門限破りたちの暗闘
黒に塗り潰された世界を、星の瞬きと街の灯火の輝きとが流れていく。手元に視線を戻せば、後席の各ディスプレイ画面の輝きが、コクピットの中で薄緑色に輝いてはいたが、遠めにはまず見えることの無い程度のものだ。飛行機が空へと飛び始めた頃、夜間飛行は自殺行為そのものだった。それはごく最近まで通用した事実ではあったけれども、現代は違う。夜間飛行は、俺の乗るF-15Eのむしろ真骨頂と呼ぶべきだろうか。愛機に搭載されている新型レーダーと赤外線航法照準支援暗視カメラ(エメリア空軍では、メーカーから提供されたLANTIRN-ADVという機能向上品を使用している)の組み合わせは、昼も夜も関係無い飛行環境を実現しているからである。LANTIRN-ADVの照準画面では、暗視カメラの映像ではあるものの、海岸に横たわる水着姿のナイスを遠距離から堪能することも可能という優れものだ。問題は、目標がそれほどの熱を発しているかどうかという点と、そもそもナイスは肉眼で明るい時間帯に確認したいという点ではあるが。いずれにせよ、俺とタリズマンの乗る機体は今回のミッション遂行における「最適」の1機であることに間違いは無い。

『エンジェル1よりガルーダ1。気流の状態は……あんまり良くなさそうだ。海面か地上へのナビだけは勘弁してくれよ』
「俺としては腹いせにお前だけ地獄にナビゲートしてやりたい気分だがな。まあメリッサとマティルダに免じて勘弁してやる。その代わり、後でちゃんとフォローを入れろよな、アル」
『とはいえ、食っちゃったのはお前さんだからなぁ』
『……ゴースト・アイより、エンジェル隊隊長機並びにガルーダ隊隊長機へ。既にミッションは始まっている。下世話な話なら無事に帰還してからにしろ』
『こちらガルーダ2、退屈だけはしなくていいんだけどな。こっちはタリズマンの灯り頼りに飛んでるんで、集中出来たほうがありがたい』

LANTIRN-ADVを装備したF-15Eと、それに準じた性能を持つ赤外線暗視支援装置であるIRST08E-ADVを装備しているエンジェル隊のF/A-18Eはまだいいが、シャムロックとドランケンは言わば目隠しでこの夜空を飛んでいるようなものだ。彼らは、先頭を飛ぶ俺たちの機体を目印に、夜間低空飛行を継続しているのだ。ゴースト・アイではないけれども、傍受されていたら何とも哀しい交信のやり取りは、確かに控えるに越したことは無い。聞いているだけなら愉快ではあるけれど。ちなみに、今回の俺たちのミッションは、ガルーダ隊とエンジェル隊のみで遂行されている。あの「騒々しい会議室」の密談に加わっていたアバランチ隊とウインドホバー隊は、いざという場合に備えてエメリア勢力圏内で上空待機している。もちろん、「いざという時」が起きないのが最良ではあるのだけれども。

レーダーモードをワイドレンジに切り替える。さらに、AWACSとのデータリンク画面を表示させ、二つのモニターを俺は見比べることにした。既に俺たちは、エストバキアが勢力圏を主張している領域内へと深く入り込んでいる。だがしかし、エストバキアのレーダー警戒網はグレースメリア市周囲は別として、まだまだ空中管制機や洋上に展開したイージス艦、或いは地上に展開しているレーダー部隊任せになっているのが実状だった。タリズマンが思い付いた作戦は、言わばエストバキアの現時点での泣き所を最大限に活用しようというものだった。部隊が既に展開しているサン・ロマ郊外に向かって真正面から挑めば、たちまち対空ミサイルと迎撃機部隊のオンパレードを楽しめることになる。だが、エストバキアにとっては安全圏のつもりの横腹から攻められたらどうだろうか?あの会議の場に否応無く巻き込まれた挙句、エメリアの数少ない軍事衛星での情報解析まで押し付けられたゴースト・アイことローズベルト少佐が持ってきた調査結果は、果たしてタリズマンの読みを裏付けるものだったのだ。

