明日のために待つ時
護岸に波が寄せては引き、寄せては引く。夏の太陽の光を反射させる水面は美しい。たとえ、傍に停泊しているのが戦場へと向かうことを義務付けられた戦闘艦であっても。ユークトバニアには、オーシアとの冷戦時代の名残で、規模の大きい軍港が現在でも残っている。あの劇的な両国の和解によって、超大国同士が争う場面は無くなったものの、紛争の火種はむしろ周辺国に散らばった。そういった紛争や衝突に対応するため、両国の海軍はその存在意義自体を自ら改めて、新時代を生き延びようとしていた。

ユークトバニア北東岸に位置するフョードルグラード軍港では、ユークトバニアの国旗と海軍旗を掲げた軍艦の群れに混じって、二隻だけ、エメリア海軍旗を掲げた軍艦が停泊していた。そのうちの一隻は、ユークトバニア海軍の主力航空母艦とほぼ同等の排水量と搭載量を持っているらしい、大型の航空母艦であった。甲板の小島のようにそびえ立つアイランドには、エメリア軍での識別ナンバーらしい「X-088」という番号が書かれていた。そして、その空母からそれほど離れていない埠頭に、ユークトバニアの軍服に混じって、エメリア海軍の軍服をまとった男が釣り糸を垂れていた。軍帽を後ろ向きに被り、その顔は無精髭に覆われている。彼の視線は、水面の浮きに注がれ、その口元には笑みすら浮かんでいた。

「艦長〜!ああもう、うちの艦長は居場所も告げずにどこ行ったんだ、本当に。コクラン艦長ーーーっ!!」

若さを残した通る声が、埠頭に響き渡る。どうやらその光景はここの定番になっているようで、港を歩くユークトバニアの兵士たちが「またやってる」とでも言うように笑っている。その声に、一度はぴくりと眉をしかめた男だったが、再び何事も無かったかのように再び視線を水面へと戻す。しばらくして、ようやく探し人を発見した若者が、大またで近付いてきた。あと一歩でその背中に蹴りが入るところで急停止した若い士官は、ビシリと立ち止まって最敬礼。こちらは、口の辺りが微妙に引きつっていた。

「艦長……お願いですから、うちの機関長みたいなことしないで下さいよ。士気にかかわります!」
「大声出すなよアヅチ中尉。魚が逃げちまう。ついでに、いい女もな」
「艦隊司令部から特秘通信が届いています。ブリッジに戻って返信を考えてもらいませんと」
「考えるまでも無いさ。「特殊任務中につき、現状維持」。そう返しといてくれ」
「無理を言わないで下さいよ。もうその答えを20回近くも返しているんですよ?」

ふー、とため息を付きながら、コクランはようやく竿を持ち上げた。リールを巻き上げながら、慣れた手つきで釣り道具を片し始めた彼は、もう一度若い士官の顔を見ると盛大にため息を吐き出した。

「折角大物が来そうな気配だったんだがなぁ」
「ロサンゼルス級でも、タイフーン級でも、シンファクシでも構いませんが、後にして下さい、後に!大体、今祖国は危機的状況にあるんですよ!?のんびり釣り糸垂れてないで、我々だって解放戦線に参画するべきではないんですか!!」
「そういきり立つもんじゃないぞ、中尉」

竿をバックの中にしまいこんだコクランは、ベルトを肩に回して竿を背負う。ついでに、空のクーラーバックを持ち上げる。その姿だけでは、とても大所帯の航空母艦を預かる艦長である人間には、全く見えなかったが。興奮して顔を真っ赤にしている中尉に一瞥を与え、コクランは軍帽のつばで目元を隠した。

