屈辱は互いの胸に
互いの槍を突き付け合うタイミングを図るように旋回している時間は意外と短かった。旋回半径をぐっと縮めるように機体を大きくバンクさせて、タリズマンが仕掛ける。機関砲弾もAAMも、双方弾切れ寸前。せいぜい、あと一合か二合が限界。そこで決まらなければ、今度こそ尻尾を巻いて逃げるしかない。だが先程の宣告通り、タリズマンは本気であのエースを撃墜するつもりらしい。大胆なのか、無謀なのか――こちらの機動の変化を察知した敵機も、呼応するように機首をこちらに向ける。強敵に対し、残り弾薬が欠乏していることを忘れているかのように、タリズマンが攻撃を開始。ヘッド・トゥ・ヘッドで捕捉した敵機に対し、残り2本のうち1本を発射。無理に攻撃態勢を維持することなく、敵機が下方へと回避機動。その姿が視界の下へと消えるよりも早く、タリズマン、スナップアップ。すぐさまスロットルMIN、エアブレーキON。半ロール。急な跳ね上げに続いての急制動で、ハーネスが身体に思いっ切り食い込む。頭の中がいいようにシェイクされる。勿論、胃が裏返りそうになる。それが、いつだったかプルトーン隊をコテンパンに打ち破った時の「あの」機動だと認識する頃には、推力を失った機体がストールを始めていた。背中から降下したと思ったのも束の間、ガクンと機首が大地を向く。その先に、こちらへの反撃を仕掛けるべく高度を上げるSu-33の姿があった。エンジンが甲高い咆哮をあげ、再び愛機は加速を得る。血塗られたようなカラーリングの敵機を狙い、追撃開始。嫌になるほど鮮やかなステップを踏みながら、敵機が急旋回を決める。至近距離で追撃していたら、間違いなくオーバーシュートさせられているだろう。それでいて、速度はほとんど落とさないのだから、敵のパイロットは機体性能にひけを取らないようなタフネスを持っているに違いない。その相手に対し、彼我距離をある程度の範囲に留めつつ、速度を同調させる。最後の1発となったAAMを叩き込むべく、タリズマンがレーダーロックを開始する。HUD上をミサイルシーカーが滑るように動いていくが、そう簡単にケツを取らせてくれるほど、あのエースは甘くはなかった。まるでこちらのHUDの大きさを見切ったかのように、軽やかに射線から逃れていく。

『ゴースト・アイよりタリズマン、友軍機の脱出が完了しつつある。急ぎ撤退しろ!エッグヘッドも聞こえているのだろう?前席を叱り飛ばしてやれ!!』

とうとうAWACSが業を煮やしてきたらしい。が、今の俺には周囲全体にまで気を払っている余力が無い。目前を行く敵機の姿を見失わないように睨み付けているしかない。ショートレンジで表示しているレーダー画面には、敵のSu-33の姿と……新手?斜め前方から接近してくるのは、どうやらあの隊長機と同じ赤いSu-33らしい。新たな光点が3つ、こちらに向かって高速で近付いてくる。

『ヴォイチェク隊長、加勢します!』
『エメリアの犬ごとき、我々の手で十分です!!』
「タリズマン、敵新手、こっちに突っ込んできます!!」
「みたいだな。大人しくしていれば良かったものを……。エッグヘッド、目標はあくまであの隊長機だ。絶対に見逃すなよ!!」
『シュトリゴン2より12、トーシャ、お前もだ。戻れ!』
『隊長の危機、これ以上放っておけません!』

