サン・ロマを発つ
エストバキア地上軍サン・ロマ侵攻軍の司令部に対する強襲攻撃は、俺たちの当初の予想を上回る戦果を挙げることに成功していた。俺たちが空爆した敵のコンテナ群と、ナイトオウル隊が行った周辺地域の精密爆撃とは、敵地上軍の弾薬に加えて燃料・食料の備蓄に大きな打撃を与えていたのである。だが、同時に思わぬ事態も招いていた。サン・ロマ包囲網の前衛部隊が、市街に対する攻撃を開始したのである。これに対して、エメリア地上軍も反撃を開始。市街北東部を主戦場に、地上戦が俄かに始まってしまったのである。この時ばかりは、さすがのタリズマンも腕組みをしてそっぽを向いたものだが、これは一部の部隊が独断で攻撃を仕掛けてきたことが分かった。もっとも、戦闘開始直後はそんな背景を知る術は無く、エメリア地上軍の東部展開部隊の大半が敵侵攻部隊に対して迎撃体制を取ったり、ここカヴァリア基地からも攻撃部隊がスクランブル発進するなど、状況はかなり慌しくなった。そして、サン・ロマ防衛部隊による総攻撃のような状況に置かれた敵部隊は、散々に撃ち減らされて敗走する結果となる。驚いたことに、敵主力はこの突出部隊に救いの手を差し伸べることは無く、逆に前線を当初の展開ラインから後方へと引き下げて再展開したのである。結果的に、市街地の被害は限定的で済み、エメリア軍の損害はエストバキア側に比べれば極めて軽微なものに留まった。これはこれで喜ぶべきなのだが、エメリア本土は決して安全地帯ではないと再認識したのか、SAMやら対空砲やらといった対空迎撃装備が大幅増で後方に展開され、先日のようなイージーな夜襲という手段は事実上使えなくなってしまった。

そんな状況下、「グレースメリア組」たる俺たちガルーダ隊、アバランチ隊、ウインドホバー隊の面々は、カヴァリア空軍基地のブリーフィングルームへと出頭を命じられた。呼び出し主は、先の作戦で俺たちに巻き込まれた、ローズベルト少佐である。大抵この手の会議では最上官になることが多い指揮官クラスが最後に入室してくるものだが、ローズベルト少佐はどうやら真っ先にこの部屋に陣取っていたらしく、時間ジャストくらいに到着した俺とタリズマンは、彼から思い切り睨まれる羽目となった。慌てて席に走っていくと、ベンジャミン大尉が楽しそうに笑っていた。

「――全員揃ったようだな。……まぁ、早く来過ぎた俺も悪いが、エルフィンストーン大尉、マクフェイル少尉、ブリーフィング開始5分前には必ず出頭しておけ。特に、俺が呼んだ時は、な」
「フン、次から部屋の時計を5分遅らせとくさ」
「生憎だが、俺の時計は電波式でな。昔から部屋の時計は信用しないことにしている。さて……始めるか。マクフェイル少尉、こいつを全員に配ってくれ」
「了解です」

ローズベルト少佐が鞄から取り出したのは、5枚ほどのA4レポートがクリップ留めされた資料だった。束を受け取った俺は、各隊の面子に1セットずつ配り始める。考えてみたら、プリント配りなんて久しぶりかもしれない。ジュニア・ハイスクール以来かもしれない。配り終わってから、気が付いた。自分の分が無い。

「少佐、申し訳ないのですが、1部不足です……」
「何?そうか、じゃ、済まないがタリズマンと一緒に見てくれ」
「やなこった。お前頭良いんだから、聞いたことを覚えとけ」

なかなかひどい待遇じゃないか。どうやら、少佐は戦闘機の数に沿ってプリントを用意したらしい。へいへい、どうせおいらはタリズマンと一心同体ですよ。隊長の隣に陣取った俺は、半分故意に身を乗り出してプリントを除く。片方の眉をひそめながら、しょうがねぇなぁ、と言わんばかりに、大尉は左手にプリントを持ち替えてくれた。

