デンジャー・ゾーン
ノズルから吹き出す気流が、海の表面を割って帯状の水飛沫をあげている。慣れた飛行機乗りでも、不安定な気流による姿勢の乱れを嫌う海面スレスレの超低空を、まるで血溜まりのように赤黒く染め上げられた戦闘機の群れが整然と、編隊を崩すことも無く進んでいた。その尾翼や翼に付けられたエンブレムや記章から、その戦闘機部隊がエストバキアに所属する部隊であることが知れる。そして、エストバキアの軍人たちならば、彼らの姿に憧れと恐怖を同時に覚えたに違いない。そのエンブレムとその機体に乗る資格を得られる者は、エストバキアの数多い軍人たちの中でもほんの一握り。さらに言うならば、超低空飛行程度でビビるようなパイロットはお呼びではないのだった。流れるように滑らかな機体、カナード翼、長く伸びたテール――格闘戦での機動性能を追及したフランカーシリーズの一つ、Su-33。ピーキーな機動性能を持つその機体を、姿勢を乱すことも無く飛ばす彼らの姿は、知る人が見ればどれほどの技量を持つか一目で分かったに違いない。だが、コクピットで操縦桿を握る男たちにとって、そんな他者の評価などどうでも良かった。祖国への忠義を示し、エース部隊として当然得るべき戦果をあげるために、彼らは飛んでいるのだから。その先頭に位置する機のコクピットの中で、男は満足げに自らの僚機たちの姿を見回した。荒廃の一途を辿る祖国とは正反対に、偽りの繁栄を享受する隣国エメリアに鉄槌を与え、失われた10年以上の歳月を取り返す。その命令のためならば、鬼にでもなろう。その結果、地獄とやらに落とされるとしても、それこそがエストバキア軍人として祖国に忠誠を誓った者としての義務だと、男は確信していたのだった。

「シュトリゴン・リーダーより、各機。間もなく作戦空域へと入る。トーシャ!海面にキスして恋人を泣かせるような真似はするなよ?」
『シュトリゴン12よりリーダー、ひどいっす!!』

シュトリゴン 僚機のパイロットたちの笑い声が追従する。ガチガチの緊張状態よりも、この程度の方がメンタル的には良い。ある意味、「いじり」の対象になってしまった部隊員最年少のトーシャには悪いことをしてしまったが、基地に戻ったらフォローをすればいいだけのこと。それに、部隊員たちはその若者がそんなミスをしでかすような男でないことを知っているし、リーダー機を務める男――ヴィクトル・ヴォイチェク自身が誰よりも知っていた。かつての教え子同様に、戦闘機乗りとして大切なセンスと才能を持ち合わせた若きエースの腕前は、今や部隊内でもトップクラスとなりつつあるのだから。いつかは、自分も追い越される日が来るであろう。その日を楽しみにしながら、ヴォイチェクは戦いに臨もうとしていた。彼が率いる「シュトリゴン」隊は、エストバキア空軍の全航空部隊の中でもトップクラスのエースたちの集う航空部隊として、それに相応しい戦果を常に求められ続ける。今日彼らに下された命令はそんなプレッシャーを常に背負いながら戦う男たちには望むところ、というべきものであった。コクピットに無線のコール音が鳴り響く。その周波数が特別回線であることに気が付いたヴォイチェクは、交信周波数を素早く切り替え、回線を開いた。

『アイガイオンよりシュトリゴン・リーダー、聞こえるか?』
「こちらシュトリゴン・リーダー、感度良好だ。誰かがコーヒーをすする音まで聞こえるぞ」
『そいつは良かった。「ニンバス」の射程圏内に入った』
「了解した。こちらも予定通り交戦空域に間もなく到達する。カウントダウンを開始しろ」
『アイガイオン、了解。「ニンバス」、発射準備!カウントダウン開始!!』