たちまちコクピットが賑やかになる。敵の、それもあの赤い戦闘機隊の3機から、レーダーの狙いを浴びせられている証だ。敵隊長機とこちらの針路上に割り込むように突入して来る敵機に対し、タリズマンは減速も針路変更も考えるつもりは無いようだ。緩旋回で連中の射線上の正面に飛び込むコースから外れただけ。敵編隊との彼我距離はあっという間に縮まり、ついに交錯する。音速近くでぶっ飛んでいる戦闘機同士が至近距離ですれ違うのだ。轟音と衝撃で、機体は激しく揺さぶられる。こちらの後方へと抜けた敵機は三方向へと分かれ、ループを描きながらこちらを包み込むように反転を開始。敵隊長機も呼応するかのように、鮮やかな旋回を決めてこちらに鼻先を向けてきた。これで包囲網を完成させられたら、俺たちに逃げる道は無い。タリズマンだって、それは分かっているであろうに。それとも、やはりあの隊長機を撃墜するという戦果に固執してしまっているのだろうか?再び視界がぐるりと回転する。真正面から突入してきた敵隊長機から放たれた機関砲弾をロールで回避。続けて鳴り響いた警告音は、敵から放たれたミサイルが近付きつつあることを告げる不幸の鐘。増援3機のうちの1機から放たれたミサイルは、軌道を修正しながらこちらの背中を捉えるべく迫り来る。180°ロール、低空へとダイブ。高度計の数値がコマ送りで減少していく。ぞっとするような速度で空を駆け下りていく愛機。その後方には、ミサイルと敵機。タイミングを図って少し機体をロールさせ、一気に引き起こし。一旦超低空まで駆け下りた愛機は、大推力に物を言わせて再び空を駆け上がっていく。敵のミサイルは海面へと突入して爆発。水柱が吹き上がる頃には、5,000フィート上空へと到達。

「タリズマン、無茶です!!」
「だよなぁ、俺もそう思うぜ。だからもう少し付き合え、相棒!」
「寿命が縮まりそうですよ!敵増援機、10時方向!!」
「隊長機は!?」
「3時方向、こちらのやや上方です!」

身体を捻るようにロールさせつつ、急減速。一瞬、身体の血液が前側へと偏る。姿勢を立て直したタリズマンは、丁度こちらの下方を通過したばかりの敵機の後方へと張り付いた。

『くそっ、F-15の戦闘能力を甘く見たか!』
『トーシャ!奴の腕は並じゃない、逃げろ!!』
「エッグヘッド、首を固めてしっかり身構えろ!!いっくぜぇぇぇぇぇっ!!」

何が起こるか分からなかったけど、頭よりも先に身体が反応していた。次の瞬間、下から上へと跳ね上がるような急激な姿勢変更が身体を襲った。急反転すべくタリズマンが操縦桿を今までに無く思い切り引いたのだと頭は認識したが、次の瞬間、視界が煙るように掻き消えた。意識はあるのに、視界が無い。ブラックアウトだ、と認識するまでにいつもよりも時間がかかったように思う。タリズマンの注意は、この急機動で首を壊さないためのものだったのだ。視界が戻らない以上、身体が感じる重力やGで機体の状態を想像するしかない。下方へと逃れた敵機の後方に張り付き、そこから急反転したのだとすると、機首の方向は3時〜4時の間。ピッチ角は判断が付かないが、背中に荷重がかかっているところを見ると、何となく上昇方向、ただしハーネスが肩に食い込んでいるから、真っ逆さまを向いているのかもしれない。そして、視界が戻る前に、この戦いはクライマックスを迎えようとしていた。

両雄の決着 『罠だと!?』
「もらったぜ。エメリアの意地、その身で良く味わえ!!」

ブーン、という鈍い連続音は、機体に搭載されたバルカン砲が機関砲弾を一気に吐き出すときのもの。煙るように黒一色に浸された視界が、ようやく灰色がかった光景へと塗り換わっていく。白黒の判断が微妙に付かない俺のすぐ傍を、複数の命中痕が穿たれ、黒い煙を吹き出した敵機が通り過ぎたのは、まさにその瞬間であった。

『!隊長機が被弾!?隊長、ヴォイチェク隊長、応答してください!!』
『そんな馬鹿な……。シュトリゴン・リーダーがやられるなんて……!』

何度か首を振って、ようやく色彩が戻った両眼でレーダーを確認する。そして、後方へと通過し、黒煙を引きながら高度を下げていく敵機の情報を再度確認する。驚いたことに、あの急反転直後に攻撃したのは、あの隊長機だった。直前にこちらの下を通過した機と連携して攻撃を仕掛けようとする相手の行動を先読みして、どうやらあんな無茶な機動をかましたらしい。こちらも呼吸が元には戻っていなかったが、前席からはこちらよりも荒い呼吸が聞こえてきた。身体が俺よりも大きいタリズマンにとって、如何に対G耐性があるからといっても、あのような機動は相当な負担になることは言うまでもない。

