怨念の終着点


2010年12月31日深夜、ユージア大陸のネプカトフ天文台で夜食を取りながら望遠鏡の先の星空を眺めていた研究員、ケン・グリムウッドは、明らかに人工衛星と見られる物体が夜空を横切っていくことに気が付いた。彼は観測の息抜きに、天文学者たちの間でその所在を辿ることが流行となっていた「それ」を追っていたのであるが、彼が求めていたはずの物体は、少なくともその所在を確認されるようになってから初めて移動を開始していたのである。その物体とは、オーシアとユークトバニアが冷戦状態にあった頃の遺物であり、開発中断によって衛星軌道上に放棄された戦略衛星――「SOLG」であった。グリムウッドは仮眠を取っていた他の研究員達を叩き起こし、「SOLG」の動きをトレースし始める。なぜなら、見慣れていたはずのその星は、明らかにこれまでより大きく見えたのである。あの星は降下を始めたんじゃないか――、彼の不安は、衛星の軌道計算を試算した同僚の手によって現実のものとなった。どうやって姿勢制御を行ったのかは別として、衛星軌道からゆっくりと外れた「SOLG」は地上への落下を開始していたのである。これが、「SOLG」降下の第一報となった。

ネプカトフ天文台は、彼らの集計した限りの情報を世界中の天文台に発信し、さらにユージア連邦政府にも緊急情報として、「巨大衛星」の落下を伝えた。ユリシーズの落着によって甚大な被害を受けた経験を持つユージアでは激震が走った。ネプカトフ天文台の機材では落着地点の予想までは出来なかったため、コモナ諸島宇宙基地の職員たちが緊急召集されることとなった。またユージアからの情報によって、ユークトバニア・オーシアの天文台や大学の望遠鏡が次々と「SOLG」に向けられることとなった。オーシア最大の宇宙基地であるバセット基地は旧ベルカ残党勢力の協力者拘束のため、オーシア陸軍や地元警察による捜査を受けている真っ最中であったが、研究一筋の人々はそんな状況下でも彼らの仕事をこなしていた。そのうちの一人ススム・ナガシノは、オーシア政府に首都オーレッドの市民の退避と、「SOLG」の軌道変更のための攻撃作戦を進言した最初の人間である。人工衛星運営のプロフェッショナルである彼は、ネプカトフ天文台から送られたデータをもとに軌道計算を行い驚愕した。正確な計算ではなかったものの、軌道から外れた「SOLG」は、現状の針路を保ちながら降下を続けた場合、2010年12月31日0630時までにはオーシア首都オーレッドに落着するコースに乗っていたのである。彼は9月下旬からの戦争によってしばらくの間連絡を取っていなかった、ユークトバニアのオクチャブルスク天文台にコンタクトを取った。同天文台には、彼の友人であるワレンコフ・クラソバルクが勤めているはずであり、同天文台はユリシーズ落着の際の被害想定などを行った実績を持っていたのである。

数ヶ月ぶりの親友からのコンタクトを受けたクラソバルクたちは、ユークトバニアの解放と終戦を同僚たちと祝っている最中であったが、ナガシノから伝えられた情報に彼らの酔いは吹き飛んだ。氷点下の夜であるにもかかわらず窓を全開にして無理矢理酔いをさました彼らは、「SOLG」が落着した場合の被害想定を建て始めた。天文学者たちの観測によって、「SOLG」の全長などは既に周知の事実とされていたが、オクチャブルスク天文台は今望遠鏡を「SOLG」に向け続けている研究者たちに引き続き観測を行うことと、降下角度・移動速度に関する情報の提供を呼びかけた。世界中の天文台から、インターネット・電話・FAXを通じて刻々と情報がオクチャブルスク天文台へと集まってきた。それらの情報をベースに、クラソバルクたちがまとめあげた被害想定は下記のようなものであった。
・「SOLG」落着予定時刻は、12月31日0620時。落着地点は、首都オーレッド。
・オーレッドの中央に落着した場合、その運動エネルギーと質量によって衛星本体は周囲2キロ以内に壊滅的な破壊をもたらし、さらに衝撃波によってさらに広い範囲での被害が発生する。
・「SOLG」に万一攻撃兵器の類が搭載されていた場合、それらの爆発によってさらに被害は甚大なものとなる。また「SOLG」に核兵器が搭載されていたような場合、弾頭が炸裂すると首都オーレッドは完全に消滅し、直径10キロを超えるクレーターが穿たれることになる。
・「SOLG」の質量から考えて、同衛星の軌道を修正するためにはミサイル等による攻撃で降下角度を深くするしかない。だが、その場合も落着によって発生した津波によって沿岸部での被害が発生する他、爆発が発生した場合には沿岸部を中心に相当の被害が発生してしまう可能性が高い。
・最も被害を少なくする方法は、落着質量の減殺、つまり、「SOLG」を分解させた上で破壊する方法である。