「簡単な戦力分析をしてみようか。俺たちの船「セレニセレウス」に積んできた航空部隊はたったの1部隊。噂のラーズグリーズ航空隊ばりの腕前があれば別だが、まずは英雄の爪の垢を煎じる準備から始めなきゃならない奴らが4機だけ。護衛の船は、年代物のフリゲートが1隻。いくら艦長が名艦長のドドニウスだからといって、エストバキアの軍艦に数でこられちゃどうしようもない。さらに言えば、試験公開名目だったんで、セレニセレウスの兵装は不完全!というか、SAMは付いたがCIWSが付いちゃいない。こんなんで、エストバキアの勢力圏を通してもらえると思うか?」
「そこは艦長の「アクの効いた」作戦を……」
「おまけに本国じゃあ、エストバキアに押される一方。サン・ロマに集結した主力も西へと戦線を後退させるらしい。おまけに、あの謎のミサイル。あんなもの打ち込まれた日にゃ、お前さんの先祖さんの国が以前の大戦で沈められた新型空母と同じ運命を辿っちまわぁ。名誉の戦死なんざ、俺はご免だぜ。死ぬときゃ膝枕の上、とおいらは決めてるんでな」
「艦長の場合、まず「膝枕」の持ち主探しが先でしょうが」
「余計なお世話だ、バカったれ。……ま、そういうこった。こんな状態で戦争しに行く馬鹿はいない。だから、1,000回だろうが10,000回だろうが、ノーといい続けてやりゃあいい」

追い詰められている状況が、アヅチも分からないわけではない。だが、理性では理解出来ても、感情でそれを納得するには中尉の歳は若過ぎたのかもしれない。むっ、と黙り込んだ彼の右眉が、ひくひくと痙攣しているのを見たコクランは、軍帽を片手で押さえながら苦笑した。

「それにだ、俺たちはエメリアの最高責任者から直々に待機命令をもらった身だ。軍令部にその話が届いていないとはいえ、俺たちはこの目と耳で直接カークランド首相から「直接指示があるまでは出航しないように」と命令を受けた身だ。どっちの方が上位か説明する必要もないだろうが」
「あのウスーイ首相じゃ、この戦争でいついなくなったって分からないじゃないですか!大体、今どこで何をしているのかも知れない人ですよ!?」
「口を慎め、アヅチ中尉」

それは決して大きな声ではなかったが、若者の言葉を詰まらせるには十分な迫力を持った一言だった。口元には苦笑が浮かんでいたが、軍帽の下からのぞく目は鋭い光を放っていた。試験航海中であってもこれほど睨まれたことの無かったアヅチは、正直この艦長がこんな表情が出来ること自体に驚いていた。もっとも、それは中尉の誤解であって、そもそも何の才能も無いような人間が新造空母の艦長に任命されるほど、平和ボケと呼ばれるエメリア海軍も甘くは無いのだが。それに、エメリア軍内では俗に「汚れ仕事」と呼ばれたエストバキア内戦時代の軍閥相手の戦闘においてコクランが挙げていた戦果は、今なお公にはされていなかった。

「俺自身、今回のことが無ければお前さん同様の評価しか出来なかっただろうさ。ところが普通の政治家なら国元へと戻ることすらためらう状況下、必要最低限の外交手段をうつや否や率先して戦地のエメリアへ戻って行っちまった。もともと繋ぎの首相とまで酷評されていただけに政治基盤も弱いから苦労も多いだろうが、何かなぁ……見捨てられねぇんだよ。何か協力してやりたくってな」
「しかし……」
「むしろ脅威になるのは、グレースメリアに残された二流三流の政治屋たちだろうな。今頃エストバキアに尻尾を振って、以前と変わらぬ贅沢三昧を決め込んでいるかもしれんぞ?この際、俺としてはそっちを吹き飛ばす方に協力したいもんだね」