バイザーの下で、ヴォイチェクは鋭い視線を目的地――グレースメリアに向けた。先遣隊に相当の被害が出ていることは大きな驚きであったが、エメリアの抵抗は程なく止むことになるだろう。そのための「ニンバス」であり、シュトリゴンなのだから――その口元には、微笑すら浮かんでいる。

『5……4……3……2……1……、「ニンバス」、ロンチ!!』

ヴォイチェクはゆっくりと操縦桿を引いた。海面から離れ、同じか、それ以上に蒼い大空へと舞い上がる。僚機たちも、遅れて上昇を開始。レーダー上、後方から高速で接近する光点が映し出されている。戦闘機では有り得ない速度で飛翔する「それ」は、高高度から高度を下げながら、ヴォイチェクたちの頭上に近付きつつある。そしてレーダーには、グレースメリアの街上空に展開するエメリアの戦闘機たちの姿も見え始めていた。灰色の排気煙が数本、Su-33の群れを追い抜いて、グレースメリアめがけて通り過ぎていく。右後方に位置する2番機に対して作戦開始を告げるため、手でサインを送る。高揚感を理性で抑えながら、ヴォイチェクは部隊員たちに呼びかける。

「ニンバスの着弾後は各自の判断で会敵せよ。――最後の仕上げだ。行くぞ!!」

スロットルを押し込むと、愛機は甲高い咆哮で応え、機体を加速させる。ついに、この時が来た。ためらいなど微塵も感じさせずに戦地へと飛び込むヴォイチェクを先頭に、これから祖国のものとなる美しき街へと、魔術師のエンブレムを付けた狩人たちが襲いかかっていった。
エストバキア軍の動きは、目に見えて鈍くなってきていた。空挺部隊や爆撃機といった侵攻の主力戦力を失った今となっては、戦闘機による攻撃しか彼らには残されていない。その戦闘機たちも、エメリアの豊富な戦力の前に追い詰められつつあった。レーダー上、増援らしい姿が見えなくも無いが、攻撃隊の本隊が壊滅的な状態になった今、焼け石に水。口には出さないけれども、大半のパイロットたちが勝利を確信しているに違いない。それにしても、エストバキアの連中、これからどうするつもりだろう?エメリアへの侵攻は重大な国際問題だ。彼らを支持してきた数少ない国々も、ここまで見事な不法侵入・戦闘行為があっては、他国との関係上エストバキア支持とは到底言い出せなくなるだろう。その先にあるのは、世界的な孤立と更なる崩壊しかない。大量に発生するであろう難民をどのように受け入れていくのか――そういった政治レベルの戦いがこれからの主戦場になってくる。ま、戦いが終わった先は、とりあえず俺の考えることじゃない。今は何より、基地に戻って大地の感触をこの足で確かめたかった。だが、こういう時に限って、ロクでもない連絡が聞こえてくる。

『グレースメリア基地より、各機へ!爆撃で滑走路と燃料タンクの一部がやられた!!滑走路が使い物にならない!!』
『おいおい、上空防衛の連中は何してたんだ!?』
『すまない。B-52の特攻を防ぎきれなかった』
『ゴースト・アイより各機。近隣で被害を受けていない航空基地を確認している。帰投の心配はするな』
『グロプダー戦車隊前へ!地上部隊を街から一掃するぞ。撃て撃てーーっ!!」