「さて、まずは先日の夜襲攻撃、見事だった。エメリアの大地を勝手に勢力圏と勘違いしていた連中には良いスパンクになっただろう。まぁ、敵地上部隊の進撃が始まったと聞いたときは恨みたくもなったがな。結局のところ、一部の部隊が独断で仕掛けたというのが実状らしい。実際、本隊は後退しているくらいだからな。おかげで、どうにかサン・ロマ撤退の時間を稼げそうな状態にはなってきた。市民の方も、エストバキアの攻撃があったおかげで尻に火がついたように避難準備が進んでいる。グレースメリアのようにはせずに済むかもしれないな」
「とはいえ、エストバキアさん次第じゃろうて。後退したとはいえ、後ろにゃ豊富な物資をたんまり溜めたグレースメリアがあるわけじゃからの。多少の無理をしてでも、再度補給体制を整えて来るのが相場じゃな」
「その通りだ。既にグレースメリアから、空路と陸路を使っての補給網が構築され始めている。加えて、陸軍部隊も増強されている。グレースメリアから、軍団の一部が移動を開始したようだ。最新装備の、ごっつい連中が目白押しだそうだ。恐らく、補給路の確立と増援の合流、これを以って全面侵攻にかかることは間違いないだろう」

俺たちの手元には、高空から撮影したと見られる、何枚かの航空写真がコピーされたプリントが差し込まれている。平原に突貫工事で設営したらしい滑走路と、その周りに積み上げられたコンテナの数々が確認出来る。そして、別のショットには、列を為す戦車部隊の姿がある。全く、どこまで潤沢な装備を用意しているんだろう、連中は?

「――で、俺たちのミッションは何だ?強行突入、強行攻撃ってのも芸が無いが」
「無謀なミッションで、貴官ら腕利きを失えるほど、エメリアの人材も豊富じゃない。むしろ逆だ。ガルーダ隊をはじめとしたグレースメリア組には、ここからさらに西へと本拠地を移してもらう」
「この期に及んで安全地帯へと逃れろと?ふざけるな!そんなことをしていて、グレースメリアを取り戻せると思っているのか!?」
「だから俺の話を聞けと言っている。逸るな、ランパート大尉」

椅子を引っくり返しそうな勢いで立ち上がったランパート大尉を、ローズベルト少佐は目で制した。交錯した視線が中空で火花を散らしたように俺には見えたが、渋々、といった風で大尉は椅子の上に乱暴に座り直した。気持ちは分かるさ、とでもいうように、その肩をアバランチ隊のバルカルセ中尉が軽く叩いた。

「軍人である以上、命令には従う。ただ、どうも歯に物が詰まったような、回りくどい話は苦手だ。納得がいくように説明して欲しい」
「他の面子が大変な時に、うちらだけ高みの見物じゃ、後々恨まれそうで怖いですからねぇ」
「へぇ、ロレンツォでもそんな心配するんだねぇ。でもま、デュラン大尉の意見に賛成。難しい話はあまり私も好きじゃない」
「だから、俺の話を聞けと言っているんだが……まあいい。司令部は、お前たちを温存するためにサン・ロマから移動させるんじゃない。むしろこき使うために、敢えて西へと移動させると言った方が適切だ。――貴官らには、エストバキアのサン・ロマ方面侵攻軍の積極的撹乱・陽動任務に付いてもらう。積極的反攻でないのが残念だが、思う存分暴れ回ってもらう点だけは同じだ。期間は、サン・ロマの友軍がエストバキア軍主力の追撃を振り切るまで。足の長いミサイルの類は、厳しい状況ではあるが優先的に回すことになっている」
「ふーん、なるほどな。まとめるなら、嫌がらせをして時間を稼げ、ということだな。俺たちの任務は?」
「ポリーニ中尉の指摘通りだ。特にガルーダ1のF-15Eは、お前たちの中でも一番物騒な代物を搭載出来る。せいぜい、エストバキアの連中に恨まれてくれ」
「――素直じゃねぇな。はっきり言えよ。"陽動で暴れ回って、敵の難物を引き付けろ"って。ポリーニの指摘も間違いじゃないが、本当の狙いはそっちだろ?サン・ロマ立て篭もり部隊の脱出をより安全にするためにも」