「タリズマン、まだ終わってませんよ。方位270、レフトターン!」
「何だよ、随分と元気じゃねぇか。こっちゃまだ視界がグレー一色だってのによ」
「もう弾薬がありません。百計逃げるに如かず、ですよ」
「あいよ、了解。待たせたな、ゴースト・アイ、ずらかるぜ!!」

機体をバンクさせて方位を修正、270への針路に乗せたタリズマンは、スロットルレバーをMAXへと押し込んだ。急激に高まる回転音、そして強烈な加速が、F-15Eの巨体を弾き飛ばす。敵隊長機が戦闘不能になったことで、周囲に位置する敵の動きが慌しくなる。エースを落としたこちらを撃墜して戦果を挙げようというのだろうか。周囲を旋回するようにしていた各機が、徐々にこちらの後背へと轡を並べ始めていた。

『くっ……残念だが、機体も私の身体も、これ以上保ちそうにない。シュトリゴン2、指揮を任せる。グレースメリア侵攻は最早確実となった。貴官が指揮を執り、戦域を撤退しろ』
『――了解しました、シュトリゴン2、臨時に指揮を拝命します。ヴォイチェク中佐、どうかご無事で!!』
『トーシャ、深追いはするなよ。敵にも出来る奴がいる。同じ過ちを繰り返さないよう、精進しろ。後は任せる』
『隊長……申し訳ありません、隊長……!!』

レシーバーから聞こえてきたのは、あの赤い戦闘機隊のものだった。こちらにとっては幸運なことに、追撃機の群れの中に、彼らのSu-33は加わっていない。既に離れ始めた新市街の上空で、編隊を再編して旋回を続けていた。必殺の一撃を叩き込むための格好のカモフラージュにされた、どうやら部隊の中でもルーキーらしい敵パイロットにとっては、悔やんでも悔やみきれないことだろう。或いは、自分が撃墜されていた方が、はるかにマシだったと考えるのかもしれない。いずれにせよ、あの強敵が後背にいないことは俺の心を脅かしていた大きなプレッシャーが消えたことと同義だったから、その姿が無いだけでもラッキーだった。強力なエンジン推力がこういうときには役に立つ。レーダーに映し出される敵の姿が徐々に後方へと離れ、コクピットの中に聞こえてくるレーダー照射警報音も次第に止んでいく。久しぶりに水平で飛ぶ機体のキャノピーの向こうには、未だ無数の黒煙がたなぴくグレースメリアの街が広がっている。レーダーに映るのは敵の光点ばかり。その群れの中に、ミサイルよりは大きいけれども、戦闘機よりは小さい影も混じっていた。データリンクで調べるも、答えはアンノウン。だがその飛び方、大きさには心当たりがある。この距離で実物を確認することは出来ないが、恐らくはUAV――無人機のものだろう。既に実験フェイズは完了し、局地戦などでは有人機の代わりとして攻撃能力を持った無人機が投入されることも増えてきてはいるが、それが出来るのは経済的に余裕を持つ国か、或いは軍事分野に多大なコストを投下している国に限られる。エメリアですら、一部の偵察部隊等で運用されている程度だ。だが、エストバキアはその無人機を積極的に前線へと投入してきているらしい。あの、内戦で荒廃しきっているはずの国が、だ。熾烈な内戦中に、対抗派閥同士で軍事的な開発競争が行われていた影響もあるのだろうが、それにしても最先端技術・最新鋭兵器が多過ぎやしないか?――もっとも、そんな疑問を投げかけたところで、答えてくれる者はいないだろう。ただ一つ明らかなのは、そういった最新鋭戦力を揃え、この日に向けて万端な準備を進めてきたエストバキアに対し、エメリアは首都を失うという手痛い敗北を喫したということだ。
レーダーに接近する機影を捉えて、一瞬弛緩しかけた緊張感が息を吹き返す。だがそれが友軍機のものであることに気が付き、俺はほっと胸を撫で下ろした。シャムロックとドランケンのF-16Cが大きく旋回半径を取って反転し、こちらの両翼へとポジションを取る。敵戦闘機部隊の追撃が止んでいることを確認して、タリズマンはスロットルを戻した。シャムロック機がこちらを中心に大きくロール。どうやら、こちらの損害状況を確認してくれているらしい。

