視界不良の明日
照明も何も無い、漆黒に塗り潰された通路を、懐中電灯の光を頼りに進むのは……ダンジョン探検みたいでとっても楽しい!懐中電灯の光が揺れ動くたびに、壁には不思議な文様が描かれる。それを怖がる友人もいたけれど、マティルダにとっては恐怖どころか数少ない娯楽の一つとなっていた。彼女の前を歩くバレンティンは、肩にマグライトを固定しつつ、手にはカンテラをぶら下げている。通路が酸欠状態になったときにすぐ分かるから、というのが彼の説明だったが、どう見ても「カンテラの雰囲気を楽しんでいる」ようにしか見えない。バレンティンもまた、この薄暗い空間に恐怖を全く感じないタチらしかった。

グレースメリアがどこかの軍隊によって攻撃を受けてから、かれこれ二週間近くが過ぎ去ろうとしていた。絶好の逃げ場所、と逃げ込んだ王城ではあったけれど、間一髪で安全地帯に逃げ込んだ、というのが実際のところだった。おっちゃん直伝のガラスの割り方で、謁見の間に展示されていた宝物の数々と、「金色の王」を秘密の隠れ家へと運び終わるや否や、聞こえてきたのは銃声とガラスが砕け散る音、軍靴の乱暴な足音と、聞き取れない異国の言葉。それも、怒鳴り声ばかり。頭の上で響き渡る騒音に、さすがのマティルダも両手を口に当てて身体を丸めて、音を立てまいとしたものだった。学芸員というのは危機意識が麻痺しているのか、それとも単にバレンティンの神経がどこかずれているのか、「騒ぎも2時間で収まるさ。とりあえず、昼寝でもしていよう」と横になってしまったのだ。でも実際、それ以外にすることもなかったし、神経も身体も疲れ果てていた子供たちは、昼寝どころか結構長い時間、ぐっすりと寝てしまったのだけれど。そして、マティルダたちが目を覚ました時には、薄暗い空間に、固形燃料の火が揺らめいていて、その上には鍋が乗っていた。ただのコンソメスープがこんなにも美味しかったのは初めてだった。それ以来、ここでの生活の定番メニューは、「非常食のコンソメスープ」となっている。
マティルダたちが歩いている空間は、王城のガイドブックにも乗っていない、そして昔話の中にでも出てきそうな、秘密の空間だった。学芸員として研究を進めるかたわら、昔々の王様たちがこっそりと作っていたという「お城の秘密の抜け道」や「お城の物騒な地下牢」をバレンティンは探検して回っていたらしい。彼に言わせると、マティルダが生まれる前、宇宙から大きな隕石が落ちてきたとき、街中の人たちを収容していたという巨大なシェルターは、貴重な史跡である王城の地下部分を意図的に壊さないように作られたらしい。シェルターの正面入口は、今となってはどうやら他の国の軍隊の兵士が歩き回っているらしい王城広場にあるけれど、裏口やらメンテナンス口のような入り口がそれこそ無数に設置されているので、王城内部からの出入りが可能になっていた。そう、マティルダたちは「秘密の通路」と「地下シェルター」を行き来して、当座の食料や燃料、水を確保していたのである。

「ねえねえバレンティン、良くこんなところを探検する気になったね。まぁ、おかげでボクたちは助かっているんだけどさ」
「だって面白いじゃないか。昔話と同じ光景が目の前にひろがっているんだから、探検しなくちゃ損だろう?」
「前から思っていたけれど、バレンティンて子供だよねぇ、発想が」
「そういうマティルダは厳しいよ。親御さんの顔を見てみたい」