エストバキアの勢いを現状は止められない以上、征服される可能性のある都市に臨時政府を置くことは自殺行為に等しい。となれば、エストバキアの手出しが非常に難しいポイントに暫定拠点を置くのではなかろうかとコクランは考えている。一番適当な地点は、陸上戦力を輸送船などに乗せてから出ないと攻め込めない、最果ての地であるケセドあたりだろう。その先は、永世中立国を宣言しているノルデンナヴィク。ただし、永世中立が武力による侵攻に対し寛容であるというわけではない。ノルデンナヴィクにはエメリアほどの規模ではないものの、強力な軍隊がちゃんと存在している。もしエストバキアの狙いがアネア大陸の武力統一にあるならば、その時代錯誤の侵略に対してエメリアとノルデンナヴィクが手を組む余地も出てくるだろう。ケセドに臨時政府を置くことは、「お前たちはアネア大陸自体を我が物にするつもりか?」というメッセージを発することにもなる。軍令部がエメリア軍の残存戦力を西へと撤退させ続けているのもそういった背景があるのだろう。可能な限り戦力は温存して後の戦いに備える。軍人は目先の敵に対して兎角目が行きがちだが、元気なエストバキアと戦っていては損耗度が上がるのも事実。だが、あの一見頼りない首相殿は、コクランを前にしてはっきり言ったのだ。反抗に必要な環境は必ず整える、と。

「……ま、そういうことだ。待つことも戦いのうちだ。その日に備えて、今は待つしかない」
「艦長……」
「と、いうわけで、今は目先の大物だ!軍令部への返信は任せたぞ、アヅチ中尉!!」
「か、艦長ーーーっ!?」

年齢を感じさせない速さで駆け出した上官を、アヅチは呆然と見送った。そして、確信した。今日の腹いせのために罵声を一言返信してやろうと。「馬鹿め」とか、「クソ食らえ」とか、ひどいやつを必ず打電してやるぞ、と。

ユークトバニアの兵士たちを楽しませる不良艦長とその副官の騒動劇は、しばらくの間フョードルグラードの名物となる。彼らがエメリア=エストバキアの戦いに顔を出すまでには、まだ幾ばくかの時間が必要であった。
サン・ロマのカヴァリア空軍基地にも、グレースメリアほどではないにしても大規模作戦時などに使用する大きなブリーフィングルームが存在する。首都からの撤退後、大抵の作戦は数部隊レベルでの命令が多かったこともあって、この部屋に入るのは撤退してから今日が初めてだった。まだこれだけパイロットが残っていたのか、と正直俺は驚いたものだが、それでも少し前まで見た顔がどこにも見当たらなかったり、場合によっては一角丸ごと空いたままという状況を目にすると気が重くなってくる。それを言い出したら、俺がもともと所属していたプルトーン隊は開戦直後に壊滅している。後から分かったことだが、あの日基地に残っていたプルトーン隊の生き残りは、俺を除いて一人残らず戦死していた。アリスト少尉やクラウン少尉は、撤退命令がグレースメリアの残存軍に下される少し前にそれぞれ空へと上がり、そしてエストバキアの精鋭によって撃墜された。垂直尾翼に描かれたプルトーン隊の記章は、もう事実上存在しない過去の部隊のものとなっていたのだ。
ざわざわと騒々しかったブリーフィングルームは、指揮官たちが姿を現すと次第に静かになっていた。最前列へと陣取る士官たちの中には、AWACS「ゴースト・アイ」で俺たちの指揮を執っているローズベルト少佐の姿もある。グレースメリア基地などでは、各自の座るデスク上にもモニターが置かれていたものだが、ここでは昔ながらのパイプ椅子。ついついいつものクセで、右足の上にノートを広げてペンを持つ。隣に座ったタリズマンは……早速船を漕いでいる。ベンジャミン大尉曰く、相変わらず難しい話は苦手との事だが、一体どういう育ちをしてきたのかそのうち聞いてやろうという気にもなる。手に持ったボールペンで、俺は軽く上官の硬いわき腹を突いた。グカッ、という少々大きな声と共に目を覚ましたタリズマンに、非難がましい視線と、ポリーニ中尉やデュラン中尉たちの楽しそうな視線が向けられる。当の本人は安眠を妨げられたことを非難するような視線を俺に向けたのではあるが。

