A call for peace
既に首都オーレッドは夜の帳に包まれていた。一般者の通行が規制されたハイウェイを、軍の装甲車にガードされながら数台のリムジンが走っていく。ハーリングはその中の一台の窓から、通り過ぎていく夜景を眺めていた。参謀本部での会議も終了し、いよいよオーシアとユークトバニアの戦争を終わらせる算段もついた。オーシア軍の中枢はようやく主戦派の専断から解放され、ベルカのコントロールを離れた。首都オーレッドに復帰してから、ハーリングは次々と手を打ち、確実に主戦派とベルカの動きを封じ込めていったのだ。何のことは無い。主戦派といえども、ハーリングの幻影無しでは政府方針も軍事作戦も、進めることは出来なかったのだから。これまでは、彼が不在だったことで主戦派のあらゆる「ワガママ」が、ハーリング大統領の決定事項としてこの数ヶ月オーシアを行ってはならない方向へ導いてしまった。だからこそ、過ちは正されなければならないのだ。
ハーリングの乗るリムジンには、護衛と秘書を兼ねて参謀本部勤務であった曹長が同乗している。透き通った声が魅力的だ、とハーリングは考えている。ラーズグリーズの一員であるナガセの凛とした声も耳に心地よかったが、曹長の耳に優しい声は時に心を落ち着かせてくれる。
「大統領、一つお聞きしても良いでしょうか?」
その彼女は普段護衛と秘書、という役目柄極力必要最低限のことしか話さないようにしていた。だから、今日のようなことはむしろ珍しいと言ってよかった。
「何だろう、曹長?」
「私はまだオーシアがユークトバニアへの侵攻を開始した頃、査問委員会の出席のためにオーレッドに召喚された第108戦術戦闘航空団の隊長たちの監視役を仰せつかりました。でも、彼らは本当にオーシアのために戦っている人たちでした。その彼らがユークトバニアのスパイとして私たちの国を破滅に導こうとし、そしてセレス海で命を失った……「サンド島の4機」に限ってそんなことは有り得ないと私は信じることが未だ出来ないのです。彼らは、サンド島の4機は本当にこの世のものではなくなってしまったのですか?」
ハーリングは目を閉じた。彼もまた、そのパイロットたちを良く知っている。彼をベルカたちの手から救い出し、そして彼自身がここオーレッドに凱旋するきっかけを作り、その後も戦い続けているエースパイロットたち。今や、彼らこそがこの戦争を終わらせるための切り札なのだ。
「どうして、そんなことを聞くのかね?」
「通信司令室にいる知り合いから聞いたのです。最近、オーシア・ユークトバニアを問わず、国籍不明の黒い戦闘機部隊が現れる、と。凄腕のエースが操る4機の戦闘機の前に、先日アップルルース元副大統領とも関係の深かった提督たちの指揮するオーシア艦隊が葬られた、とも聞いています。大統領、その4機はサンド島の4機ではないのですか?」
ハーリングは沈黙した。もちろん彼は真実を知っている。そして曹長殿がまだ知らない、この戦争の舞台裏についても。だから、彼は言葉を選んで答えた。
「……今、私の大切な友人たちが、飛行機を飛ばして東へ向かっている。最後にもう一つこなさなければならない戦いのために、ね。だけど、私は確信しているんだよ、曹長。彼らはこれまでも幾多の困難を乗り越えてきた。今度も、彼らなら必ず奇跡を起こしてくれるだろう。だから、私も彼らのために戦わなければならないんだ。そのために、ニカノール首相とともに、哀しい戦争の終結を宣言するのさ」
直接には答えなかったが、曹長は得るところがあったらしい。ようやく微笑を口元に浮かべてくれたことに、ハーリングは安堵した。やがて車列はハイウェイを下り、大統領府ブライト・ヒル目指して大通りを走り始めた。ここも道路は封鎖され、交差点には警察官ではなく軍の兵士たちと彼らの乗る装甲車が止められている。12月30日も間もなく終わろうとしている今、オフィス街の明かりは消えている。もっとも、男たちの多くは家で新年を迎えようとしているのではなく、戦場に送られているのだ。こんな哀しいことは、もう終わりにしなければならない。大通りを抜けた車列は、正門を装甲車が固めた入り口を抜け、玄関に到着した。彼の乗る車のドアが開かれる。その先にあるのは、今日のハーリング自身の戦いの場だ。
「大統領、お待ちしておりました!」
警備の兵士に混じり、左腕に「PRESS」の腕章をかけ、その腕を包帯で巻き首から吊っている男が、敬礼でハーリングを迎えた。車から下りたハーリングは頷き、そして曹長が続いて彼の側に立つ。
「少佐から聞いているよ、"ハッカー"だったね?会見会場はガラガラなんだろう?」
"ハッカー"と呼ばれた男――オーシア・タイムズ国際部記者であったハマーは、とんでもない、と首を振った。
「各局、各紙、みんなクビ覚悟で満席ですよ。今もOBCとBNNが場所の獲りあいやってます。今ここに来ていないプロデューサーたちも大勢、役員たちを閉め出して……もう実質的にテロに近いですな、こいつは。でも、こんな特ダネ、今日を逃したら一生かけても取れないでしょうからね。皆必死ですよ」
そういって、私もそのうちの一人ですがね、と彼は付け加えて笑った。ハーリングが右手を差し出すと、ハマーも自由な一方の手で応じた。