私のママを見たらイチコロよ、と言おうとして、やっぱりマティルダは口をつぐむ。バレンティンの額には早くも汗のしずくが浮き上がっている。それもそのはず、彼はシェルターから拝借してきた折り畳み式の脚立を左肩に担いでいたのだから。ちなみに、彼に付いて来た子供たちの役目は、今晩の分の食料品の運搬。シェルターの保管庫の一つには、マティルダたちが生活するだけなら多分一生かかっても消費しきれない量の保存食が積み上げられていた。今のところ、軍隊の兵士たちはここまで足を踏み入れる気にならないらしい。だけど、いずれ来るであろうその時に備えて、早めに人数分の食料を別の場所に運ぶことになる……とはバレンティンから言われていたけれど。何しろ、そのメニューたるや、保存食万歳!てなところなのだ。乾パンやライスの缶詰は定番として、先のコンソメスープにクラムチャウダー、果てはハンバーグにバター炒めなんてご馳走まで。敵の兵隊さんが見つけた日には、きっと争奪戦が始まるに違いない。だから、美味しいものを優先的に確保しなくちゃね、とマティルダは頭の中で優先リストを既に作り終えていた。

抜け道、といっても、お城の地下通路は随分しっかりと作ってある。場所によっては古びた大きな石で上下左右が固められている場所もあるし、錆びた鉄製のドアを開けると、これまた骨董品級のベットが未だに置かれた部屋まであるのだ。そして、その中でも特に広い空間――「秘密基地の大広間」と名付けられた食堂が、マティルダたちの隠れ家であった。ドアを開けた先は、これまたシェルターから大量に拝借してきた蝋燭が灯されていて、外から帰ってくると目が非常に眩しい。ヘッドランプを外してポシェットに放り込んだ彼女は、食料の入った箱をテーブルの横へと積み、ふう、と息を吐き出した。「ダンジョン立て篭もり隊」唯一の大人であるバレンティンは、すっかりと子供たちの輪の中に溶け込んでいる。マティルダから見ていると、何だか妙に危なっかしいのだが、それでも彼は彼女たちを励まし、失望させないことを自らの責務として課していた。それがよく分かるからこそ、マティルダは率先して彼の手伝いをするようにしている。勿論、ダンジョン探検がとても楽しいことも理由の一つではあったけれど。
そのそそっかしい保護者は、肩に担いでいた脚立をようやく地面へと下ろし、額の汗を拭っていた。大広間の空間の中でも、一際明るく蝋燭が点された一角がある。淡いオレンジ色の光を鮮やかに反射させながら、鎮座するのは巨大な甲冑。そう、数日前までは、マティルダたちの頭上の玉座に座っていたはずの「金色の王」は、今や地下の大広間にどかっと腰を下ろしていたのだった。そして、玉座にいたときとは今は様相が異なっている。甲冑は、自らの頭を左ひざの上に置き、左手を支えのため頭に乗せていたのだった。

「今日で「金色のデュラハン」も見納めだね」
「随分長く放置しちゃったからなぁ。アウレリウス2世に怒られなければいいけどね」
「大丈夫だよ。きっと許してくれるって。ええと……そう、きんきゅうひなん!」
「そうやって楽観的に物事を考えられるのって、羨ましいよ」

脚立によろよろと上ったバレンティンは、子供たちが3人がかりで持ち上げた「金色の王」の首から上を両手で受け取った。あの頭部は、甲冑の中では比較的重い部類に入る。落としてエメリアの宝を台無しにしたら洒落にならないね、などと物騒なことをこっそりマティルダは考えていたが、バレンティンは無事に本来あるべき場所へと首を返すことに成功した。ようやく見慣れた姿に戻った「金色の王」は、玉座の間に座っていた時と変わらない優しい微笑を浮かべていた。

「しっかし、驚いたなぁ。まさか、「金色の王」がバラバラに出来るなんて、想像もしなかった。そんなことがエメリア中に知れ渡っちゃったら、かなりヤバくない?」
「いやー、ヤバいだろう。例えば、両腕の向きを変えて、その上に頭なんか乗せてごらんよ。「金色の王」のありがたみが完全に台無しになると思わないか?」
「ハーリボテったらハーリボテー♪エメリア最大のハァリボテッ、とぉぉぉ!!」
「何だい、そりゃ?」
「パパが好きな映画の替え歌。ロケット見上げて歌うのよ、主人公が」

クスクス、という笑い声が聞こえてくる。声の主の中に、一番下のクラスのオライリーの姿を見つけて、マティルダは嬉しくなった。ここに逃げ込んだ子供たちの中でも最も年下の彼は、毎晩のようにうなされては父親と母親の名前を呼んで飛び起きるのだった。そんな彼が、少しでも元気を取り戻しつつあることが、何だか嬉しかったのだ。