サングラスの下のタリズマンの目が、少佐をぎろりと睨み付ける。ローズベルト少佐はその視線を受け止めて、そして何も答えない。ただ、口元には会心の微笑を浮かべていた。どうやら、俺たちはやっぱり損な役回りを押し付けられるらしい。要はこういうことだ。敵の目に留まるくらい、派手に暴れまわれ。そうすると、先の赤い戦闘機部隊みたいな物騒な連中は俺たちの対処に赴くしかなくなる。そうして強敵がいなくなった間に、サン・ロマ残存隊はさっさとずらかる。俺たちは――危険で獰猛な連中と楽しくダンスを踊れる……ってわけだ。エメリアの大地に送り込まれているエストバキアの兵士たちは何も陸軍ばかりではない。空軍の連中だって、相当数動員されているに違いない。そして、その中には恐らくあの赤い戦闘機部隊の隊長機のような弩級のエースがいるだろう。俺たちは、そんな連中の敵役――ヒールに徹しろというわけだ。確かに、タリズマンの容貌はヒールそのものだが。それじゃあ、俺はヒールに連れられたチンピラみたいなものか?

「こちらから伝えるべき内容は以上だ。本ミッションに伴う出立は本日1800。どうせ私物は無いに等しいだろうからな、遅れないように各自準備を進めておけ。大きい私物は、敵に見つからなければ後で基地に送っておいてやる。――解散!」

それなりの期間になって来た軍隊生活の習慣で、素早く立ち上がって敬礼を施すのは条件反射のようになっている。が、うちのチームの場合は、あんまりその常識は通用しないらしい。ランパート大尉はともかくとしても、ベンジャミン大尉やタリズマン、おまけにポリーニ中尉クラスになると、のんびりとラフに敬礼。アバランチのデュラン大尉がそんな彼らを心配するように視線を忙しく動かしているのに、俺は思わず苦笑してしまった。真面目一徹のローズベルト少佐が怒り出すのではないか、と前を向くと、それは杞憂であった。さっさと行け、とばかりに、少佐は手の平をひらひらと振っていたのだから。どうやら、この部下たちにあの上官あり、というのが、グレースメリア組の特徴になるらしい。俺にとっては、どちらかというと災難の部類に入るような気がしてきたけれども……。
コクピットに持ち込める私物は何とか狭い空間の中に押し込んで、数少ない私物の中でも貴重品以外の物については、運を天に任せて後発送扱いにして、ボックスの中へと放り込んできた。とはいえ、俺にとっての貴重品は愛用のノートPCやらデジカメやら、そして先立つものの入った財布程度だったから、片付け自体はあっという間に済んでしまった。この短期間の滞在にも関わらず手間取ったのがタリズマンで、未開封のウイスキーやらワインやらの扱いを巡って、どうやら一悶着あったらしい。憮然として格納庫にやって来たところを見ると、あまり芳しい「戦果」は無かったようだ。

ついこの間まで、この時間はまだまだ昼間、という感じではあったけれども、いつの間にか傾き始めた太陽が、辺りを薄赤く照らし出していた。それもそうだ。もう9月も終わろうとしている。何事も無ければ、読書の秋、食欲の秋、運動の秋等々、何をやるにしても楽しいシーズンであったはずのこの国は、未だどん底の渦中にあった。それでも極西部の地方にはまだまだエストバキアが到達してはいなかったけれども、いつ侵攻してくるか分からない敵への不安は、エメリア市民の生活に暗い影を落としている。そんな国の状態に合わせてか、キャノピー越しに見える空までが、不景気な色に染まっているような感じがする。

『故郷での再会はまだ遠く……か。くそっ……!』
『ウインドホバーよりシャムロック。気休めにしかならんかもしれんが、カミさんと娘さん、きっと元気にやってるさ』
『グレースメリア方面からの難民を連れ戻すようなことは、いかにエストバキア軍閥といえども出来んからのぅ。案外、難民キャンプの方で再会出来るかもしれんぞよ』
『……そうか、そうだよな。焦りは禁物……か。再会の前に俺が落ちたら、洒落にならないからな。済まない、みんな』