「ありがとう、ハマー君。君の呼びかけのおかげで、いい会見が出来そうだよ」
「いえ、現場の連中は、今はいなくなりましたがアップルルースとかの猿顔を見飽きていましたからね。今日は久しぶりに人間の顔が取れる、と喜んでいますよ」
手を解くと、彼は取材のベストポジションを確保すべく、走り出していった。ハーリングは彼の傍らに立つ曹長を振り返った。
「さて、それじゃあ私も私の戦いを始めるとしようか」
ブライト・ヒルの会見場は、集まったマスコミたちでごった返していた。恐らく自分の大統領就任演説のときでさえ、ここまでは集まらなかったのではないかとハーリングは考えていた。しかも、ここに集まっている大半の記者たちは会社の指示を無視しているのだ。大統領は手元の時計を見た。長年の間、彼と共にあった、愛用の機械時計。その針が時間を刻み、そして12月30日、22時を告げた。会場に、静かな旋律のメロディーが流れ出す。彼もまた、15年前の戦争でこの曲を聴き、今尚聞き続けている、あの曲。前線で家族たちのことを思う兵士たち、家で良人や恋人、息子や娘の期間を願う家族たちが、戦争を続けようとする愚かな者たちに突きつけたアンチ・テーゼ。Journey Home――今日この場に相応しい曲は、これ以外には有り得なかった。
ブライト・ヒルの会見場中央上段にある演壇の前に、ハーリングは数ヶ月ぶりに立った。何度も立った場所であるが、久しぶりの演壇は新鮮な雰囲気に包まれていた。ざわめいていた記者たちの声が次第に静まっていき、そして会見場は沈黙に包まれていった。ハーリングは軽く息を吸い込み、そして言葉を紡ぎだした。
「戦場にいるユークトバニア、オーシア両国将兵の皆さん。皆さんの持つ銃器を置いて、塹壕を後にしましょう。私の不在を利用してこの国の政府を我が物とし、専断していた者たちから、首都オーレッドは解放されました。自由と正しいことを行う権限を奪われていた私は、今こうして黄金色の太陽の下に復帰し、そして私と同じような立場にあった、ユークトバニアのニカノール首相閣下とともにあります。両国間の不幸な誤解は解け、戦争は終わりました」
ハーリングは右手を伸ばし、そしてニカノール首相を迎えた。記者たちからどよめきの声があがる。まさか、敵対国の首相がこの場にいるとは聞いてもいなかったからだ。もちろん、ハマーは知っていて誰にも伝えなかったのであるが。
ニカノールはハーリングの右隣に立ち、そして記者たちに頭を一度下げた。そして顔を上げ、ハーリングの言葉に続ける。
「私はユークトバニアの元首にして国家首相であるニカノールです。戦場にいるオーシア、ユークトバニア両国将兵の皆さん、私とハーリング大統領閣下が互いに肩を並べ手を取り合うところをご覧下さい」
ハーリングとニカノールは演壇の前で、がっちりと握手を交わした。記者たちのフラッシュが一斉に瞬き、テレビカメラはズームでその姿を捉える。しばらく互いに手を握り合い、そしてニカノールは言葉を続けていく。
「ハーリング大統領閣下の言葉は真実です。オーシア、ユークトバニア間で行われてきた哀しい戦争はおわりましたが、我々にはまだなさねばならない戦いが残っています」
「そのとおりです。ニカノール首相閣下の仰るとおり、我々の間に憎悪を駆り立て多くの互いの市民の方々、兵士の方々の命を奪い取った者たちは、ユークトバニア、オーシアの大都市のほとんどを破壊することが出来る兵器を準備しつつあるといいます。残念ながら、彼らがどちらの国を攻撃するのか、それは分かりません」
「だが、それは重要ではない。どちらの国が攻撃を受けたとしても、それは互いにとっての大きな痛手であり、損失なのです」
記者たちは必死にハーリングたちの言葉をある者は書き取り、ある者は手元のレコーダーのマイクを向け、そして全世界へ向け発信を続けている。
「両国を破滅に導く企みを阻止するため、今私たちの大切な友人が飛行機を飛ばしています。ユークトバニア、オーシア両国将兵の皆さん。どうか心あらば――あなたがたの持てる道具を使って、彼らの手助けをしてやって欲しい。彼らは、私たちの、そしてユークトバニア、オーシアだけでなく、この世界を救うことが出来る希望の翼なのです。彼らは、私たちを破滅させようとする「敵」を目指し、東へ向かっています」
ニカノールが一歩前へ踏み出した。
「なおもまがまがしい兵器の力を使おうとする者たちよ、平和と融和の光の下にひれ伏したまえ!」
「両国将兵の皆さん、両国の戦争を終わらせるため、今一度力を貸して欲しい。この世界に再び平和を共に取り戻すために!!」
両手を広げ天を仰いだニカノール。記者たちから、盛大な拍手が上がった。そしてそれは、ハーリング大統領の帰還を知ってブライト・ヒル前に大勢集まった市民たちにも広がっていった。やがて、会場に流れる歌に合わせて一人、また一人と歌いだす。やがて「Journey Home」の大合唱が、ブライト・ヒルを包み込んでいった。
2010年12月30日、22時00分。ランダース岬沖における戦闘機部隊同士の遭遇戦で始まったオーシア、ユークトバニアの全面戦争は、両国首脳による終戦宣言によりついに終結した。