『全員集まったようだな。それではブリーフィングを始める。全員モニターを見ろ』
「他にどこ見るっつーんだよ」
「隊長、睨まれてるんだからもう少し小声で言って下さいよ」

前面の大モニターに映し出されたのは、サン・ロマ市近郊の地図。続けて適正勢力を示す赤いアイコンが、町の東側に勢い良く増殖していく。さらに、町の北東方面にも新たなアイコンが増殖していく。予想していたことではあったが、エストバキアはこの1ヶ月たらずのうちに、本国から恐らくは相当規模の戦力をエメリアへと展開し始めていたのだ。モニターに表示されたその戦力は、サン・ロマに篭城しているエメリア軍地上戦力の倍以上。それもほとんどが無傷の軍団だ。それに対し、こちらは火砲の数も兵員数も不足気味。航空戦力による対地攻撃が有効であることは言うまでもないが、エストバキアが航空戦力を差し向けてこないはずもない。それに加えて、例のミサイル攻撃まで向こうにはある。トータルで考えたところで、こちらに分が悪い状況が何も変わらないところが悲しい。

『エストバキア地上軍は、グレースメリアから出撃した重火砲部隊を中心に戦力の増強を図り、サン・ロマを包囲するように展開しつつある。さらに、北側からも増援部隊が展開しつつあり、この街に対する包囲網を強化しつつある。この状況下、軍令部から新たな命令が下された』
「その前に質問。北側、と言ってたけれども、そっちにもうちの部隊が展開していたはずじゃなかったか?何だか聞いてるところまでだと、大陸中央が抜かれた、というように聞こえてくるぜ」
「残念ながら、ハーマン大尉の指摘の通りだ。既に大陸中央で防戦にあたっていた陸軍の防衛部隊は大敗を喫し、シルワートタウン方面へと敗走してしまった。敵が北側から戦力を展開し始めたのは、既にその進路を阻む相手が存在しないことが最大の原因だ」
『ローズベルト少佐の発言を補足する。こちらの防衛部隊敗走の原因は、何度も我々を苦しめている例のミサイル攻撃によるものだ。レイキントン市での防衛線は当初我が方が優勢であり、二度にわたりエストバキア陸軍による侵攻を退け、損害を与えることにも成功していた。しかし三度目の侵攻作戦に当たり、連中はミサイルによる対地攻撃を実施した。市民の避難が完了していたから良かったものの、レイキントン市は壊滅といって良いほどの損害を受けてしまったのだ』

どよめきが辺りを支配し始める。画面が切り替わり、レイキントン市での戦闘状況が再現され始めた。市民の撤退が完了した市街地は、防衛側にとって優位に戦局を進めることが出来るフィールドでもある。そして、大まかな戦況が再現される。市街地に対して無防備に突撃したエストバキア軍は防衛部隊の十字砲火の最中に入り込み、敗走。続けて部隊を複数に分けての突撃は、戦力分散の愚を犯し、市街地内を臨機応変に展開した防衛部隊はこれを再び退ける。そして三度目。これまでのミサイル攻撃は主に空に対して行われていたが、今回の攻撃は違った。防衛部隊の主力が展開するポイントを中心に撃ち込まれたミサイルにより、エメリア軍の防衛線は全面崩壊。ついにレイキントン市を放棄せざるを得なくなった残存部隊は、シルワートタウンへと敗走を始めていく……。そう、あのミサイルは決して対空攻撃用のものではなかった。俺の目の前で、友軍艦艇が炎に包まれ、港湾地帯のビルまでもが倒壊していった光景を思い出す。それが地上で使われたらどんな事が起こるのか。想像しただけでバケツを所望したくなった。