「ベイオ……エッグヘッドよりシャムロック。こちらで確認している損傷は敵機関砲弾が掠めたものですが、他にありそうですか?」
『いや、俺が見たところは無さそうだ。それにしても、驚いたよ。まさか隊長機を落としてくるとはね』
『ゴースト・アイよりガルーダ隊。今回は大目に見てやるが、命令には速やかに従え。現状の針路を維持してグレースメリアを離脱せよ』
「へいへい、タリズマン了解。おいマクフェイル。……グレースメリアを良く見ておけよ。ここは、俺たちが取り戻さなきゃならねぇ大切なシマだ。この街をこんなにしやがったエストバキアの連中を追い出して、必ず俺たちの手で取り戻す。戻らなきゃなんねぇ理由も、俺にはあるからな」
「理由……ですか?」
「ああ、理由だ。この街には、ダチが大勢いるんだよ。ロクでもない連中ばかりだが、俺の大事なファミリーだ。エストバキアなんて大層な相手を見ると、瞬間的に頭に血が昇る短気な連中だから、早く戻ってきてやんないとな。……グレースメリアは、俺たちの街なんだからよ」

グレースメリア出身だったんですか、とは言葉には出せなかったけれど、抑制した言葉とは裏腹に、その胸中には怒りの炎が揺らめいているように俺は感じた。だが、タリズマンの怒りはもっともであったし、グレースメリアの出身ではない俺であっても共通のものだった。この戦闘によって、軍人だけでなく民間人にも相当な死傷者が出ているに違いない。爆撃機による無差別爆撃なんてものは前世紀に終わったものだと思っていたが、よりにもよってグレースメリアはその洗礼を受けてしまった。幸い、地上部隊同士が市街地で全面的に激突する事態にはならなかったが、空から叩き落されて街に墜落した戦闘機も少なくない。その墜落地点に居合わせた人間がどうなるか――想像するだけで嫌な気分になる。不安でいっぱいの市民を見捨てて自分だけが安全地帯へと退避するのは、理性は良しとしても感情は否定している。アバランチやウインドホバーがそうであるように、俺自身もその命令を受け入れることには抵抗があった。だが、たとえその命令がどうしようもなく酷い命令であっても、規律を守るために従うしかないのが軍人だ。民間人を虐待しろだの、無闇に殺害しろだのといった命令ならご免だが。必ずここへ戻ってくる。そう心の中で呟いて、俺は後方へと去っていくグレースメリアの光景を目に焼き付けるべく、キャノピーの外へと視線を向ける。

『必ずここへ戻ってくる。だから、無事でいてくれ……』

シャムロックがそう呟く声が、聞こえてきた。その言葉は、グレースメリアの市民たちに向けたもの、というよりは、もっと近しい存在に向けた言葉のように聞こえた。もし、グレースメリアに恋人でもいたら、俺も同じ言葉を呟いていたに違いない。――敗北。守らなければならない首都を守りきれず撤退する屈辱は、生き残ったエメリアの将兵たち全ての胸に刻み込まれた傷のようなものだった。混戦して時折聞こえてくる警察や消防の無線から「軍が徹底していく……!」という声が聞こえてくるたび、胸が針で刺されたような気分になる。

『ゴースト・アイよりガルーダ隊、安全空域への到達を確認した。生存している航空部隊としては、貴隊が最後だ。全く、無茶をやってくれる』
「やられっ放しってのは性に合わないんでな。まぁ、グレースメリアを奪われた今じゃ、焼け石に水ってやつか」
『いや……良く無事で戻ってくれた。貴隊にはこれからの反抗作戦において重要な役割を任せることが出来そうだ。今後の活躍に期待している』
「こき使われるってことだな。了解だ」

