そして矢は放たれた
真実を知ってしまったケストレル隊を抹殺するために派遣されたユーク・オーシア両国の主戦派たちに操られた艦隊兵力は壊滅。それだけでなく、離脱した艦艇がケストレル隊に合流し、俄かづくりではあるもののハーリング大統領・ニカノール首相の直轄部隊としての混成機動艦隊が生まれ、今セレス海に展開している。情報収集艦アンドロメダでは、おやじさんやジュネットも加わって「少佐」の持ち出した機密ディスクの解析が進められていた。時に12月30日。最初の8ヶ月程度を何事も無く過ごしたはずの2010年は、最後の4ヶ月間で最悪の年となり、間もなく終わりを告げようとしている。これが戦時中で無ければ、来る新年を多くの人間が自分の家で家族や恋人たちと共に迎えるのであろうが、今年は恐らく多くの人間が前線にある彼らの良人や恋人たちの無事を祈ることになりそうだった。
ブリーフィングルームに俺たちが集められたのはそろそろ日が傾き始める頃。格納庫で整備兵と一緒に機体の整備をしていた俺は、少しオイルの汚れがついたままの作業衣で椅子に座り、待つこと10分ほど。
「すまない、遅れてしまったようだね」
おやじさんがケストレル管制室のオペレーターたちと共に現れ、モニター側の席に腰を下ろす。オペレーターたちが端末を立ち上げ、モニターの電源が入る。
「ようやく、少佐の持ち込んだディスクの主要部分の解析が終了したよ。今も向こうで残りのパートの解析を進めているが、時間の問題のはずだ。さて、今日君たちに伝えることは二つ。まず一つ目、これは吉報だね。首都オーレッドで、今日22時からハーリング大統領とニカノール首相がユークトバニア・オーシア両国の戦争終結宣言を出すことになった。バートレット隊長は無事首相をオーレッドまで送り届けてくれたよ。彼から伝言を預っている。ブービー、次はおまえたちの晴れ舞台だぜ、せいぜい頑張んな、だそうだ」
「とうとう、戦争が終わるのね。過去の怨念に縛られた人たちに操られた、争いが……」
俺は無言でナガセに応えた。そう、ベルカの灰色の男たちと両国それぞれの覇権を目指した主戦派たち。そのうちオーシアはついに大統領が全権を掌握しつつあり、ユークトバニアにおいてもレジスタンスが首都シーニグラードで一大攻勢に出ているだけでなく、軍内部が完全に分裂しつつあった。この戦争に疑問を抱き続けた人々が、ついに行動に出始めていたのだ。
「そしてラーズグリーズ隊は、大統領たちの演説開始を以って私たちの「敵」の本拠を攻撃することになる。モニターを見てくれたまえ。これが少佐のディスクの全貌だ」
モニターに映し出されたのは、紙の書類をスキャニングしたもの。タイトルなどに赤線が引かれているが、何らかの設計図のような図面が出力された。
「この設計図は、ベルカで15年前の戦争で開発途中で中断していた「V2」のものだ。先の大戦で使用され、そして今回の戦いでアークバードやオブニルたちの手に渡った小型戦術核「V1」とは異なり、敵国の存在そのものを消し去る為の戦略核兵器。そう、「V2」はMIRVなんだ。」
MIRV――多弾頭搭載型ICBM。数ある核兵器の中でも最も凶悪な兵器の一つであるそれは、搭載されるいくつもの弾頭をばらまき、広範囲に渡って同時に核攻撃を可能にした戦略核兵器である。かつて、ユークトバニアとオーシア両国が冷戦状態にあったときには互いにその技術を競い合い開発されたこともあったが、15年前の戦争ではついにオーシアもユークトバニアもベルカに対してその悪魔の兵器を使うことは無かったのである。
「だが、開発は実際には進められ続け、ついに実戦配備されてしまった。マスドライバーから、アークバード墜落後もシャトルが打ち出されていたのは、これを発射するための存在を蘇らせるためだったんだよ。SOLGだ。先の大戦、オーシアが主要設備をほとんど完成させ、そして放棄していた軌道上のプラットホーム。今これが敵の手に落ちたというわけだ。このプラットホームから「V2」が撃ち出された場合、実質的に迎撃は不可能。仮に迎撃に成功したところで、ほとんどの都市が消滅することになるだろう。敵は、本気でこの世界からオーシアかユークトバニア、或いはその双方を抹消するつもりらしい。難しいね、こいつは」