サン・ロマ近郊に展開中のエストバキア軍は、その戦力をまるで誇示するかのように展開し、前方に対しては万全の体勢を敷いてはいた。ところが、グレースメリア方面に対しては、そこは既にエストバキア領内で安全、とでも言うようにまともな防衛部隊すら置いていなかったのである。もちろんグレースメリア市にはエストバキア地上軍の本隊と言うべき軍団が駐留しているから、このまま戦力が増強されればいずれ突くべき横腹すら無くなるのは自明の理であったが、少なくとも現時点においてエストバキアの陣容は決して万全とは言えないレベルのものであった。さらに、敵司令官のギリアン大将というのは、少々顕示欲が強過ぎる傾向のある御仁らしい。ずらりと戦車を並べた包囲網の後方で、「私はここにいるぞ」と言ってるも同然の、急ごしらえの作戦司令部を置いていたのであった。豪胆なのか、それとも間が抜けているのか――。ご丁寧に司令部のそばには弾薬庫兼物資置き場代わりのコンテナが多数積まれているのだった。

俺たちの目標は、その間の抜けた司令官殿が生息してるらしい「司令部」とその傍の弾薬庫。ただし最短ルートの中央突破を図るわけにはいかないので、一旦洋上にでて東進、アムラート川の河口から低空侵入で北上し、無防備な司令部の背後から一撃を加えて一気に離脱を図る――それが作戦の骨子であったが、より万全を期するために決行時間は夜中が選ばれた。夜中、夜間飛行、しかも超低空侵入。思わず俺はのけぞったものだが、類は友を呼ぶということか、ハーマン大尉はタリズマンの提案を全面的に支持し、彼の率いるエンジェル隊の全機で作戦に参加すると言い出した。まあ何とかなるじゃろ、と制止役のはずのベンジャミン大尉が頷いた。となれば、一番慎重だったランパート大尉が断る理由も無い。階級的に一番下の俺にはそもそも制止力がない。かくして提案されたトンデモミッションを改めて聞かされたローズベルト少佐は、俺同様に絶句し、そして恨めしそうな視線を何故か俺に向けてきたものである。とはいえ、開戦以後、フィールドを選ばず戦果を挙げてきたガルーダ隊とエンジェル隊の実力は俺が思っていたよりも評価されてはいるようで、ミッションは比較的すんなりと実行フェイズへと移ったのであった。

『ゴースト・アイより各機、そろそろターニング・ポイントだ。ガルーダ1、ナビは絶対に誤るな。無駄口叩くのも禁止だ。分かったな?』
「へいへい。しっかり前と高度計だけ見て飛びますよ。エッグヘッド、周囲警戒と各機のサポートはお前に任せる。俺はしゃべっちゃいけないんだとさ」
「エッグヘッド了解。各機、注意すべきポイントでコーションを出します。聞き漏らさないようにして下さい。高度は基本的に300フィート付近をキープして下さい」
「おい、少しはフォロー入れろ」
『だいぶタリズマンの扱いに慣れてきたみたいだな、マクフェイル。じゃ、そろそろ行こうぜ』