AWACSからの撤退先情報は、データリンクによって送られてきた。俺たちのとりあえずの宿は、サン・ロマに確保されたらしい。機体をゆっくりとバンクさせて針路を微調整。ようやく敵の追撃から解放された空を、俺たちは飛ぶ。振り返っても、グレースメリアの街並みは遠景の中に紛れて、はっきりと見ることさえ出来なかった。
満身創痍で引き上げてきた俺たちグレースメリア組は、サン・ロマ市近郊の航空基地へと帰還した。サン・ロマ基地は、大混乱の極みにあった。何しろ、エストバキアの手がまだ伸びていないこの街からも、侵攻の手が及んだ戦域へと配属されていた部隊が飛び立っているのだ。多少の余裕はあるとはいえ、そこにグレースメリアからの撤退組が引き上げてきたとなれば、機体の停止場所や補給体制、整備班の緊急呼集、臨時の兵舎の手配等々、混乱に拍車がかかるのは言うまでもない。さらには、充分ではない現地情報の数々が、基地の人々をさらに不安にさせる。中には戦術核が使用されて市街地の一部が消滅したなどというガセ情報も混じっているのだから仕方ない。着陸した俺たちですら、機体の停止場所を誘導路移動中に2回も変更されただけでなく、止めたら止めたで今度は移動の足すら無い状態。ようやく整備班の面子が到着したのは、エンジンを止めてから30分後。面々の長らしい壮年の整備兵の好意でジープを借りられたから良いようなものの、途中歩いて移動中のパイロットを何人か拾い、集合場所に指定された建物に付く頃には過積載の搭乗人数オーバーという有様だった。皆一様に、疲れきった表情を浮かべている。俺やタリズマンは、まだマシな部類に入るらしい。ちなみにシャムロックとドランケンは、他のF-16Cを使用している部隊と一緒に降りたので、俺たちとは別口になっていた。

「やれやれ、敵さんの一撃でうちの軍隊も負け犬根性が染み付いたみたいだな。運が悪けりゃ全面降伏か?」
「冗談でも言わない方が良いと思いますよ。この場に陸軍の連中がいたら、銃口向けられるに決まってます」
「はん、銃先が怖くてパイロットやってられるかよ」

愉快げに笑い声をあげるタリズマンの存在が、今の俺にとっては何よりもありがたい。これがもし一人だったら、先程の面々同様に、「敗北」の二文字の前に意気消沈していたに違いないからだ。もちろん、心の片隅からその不安が消えることは無い。それを笑い飛ばせるくらいの余裕がまだ残っていることに、案外タフな性格だったんだな、と我ながら呆れる。そして、タフなパイロットは何も俺たちだけではなかった。引き上げてくるパイロットの群れを眺めていた男が、俺とタリズマンの姿を見つけるなり諸手を振って駆け寄ってきたのだ。

「やっぱり無事だったか!聞いたぞ、敵のエースを"ついでに"叩き落してきたんだってな!?」

自らも出撃していたに違いないのだが、疲労の色一つ見せず、アルバート・ハーマン大尉がタリズマンと腕をガツンと合わせる。すると、珍しくタリズマンが真面目な表情に戻り、サングラスを外して胸ポケットに突っ込んだ。

「すまねぇな、アル。メリッサとマティルダを置いてきちまった」
「よせよ。エメリアの誰の責任でも無い。悪いのは、人の家に土足で上がってきたエストバキアの連中だ。それに、メリッサもマティルダも案外タフだぞ。マティルダだって、誰かさん仕込みの「サバイバル術」で何とかやってるさ。――しかし何だ、結果としては、お前さんの方はラッキーだったな」
「フン、そいつは結果論だろうが。……ま、お前さんの場合は罰が当たったってとこだがな」

エメリア空軍の誇るエース「エンジェル1」にグレースメリア在住の家族がいたというのは初耳だったが、それ以上にタリズマンが既婚者であったことの方が驚きだった。しかも、話の内容から考えると、ハーマン大尉同様にグレースメリアに住んでいるように聞こえてくる。

「しかし、何だってお前がプルトーン1に乗っているんだ?なあ、マクフェイル、スパンクラーの石頭はどうした?よくまぁ、あの堅物がこの強面に機体を渡したもんだな」
「あ……それはその……」

口をつぐんだ俺に怪訝な表情を向けるハーマン大尉。言いあぐねていると、タリズマンが俺の背中をドン、と小突いた。もともと力の強い彼の一撃では、「軽く」であっても結構な威力だった。どうやら、お前がちゃんと答えるべきだろ、ということらしい。