「だけど、私たちにまだ撃つ手がある、ということですね、おやじさん?」
俺の問いににやりとおやじさんは笑った。
「そう。この間の戦いでアークバードに指令を出し続けていた「シャンツェ」の場所が分かったんだ。ノース・オーシア州、北ベルカとの国境を分ける山脈近くに位置する大工業地帯。そう、ノース・オーシア・グランダー・インダストリーの一施設が「シャンツェ」だったんだ。グランダー、いや、もう南ベルカ兵器廠と言ったほうがいいだろう。この社長は、「灰色の男たち」の秘密メンバーだった。表面上はオーシアに忠誠を尽くしながら、裏では15年間、ベルカの反撃のために着々と準備を進めていたんだよ、彼らは。そして、山脈に巨大なトンネルを穿ち、物資や兵員の輸送経路として結んでいる。彼らの最終目的は、ベルカの一体化とユーク・オーシア両国の徹底的な破壊だ。」
おやじさんは首を振った。どうしてそこまでして戦争を繰り返すような覇権国家を蘇らせるのか、私には信じられないね、とでも言いだけに。
「だがね、SOLGは無人施設。よって、これをコントロールする「シャンツェ」を攻略すればSOLGを無効化することが可能となる。だが「シャンツェ」の場所が問題なんだ。こいつはね……」
突然、鼓膜が破れそうなほどの轟音、そして艦全体が激しく振動するほどの衝撃。モニターの電源が落ち、次いで艦の照明が消え直後に非常電源に切り替わる。グリムが椅子ごとひっくり返り、衝撃でよろめいたナガセを支えながら、俺は何とか立ち上がった。艦内に非常警報が鳴り響く。
「空母ケストレルに対艦ミサイル命中!敵の詳細は一切不明!!ラーズグリーズ隊は直ちに発進準備、艦を脱出せよ。繰り返す、ラーズグリーズ隊は直ちに出撃準備、艦を脱出せよ!!」
ブリーフィングルームを飛び出した俺たちは慌しくヘルメットを抱え、パイロットスーツに着替えて格納庫へと走り出した。既に艦内には赤い照明がともり、サイレンの回転灯が艦内を毒々しく彩る。
格納庫に向かうエレベーターに飛び乗ろうとしたところで、俺たちは呼び止められた。ジュネットだった。
「格納庫に行く必要はない!君らの機体は、もう甲板上に出ているんだ!」
「ジュネット、早く逃げるんだ!こんなところにいたら巻き込まれるぞ!」
「いいから聞いてくれ!アンダーセン艦長からの伝言だ。ラーズグリーズ隊は本艦を出撃後、ホーツク基地で補給と装備のチェックを実施、その後ノース・オーシアへ向かうように、と。グランダーインダストリー攻撃開始時間は当初の予定とおり2200時にするそうだ」
全速力で走ってきたのか、ジュネットの額には大粒の汗が滴り落ちる。
「ちょっと待ってジュネット。私たちの機体といっても、あれは艦載機じゃないタイプよ。そんなことしたらカタパルトだってやられてしまうんじゃ……?」
「それでも、使用出来る最高の機体を出せ、という指示だ。さあ、早く!私のことなら気にしないでいい。最悪甲板から飛び込めばいいんだから。ブレイズ、私たちの分まで頼んだよ」
考えている時間は無かった。スノー大尉が、グリムが甲板目指して走り出す。俺は親指を立て、分かったとサインして走り出した。後ろでは壁に背をつけてジュネットが手を振っていた。
飛び出した甲板には、ジュネットの言ったとおり既に俺たちの機体が並べられていた。――いずれも艦載機ではないものが。そして俺のFALKENは既にカタパルトの手前で主を待つかのように、棺桶の口を開けている。艦橋の後方の命中箇所からは黒煙があがり、依然火災がおさまっていないことを示していた。俺の姿に気がついた甲板要員が手を振り、俺を呼んだ。俺は抱えていたヘルメットを頭にかぶり、走り出そうとしたそのときだった。
「対艦ミサイル第二波接近!!甲板要員並びに全乗組員は衝撃に備えろ!!着弾まであと4秒!!」
反射的に甲板の上に倒れ込み、うつ伏せで手と足に力を入れた。その刹那、ドン、という衝撃が艦隊を揺さぶり、轟音が響き渡った。続いて炎が弾け、破片とオイルを海に撒き散らした。対艦ミサイルが命中したのはさっきと同じ右舷。衝撃で壁に叩きつけられた甲板要員が額から血を流しながらうめいている。さっきまで俺に手を振っていた男も衝撃で転倒し、腕を押さえて転がっている。
「おい、しっかりしろ!大丈夫か!!」
