そして始まるプロローグ
今日も暖かい日差しが公園に降り注いでいる。もう少しすると、この公園の木々は本格的に紅葉を始め、色とりどりに染まっていくのだろう。夏の暑さも随分と収まり、心地よい涼しくも柔らかな風が流れていく。公園の一角にあるベンチでは、母親のひざの上に座って女の子が絵本を読んでいる。いや、母親が読み聞かせている。女の子は頷きながら大きな瞳をくりくりと動かして本の絵に見入っている。
「ねぇママ、どうしておひめさまは病気になっちゃったの?」
「それはね、ラーズグリーズの悪魔が、お姫様にいたずらをしたからよ。遠い遠い、北の海からやってきた悪魔が、お姫様を病気にするようにまじないをかけてしまったの」
母親は微笑みながら、娘の問いかけに応えている。女の子はふと本から目を離した。赤い風船が、どこからか飛ばされて来たのだ。風船が漂っていく先には、公園の向こう側にある大統領府ブライト・ヒルの建物がそびえている。そして、4年前の大戦以来、オーシアとユークトバニアの旗が並んで空にはためいている。その中央には、白地に黒をベースとした紋章が描かれていた。女の子は、その旗をじっと見つめていた。旗に描かれていたのは、黒い羽飾りのついた兜を被り、微かに微笑を浮かべている女性。彼女の姿はその白い肌の色以外は漆黒に包まれていた。
「ママ、あのおねぇちゃんは?」
女の子が指差す方向を母親は見上げた。彼女も良く知るエンブレムが風にたなびいている。
「あの人はね、むかしむかしこの世界を救ってくれたのよ。だから、えらい人たちはお姉さんのことを忘れないように、とあの旗を一緒にあげているの」
「あのおねえちゃんのなまえは?」
「あのお姉さんは、ラーズグリーズよ。ずっと昔に書かれたお話に出てくるのよ」
「えー、じゃあなんでお姉ちゃんがお姫様を病気にしたの?あのお姉ちゃん、笑ってくれたんだよ」
母親は娘の頭を優しく撫でた。茶色の髪が太陽の光に照らされて、金色に輝いていた。
「あのお姉さんが好きなの?」
「うん、大好き!……あ、パパだ。パパー!!」
公園の向こう側から歩いてくる父親を見つけた女の子は、母親のひざの上から飛び降りると駆け出していった。父親のもとに駆け寄った彼女を、彼は優しく抱き上げた。嬉しそうな笑顔を浮かべながら、彼女は父親にしがみつく。
「お帰りなさい、あなた。もうお話は済んだんですか?」
「ああ、相変わらずお元気そうだったよ。部屋にこもってばかりではなく、今日みたいな日は屋外でのんびり昼寝がしたいって」
「変わりませんね、あの人も」
「ああ、そうそう、面白い手紙を預かってきたよ。読んだら驚くぞ。家に帰ってからのお楽しみだ」
「パパー、かたぐるま。かたぐるまして!」
父親はゆっくりと娘の身体を持ち上げて、そして肩に座らせた。彼の頭に手をかけて、女の子は嬉しそうにはしゃいでいた。そんな娘と良人の姿を、母親は微笑みながら見つめている。彼女はそっと彼の手を握った。
「さて、お待たせしちゃったからお昼ごはんは奮発しよう。何が食べたい?」
「やったーっ!!えーとえーと、ハンバーグと、アイスクリームと、クリームソーダ!」
「あなた、あまり甘いものばかり食べさせないで下さいよ」
「まあまあ、たまの外食くらい、いいじゃないか」
「アイス、アイス、アイス♪」
父親は娘を肩に乗せたまま歩き出した。その隣りを、母親が寄り添うように歩いていく。
「そういえば、さっきは何の本を読んでもらっていたんだい?」
「えーと、ひめぎみのあおいとり!!」
「他にも本があるのに、そればかりだなぁ」
「いいの!わたしあのおはなし大好きだもん。それに、ラーズグリーズのお姉ちゃんも大好き!だってあそこで笑ってくれているんだよ」
父親は、彼女の言う方向に視線を移した。そこでは、漆黒の鎧に身を固め、羽飾りのついた兜を被った女性が微笑んでいた。彼にとっても、なつかしいエンブレムが変わらない姿で佇んでいた。彼はしばらく黙ってその旗を眺めていた。女の子もまた、一緒に無言で旗を見つめる。秋の柔らかな日差しの中で、彼女の旗はゆっくりと風になびき続けていた。公園の道を、3人が歩き出す。秋晴れの公園で、心地よい気候を満喫しようと多くの人が思い思いに時間を過ごしている。彼らの姿は、やがてその中に溶け込み、いつしか見えなくなっていった。誰かが持ち込んだラジカセから音楽が流れている。ゆったりとして、暖かい、かつて無数の人々が共に歌った、あのメロディーが。その曲名は――「Journey Home」
かつて、戦争があった。無数の命が奪われ、無数の人々が嘆き悲しんだ、戦いがあった。
人々は何のために戦うのかも分からず、互いに傷つけあい、憎しみを深めていった。そしてラーズグリーズはその強大な力を以って、地に死をもたらした。ラーズグリーズに数多くの者が挑み、数多くの者が命を失い、数多くの者が傷ついた。いつしか、人は彼女を「悪魔」と呼ぶようになった。
終わりの見えない戦いの中で、悪魔は一度死んだ。それまで、その力で多くの者を傷つけながら。でも、悪魔は死んだのに戦いは終わらなかった。人々はどうして戦い続けるのか、疑いを持つようになった。何故自分たちは戦うのか、どうして自分たちは相手を傷つけるのか。
――-本当の悪魔は別のところにいた。悪魔はその圧倒的な力で真に死を満遍なく振るおうとした。すると、どこからか黒い翼がはためき、無数の英雄たちが現れた。その先頭には、甦ったラーズグリーズがその黒い翼をはためかせていた。彼女は人々に語り掛けた。私たちが互いに憎しみ傷つけあう理由も必要もありません、と。本当の悪魔は、私たちを必要のない戦いに駆り立てた者たちだ、と。だから、どうか力を貸して欲しい、みんなが平和に暮らせる世界を取り戻すために、と。無数の名も無き英雄たちが立ち上がった。悪魔の死の力は彼らの前に打ち砕かれ、奇跡が起こった。世界は平和を取り戻し、この世界に再び太陽が昇った。
ラーズグリーズは一度死ぬ。しばしの後、ラーズグリーズは再び現れる。英雄として、数多の英雄たちと共に現れる。彼女の点した炎が燃え続ける限り、平和はきっと人々の手にあり続ける。