グレースメリアに近付くどころか、却って遠ざかる結果となってしまったことに、シャムロックは気持ちを整理しきれていないようだった。そんな存在がいない俺には、完全にはその気持ちを理解することは出来ないかもしれない。が、照明が絞られた夜遅い食堂の一角で、どうやら家族の写真を取り出して微動だにしないランパート大尉の姿を何度も見てきた今では、心の痛みを共有出来るような気がする。一方で、グレースメリア出身のはずのタリズマンのそういう姿を俺は一度も見ていない。時々、衛星放送でどうやらOBCのニュースを見ている姿は見かけたけれども。グレースメリア撤退戦の時に、大勢のダチがいるんだ……と言うくらいだから、大切な仲間たちがいるのは間違いないだろう。もしかしたら、シャムロックのように考え込んでいる姿を見られたくないのかもしれない。

「――今のところ、周囲に敵影は確認出来ません。目視ベースでも、機影らしきものはありません」
「了解だ。根は詰めなくてもいいが、一応レーダー画面とはしっかり睨めっこしておけよ。敵じゃなくて、物騒な友軍が飛んでくるかもしれないからな」
「……ひょっとして、エンジェル隊のこと言ってます?」
「隊じゃなくて、エンジェル1のことだよ。一緒にしたら奴の部下たちが可哀想じゃねぇか」

エンジェル隊についても俺たち同様にサン・ロマからの先行撤退が決まってはいたが、スケジュールは別扱いになったらしい。俺たちの出発の少し前に哨戒任務から戻ってきたハーマン大尉曰く、「やっぱりいい男ほど袖を引かれるもんだ」とのこと。その後悪友二人の見事な罵詈雑言のキャッチボールが行われたわけだが、しまいには拳を軽く合わせていたりしたから、この両人、そういう状態が「普通」なのだろう。俺に対しては、「猛獣のお守りは大変だろうが頑張れよ。ああ、餌はやり過ぎちゃだめだ。特に綺麗どころ」と笑いながら言い、直後その顔面にストレートが入っていたけれども。これまでに聞いてきた話をまとめると、どうやらタリズマンは何かやらかしてしまったらしく、家族とは別居状態にあることは間違いないようだ。そして、タリズマンの言い分では、その責任がハーマン大尉にもあることになっている。それをハーマン大尉も否定しないということは、何か行き違いでもあったのかもしれない。正直なところ事実を聞いてみたいものだが、さすがにタリズマンに面と向かって言うことは出来ないだろう。回答の代わりにあの豪腕が唸りをあげて飛んできそうな気がする。

『一時的にエンジェル隊の負担が増えてしまうが……少々心配だな』
「アバランチは優しいな。あれは黙っているとつけあがるから、こき使われてるくらいで丁度いいんだよ。心配無用!」
『ガルーダ3よりアバランチ、きっと同じ事をハーマン大尉がタリズマンにいうはずじゃからの。適当に聞き流しておくのが良いワイ』
「おいドランケン、あんたどっちの味方だ!?」
『……ゴーストアイよりガルーダはじめ各隊!少しは静かに飛べないのかお前らは!?』

そろそろ来るかな、と思っていたら、ローズベルト少佐の一喝が鼓膜を激しくスパンクした。もしこの会話を聞いている他の部隊がいたら、確かに集中できなくなることは間違いない。エンジェル隊が既に帰還済みでこの会話を聞いていることは無いのはラッキーだったかもしれない。もし彼らが空にいたら、きっと空の上で激しい戦いが始まるに違いない。さすがに黙り込んだタリズマンの背中を、実は苦笑を噛み殺しながら眺めつつ、モニター上に視線を流していく。レーダー上に敵影無し。付け加えるなら、友軍の地上部隊の姿もこの辺には無い。軍司令部は、エストバキアの足を止めつつ、戦力の温存を図ることを徹底し始めていたのだ。既に敵の手が迫っていたり、地理的に脱出が困難な部隊を除いては、輸送艦などもフル活用して積極的に最西端であるケセドに集結させているのだ。もっとも、制海権も危うくなり始めている今、潜水艦による隠密輸送まで実行しているなんて話も聞く。軍上層部は、サン・ロマの篭城戦力についても可能な限り脱出させるつもりなのだろう。これで大地に火を放って作物を全滅させていけば、昔ながらの焦土戦術の再来となる。さすがにそればかりは、国家の最高司令官であるカークランド首相が頑として認めなかったわけだが。