何事かブツブツと呟いて、タリズマンが操縦桿を左へと倒し、引く。針路を北へと向けて、高度を下げていく。侵入高度は300フィート。アムラート川の広い河口が、肉眼でも微かに確認出来る。レーダーで僚機の位置を確認。ガルーダ2と3は、俺たちの後方で少し左右に分かれるようにポジションを取り、高度を揃えている。さらにその後方に、エンジェル隊の4機が続く。モニターの一つには、航法LANTIRNによる地上画像がリアルタイムで映し出されている。タリズマンも、その画像を確認しながら愛機をコントロールしている。エメリアを流れる川の中でも、比較的大きい部類に入るアムラート川の川幅は、戦闘機5機が並んだとしても十分余裕がある。俺たちはその中央付近に沿って、エストバキアに奪われた大地を北上していく。容赦のないことに、タリズマンはあまり速度を落とそうとはしなかった。ラダーもうまく活用して針路を微調整しながら、低空飛行を継続する。気流自体はあまりいいコンディションでは無かったけれど、機体は比較的安定していた。こいつはありがたい。超低空領域でのF-15Eの安定性は決して高いとは言えないからだ。
レーダーをショートレンジからワイドレンジへ変更。肉眼で敵を確認出来るような状況ではない今、敵の位置を事前に確認するにはこいつしかない。さらに、AWACSとのデータ連携により、レーダーにはエストバキア軍のレーダーサイト範囲が擬似的に表示されていた。とりあえず、その範囲に突入しなければ多分大丈夫。「多分」というのが、実のところあまり気分が良いものではないけれど。レーダーサイト以外の敵影、周囲には確認出来ず。もう少し警戒するもんだけどな、と呟いてみる。これで実のところブッシュしているSAMポケットみたいのが俺たちを待ち構えているのならば見事だけれど、アムラート川の下流域ではそもそもSAM車両等を潜伏させておくポイントは少ない。それに、後方陣地の川の上を超低空侵入してくる敵に備えて対空網を構築するのは、実のところ効率的とは言えない。その点ではまあ妥当な判断ではあるけれども、ここまでがらんどうだと正気を疑いたくなってくる。深夜に超低空飛行をしている俺たちに正気について語る資格は無いけれども。

「エッグヘッド、ポイント1接近だ。アップ100、5セカンド」
「了解。アップ100、5セカンド!」

アムラート川の川幅は特に河口部では広い。それ故に、この川にかけられている橋は、比較的立派なものが多かった。そのうち、3つだけが300フィートをキープすると運が悪いと接触の危険があるため、そこだけは高度を上げる必要があった。その一つ目が、目前に迫っているのだった。きっかり5秒後、タリズマンが軽く操縦桿を引き、高度を上げる。振り返っても視界は闇の中。ただ、後続の翼端灯だけが後ろに続いているのは確認出来た。再び視線を前に戻し、モニターを睨み付ける。みるみる間に橋の全景が大きく膨れ上がり、そして足元を通り過ぎていった。一つ目は、難なくクリア。

「ダウン50、キープ」
「ダウン50、キープ……ってマジですか!?」
「大マジ。何、引っかかったヤツが悪い」
「……了解、ダウン50、キープ!」
『橋に突っ込んだら、あの世でタリズマンだけ地獄に突き落とそうぜ、エッグヘッド』

いつもならこの後に色々応酬が交わされるものだが、ハーマン大尉の突っ込みに対して、タリズマンは殊勝にも沈黙を以って応えた。もっとも、基地に戻ってから10倍返しにするつもりのような気がするけれど。ポイント2――2つ目の難所は、3キロ先にまで接近。先ほどの橋よりは高度は低いとはいえ、結構ギリギリの高度。まあ大丈夫と言うんだから大丈夫だろう、と覚悟を決めつつ、やっぱり不安になってきてモニターを睨み付ける。モニターいっぱいに広がり始めた橋の姿に、実のところ縮み上がる。タリズマンはと言えば、恐怖感が麻痺でもしているのか、後ろから見ている限り平然としているように見える。否、微かに鼻歌なんか歌っちゃってるよ、この人。頭が痛くなってきて首を振ってる間に、ポイント2、通過。残るポイントは少し先。そこを越えれば、いよいよ目標地点に到達出来る。

『何だ今の音?どこの部隊だよ、こんな時間に低空飛行訓練なんかやらかしているのは?』
『アホか。こんな時間にそんなことやるなんざ、シュトリゴンかヴァンピールの悪魔たちしかいないだろうが』
『それもそうだな。ご苦労なこったよ』

