結ばれた「心」


2010年12月30日、ハーリング大統領・ニカノール首相による「終戦宣言」によって、3ヶ月間続いた両国の戦争は事実上終結した。だがこの日、両国が平和を取り戻すために避けて通れない戦いの火ぶたが、「終戦宣言」と同時に切られようとしていたのである。旧ベルカ残党勢力の最後の切り札となった「SOLG」のコントロール施設は、南ベルカ――ノース・オーシア・グランダー・インダストリーの施設内にあり、両国に対する核攻撃を防ぐためには、この施設の完全なる破壊が必要であったのだ。ハーリング大統領の言葉の中にあったように、大統領の「大切な友人たち」が同時刻、戦闘機を飛ばして東進していたのであるが、この戦闘機部隊は「ラーズグリーズ航空隊」であったとも言われる。一方、コントロール施設の所在を掴まれたことを察知した旧ベルカ残党勢力は、ベルカ残党軍の総力を挙げて迎撃態勢を整えていた。さらに、戦術核兵器「V1」を餌にして両国で追い詰められつつあった主戦派たちに呼びかけ、支援部隊までも呼び寄せていた。いかに神業のような技術を持った「ラーズグリーズ」であったとしても、圧倒的とも言うべきベルカの戦力の前には、いつしか屈するはずであった。

だが、旧ベルカ残党勢力の前に現れたのは、4機どころの数ではない大部隊であった。南ベルカ攻防戦開戦時、確認されているだけでも次の航空部隊がラーズグリーズ部隊と共に戦端を開いていた。ユークトバニア空軍第703航空隊、オーシア空軍第294飛行隊、オーシア陸軍空挺旅団第一大隊、ユークトバニア空軍第172爆撃中隊、ユークトバニア空軍空中管制機「オーカ・ニェーバ」、オーシア空軍第13爆撃中隊。戦闘機だけでも20機を超える戦力が、一挙に襲い掛かったのである。さらに、ユークトバニア政府の指令に基づいてオーシア領内を進撃予定だったユークトバニア陸軍第112中隊、大統領の命令によって進撃していたオーシア陸軍第33機甲大隊が陸上からの攻撃を開始し、ベルカ残党軍は空と陸の双方からの攻撃に振り回されることとなった。ノルト・ベルカと繋がる大トンネル周辺の施設は、旧ベルカ残党勢力にとっては死守しなければならない場所でもあり、対空装備も含めてかなりの防衛陣地が構築されていた。このため、陸上部隊は度々敵部隊の中に孤立させられることもあったが、上空からの支援に支えられてついに敵本拠地に到達したのである。一方、南ベルカにおける戦いが始まる少し前には、ノルト・ベルカ上空で空中戦が始まっていた。「SOLG」のコントロール施設であった「シャンツェ」は、ノルト・ベルカと南ベルカを繋ぐ大トンネルの中枢にあったため、この破壊にはトンネル内に侵入して直接攻撃を加えるしかなかったため、別働隊が進撃していたのである。この部隊は、かつて第108戦術戦闘飛行隊「ウォー・ドッグ」の隊長を務め、オーシア軍の捕虜第一号となっていたはずのジャック・バートレット大尉(階級は当時)であった。オーシアの空軍・海軍飛行隊から集められた腕利きのパイロットたちは、彼の突入を支援するためにベルカ航空隊との戦いを繰り広げたのである。そして、彼らの戦いは結果として南ベルカへの空軍戦力到達を遅らせるだけでなく大幅な戦力減殺に成功していた。

この戦いで、二機の空中管制機が果たした役目は無視できない。一機は、ラーズグリーズと共に戦端を開いた「オーカ・ニェーバ」である。「オーカ・ニェーバ」は戦いが終結するまでの間南ベルカの上空に留まり、次々と参戦する友軍部隊に的確な指示を与え、混成部隊の勝利に貢献した。そしてもう一機は「サンダーヘッド」である。「サンダーヘッド」はノルト・ベルカ上空に留まり、バートレット大尉たちの戦いを指揮するだけでなく、オーシア北部やノルト・ベルカ、さらには旧ベルカ連邦に属していた諸国にまで応援を呼びかけ続けたのである。ハーリング大統領・ニカノール首相の「終戦宣言」を目の当たりにし、そして必死に支援を求め続ける「サンダーヘッド」に、多くの心が動かされた。ベルカ国防軍からは空軍部隊の一つ「ヴァイス・ブリッツ航空隊」が参戦し、旧ベルカ連邦諸国からもスクランブル待機に付いていた空軍パイロットたちが次々と南ベルカへと飛び立っていったのである。かくして、南ベルカには協力を呼びかけたハーリング大統領たちですら予想もしなかった戦力が集結した。当初は、ラーズグリーズ部隊らの突撃後、速やかに撤退する方針だった「オーカ・ニェーバ」は、集まった全部隊に対して旧ベルカ残党勢力軍施設の完全制圧を指示する。それを可能にするには充分すぎる戦力が存在していたことを裏付ける事実であろう。