『レイキントン市を脱出した部隊と市民の大半は、シルワートタウン方面へと逃れることに一応は成功している。だが、市民を守るために追撃隊との戦闘を余儀なくされた防衛部隊は、防衛戦開始時のわすかに2割にまで撃ち減らされてしまったそうだ。……そして、これは実のところ人事ではない。エストバキア陸軍第3師団司令官、ギリアン大将の名で、我が軍に対して昨日通告があった。レイキントンの二の舞になりたくなければ、10月1日までに無条件降伏せよ、と』
「ふざけやがって……!」
「今からでも遅くはない。爆弾の雨を連中に降らせて思い知らせてやればいい!!」

タリズマンのサングラスの下にある目が細く引き締められる。これほど効果的で凶悪な脅迫は無いに違いない。降伏しなければ街が壊滅したとしてもそれは全てエメリアの責任だ、と彼らは言っているのだから。そして、現状俺たちには例のミサイルに対抗する術は無い。通常の巡航ミサイルよりも遥かに高速で飛来するあれを迎撃するのは、至難の業であるのだから。

『諸君の怒りは我々も共有するところだ。だが、このサン・ロマに生活する一般市民たちの命を犠牲にするような判断を我々は持ち得ない。また、ユークトバニアから帰還されたカークランド首相より、全軍に対して命令が為された。来るべき反抗のために、今は現有戦力の温存を最優先とし、エストバキア主力部隊との全面衝突を避けて後退せよ、と。既に首相はケセド島に渡り、臨時政府の樹立に向けた準備を進められている。軍令部からもこの命令を受けて、サン・ロマを放棄せよとの命令が下された』

どよめきがさらに大きくなる。予想していたこととはいえ、改めて伝えられるとその衝撃の大きさに頭が痛くなってくる。グレースメリアで体験したのと同様に、俺たちはサン・ロマ市ですら見捨てなければならないのだ。左隣に座るランパート大尉は自らの足をぐっと掌で掴んでいる。ベンジャミン大尉は……表情ひとつ変えずに、襟首を掻いている。

「そんな面するな、マクフェイル。予想されていたシナリオの範疇なんだろう?ところで、お前夜間戦闘ミッションの経験はどのくらいある?」
「実戦ではありませんが、訓練のミッションであればそれなりには」
「うーん、ま、何とかなるか」
「ひょっとして……何か悪いこと考えてます?」
「やられっ放しってのは俺の性分じゃあないんでな。負けが込んでも拳の一つでも撃ち込んでやらないと気が済まんのさ」
『各隊には、今後撤退のスケジュールが順次令達されることになる。グレースメリア組は荷物も大してないだろうから良いが、サン・ロマ組の諸君は速やかに荷物をまとめるように』
「そんな弱気でどうするんだ!!既にエメリア市民たちの間には、軍は市民を守ることもできない裏切り者ばかり、という批判も出ているんだぞ!!」
「こんな時に昼行灯の首相の命令を優先してどうする!?緊急時に対応出来るような人物か、アレが!?」

パイロットたちの怒りが限界に達し、部屋の中は文字通り騒然となる。抗議の矛先はエストバキアではなく壇上の指揮官たちに向けられ、一つ間違えれば掴みかかりそうな勢いに。そんな中、ガルーダの4人はどういうわけか落ち着いて座っていた。いつの間にか、ハーマン大尉たちエンジェル隊が移動して俺たちの前列に陣取り、憤激する同僚たちに同情半分、あきれ半分といった表情を浮かべている。