基地に置いて来た私物が少し気になる。もっとも、入隊以後、基本的に大事なものは持ち込んでいない。全財産と言っても良い財布とカードは、実はしっかりと持ってきている。当面の仮住まいの生活には支障は無い。それにしてもエストバキアの連中め……!敵戦力の一掃は目前かもしれないが、グレースメリアの街が被った被害は決して小さなものではない。市民にも相当の死傷者が出ているだろうし、被害が集中している新市街の復興には時間とコストの双方が必要だ。隕石の墜落で大損害を受けた点には同情するけれども、だからといって人様の国で好き勝手やって良いという法は無い。普通に考えれば問題大有りの命令。それでも命令は絶対というのが、俺たち軍人の世界の常識だ。俺たちが撃ち落したエストバキアの兵士たちが、果たして心からその命令に従っていたかを知る術は最早無いが、侵略作戦なんかに従っているんじゃねぇよ、と言いたくなるのは仕方ないだろう?グレースメリアの惨状を見れば、エメリアの人間ならほとんど無条件にそう思うに違いない。そうだ、「金色の王様」は無事だろうか?旧市街に位置する王城方面は比較的被害が少ないらしく、新市街に比べれば煙も少なく見える。この街とエメリアの守護神が健在なら、まだまだ大丈夫。根拠は無いが、そう信じたかった。事実、俺たちはエストバキアの侵攻部隊を退けつつあるのだから。

『空軍の連中が押しているぞ。どんどんやれーっ!!』

民間放送のDJだろうか?この状況下でも放送局に留まって電波を飛ばしているところ、なかなか度胸が座った男らしい。そう言われてみれば、市民へ避難を呼びかけるに当たって戦闘が激しく行われている区域の情報をいち早く伝えていたのもこの男の声だった。戦っていたのは、俺たち軍人だけではない――今更、俺はそんなことに気が付いたのだった。さて、後は戻る基地の位置だけか。近隣の基地を探そうと、ディスプレイ群に視線を移して、レーダー画面に不審な光点を捉えた。ロングレンジに設定した画面には、数少なくなったエストバキア軍の光点と、青い友軍の光点とが映し出されている。だが、南南東から、識別不能の光点が接近しつつある。何だ、これ?AWACSの強力なレーダーならば、もっとはっきりとその姿が映し出されているに違いない。戦闘機にしては、速度が速過ぎる。弾道ミサイルの弾頭だとしたら、そもそもこんなふうには映らない。トマホークの類の巡航ミサイルとは思えない。頭の中で考えているうちに、その光点はぐんぐんとグレースメリアへと近付いてくる。高度が……ほとんど同高度だって!?それが何かを認識するよりも早く、「こいつはヤバイ」という危機感が俺の心臓を鷲掴みにしていた。

「未確認飛行物体、急速接近!!低空へとかわして下さい!!早く!!こちらの周囲にいる各機も続いてください!!」
「ああ?!何トチ狂ったこと言ってやがる、エッグヘッド。今なら冗談でも済む……」
「大マジです!!」

血相を変えた俺に渋々従ってくれたのか、レーダーの影に気が付いたのか、グレースメリアの街のビル群の頭スレスレの高度まで一気に降下。ガルーダ隊の周辺にいた各隊も追随して高度を下げていく。だが、その動きはこちらに比べれば遅かった。発見時、レーダーの外枠にいたはずの光点はこちらに重なるほどの至近距離にまで近付いていた。それじゃ間に合わない、早く、もっと早く!そう叫ぶよりも早く、純白の光が空を漂白した。続けて、機体を激しく振動させるような轟音が、グレースメリアの街に轟いた。膨れ上がる閃光と炎と爆風。戦闘機が運用出来る兵器の規模を超えた巨大な火の玉が、連続してグレースメリアの空を埋め尽くしていく。

燃え上がる空 『何だこれは……?ミサイル……!?』
『主翼が吹き飛んだ!!くそっ、脱出出来ない、助けてくれぇぇぇっ!!』
『3番機の姿が見えない!!どこだ、どこに行ったんだ?応答してくれ!!』

何が起こったのか全く分からない。そうしているうちに、新たな攻撃が到来する。先程よりは高い高度。低空に逃げた俺たちとは反対に、上空へと逃げた部隊のポジション目掛けて、光点が殺到していく。何という命中精度なんだ。どこから狙っているのか分からないが、ミサイル本隊に策敵能力でも付いているというのか。それもレーダーレンジ内に発射母機が確認出来ないような超長距離からの攻撃でそんなことが可能だというのか!?友軍機たちを救出する術もない俺たちに出来たのは、火の玉の中に消えていく同僚たちの姿をただ呆然と眺めることだけだった。