天文台から計算されたデータは、落着地点たる首都オーレッドの大統領府ブライトヒルにも次々と届けられていた。天文台の人々は知る由もなかったのだが、「SOLG」には核弾頭の中でも最悪の部類に入るMIRVである「V2」が搭載されていた。その全弾頭が炸裂するようなことがあれば、その被害はオーレッドだけでは済まず、周辺の諸都市にまで破壊と放射能汚染が広がり、オーシアという国家は国土の半分以上を失うことが予想された。落着までのタイムリミットは3時間超。全ての住民を避難させるには、時間も人手も不足していた。ハーリング大統領は首都オーレッド近郊の軍施設を開放し、可能な限り多くの市民を首都オーレッドから退去させるべく指示を出したのである。町の広報車が市街地を回り、市庁舎の職員たちは総出で電話や或いは直接市民の住居を訪問して避難を呼びかけた。もちろん、それで間に合うはずもないのであったが、首都オーレッドに迫りつつある危機を知った市民たちはまだその事実を知らない市民たちに呼びかけて、避難を開始したのである。さらに、オクチャブルスク天文台やバセット宇宙基地が進言したように、ハーリング大統領は「SOLG」の軌道変更を行うべく、指揮下にある航空部隊に対して攻撃命令を告げたようである。だが、戦闘機による攻撃が可能になる高度まで「SOLG」が降下するのは、0600時頃。落着までの猶予はほんの僅かであった。これが平時であれば、オーシアとユークトバニアがそれぞれ開発・配備していた弾道ミサイル防衛網による攻撃も可能であったのかもしれないが、その役目を果たすべきイージス艦も陸上ミサイル部隊も、12月30日まで続いていた戦争によって前線に赴いていたため、活用することは出来なかった。

2010年12月31日0600時。大気圏内に突入し、巨大な火の玉を空に出現させた「SOLG」は、地上からも目視出来るほどの高度に降下していた。天文学者たちは、固唾を飲んで「SOLG」落下の結末を見届けようとしていた。0617時、首都オーレッド上空で突然大爆発が発生した。2020年の戦争資料公開までその真相は隠されていたのであるが、その爆発こそ、「SOLG」の最期の断末魔であった。降下阻止に参加した戦闘機部隊は、「SOLG」の主要設備を根こそぎ剥ぎ取って海へと落とし、その巨体を支えている中枢ユニットを破壊してパージさせたのだ。そして、最後まで残っていた巨大レールガンのバレルに相当する発射ユニットは、攻撃部隊のトドメの一撃によって破壊された衛星中枢部の崩壊と爆発によって千切れ飛び、いくつかの破片に分かれて海中に沈むこととなった。上空から降り注いだ細かい破片によって、市街地への被害は発生してしまったものの、「SOLG」はオーレッドに突き刺さることなく四散した。天文学者たちは不眠不休の作業が報われたことに歓喜した。ユリシーズの一件から15年を経て、再び世界中の研究者たちが連携し協力したという事実は大きかった。ベルカ事変終結後、オーシア・ユークトバニアの呼びかけによって、各国の天文台を結ぶ大規模な研究ネットワークが構築されることとなったのは、「SOLG」の降下をいち早く察知した天文学者たちの功績が認められたから故の結果と言うことが出来る。

旧ベルカ残党勢力の最後の切り札となっていた「SOLG」は、コントロール施設が破壊された場合には軌道上から近い国家の首都に降下を開始するようプログラミングされていた。旧ベルカ残党勢力は、既にベルカの敗北が近いことを悟っていたのかもしれない。「SOLG」のコントロール施設であった「シャンツェ」はノルト・ベルカと南ベルカを結ぶトンネルの中で崩壊して大量の土砂に埋もれてしまい、後の調査においても残骸程度しか発見されなかった。彼らが倒れたとしても、更なる滅びを起こそうとした彼らの意志は最早「怨念」と呼ぶべきものであったが、「怨念」が打ち砕いたのは旧ベルカ残党勢力が憎み続けた戦勝国たちではなかったのである。旧ベルカ残党勢力は自らの滅びの剣を以って、自らを貫いたのであった。「SOLG」の消滅は、1995年の敗戦後も歴史の裏でベルカを操り続けた旧ベルカ残党勢力の最後となっただけでなく、旧政権によって自由に発言し行動できる権利を奪われ続けたベルカ市民が解放された瞬間でもあった。ベルカ保守党政権の若手議員たちが中心となった臨時政府に、ベルカ公の首が届けられたのは2011年1月10日のことである。ベルカ国防軍と警察は、旧政権の複数のアジトを急襲して、ベルカを再び戦乱へと陥れた旧政権の主要人物らを拘束することに成功する。「灰色の男たち」執行機関メンバーの消息は明らかにならなかったが、長い歴史の中で常にベルカを操り続けたベルカ公独裁政権は消滅したのであった。

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