見つかったか、という悪寒が一瞬背中を這い上がるが、どうやらスルーされたらしい。ほっとしてシートに背中を預ける。全く、ここでばれていたら脱出するにも少々骨が折れるというものだ。レーダーに視線を動かす。地上に配備されたレーダーサイトの光点。遠く離れた地点に、地上部隊らしき敵の光点の塊。敵航空部隊らしき姿は幸いにも確認出来ない。今頃、グレースメリアを我が物にした連中は、あの設備の整った基地で踏ん反り返っている頃だろうか。そして、ポイント3――何だって?3箇所ある注意ポイントの中で、一番大きなサンラート大橋の上に、緑色のサークルが二つ広がっている。ご丁寧に、敵戦闘車両らしき光点も確認出来る。

「タリズマン、ポイント3、ボギー2。多分SAMも有り」
「端折り過ぎだ。ちゃんと解説しろ。皆聞いてんだからよ」
「あー……、ポイント3に、敵レーダー車輌確認。多分、SAMも展開中」
『ガルーダ3より1、敵捕捉圏内まで後どのくらいじゃ?』
「このまま進めば、あと2分」
『目標地点は?』
「迂回すれば目前てやつか。まぁ、どっちみち捕捉されんのは間違いないだろうさ」
『こちらシャムロック。時間が無いな。どうする、引き返すのか?』

引き返すにも、高度を上げるか旋回したタイミングで捕捉される可能性は高い。それならば、むしろ低空飛行を維持したまま目標地点に殺到し、一撃を加えて離脱した方がまだましだろう。その後は、ひたすらサン・ロマに向かって逃げればいい。やっぱりだが、最後はどうもドタバタになるのが俺たちのパターンらしい。

「――仕掛けるぞ。こっから先は見つかっても構わねぇ。ばら撒くだけばら撒いて、ずらかるぞ」
『妥当な線だろうな。敵地上部隊の溜まってる地点回避して、カヴァリアへと撤退だ。エンジェル2、3、4、ちゃんと付いて来いよ』
『了解』
『ガルーダ2、了解した。ガルーダ1の尻の匂いを嗅ぎっ放しってのもそろそろ遠慮したかったのでね』
「言ってくれるぜ。……10秒後に針路修正。間抜けたちの寝床にきついプレゼントを見舞ってやれ。行くぞ!!」

攻撃開始に、きりりと気が引き締まる。全兵装、安全装置を解除。兵装選択は空対地ミサイル(AGM)。レーダー解析により、目標地点の詳細地図が作成されていく。10カウント。左方向へと身体が傾き、機体は左旋回。ゴン、という衝撃に機体が震える。コソコソ隠れる必要が無くなったから、タリズマンがスロットルをMAXに叩き込んだのだ。アフターバーナーに点火。突然出現した炎の煌きは、いよいよ敵にも察知されることだろう。トライアングルが二つ、速度を増しながら敵司令部へと向かう。モニターの一つをLANTIRN照準画面に切り替えつつ、レーダー画面との間で視線を行き来させる。

『!?至近距離に、敵反応確認!これは……敵戦闘機か!?』
「冗談だろ!?何で今まで察知出来なかったんだ!!』
『ゴースト・アイより、ガルーダ、エンジェル両隊へ。完全に捕捉されたぞ。リンチにされる前に戻って来い』

わたわたと敵の動きが慌しくなる中、俺たちは一気に敵本陣へと突入していく。AGMの射程は比較的長い。攻撃目標、第一波は司令部周辺の戦闘車両。第二波は本陣と補給庫を想定。前席の広角HUDには、既に第一次目標のマーカーが表示されている。高度は先程よりも少し高い500フィートを維持。レーダーロック開始。対地目標の捕捉は楽でいい。程なく、ロックオンを告げる電子音がコクピットの中に鳴り響く。