大統領たちの呼びかけに応えたのは、南ベルカへの攻撃に加わった部隊だけではない。ユークトバニア国内に展開していたオーシア軍、ユークトバニア軍の兵士たちが、互いに武器を捨てて手を握り合い始めたのである。さらに、この期に及んで戦闘継続を叫ぶ指揮官たちに対し、この日まで耐え続けてきた兵士たちがついに反旗を翻した。オーシアのユークトバニア侵攻部隊のハウエル司令官が、友軍であるはずのオーシア陸軍部隊によって拘束されたのなどはその代表的な例として挙げられるだろう。さらにユークトバニアでは、ニカノール首相の呼びかけに呼応した部隊が次々と軍事政権からの離脱と不服従を宣言、さらに各地で発生した市民たちの一斉デモを全面的に支持し、彼らの支援に向かう部隊も現れた。軍事政権は、首都近郊の部隊に対し、政府主要施設を取り囲んだ市民たちを排除するよう何度も命令を出していた。中でも有名なのは、首都防衛隊第308大隊である。首都シーニグラードの中に駐屯地を持っていたこの部隊は、ユークトバニア解放同盟によるデモ行進の呼びかけに、最初から参加していたのである。それを知らない軍事政権は、再三に渡って攻撃命令を出していた。その通信機録が残っている。
「第308大隊、速やかに首都に溢れる叛逆者たちを制圧せよ。」
「叛逆者?叛逆者とは誰のことか。国家元首を不当に拉致し監禁していた政権こそが叛逆者であろう。一度辞典を開いて勉強したほうがいい。それか、辞典を作り直す法案を検討したら良い」
「……貴様!貴官らも叛逆者たちに与するのか!?軍事法廷で第308大隊の罪を問うぞ!!」
「なるほどよく分かった。これより第308大隊は叛逆者の検挙にかかる。首を洗って待っていろ!!」
これは、当時デモ隊に加わっていた部隊の指揮を執っていたであったアレクセイ・ボドカスキー少佐と軍事政権の交信であるが、この直後、軍事政権の議員たちが立て篭もった首相官邸に第308大隊と市民たちが突入する。そこに加わっていたソユーズテレビのカメラマンたちは、首相官邸のニカノール首相の執務室を我が物としていた主戦派の政治家たちの姿をカメラに捉えることに成功するのである。

さらに、協力したのは軍人だけではなかった。オーシア領になっている南ベルカにはOBCやBNNの支局が置かれていたのであるが、民間施設ということもあって、他にもソユーズテレビやベルカ系の民間放送局が事務所を置いていた。そして彼らは、旧ベルカ残党勢力に対する戦闘を真っ先に目撃した証人となったのである。内勤の人間まで動員してカメラや機材を持ち出し、戦闘機の飛び交う空に彼らはヘリを繰り出した。目の前で始まった戦い、それも互いに憎みあってきたはずのオーシア軍とユークトバニア軍が轡を並べて戦っている光景は、世紀の特ダネであった。大統領たちの終戦宣言の後、各局はユークトバニアにおける大規模デモや有識者たちによる終戦宣言の討論番組を放映していたのであるが、そこに割り込む形で南ベルカの戦闘がライブで映し出されたのである。だが如何せん地方局、本部が持つほどの機材も道具も無い彼らでは要員がとにかく足らなかった。OBCの南ベルカ支局カメラマンだったキム・ハフマンは、彼らの支局からすぐそばにあるソユーズテレビに駆け込んだ。OBCは取材用のヘリを持っていなかったのであるが、ソユーズには10人程度は乗ることの出来る大型の取材ヘリが2機配備されていたのである。「今この瞬間も繰り広げられている戦闘を報じるのに、オーシアもユークもないだろう!」という彼の言葉に、ソユーズの取材チームは動かされた。ソユーズとOBCのカメラを積んだヘリが飛び立ったのを皮切りに、この地域に支局を持つ様々なメディアが共同報道体制を敷いたのである。要員数の少ないラジオ局のため、テレビ局の記者たちは回線を繋いで実況中継をラジオにも流し、ラジオ局の記者たちはその間にOBCやBNNのインターネットサイトに実況記事を打ち続けた。スタッフが出張って編集が出来ない放送局のため、人員に余裕のあった他局の人間が番組編集を代行して請けていた例もある。彼らは最後の最後までライブを続け、戦闘が終結したとき、兵士たちと共に戦いの終了を祝うこととなった。

ノルト・ベルカと南ベルカを繋いでいたトンネルが爆炎と共に崩落し、コントロール施設「シャンツェ」もまた大量の土砂によって崩壊して、南ベルカでの戦いは終わりを告げた。陸軍部隊が奪取した滑走路には次々と戦闘機が着陸し、地上に降り立ったパイロットたちは、彼らを出迎えた陸軍兵や報道局の人間たちと終戦を祝いあった。ユークトバニア領内の前線で数多くの兵士たちがしたように、涙を流しながら手を握り合ったり、感極まって抱擁しあう男たちの姿が、ここでも再現されることとなったのだ。オーシア陸軍空挺旅団第一大隊に当時所属し、出撃を認めようとしない上官たちを殴り倒して出撃したアーサー・ドーンテック氏はこの日ユークトバニアの兵士と交換した鉄兜を手にしながらこう語ってくれた。
「初めから、皆分かっていたはずなんだよ。戦争なんてやっちゃいけないってね。だからあの日、大統領たちの演説はデマだ、と言って止まない上官たちを見ていたらもう何だか腹立ってね。多分、私の部下たちもそうだったんだと思う。気がついたら全員で飛びかかっているんだものね。軍人にあるまじきことをしてしまったと思ったけど、あの日の判断は決して間違えていなかったと今でも思っている。そうでなきゃ、全部の戦いが終わった後、ユークの奴と大泣きに泣いて抱き合ったりするもんかい。でも、ああ、こいつも俺と同じなんだと分かったら、余計に泣けてきてさ。」

南ベルカでの戦闘終了によって、オーシア軍、ユークトバニア軍、ベルカ残党軍の戦闘は終結した。だが、ベルカ事変が終結したのは、その後に行われたもう一つの戦いの後の事だったのである。

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