ラーズグリーズの英雄
"歴史が大きく変わるとき、ラーズグリーズは現れる。最初は漆黒の悪魔として。悪魔はその力を以って大地に死を降り注ぎ、やがて死ぬ。しばしの眠りの後、ラーズグリーズは再び現れる……英雄として現れる"。私たちの歴史上の伝承として語られてきたラーズグリーズの悪魔は、旧ベルカ残党軍の謀略が潰え、世界的な融和主義が進むこととなった2010年、ベルカ事変においても出現していた。ベルカ事変末期、オーシアにもユークトバニアにも属さない謎の戦闘機部隊として、戦争の真の敵であった旧ベルカ残党軍との戦端を開いた「ラーズグリーズ航空隊」。2020年の戦争資料公開においてもこの航空隊に関するあらゆる情報は見当たらず、彼らの存在は依然謎に包まれたままとなっている。だが、彼らの存在が亡霊でも悪魔でもない現実の戦闘機部隊として認識されるのは、2010年12月30日に行われたオーシア・ユークトバニア混成部隊による南ベルカ攻撃作戦において、数多くの人々が彼らの姿を目撃しているからである。漆黒のカラーリングに赤いスポットペイントが施された異形の戦闘機4機によって構成されていたとされる「ラーズグリーズ航空隊」は、同日オーシア首都オーレッドで行われていたハーリング大統領・ニカノール首相による「終戦宣言」に呼応するものであり、大統領の演説中「私の大切な友人たちが飛行機を飛ばしています」という言葉とおり、両国軍の指揮下ではなく、大統領たちの直属部隊として作戦行動を行っていたと想定することが出来るのである。だが、戦争後も両首脳が彼らについて語ったことは極めて少ない。
12月30日、南ベルカの戦闘をライブ中継した報道機関の記者たちも、ラーズグリーズの姿を目撃した証人である。ユークトバニアの放送局ソユーズを説得し、同社の取材ヘリで戦闘を上空からライブ中継したOBCのカメラマン、キム・ハフマンの撮った映像には、はっきりと彼らの姿が収められているのである。そのときのことを彼はこう語っている。
「オーシアとユークトバニア、さらにはベルカの戦闘機部隊まで加わって、しかも互いに協力している光景を見て、これは記録として絶対に残さなければ、と思ってね。ヘリを機関砲がかすめるのはそれこそ一度や二度の話ではなかったんだけど、必死にカメラを回し続けたんだ。そんな中、圧倒的、というか回りの友軍とは別格と言っていいほどの機動で次々と敵機を屠っていく戦闘機たちに気が付いたんだ。撮れたカットは少なかったと思うけど、彼らは亡霊なんかじゃない。僕らと同じ、生身の人間が戦っていたんだ、と思ったら、何だか胸が熱くなっちゃってね」
また、地上の中継車からノルト・ベルカと南ベルカを結ぶ大トンネルの映像を撮影していたBNNの取材クルーは、ヘリボーン部隊が確保して開放したトンネルに飛び込んでいく戦闘機と、数分後爆炎を振り払って飛び出したF-14の撮影に成功していた。これは、南ベルカ側から突入した恐らくは「ラーズグリーズ航空隊」と思われる部隊以外の別働隊が、ノルト・ベルカ側から侵入していた、という貴重な証拠となっている。自身も負傷しながらカメラを回し続けていたBNNのカメラマン、フェイオー・シリングは次のように語る。
「ヘリボーンの兵士が大声で叫ぶんだよ。早く逃げろって。そう言われると尚更逃げたくないのが僕らの悪いとこで、それで怪我もしたんだけど、あのシーンは一生忘れないだろうし、もう二度と撮れないだろうね。昔見た映画じゃないけれども、狭いトンネルの中を背後から迫ってくる爆炎の中戦闘機が飛んでくるなんてことが現実に起こるんだから。カメラ回しながら叫んじゃったよ。早く、もっと早く、もう少しだから逃げ切ってくれ、とね。トンネルから飛び出したF-14が空に舞い上がったときはもう嬉しくて、近くにいた兵士と抱き合って喜んじゃったものさ」
最前線の南ベルカ以外でも、彼らの存在を報じた記者がいる。南ベルカでの戦闘が行われている頃、オーレッドで大統領たちの取材に当たっていたOBCのナタリー・フェアチャイルドは、ハーリング大統領に直接「ラーズグリーズ」の質問をぶつけ、数少ない証言を引き出すことに成功した。
「彼らは天使でも悪魔でもなく、大切な私の友人たちだよ。一人は、凛とした声が魅力的な女性パイロット。彼らを率いるのは……そうだね、2005年のユージア紛争のとき、"メビウス1"というコールサインのパイロットに率いられた部隊が戦局を覆した、という話があるけれども、彼に匹敵するような腕前の、私の大事なダチさ。だから、私も戦わなくてはならないんだ。私の在るべき戦場でね」
南ベルカで行われた戦闘に参加していたパイロットたちは、報道関係者以上に「ラーズグリーズ航空隊」と交信を交わし、彼らの姿を目の当たりにしていた。だが、彼らもまた大統領らと同様に彼らのことを語ることが無かった。ユークトバニア空軍第703航空隊、オーシア空軍第294飛行隊、オーシア陸軍空挺旅団第一大隊、ユークトバニア空軍第172爆撃中隊、ユークトバニア空軍空中管制機「オーカ・ニェーバ」、オーシア空軍第13爆撃中隊等が彼らと共に戦端を開いたことは判明しているにもかかわらず、だ。アンダーセン提督の指揮下、唯一のケストレル隊搭乗員として戦闘に参加していたマーカス・スノー中佐は、次のように語っている。