「タリズマン!第一波攻撃後、目標変更の後、速やかに第二波攻撃を!」
「あいよ。ガルーダ1、フォックス3!!」
『ぶちかましてやるか。エンジェル1、フォックス3!』
『ガルーダ3、フォックス3じゃ。野焼きしてやるかの』

夜襲 各機から放たれたミサイルが、暗闇に細い炎を吹き出しながら加速していく。その合間を、肉眼では確認できないけれども、シャムロックとドランケンが投下した爆弾が通り過ぎていく。続けて第二波攻撃。本命の司令部の建物と、その周辺の捕捉可能な獲物にレーダーロック。エンジェル隊の第二撃は、コンテナ群。再びレーダーロックの音が鳴り響く頃、目標に到達した第一波が炸裂した。轟音と閃光が爆ぜ、次いで火柱が吹き上がった。その間に、第二次攻撃開始。炎によって照らし出された地上に、逃げ惑う敵兵士たちの姿が見える。再び火球が膨れ上がり、周囲を昼間のように照らし出した。司令部に襲い掛かったミサイルと爆弾の群れは、容赦なく周囲のものを引き千切り、吹き飛ばし、そして焼き尽くした。さらにど派手だったのが、エンジェル隊によって攻撃されたコンテナ群だ。ミサイル命中に伴う爆発によって、随分と大きなキャンプファイアが燃え上がったと思ったのも束の間、大気を震わせるような大音響と共に巨大な火球が膨れ上がったのだ。飲み込まれるのを避けるため、シャムロックとドランケンが急上昇で回避したくらい、でかい花火。もともと俺たちの攻撃目標は司令部と弾薬庫。戦果確認をすべく周囲を旋回するのに合わせ、俺は私物のデジタルカメラを取り出し、録画ボタンを押した。夜、しかもコントラストの激しい炎上中の地面に対してシャッターを切るのは難しい。動画モードでキャノピーに押し付けるようにして腕を固定する。

「デジタル好きのお前にしちゃ、随分アナログな事やるんだな」
「データだけじゃなくて、人間の目で見た方がいい場合もありますしね」
「とはいえ、そろそろ追手もかかる。あと半周したらトンズラ決めるぞ」

燃え上がる炎のおかげで、だいぶ周囲の確認はし易くなっている。遅ればせながら出動してきた消防車の姿も見えるが、この火勢では焼け石に水というものに違いない。一通り状況をモニターに収めたことを確認して、カメラをたたんでしまい込む。その間にも新たな火柱が吹き上がり、エストバキア地上軍の混乱に拍車をかけていく。ワイドレンジに固定したままのレーダーに視線を移せば、まだ距離はかなり離れているものの、グレースメリア方面から早くも戦闘機らしき光点が出現していた。

「来ました!敵戦闘機、グレースメリア方面より多数!!」
『ゴースト・アイから各機。何をしている。本命が到達するぞ。速やかに離脱しろ』
「あいよ。ガルーダ1より各機、火遊びの時間は終わりだ。追手が到達する前に撤収だ!!」
『エンジェル1了解。もう少し楽しみたかったけれどな』
「なーに、真正面から来る奴がいたら歓迎すれば良いさ」
『それもそうだな』

もう黙っている必要もなくなったせいか、タリズマンとハーマン大尉が物騒な会話を交わしている。各機それぞれ離脱を開始。アフターバーナーを焚いて加速する愛機のコクピットから見える敵司令部の残骸は、早くも小さな光の塊へと姿を変えていく。少し機体を右へと傾けながら、針路を修正していく。高速で通り過ぎていく俺たちの足元には、時折敵地上部隊のものと思われる戦車や装甲車の姿もあった。やれやれ、うちの隊長、ついでに強行偵察まで決めて帰るつもりらしい。とことん、タダでは済まさない人だ。少し呆れた気分で、俺は何気なく後方を振り返った。俺たちが逃げ出した辺りで、再び閃光がいくつも爆ぜて、そして消えた。