「……この像はね、ハリボテでなくちゃならなかったんだよ。今と違って、乗り物といったら馬や馬車くらいしかなかった時代に、色んな戦場を駆け巡るんだからね。昔の人たちが知恵を凝らした結果が、この「金色の王」なんだ。これなら、戦場までバラバラにして運搬していって、短時間で組み立てることも出来る。馬に乗せていても、馬が重さに耐えられなくなることはまずない。まぁ、この時代になって先人たちの知恵が存分に役立つことになるとは思わなかったけど」
「それにしてもバレンティンさんてうんちくにくわしいよねぇ。学校の先生より色々知ってそう」
「そりゃそうだよ。それしか取り柄ないんだから」
「料理上手ってのもあるんじゃなかったっけ?」
「あー、昔からインスタント食品を作るのだけは上手かったな」

再び笑い声。低学年の子供たちが昔話をせがみ始めたので、バレンティンは手近な椅子を手繰り寄せると、腰を下ろした。マティルダは、細い腕とは対照的にごっつい腕時計に視線を動かした。父親が新しい時計を買った時に、駄々をこねて譲ってもらったそれは、今日も何事も無かったのかのように時を刻み続けている。窓の無い空間にいるから時間感覚そのものが麻痺しつつあったが、もう夕方の5時を回っていた。今日は「金色の王」の復活記念で、メニューはカレーライスの予定。小さな頃からキャンプに連れられては、父親やおっちゃん、それにニーナ姉ちゃん直伝のバーベキューの腕前は、こんなところでも役立っていた。おかげで、食事の準備はすっかりとマティルダの役目となっていた。初日に魔法のコンソメスープを作ったことで、一生分の料理能力を保護者殿は使い果たしてしまったそうな。もっとも、同じクラスのアレンが言うには、マティルダの手際のよさにショックを受けてしまったというのが本当のところらしい。これがキャンプやバーベキューの場なら、どんなに楽しかっただろう。不意に、父親や母親の顔が頭をよぎり、マティルダは何とも言葉にし難い不安と悪寒を感じた。彼女は、意識して親の姿を思い出さないようにしていた。そうしないと、他のクラスメートたちを叱咤激励する気力が萎えてしまいそうだったから。

COOKING TIME 「……お姉ちゃん、手でも切った?」

不意に聞こえてきた声に、慌てて袖で目元をマティルダは拭った。オライリーが心配そうに彼女の顔を覗き込んでいる。

「何でもない、大丈夫よ。さ、夕飯の用意するから向こうで遊んでなよ」
「言っとくけど、僕、お料理得意だよ。お家はレストランだったからね」

兵隊の姿が見えなくなったとき、バレンティンが子供たちを何回か外へ連れ出したことがある。これまたシェルターから拝借してきた双眼鏡を覗いていたオライリーは、偶然にも見つけてしまったのだ。彼の自慢だった、父親と母親のレストランが、ビルごと崩れ落ちている光景を。だから、マティルダは彼が過去形を使ったことを聞かなかったことにした。