「彼らが何者なのか、という質問に答える資格が私には無いので勘弁してもらい。でも、彼らのことを俺は良く知っているよ。「エース」の名が相応しい、熱いハートと類稀な技量を持った、凄腕のパイロットたち。恐らく両軍を通じても彼らに匹敵するパイロットはいないんじゃないかな。そんな連中と一緒に空を飛び、共に戦うことが出来たのは、この時代に生きる者として幸運なんだろう。だから、生き残った俺の役目は、彼らが求めていた"平和"を守るに相応しいハートを持ったエースを育てることなんだと思っている。またいつの日か、彼らと共に平和になったこの空を飛びたいものだね」
この日の彼らの戦いを見た兵士たちは、人間技とは思えない機動を駆使し、次々と敵の姿を葬り去っていく戦闘機たちに、オーシア軍のある飛行隊の姿を重ねたという。ユークトバニア軍からは「ラーズグリーズの悪魔」と恐れられ、オーシア軍からは「サンド島の四機」と呼ばれた、第108戦術戦闘飛行隊「ウォー・ドッグ」。敵性スパイとしてセレス海において撃墜されたエースたちの戦死は間違いなく確認されているのだが、今尚「ラーズグリーズ航空隊」は「ウォー・ドッグ」隊だった、とする説は根強く残っている。その根拠として良く挙げられるのが、「ブレイズ」というコールサインを持つパイロットの存在だ。「ブレイズ」はベルカ事変開戦当初、「ウォー・ドッグ」隊の4番機として参戦するが、ジャック・バートレット隊長の墜落により隊長に就き、以後の戦いの指揮を執っていたとされる。そして、ラーズグリーズ航空隊を率いていたパイロットもまた「ブレイズ」というコールサインを使っていたのだと言うのだ。取材に対し、オーシア政府もオーシア空軍も「新しく公表すべき事実は存在しない」という見解を示しているが、オーシア空軍で使用不可とされたコールサインの中に「ブレイズ」が含まれているのは、どうやらその辺りの事情が絡んでいる可能性がある。
「ウォー・ドッグ」と「ラーズグリーズ」が同一部隊だったかどうか、という議論は別として、「ラーズグリーズ飛行隊」が最初に現れたのは、2010年の12月9日、ノルト・ベルカの地であったと言われている。オーシアの主戦派政権と旧ベルカ残党勢力の手によって監禁されていたハーリング大統領は、ケストレル隊に配備されていたシー・ゴブリン隊により解放されたのであるが、この時海兵隊部隊の上空支援に4機の戦闘機部隊が飛来していたと言われる。その後の彼らの足取りは広範囲に及ぶ。東はオーシアやノルト・ベルカ、西はユークトバニア国内まで、「国籍不明の漆黒の戦闘機部隊」の出現情報が記録されている。ユークトバニアにおいては、ノルト・ベルカから掘り出された核兵器を奪い取ったレジスタンス部隊の応援要請に応えて飛来し、ユークトバニア軍のアグレッサー部隊「オブニル」を全機撃墜するという戦果を挙げているのだ。そして何より、彼らの"伝説"となっているのは、2010年12月31日早朝のオーシア上空における戦いだ。南ベルカが陥落したことにより、ベルカの報復の切り札とされた軍事衛星「SOLG」が降下し、オーシアの首都オーレッドを目指していたことは以前述べた通りであるが、この衛星はオーレッドに落着する直前で大爆発、分解して海に没している。これは大統領たちが派遣した攻撃部隊の手によるものであったのだが、12月31日午前6時〜6時半にかけて、SOLGに到達していた戦闘機部隊が公式的に存在しないのである。だがこの日、閉鎖された高速道路から離陸する戦闘機を見たという証言や、降下を続ける巨大な衛星の周りで、攻撃を続ける戦闘機の姿を見たと言う証言は少なくない。何より、「SOLG」は現実に破壊されていることから、これが「ラーズグリーズ航空隊」の最後の戦いであったとされる所以である。
ベルカ事変終結から10年が過ぎさった今尚、「ラーズグリーズの英雄」の正体と消息は知れず、私たちの心と記憶の中を漂い続けている。しかし、この世界に平和を再びもたらすきっかけとなった彼らのは意志は、凄惨な戦争を経た私たちの心に刻まれているのではなかろうか。覇権主義や偏見に基づく戦争は憎しみをもたらすことはあっても、平和をもたらすことは決して無い。そして、平和を破壊することは簡単でも、取り戻すことは非常に困難であるということ。戦いを終えた国々は、これまで以上に互いの融和に努め、かつての敵国もまた受け入れていく体制を継続している。あの凄惨な戦いの時期に第一線にあった指導者たちの引退が進み、政治の舞台の世代交代が相次いでいる時期であるが、互いに協力し合い維持されているこの平和を、さらに安定させていくことが、戦後を生きる私たちに課されたタスクであるし、一人一人が平和の在り方を考えていくことがその根底を為すであろう。それはきっと、あの戦いを駆け抜けていった英雄たちが、心から望んでいたことであろうから。
2021年9月24日
アルベール・ジュネット