『ドランケンより、ガルーダの若いの。お前さんのおかげで命拾いをしたワイ。礼を言っておくぞ。落ちる前にな』
「とっつぁん!何で上がっているんだよ!?」
『仕方なかろう。実戦経験なら、お前さんよりは長いつもりじゃぞ、タリズマン。ルーキーのお守りだったんだが……2機やられてしまったか』
『シャムロックよりゴースト・アイ!今の攻撃は何だ!?どこから撃ってきた!?』
『分からない。こちらでも発射地点は確認出来ない。……待て。敵増援、グレースメリアに急速接近。ミサイルではない。航空部隊か!』
「なんて数だよ……マジか?おいエッグヘッド、お前の目でも見えるか、これ?」

答える間でも無い。グレースメリアの上空を目指して、敵の第二波が迫りつつあった。しかも、この街を最初に襲ったのと同じか、或いはそれ以上かもしれない。AWACSのデータリンクを確認して、さらに気が滅入ってきた。接近中の敵機は、先程までグレースメリアの頭を我が物のように飛び回っていた奴らとは違う。ラファールにスーパーホーネット、さらには新手のMir-2000D等で構成された「無傷」の増援部隊だ。それに対するこちら側は、先程の大規模かつ連続した大爆発によって相当数が撃墜されてしまっていた。おまけに先の戦闘で弾薬を相応に使ってしまっている。ワンサイドゲームのはずが、一瞬にして絶体絶命のピンチ。レーダー上を確認しても、友軍部隊の数は目に見えて減っていた。この状況で「勝てる」と考える方がどうかしているだろう。エメリアとて、恐らくは攻撃を受けていないであろう周辺基地から増援を要請することは出来る。だが目前に迫った敵を撃退するのには間に合わない。感情論を抜きにすれば、取り得る手段が無いわけではない。だがそれは、軍事的な理由を第一にしたものであって、大半の人間から支持されることはないであろうエゴイスティックな選択肢だった。さすがに口に出すことをはばかっていると、「お前たちに考えている暇は無い」とでも告げるように、ミサイルアラートが鳴り響いた。こちらを射程圏内に捉えた増援部隊からの攻撃がついに始まったのだった。
生き残りの友軍部隊が、一斉に編隊を解いて回避機動へと転ずる。加速しつつ高度を上げてミサイルをやり過ごす。獲物を取り逃して漂流を始めるミサイルの排気煙に続いて、機関砲弾を雨嵐のように打ち出しながら、敵機が突入してきた。大きく機体をロールさせて射線から逃れつつ、こちらも反撃態勢。だが敵の動きも半端無く早い。愛機の至近距離を轟音と衝撃が通り過ぎていく。突入タイミングを絶妙にずらしながら、波状攻撃のように敵部隊は襲い掛かってくる。その数の多さに、俺は絶望的な気分になった。タリズマンは巧みに機体を操って敵の射線から逃れ続けていたけれども、如何せん、敵の数が多い。コクピットの中には「ジジジ」というレーダー照射を受けていることを告げる警告音が止むことは無く、敵戦力を示す赤い光点は次第にその数を増やしていく。俺たちのすぐ近くで、機関砲の集中攻撃を食らった友軍機が炎に包まれていく。執拗に浴びせられる攻撃によって、破片が次々と弾け飛ぶ。防戦一方から、タリズマンは攻撃へと転じた。少々無謀かとも思えたけれども、既に戦闘能力を失った機体を追い回している敵機の後方へとへばり付く。レーダー照射開始。すかさず、敵機は左方向へとターン。こちらも機体をバンクさせて追撃。戦闘機で飽和状態の空を縫うように、旋回を繰り返す敵機を追う。敵の意図は明白。シザースでこちらを前に押し出したいのだろうが、前席はそんな意図を完全に見抜いていた。旋回のタイミングを少しずつ合わせ、何度目かの右方向への旋回で一気に距離を詰める。追い抜きざま、その鼻先へと機関砲弾を叩き込み、一気に離脱。後方を見れば、コントロールを失った敵機が横倒しになって高度を下げていく。