「オーケー、じゃ、手伝ってくれる。未来のコックさん?」
「もちろん!」

驚いたことに、手馴れた手つきで鍋にスープのもとやらミックスベジタブルをオライリーは流し込んでいく。これから少し楽が出来そうね、と心の中で思いながら、マティルダは乾パンをアルミのボウルに盛っていく。今日は、「金色の王」復活を祝うハンバーグ・パーティ!蝋燭の淡い光に照らされた「金色の王」は、今まで見た中で一番優しい微笑を浮かべているように、マティルダには思えた。今頃、エースパイロットの父親は天使とダンスでもしている頃だろうか?必ず、パパとおっちゃんが悪い軍隊を追い出して私たちを助けに来てくれる――だから、私も頑張るんだ。その想いこそ、マティルダの心を支える元気の源だった。
ベンチの横に置いたコカ・コーラの瓶は、まるで激しくダンスを踊ったあとのように、全身汗ならぬ水滴を浮かべている。一応は空調の効いた待機室の一角にパソコンやらノートやらを広げて陣取った俺は、またも俺たちを襲った例の巡航ミサイルに関するデータをノートPCに入れて、解析していたのだった。勿論、個人端末にデータを落とすことは「原則」禁止ではあったが、抜け道ならいくらでも考え付く。タリズマン――エルフィンストーン大尉の命令により、対抗策を検討したいというハッタリをかました俺は、まんまとAWACSが記録していた戦闘記録を取得することに成功していた。サン・ロマのさらに南東方向の海上から射出されたと想定される巡航ミサイルは、世界でも極めて高い命中率と破壊力で知られるトマホーク巡航ミサイルを遥かに上回る速度で戦域へと接近、そして炸裂していた。爆発によって出現した火球の直径はおよそ1km。通常弾頭でこの規模ということは、弾頭に搭載された火薬量が半端なものではないことを証明している。戦域に発射されていたミサイルは合計20発。発射点は確認出来ない。かといって、弾道ミサイルの類でないことは、飛行高度からも明らかだ。
PCにダウンロードした軍事年鑑のデータを開いてみるが、該当するミサイルのデータは存在しない。それにしても、驚くべきはあの命中精度だ。発射地点は相当離れたポイントであるにもかかわらず、激戦空域のど真ん中、それもご丁寧に高度まで狙ってくるというのは尋常の業じゃない。戦域に観測機でも置いているなら分からなくもないが、刻一刻と戦闘ポイントが移り変わる空中戦において、あの精度は異常と言っても良い。まさか、SFばりの完全自動自律型のミサイル?150年は無理だろうな、きっと。問題は、それだけじゃない。その飛行距離、破壊力から想像するに、ミサイルの大きさは決して小さくないはず。そんなミサイルをどこから発射しているのだろう?ミサイルはグレースメリアの時も、洋上から飛来していた。仮にミサイルの飛行ルートをそのまま延長していく場合、ユークトバニアの大地に到達するが、そもそもユークトバニアがエメリアを攻撃する必要性が無いから、地上発射の線は無い。可能性として最も高いのは、洋上艦、または潜水艦からのミサイル攻撃ではあるけれども、仮にAWACSのレーダーが把握しているエリア外に展開した場合にはユークトバニアの経済領海域に入ってしまうため、そんなところから攻撃を行っていたら、今頃国際的な非難の的になっているに違いない。そして、現状、そのような艦艇の存在に関しては全く確認もされていないし、報道もされていない。或いは、航空機からの攻撃という線も考えられなくも無いけれど、想定されるミサイルの大きさから考えて、使用可能な機体は極めて限定されることになるだろう。わざわざレーダーの範囲外空域まで飛ばして、そこからミサイル攻撃を仕掛けるようなことが現実的に行われるだろうか?いや、そもそも飛行機がぶら下げていける代物なのだろうか?
――結論、有り得ない攻撃。分析不能。何度も到達した結論に、俺は思わず首を振った。限られたデータで全てが明らかになるとは思ってはいないけれど、何か見落としているポイントがあるんじゃないか。何か重要なピースが抜け落ちているんじゃないか?背中を椅子の背もたれに預けて、俺はため息を吐き出した。

「たいしたもんだ。ちょっとした作戦司令室みたいな雰囲気じゃないか」
「ランパートは優しいのぅ。こういうのは、根が暗いというのじゃよ」

オジサンズ 少し温くなったコーラを飲み干そうとしていた俺は、不意にかけられた声にむせ返った。そんな俺の様子を、ドランケン――ベンジャミン大尉が楽しそうに眺めている。ランパート大尉は苦笑を浮かべている。ガルーダ隊の本日の割り当ては、緊急時に備えての待機。先日の戦闘が多少は堪えたのか、エストバキア軍の攻撃の手はだいぶ弱まって、慎重策に転換したようにも見える。陸上部隊を追撃していたエストバキア地上軍も一時はサン・ロマから数十キロの地点まで接近したのだが、今はだいぶ撤退したところに包囲網を敷いている。ただ、サン・ロマの攻略を諦めたわけでなく、その意図は戦力増強にあることが明らかだった。完全に敵の手に落ちてしまった首都グレースメリアから、増援と思しき軍団が次々と包囲網に合流しつつあるのだから。まだ西方面へのルートは閉ざされてはいないが、このまま何の手も打たなければ、いずれ俺たちはサン・ロマでの篭城戦を強いられることになるだろう。近々、軍司令部から何らかの判断が下るはずだ、と兵士達の間ではだいぶ噂が飛び交っていた。