『――ナイトオウル隊より、ガルーダ隊。いい仕事だ。上空からも目標エリアが良く見えたぜ。協力に感謝!』
「こちらガルーダ1、タリズマンだ。敵の追手もかかってるぞ。そっちもさっさと撤退するこった」
『ハハハ、了解。基地で会おう。グッドラック』
「さて、敵さんどんな顔しているもんかな。明日の夜明けが楽しみだぜ」
「激怒して総攻撃、というのが最悪のパターンですかね」
「そしたら俺たち、最悪の戦犯だな。良し、エッグヘッド、お前の発案にしといてやる。感謝しろ!」
「証人がいっぱいいますからね。タリズマンこそ首謀者とたれこみますよ」

ナイトオウル隊は、エメリアの航空部隊の中でも数少ない、ステルス機で構成された攻撃部隊だ。彼らの使うF-117Aは、決して空戦能力は高くないけれども、隠密性は非常に高い。今回のミッションにおける「本命」は、彼らによるトドメの集中爆撃にあった。俺らの役目は、どちらかと言えば「囮」。仮に発見された場合は、敵の目を引き付けることも予定のうちだった。その点、順調過ぎるほどに作戦は進んだと言えるだろう。兵站叩くのは戦術の常道。食料と弾薬を絶たれた状況で、戦闘を続けることなど自殺行為そのもの。祖国の大地を勝手に占領した連中には、お似合いのスパンクということだろう。サン・ロマ目指して暗い空を駆ける俺たちの前に、幸いにも敵航空機の影は無い。実戦では始めてのナイトミッションを実質的に終えた俺は、こころもち体重をシートに預け、緊張を解くことにした。
店内には、今日も変わらぬジャズの旋律が、漂うように静かに流れている。この街を激しく揺るがしたあの日から間もなく一月が過ぎようとしている。その間に、街の様相は随分と変わってしまった。街に掲げられた、赤く毒々しい色の国旗。警察官の制服の代わりに、自動小銃で武装し、この暑いのにヘルメットと防弾チョッキを着込んだ兵隊の姿が街角に立つ。たった一月。グレースメリアの街は、大きく変わってしまった。だが、全ての住民がこの街から逃げ出したわけではない。この街から逃げ出したところで何も変わらないさ、と残った者も決して少なくはなかったのだ。特に、掃き溜めに近いこのダウンタウンは、爆撃による被害も限定的だったこともあって、結構な人数がそのまま残ってはいた。ただ、見慣れた顔がある日忽然と姿を消しているのも、どうやらこの街の新しいルールとやららしい。もともとスラムとも隣接しているこの街は、頭の固い軍人たちにとってみれば、格好の「浄化」すべき場所だったのだ。ホームレスたちは「勤労意欲に欠ける思想教育対象」というような名目で連行され、強制労働の場に放り込まれていった。客を取る女たちの中には、事が終わるや否や「治安を乱す不埒な輩」として逮捕された者もいる。早い話が、代金を踏み倒されたというわけだ。エストバキアの合法的なやり方というやつで。おかげで、今日も店の中は閑古鳥。カウンターに陣取った老人と店主、そして入口の近くに座る黒服以外に、人はいない。頬杖を突きながら、店主はウイスキーグラスの中の氷をゆっくりと回した。カラン、という澄んだ音が、意外に店の中に響き渡る。

「近々、街の西側の街道が閉鎖されるそうじゃ。逃げ出すなら今、と荷物をまとめる奴らも増えてきてる」
「はーん。しぶとく抵抗しているエメリア軍に業を煮やしたってやつかい?」
「まー、そんなところじゃな。だがのぅ、港にまた新しいでかい船が着いたんだとか。奴さんたち、本気で移住するつもりじゃないかね」
「移住するのは結構だけど、その前に市場主義をお勉強しないと立ち行かなくなるんじゃないかね。統制経済じゃ不満がたまるだけっての――分かんないんだろうね。あんなことがあって随分経っているし」