『ナイスキル、タリズマン!』
「シャムロック、そっちは健在か?」
『今のところは何とかなってる。だが、長くは持ちそうに無いな』
『アバランチより各機!まだ敵の増援が来るぞ……何だ、こいつら?……速い!!」

大きなトライアングルを組んだ敵の光点が8つ、グレースメリアの街に飛来する。恐らくはMAAMであろうミサイルを一斉に発射しつつ、編隊を崩すことなく戦域へと突入。ミサイルの直撃を被った友軍機が火の玉と化す。比較的近くを通り過ぎるその一団の1機が、爆発の光を浴びて赤く光った。まるで血の色を彷彿させるようなカラーリング。そして、優美な流線型のフォルム。型番まで判断することは出来なかったが、それはフランカーシリーズ独特のスタイル。一旦混戦空域を抜けていった一隊が、少し距離を取ったうえで反転する。どうやら、こちらを本格的に撃滅することが目的らしい。

『シュトリゴン・リーダーより各機。グレースメリアを我らの手に!』
『シュトリゴン12、エンゲージ!!』

ただでさえ、厄介な状況だというのに!どうやらそのうちの1機に目を付けられたらしく、コクピットの中にミサイルアラートが鳴り響く。真正面から突入して来る敵機から放たれたミサイルが、剛速球よろしくこちらの鼻先へと飛び込んでくる。ミサイルによる反撃の暇は無く、ガン・モードを選択したタリズマンはミサイルをかわしつつも、相手の鼻先へと機関砲を叩き込む。並みの相手ならこれで仕留めることも出来たかもしれないが、敵機は素早く機首を跳ね上げて上空へと飛び上がる。何て機動性だ!!パイロットにかかる負担も相当なものだろうが、あっさりとこちらの攻撃をかわした敵機は、更に上空で早くも機体を反転させて後方へとポジジョンを取る。スロットルを全開にして、タリズマンは振り切りにかかる。グレースメリアの街のほんの少し上空を高速で駆け抜けつつ、タイミングを図ってループ上昇。圧倒的な推力を武器に高空へと駆け上がっていく。だが敵機は余程こちらにご執心らしい。その機動性能を見せ付けるかのように、こちらの描くループの内周に入って、攻撃タイミングを伺っていたのだった。

「タリズマン、敵機は未だこちらの後方!攻撃に注意してください!!」
「了解。じゃ、そろそろしかけるか。相棒、しっかり握ってろよ」

言うや否や、視界が縦方向に勢い良く回った。ぐうっ、と思わず呻き声が漏れてしまうが、意識は何とか持っていかれずに済んだ。スロットルMIN、エアブレーキON。真逆の姿勢から急制動。瞬間、機体をロールさせたのは分かったが、一瞬自分の姿勢がどうなっているのか見失う。コントロールを失いかけた機体はストール状態に入る。視界が、縦方向から横方向へと動き出す。推力と浮力を失った機体は横倒しの状態のまま高度を下げていくのだった。その前方、こちらの内周に入り込んで攻撃タイミングを伺っていた例の赤いフランカーがいた。