「……確認は出来ていないのですが、スパンクラー隊長は戦死されました。グレースメリア基地へと戻る途上、エストバキア軍による攻撃を受けてしまったようです。プルトーン隊は他の要員にも被害が出てしまい、部隊としての機能を失いました」
「スパンクラーが……。そうか、あと3年飛べば俺たちの所にまで到達出来る有能な奴だったのにな……それで、この不良男が乗り込んできたわけだな。大変だったろう、こいつのダンスは?大体こいつ、後ろに乗る人間の事なんか考えずに戦闘機動やるもんだから、とうとう怖がって誰も乗らなくなっちまったんだよ。で、何回気絶した?」
「いえ、一度も……」
「マジか?」
「はあ……」
「本当に?」
「一度だけ、ブラックアウトしましたが……」

物珍しそうな表情で、ハーマン大尉は俺の顔をまじまじと眺めている。タリズマンはと言えば、ヘルメットを抱えたまま苦笑を浮かべている。しばらくして、何だか嬉しそうに笑いながら、ハーマン大尉は首を振った。

「……驚いたな。実戦でのアーサーのダンスで失神しないWSOがいたとはね」
「まぁ、後席の割に味方の位置はちゃんと把握してねぇ、敵の動きも全部は見ていねぇ、と言いたい文句は色々あるがな。うちの空軍の人事部門の目もあながち節穴ではないらしい」
「素直じゃないねぇ。こういうとき、ちゃんと褒めるのが新人を伸ばすもんだぞ」
「そういうのは苦手でな。さて……と、俺は先に行くぞ、エッグヘッド。今日のレポートだの手続だのはやっといてやる。お前がやんなきゃならねぇことの片が付いたら、とっとと休んじまえ。明日からまた忙しくなるはずだからな。おいアル、後は任せた」

言いたいことを伝え切ったらしいタリズマンは、背中を向けると右手をヒラヒラと振りながらさっさと歩き出す。その後姿を見送りながら、ハーマン大尉は両腕を腰に当てて、苦笑いを浮かべた。

エースたち 「……本当に素直じゃないなぁ。ま、あいつらしくていいがね」
「……エルフィンストーン大尉の言うとおり、自分は何も出来なかった。実戦の緊張でいっぱいになって、大尉のお手伝いすら出来なかった……」
「バカ、その逆だ逆!合格、ってことだよ」

恐らく、俺は虚を付かれた様な表情を浮かべていたに違いない。ハーマン大尉は今度こそ嬉しそうな笑顔を浮かべながら、俺の両肩を何度か叩いた。どうやらこの二人、手加減という言葉を多分知らないらしい。ハーネスが食い込んだ後の肩には、少々強烈な一撃。

「だからちゃんと説明してやれってのになぁ。不合格だったら、今頃さんざん褒め殺しをしたうえで厄介払いされているさ。人事部門の目も節穴じゃない、って言ってただろ?つまり、WSOとして合格ってことさ。あの不良男のな。生きてここに立っていることが、何よりの証明だよ」
「自分……がですか?」
「そうだ、胸を張れ、新米。お前も、今日から「こっち側」の人間になったんだ。お前さんの活躍に期待している」

ニヤリ、と笑いながらハーマン大尉はラフに敬礼。「こっち側の人間」……。何が何だか分からないうちに始まったエストバキアによる侵攻。グレースメリアを多い尽くした巨大な火の玉。そして、首都の失陥――あまりにも多くのことが起こり過ぎて、頭の中が混乱しそうになってきた。大尉たちの言うとおり、今は休息が何よりの急務に違いない。未だ初陣を終えた実感も湧かない俺は、何気なく空を見上げた。薄い雲に覆われた空から、Mir-2000Dが高度を下げながら、滑走路を目指している。グレースメリアの空から、炎と黒煙は消えたのだろうか?グレースメリアの方角を睨み付けるけれども、勿論、今の俺に知る術など無い。それでも、俺は心の中で誓った。今日の屈辱は、必ず晴らしてやる、と。そして、グレースメリアを必ず取り戻す――と。
「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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