全ての民に公平な分配とやらを実現すべく、エストバキア軍政権は配給制に基づく市場体制を構築しようとしていたが、早い話がエメリアに対する搾取を徹底する、ただそれだけのことだった。ところが面白いことに、いざスーパーなどに意気揚々と乗り込んでいった兵士たちの大半が、店主たちによる「買取価額総額」にのけぞって追い払われていた。仕入れに支障が出始めたとはいえ、民間物資の流通を全て停止して管理することは事実上不可能と気が付いたのか、結果的には「不適切な価格吊り上げが確認された場合は是正の対象とする」旨の通知が行われ、現状黙認となった。実は、裏ではエメリア市商業青年会に参加している経営者たちのささやかな抵抗の成果であったのだが、市民たちに混じって生活品を買い求めるエストバキア兵士の姿も最近は増えてきているのだった。さらに、時折発生する兵士による略奪行為や盗難行為は、厳罰の対象となった。秩序をもたらす者が秩序を乱すことはご法度、という建前のもと、強盗や暴行を働いた兵士は容赦なく処刑の対象となった。ある意味、彼らは自らの手で自らの首を絞めたとも言えるだろう。

「案外、占領生活は長くなりそうじゃ。こんなとき、キングがいたら助かるし、面白くなるんだがなぁ」
「フフ、確かにね。でもまー、いたらいたで大変なことになってそうだけどね。すぐ血管切れるから」
「今頃エストバキアの連中の山が出来てるさ。それも再起不能の」
「んでもって、この街は浄化の対象になって燃え上がる、と」

グラスに琥珀色のウイスキーを流し込みながら、店主は老人と共に笑った。老人の言うとおり、あの男が昔のようにこの街にいたら、きっと何よりも心強いに違いない。だけど、「キング」はこの街だけの男ではなくなった。その代わり、「キング」の意志を受け継いだ者たちは、大勢残っている。

「――死んだ、という話は聞かないからね。アイツのことだから、見かけクールぶってて、内心煮えたぎってるんじゃないの?アレに襲われるエストバキアの兵隊さんたちに同情するわね」
「聞いた話じゃ、撤退際にエストバキア空軍の凄腕を叩き落していったエメリアの戦闘機がいたそうだよ。案外、「キング」じゃないか?何しろ派手なことが好きだからな」
「……じーさん、もう歳なんだから危ない橋渡るのはやめときなよ」

老人は口元に微笑を浮かべ、そしてグラスをぐっと煽った。何杯目かは忘れてしまったが、5杯より少ないということはあるまい。彼は古びた上着のポケットから少し多めの紙幣を取り出して、カウンターに置いた。店主は、ため息を吐き出しながら一度だけじっと老人を睨みつけ、そして受け取った。

「お得意さんに減られると、経営に響くんだよ」
「フォッフォッフォッ、まーそう言うな。ちゃんとまた飲みにくるさ。ではな、レノーア」

小柄な老人は、預けていた帽子を黒服から受け取り、頭に乗せる。ガラン、という鐘の音が鳴り、その姿が夜の街へと溶けていった。普段はツケか奢りで飲む老人の、悪い癖だった。何か大きいことをやる前に、必ずツケ代と合わせてきっちり支払いをしていくのだ。

「――大丈夫ですよ、店長。エストバキアの連中よりも、よっぽどタチが悪ぃんすから」
「ま、そりゃそうだけどね。さてと、クライド、店閉めるよ。どうせ今晩はこの後誰も来やしない」
「了解っす」

道端に置いてある看板を片付けに、クライドの姿が消えた。その姿を見送りながら、レノーアはため息を付く。やっぱり、呼吸するトラブルメーカーでもいた方が私の気が楽だわね、と呟いた彼女は、カウンターの棚の一番上に置かれた、まだ封の切られていないボトルを見上げ、そして少し楽しげな笑顔を浮かべたのだった。
「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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