「ヒラヒラ舞ってんのが空の戦いじゃねぇんだよ。覚えておきな!!」

一瞬、猛獣が獰猛な咆哮をあげる姿が思い浮かんだ。事実、タリズマンはマスクの下にそんな笑みを浮かべていたに違いない。こんな無茶な姿勢を長い間維持することは出来ないが、機首が下方へと向かっていくタイミングを図って、彼はトリガーを引いた。斜め方向へ空を切り裂くようにばら撒かれた機関砲弾の雨を、敵機は身を捩ってかわそうとする。だが完全には避け切れず、右カナードが弾け飛び、次いでエア・インテーク付近に命中痕が穿たれる。黒煙が機体から吹き出し、スピードを減じた敵機は今度こそこちらから逃れるために回避機動を開始する。だが、片肺を潰された状態でF-15Eを振り切ることなど出来はしない。今度こそ、確実に敵機を捕捉。AAM、レディ。残り少なくなってきた槍の一つを、手負いの獲物に対して発射。180°ロールから機体を降下に持ち込んで回避を試みた敵機だったが、その機動が仇となった。無防備な背中を捉えたミサイルは、コクピットを含む機首部分の至近距離で近接信管を作動させ、炸裂した。音速を超える速度で到達する無数の弾体片によって切り刻まれ、貫き通された敵機から、断末魔の絶叫が消え去るのにそれ程の時間は必要なかった。今度こそ満身から黒煙を吹き出しながら、海面目掛けて落ちていく。まずは1機。だが、幸先良く敵の「凄腕」を葬り去ったのは俺たちの一隊だけだった。人間が乗っているのかどうか疑いたくなるような、まるでジャックナイフで大気を切り裂くかのように空を舞う彼らに翻弄されて、中途半端な連携を尽く噛み破られていく。しかも、友軍機の損失は相対的に敵部隊を利する結果となってしまう。今や全面崩壊の危機に直面しているのは、俺たちエメリアの側だった。再び、例の「謎の光点」が戦域に飛来する。今度のターゲットは俺たち航空部隊ではなかった。だが、先程よりも非常に低い高度で殺到した「それ」は、王様橋から少しはなれたポイントで上空援護に付いていた艦隊戦力の目の前で炸裂した。肉眼で俺が現場を確かめることは出来なかったけれど、圧倒的な衝撃波と膨れ上がるエネルギーに複数方向から襲われた艦艇たちは、その艦体が鋼鉄で出来ていることが嘘のように引き千切られ、捻じ曲げられていった。それは海面上だけでは済まず、港湾地帯に隣接したビル群がその煽りを食らって崩壊する。巨大な火の玉が消え去った後に残されていたのは、ほんの一瞬前まで戦闘艦艇だった名残の残骸だけ。レーダー上からも完全に消失した洋上戦力の兵員たちがどうなったかなど、最早説明する必要も無かった。

『シュトリゴン・リーダーより4番機、応答しろ』
『シュトリゴン2よりリーダー、4番機は撃墜された。敵の中に、えらく動きのいい奴が混じっている』
『4番機が落とされただって……?』

タリズマンが叩き落したのが、彼らの交信の中に出てきた「4番機」らしい。それはそれで戦果と言えるのだろうが、この状況下ではあまり意味が無い。ここから生きて戻らない限りは、戦果の意味など無くなるからだ。そして、「帰還」の可能性は刻々と減少してきているように思える。このままでは、生還どころか全滅の危険だって……。だけど、俺たちが諦めたらこのグレースメリアはどうなる?ふと前席に視線を移すと、タリズマンは「そんなことなど知ったことか」とばかりに、周囲の敵影を伺いながら次の獲物に狙いを定めている。彼は何も言ってはいないが、その背中は「俺に付いて来い」と語っているように、俺には思えた。そうだ。俺の役割は前席のサポート。機長が撤退と言ってもいないのに、俺だけが一人で動転してどうする?深呼吸をして自分なりに気を落ち着かせて、俺はレーダーに意識を集中させる。弾薬も残り少なくなってきた今、確実にこちらを狙ってくる相手に絞って目標を選定していくこと。そして、最も危険度の高い敵を素早く察知すること。ようやく覚悟が決まった、と自分でも納得しかけた矢先だった。その発言の意図を何度でも確認したくなるような命令が、AWACSの士官の声となって聞こえてきたのは。

『ゴースト・アイより、エメリア防空司令部からの命令を令達する。生存している作戦機は全機撤退。我々は、グレースメリアを放棄する』
「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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