「何の解析やってたんだ?双方の展開状況?」
「いえ、あのミサイル攻撃のデータを取ってきたんですよ。エメリアがグレースメリアを取り戻すには、必ず「あれ」を撃ち出している母艦との対決を強いられるんじゃないか……と思ったんで」
「ああ、あれかの。相変わらず、どこから飛んでくるのかよう分からんのじゃろう?ローズベルト少佐もだいぶ悩んどったよ。何でも、今回の作戦にあわせて偵察隊を放ってたらしいんじゃが、これが壊滅したんじゃと。赤黒いカラーリングの戦闘機部隊にボコられての」
「それって……この間の連中ですか?」

ベンジャミン大尉は首を振った。それにしても、この人、どこからそんな話を仕入れてくるのだろう?赤黒いカラーリング。真っ先に思い浮かんだのは、あの悪魔のように空を舞うSu-33の群れ。

「Su-33ではあったらしいが、部隊章が違ったらしい。おまけに2機はアンノウンだったそうじゃよ。護衛の連中も全滅。かろうじて戻ってきたのは1機だけ」
「やれやれ。その体たらくじゃ、ミサイルの解析どころか敵部隊の解析すらままならないんじゃないのか?」
「腕だけならそんなに差は無いんじゃろうが、連中は実戦慣れしている。そうなってくると、「殺し」の経験値がモノを言うからの。これまでに汚れ仕事を任されてきたタリズマンやエンジェル隊の面々ならともかく、修羅場の経験が足りてないワシらの方が分が悪いのは道理じゃよ」
「機体の性能も、だな。正直なところ、F-16Cでタリズマンを追うのはなかなか厳しくてな。整備のついでに、空き機体を回してもらえるよう依頼してきたんだよ。何しろ、カッ飛んでいく相手を追うんだからな。同等の性能を持ってる奴じゃないと、厳しい。どうやらケセドに回された予備機があるらしくてね……近日中に、俺たちもF-15Eに乗り換えることになるだろう」
「ランパート大尉がですか!?いや、自分たちにとっては心強い話ですが……兵装システム士官はどうするんです?もともとエメリア空軍では実戦機の複座型の運用自体が少なくて……」
「おい若いの。ちゃんと話は聞いておくもんじゃ。ランパートは「俺たち」と言ったじゃろ。……何も、兵装システム士官を育成する必要性が無かったわけじゃあない。20年前の戦争じゃ、そうせざるを得ない状況に陥ったこともあるのじゃよ。何しろ、敵はあのベルカ空軍じゃ。毎日毎日、今とは比べ物にならない戦死者が出たもんじゃよ。だいぶブランクはあるのじゃが、ワシがランパートのWSOを務めるつもりじゃ」
「電子機器の取り扱いは特訓ですがね」
「それを言うもんじゃないワイ」

20年前――まだ俺は何も世界のことを知らずに、空を見上げていた頃だろう。ベルカという国が引き起こした大きな戦争のことも、ニュースで飛んでいた戦闘機の映像くらいにしか覚えていない。だけど、ベンジャミン大尉にとって、それはどうやら苦い記憶を伴う「現実」であったらしい。多国籍軍の中にエメリア軍も入っていたことは、ハイスクールに上がる頃には知っていた。だけど、エストバキアが友好関係にあったベルカを攻めることを良しとせず、国内事情を盾に多国籍軍への参加を断り、ベルカの崩壊後は積極的に亡命者達を受け入れていたことは軍に入ってから知ったことだ。もっとも、その亡命者たちの多くが、ユリシーズの落着によって命を落としたことは何とも皮肉な話ではあるが。