悪巧み 「俺は案外こういう場面向きだと思うんだがな、昼行灯首相」
「まぁな。敵さんがピンピンしている時に真正面から喧嘩するのは良い選択じゃあねぇし。今マクフェイルにも言ったんだがな、そのままやられっ放しってのはどうも気に食わねぇんだよ、アル」
「その点では同感だ。んで、何か思い付いたか、アーサー?」
「撤退はしゃあねぇとして、いくら何でも一般市民を避難させるには時間が足らねぇ。正直、どっちに転ぶかどうか分からねぇというのもあるんだが、ならば時間を稼ぐのが妥当な線てやつだろう。なら、やってみたいプランはないでもない」
「お前さんの考えることじゃ。どうせ真っ当な話じゃないからのぅ……物分りの良い指揮官でも抱きこまんと難しいじゃろう」
「……マクフェイル少尉。これじゃまるで悪巧みだな」
「そういうランパート大尉も何だか楽しそうに見えますが……」

騒動の中で始まった悪たれ集団の悪巧みミーティング。騒然として収拾不能になりつつあるブリーフィングルームの中で、ある意味一番冷静なのが俺たちだったように思う。それに気がついたのか、ウインドホバー隊にアバランチ隊まで加わってしまい、指揮官席とは別の作戦会議の様相を呈してきてしまう。不思議なもので、決して饒舌ではないし、口を開けば物騒な台詞が飛び出してくる。なのに、ふと周りを見れば集団の中心にいる。俺自身、タリズマンに引き寄せられた衛星みたいなもんだろう。ふと、「悪たれ集団」から視線をはずした俺は、壇上からこちらに視線を向けている士官の姿に気が付いた。ローズベルト少佐が、興味深げな、そして不審そうな、複雑な表情を浮かべて俺たちの姿を観察していた。突然、ポン、と頭の上に手が置かれる。立ち上がったハーマン大尉が、まるでこれから悪戯を始める悪童のような表情を浮かべている。俺の隣でも、少々凄みの効き過ぎた笑いをタリズマンが浮かべていた。

「エメリアにもなかなかの人物がいるようで」
「だな、物分りの良い指揮官……少佐ってのが物足りねぇが、適任だな。AWACS使えるし」
「まあ順当なとこじゃろ。それにあれでなかなか上にも下にも顔が利くからの。うちの指揮官としてはライトスタッフというやつじゃの」

エメリアの誇る二大エースが指差した先に、ローズベルト少佐の当惑する姿が見えた。俺か、と言うように自分を指差している。振り返ってみると、何とまぁ、ランパート少尉と俺を除く全員が指差したり手招きしたり……アバランチ隊のデュラン大尉は遠慮がちであったけれど。再び振り返ると、頭を抱えている少佐の姿があった。お気の毒様、と内心同情する。とはいえ、どうやら「朱に交われば……」は俺にもしっかりと当てはまるらしい。この状況下にプルトーン隊のまま置かれていたとしたら、果たして今のように落ち着いてサン・ロマ撤退の話を受け止められていたかどうか、疑わしい。危機感が麻痺しているかのようなタリズマンたちの中にいるからこそ、実戦経験ではまだルーキーレベルの俺でも平然と事実を受け入れているのは間違いあるまい。

「さて、詳しい話を指揮官殿に具申するのは後回しにするとして……どんな嫌がらせを思い付いたんじゃ、タリズマン?」
「嫌がらせって……あのねぇ……」
「そう言うなよ、ラナー。俺もこういうの好きだぞ。気に入らない先生の椅子にボンドをたっぷり塗っておくとかな。色々考えたもんさ」
「やれやれ、風紀委員がいた日にゃ、俺たち全員指導室送りだな。で、どんなプランだ。聞かせてみろよ、アーサー」
「別に難しい話じゃないんだがな。じゃ、とりあえず聞いてくれ」

腕組みをしたままパイプ椅子に座り直したタリズマンが、ようやく「とっておきの」作戦を話し始める。確かに、その方針自体は決して難しい話ではなかった。だが、その作戦が実行段階においてとんでもない難題を抱えていることに、俺は戦慄を覚えることとなった。相変わらず、二大エース改め二大悪党は恐怖と危機感というものから一切無縁であったけれども。
「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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