手から零れ落ちていたということを、彼らは最悪の形で認識する羽目となったのである。
このように、ベルカ事変においてはかつてのベルカ航空隊の生き残りを中心としたパイロットたちが多数ベルカ残党軍に参加し、オーシア、ユークトバニアの戦争を背後で操っていたかに見える。だが、全てのパイロットたちが旧体制に賛同していたわけではない。ノルト・ベルカには、れっきとしたベルカ国防軍が存在し、その中には規模は小さいながらも空軍が存在していたのである。最新鋭装備が配備されることはなかったが、それでも同朋への効果的支援、という観点からノース・オーシア・グランダー・インダストリーからは高性能な機体の配給が行われており、ベルカ国防軍飛行隊にはSu-37が20機ほど配備されていた。この部隊にもかつての戦争の生き残りたちが配属されていたが、彼らは旧体制の招集には応じず、あくまでベルカ国民のための国防を任務として、ベルカ事変中も飛び続けていた。国防空軍の中心となっていたのは、かつてのベルカ大戦末期、自国の市民たちにまで核兵器を投下するような戦いを行うベルカ公政権に反発し、民主化運動を進めていたアドルフ・ミュラーたちに積極的に協力したヴァイス・ブリッツ航空隊や、教導隊の指導教官たちを束ねていた「閃光」の呼び名で知られたエースパイロットたちである。もともと貴族出身者のいない平民部隊であった彼らは、大戦後パイロットたちに徹底的に操縦技術だけでなく、「市民を守るための航空部隊」としての教育を叩き込んでいる。それは、ベルカの歴史において何度も繰り返されてきた過ちを二度と犯さないための予防策であったのだ。この効果はてきめんで、旧体制からの再三の呼びかけにも関らず、応じたパイロットたちはごく僅かであったという。そして、彼らは2010年12月30日の南ベルカ攻防戦においては、ハーリング大統領・ニカノール首相らの呼びかけに応じて「歌声に集いし」混成軍の一翼を担い、ラーズグリーズ部隊と共に戦闘を繰り広げた。このとき、ベルカ国防空軍の一員として旧体制軍と戦ったパイロットの一人であるウォルフガング・アイゼンホフ氏は次のように語ってくれた。
「あのときのことは今でもはっきりと思い出せるよ。「同朋殺し」と今でも私たちを非難する人はいるけれども、本当の意味での「同朋殺し」は、過ぎ去った栄光にしがみつき続けたベルカ公とそれに従った者たちだったんじゃなかろうか?だから、隊長が「私たちの敵は、私たちの祖国を再び戦争に駆り立てようとする旧体制だ」と言ってくれたときは、何と言うか、体中の血が沸騰するかと思ったよ。私たちが到着したとき、南ベルカはまだ大混戦の最中だったんだけど、その中にはラーズグリーズたちもいたんだ。彼らのことを話すわけには行かないけど、彼らと、そしてただ「平和」のためにあの場に集った無数の同志たちと轡を並べて戦うことが出来たことが、私たちの誇りだよ。そして、ベルカという国が本当の意味で初めて国際社会と協力することが出来た瞬間だったんじゃないかな」
祖国の同胞たちからも「敵」となった旧ベルカ残党勢力のベルカ航空隊は、南ベルカの戦闘において全滅に近い損害を受け、壊滅した。もともと空軍兵力偏重の軍編成であった旧ベルカ残党勢力にとってこれは致命傷であり、彼らの力は急速に衰えていったのである。ほとんどのパイロットたちが降伏を潔しとせず、空に散っていったことは痛ましいことであり、彼らもまた過去の栄光にしばられたベルカ公たちの犠牲者と言って良いのかもしれない。だが、南ベルカの戦いにおいて、当然いるべき航空隊の姿が無かった。「オブニル」・「グラーバク」である。ラーズグリーズと思われる航空隊との戦闘で撃ち落された彼らは間違いなくノルト・ベルカに潜伏していたはずであるが、彼らは南ベルカ防衛戦には出撃していなかったのだ。そして、彼らもまた戻らなかった。彼らの翼跡は、2010年12月31日早朝で途絶えている。ベルカ公たちの潜伏していた施設から近い野戦飛行場を飛び立った彼らは、ノルト・ベルカに戻ることは無かったのである。ちなみに12月31日早朝、首都オーレッドに近い空で、戦闘機の戦闘で描かれる飛行機雲が目撃されている。あくまで仮定であるが、彼らはその空戦に参加していたのかもしれない。
かくして、ベルカ大戦でその名を轟かせたベルカ航空隊は姿を消した。だが、混成軍に参戦したベルカ国防空軍はその後、新生ベルカ連邦政府の下も存続し、現在もオーシア・ユークトバニア共同軍構想のモデルケースである空母「レイヴン」の航空隊に要員を派遣し続けている。かつて、世界を脅かせたベルカの航空技術は、ベルカ事変を経てようやく、世界のために用いられることになった。