「ベンジャミン大尉、ひょっとして海軍機の後ろに乗っていたんですか?」
「そうじゃよ。何しろ、機体が無事に帰ってきたとしても、後ろの奴は胴体だけとか、そんな状態だったんじゃ。気がついたら、空軍も海軍も無かったワイ。成り行きで乗り込んだわけじゃが、今でもF-14Aを見ると昔を思い出す。アレはいい機体じゃった。若い頃に見た映画でも使われていたし、あの可変翼が何とも言えんのじゃよ。……じゃがのぅ、F-15は別の意味でもっと好きじゃよ。一度だけしかお目にはかかれなかったが、F-14Aの後席で見ることが出来たんじゃよ。ベルカのエース部隊相手に全く動じることなく、戦いを挑んでいく「円卓の鬼神」と「片羽の妖精」の二人を、な」
「まさか、B7Rですか!?」
「良く知っておるの。さすがはネクラ……何でもないワイ。そう、エリアB7R、「円卓」の空じゃよ。物凄かった。手足のように戦闘機を操るとは、ああいうパイロット達のことを指すのじゃろう」

どこか遠くを見るような目付きで、ベンジャミン大尉は空を見上げた。まるで、その頃の空を思い出すかのように。2005年のOBCのドキュメンタリーなら、今でもビデオを実家に残していたと思うけれど、ベルカ戦争の英雄とまで呼ばれながら、以後その姿を消してしまったトップエースの翼跡は、俺の記憶にしっかりと焼き付いている。今や、俺の興味はエストバキアの謎のミサイルから、実在したエースの姿を知る古強者の記憶へとすり替わっていた。

「じゃ、ベンジャミン大尉のコネクションで、ウスティオから腕利きの傭兵でも募りますか」
「ランパートのポケットマネーで出せるんならそれもいいが、今のところは無理じゃろう。公式に支援をするなら、国際会議の承認が必要じゃ。それに、こうも負けがこんでしまうと、ウスティオだって支援の手を差し伸べたくなくなるじゃろう。エストバキアが全面的に勝利をしてみい。今度はウスティオが「ムダに戦争を長期化させた」として非難されることになるじゃろうよ」
「どっちに転んでもエストバキアの掌の上、か。用意周到なことだ」
「ま、そう悲観したものではない。「円卓の鬼神」はおらんが、ワシらにもタリズマンがおる。ワシの見立てじゃ、及ばずも遠からず……じゃよ。後ろに乗ってるエッグヘッド、お前なら良く分かると思うがの」

そう言って、ベンジャミン大尉は嬉しそうに笑っている。「円卓の鬼神」の姿を見たことの無い俺には比べる術も無いが、少なくともタリズマンの飛び方は知っている。もし、ベンジャミン大尉の見立てが間違っていないのなら、エメリアにだって、ひょっとしたら戦況をひっくり返してくれるかもしれないエースがいる。もしそうなったら……もしかしたら、ベンジャミン大尉はタリズマンにその役目を期待しているのかもしれない。もっとも、当人はそんな役目を押し付けられることを本気で嫌がるような気がするけれども。
だけど、現実というやつはツキが無い時はとことん期待を裏切ってくれるものらしい。待機室の中に少々音量過剰で鳴り響いたのは、エマージェンシーアラート。休む間もないというのはこの事を言うのだろう。手早く端末やら資料やらをザックの中に投げ込んで、俺はハンガーに向かって走り出す。その時には、もうとっくにシャムロックとドランケンの姿は無い。結局例のミサイルの解析は進まなかったけれど、分析を続ける為にも今日を生き延びるしかない。ハンガーの扉は既に開かれ、愛機F-15Eの雄姿が先頭にあった。どこに行っていたのか知らないが、既にタリズマンがタラップに手を掛けて、こちらに何やら大声を張り上げている。じわりと滲んでくる汗を拭いながら、俺は鬼教官たちに散々鍛えられる羽目になった足を全力で踏み出す。恐らく、二言三言、とても素敵なスラングを浴びせられるに違いないが、最近はそれに慣れてきた自分がいる。そして、間接的に「殺し」の経験値を稼ぎ続ける自分も――。
「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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