「ちっくしょう、三十何年間、接骨院には行ったことがないのが俺の自慢だったのによ。腕が折れちまった!」
肘のした辺りから腕が妙に曲がり、力が入らないのかぶらりと垂れ下がる。彼はもう一方の手で俺の右腕を掴んだ。
「頼んだぜ、ブレイズ。俺たちの受けた痛み、全部まとめて返しておいてくれ。全部終わったら、首都の病院で宴会だ。約束しろよ!!」
「ああ、分かった。さ、早く脱出を。おい、誰か、手を貸してくれ!!」
無事だった他の兵を呼んで、俺はFALKENのコクピットに滑り込んだ。開いていた蓋がゆっくりと閉じ、一瞬真っ暗となるが、すぐにモニターが作動して俺の周りに空が広がる。二発、同じ舷側に直撃を受けたケストレルは次第に右へと傾いていく。ダメージコントロールでも浸水を抑えられないのだ。火災は一層激しさを増し、黒煙がもくもくと空へとあがっていく。3番カタパルトが作動し、グリムの機体が空へと滑り出す。一気に機体を加速させ、グリム機は急上昇した。続いて2番。
「ブレイズ、お先に。」
「ああ、すぐ行く。それよりも上空からの援護を!」
「まかせて。1番機は必ず守り抜く!」
ナガセの機体が隣のカタパルトから加速し、離艦した。姿勢を保ちながら綺麗に上昇していく。次は俺の番だ。俺はスロットルをMAXに叩き込んだ。アフターバーナーに点火し、エンジン回転数が一気に上がって機体を揺さぶる。そしてカタパルトが拘束から解放され、暴力的な加速でFALKENの機体を弾き飛ばす。一気に200キロ以上の速度に達した機体は甲板から離れ、そして機体は空へと舞い上がった。俺は垂直上昇して機体を5000フィートまで持ち上げ、そして水平に戻した。後ろを振り返ると、ケストレルの傾斜はさらに角度がきつくなり、黒煙が空へと伸びていく。脱出を始めた乗組員たちのゴムボートが次々と浮かび、ケストレルから離れていく。何隻かの駆逐艦やフリゲート艦がその周りを囲み、更なる攻撃に備える。
「ラーズグリーズ、こちら駆逐艦チゥーダ。敵潜水艦発見、オーシアのシータイガー級だ。今グムラクと追撃している!」
「グムラクよりチゥーダ、いいぞ、ぶち込んでやれ!」
「チゥーダ了解、左舷魚雷用意!撃ーっ!!」
連携して航行するチゥーダから魚雷が数本発射され、航跡が次第に沈んでいく。なるほど、敵は潜水艦から対艦ミサイルを打ち込んできたわけか。道理でケストレルが付近に艦影を見つけられないはずだ。4人では最も航空母艦からの出撃に慣れたスノー大尉が甲板を斜めに滑りながらも離艦し、俺たちの編隊に合流する。ケストレルでは最後まで残っていた甲板要員たちが次々と船から離れていく。ケストレルは奇跡的にそれ以上の爆発を起こさず、煙を上げながらもまだ健在だった。まるで、最後の最後まで乗組員たちの脱出が済むのを見守るかのように。
やがてチゥーダのすぐそばの海面から水柱が立ち上った。放たれた魚雷が、シータイガーを深海に葬り去った証だった。友軍の歓声があがるが、それは突然打ち切られた。
「艦が沈む!ケストレルが沈んでいく!!」
それまで姿勢を保っていたケストレルが、急速に傾きながら沈んでいく。この戦争における激戦をアンダーセン艦長とともに戦い抜いてきた彼女は、本来戦うべき敵の攻撃により、ついに力尽きようとしていた。一度死んだ俺たちの家となってきた彼女が。
「ケストレルが……沈む」
「……ナガセ、彼女の犠牲を無駄にしないためにも、俺たちは行くしかない。奇跡を起こすことが必須条件みたいになってしまったけれど、俺たちがやるしかないんだ。」
「そうだ、ナガセ。俺なんか、この数年過ごしてきたもう一つの家を失ったんだ。だが、その怒りをぶつける相手は海の向こうだ。時間はあまりない。急ごう」
「エッジ了解。そう、私たちが行かなければ……!ありがとう、ブレイズ」
「おいおい、俺は無視かよ、ブレイズ、おまえさんばっかりだなぁ」
俺たちはもう一度ケストレルの上空を低速でフライパスした。ボートに乗った乗組員たちが、大きく手を振って俺たちに応える。編隊を組んだまま俺たちはライトターンし、方位090にコースを取った。
俺たちが向かうは、ベルカの最後の怨念の集う地。憎悪の連鎖による破滅を食い止めるため、俺たちはオーシアの空を東へと駆ける。