新たな寝床へ そうこうしている間に、俺たちは新たな住処へと近付きつつある。太陽の光は次第に弱くなってきて、空の色は赤から群青へと変わり始めていた。そのコントラストが、とても美しい。カメラを取り出して、ベストショットを狙いたい衝動に駆られる。全く、これが戦争やってる国じゃなかったら、どんなに良かっただろう。最前線では、この美しい空を堪能することも出来ず、空に無粋なエッジを刻んで戦わなければならないのだから。最後まで無事に飛んで行きたいな、と思いながら、俺はレーダーをワイドレンジに切り替えた。相変わらず敵影は見えない。見えないのだが――進行方向に向かって左後方、8時から9時の間くらい、画面の左端のあたりにノイズが走っている。レーダーの故障かと思って一旦ショートレンジへ戻す。ノイズは無い。もう一度ワイドレンジへ。やはり、ノイズが走っている。方角で言えば、南南東の海上方面だ。

「ガルーダ2よりゴースト・アイへ。南南東の方向……だいぶ遠距離ですが、作戦展開中の部隊はありますか?」
『南南東だと?……確かにな。こいつは人為的なもののようだ。だいぶ強力なECMを撒き散らしているように見える。こちらのレーダーでも確認したが、うちの軍隊で展開している部隊は無いぞ。大体、ユークトバニアのEEZ方面でエメリアが軍事活動を起こす必要が無いからな。……何だ、これは?』
「こっちのレーダーでは距離が限界です。そちらで何かトレース出来ませんか?」
『分かった、やるだけやってみよう。しかし妙だな。イージス艦を並べて電子妨害するような必要があるとは思えんのだが……』
「思わず発見、天空の王国、ってな」
『タリズマンはガリバー旅行記の読み過ぎのようだ。たまには軍事教本を読むことだ』

ビシリと決め付けられたタリズマンが、肩をすくめて首を振った。「騒音の根源」たるタリズマンは、どうやらしっかりとマークされてしまっているらしい。そんな機長の様子をちらりと眺めながら、俺はAWACSとのデータリンクを開く。ゴースト・アイが捉えている「電子妨害領域」は、かなり広範な範囲に及んでいる。通常、電子戦機などが妨害電波を飛ばす場合には円状に妨害領域が広がるものであるが、いびつな形をしているということは複数の妨害発信源があるということ。わざわざ、ご丁寧にそんなことまでする意図が分からない。否、そもそもこれがどこの軍隊がやってることかさえ、今の時点では分からない。もしかしたら、洋上輸送路で脱出を続けているエメリア軍部隊を狙うエストバキアの洋上戦力なのかもしれないが、それにしてもケセドへの航路から離れ過ぎていた。

『今度の寝床もそう安泰じゃなさそうね』
『ラナーの言うとおりだな。あんなところでどこの誰だか知らないが、電波を飛ばしまくってる奴にロクなのはいない』
『セイカーより隊長、案外、エメリアの切り札かもしれませんよ。逆だったら悲劇ですがね』
『どっちにせよ、コソコソしてんのが気に入らないな。なあ、アバランチ?』
『その通りだが、とりあえず俺たちにとって無害ならそれでいいさ。そうでなくても、俺たちの置かれた状況はシビアなんだからな』

アバランチの言う通りかもしれない。得体の知れない物体の存在は確かに不気味ではあるが、もしかしたらユークトバニア軍の「何か」なのかもしれない。いずれにせよ、今の俺たちに知る術は無い。それよりは、今の状況をどう打開するのか、その方が遥かに重要事項に違いない。仲間たちの世間話が続く中、俺は新たな寝床となるベルーガ基地への回線を開いた。普段なら偵察小隊と教育隊程度しか駐留していない小さな基地ではあるが、大型輸送機の離発着にも問題ない長さの滑走路は備えていた。

『ベルーガ・コントロールより招かれざる客人たち。夕飯はフルコースで準備できそうだ。ただし、缶詰だけどな』
「ったく、口の減らねぇオペレーターだぜ。せめてハンバーグのレーションパックくらいつけな」
『ヘルシーな豆のハンバーグだったら考慮するぞ。何しろこの辺の特産だからな、豆が』
「ガルーダ1、了解した。ちゃんと滑走路灯付けといてくれよ?そうじゃないと管制塔が危険かもしれないからな。オーバー」

少し意外ではあったが、なかなか肝っ玉が据わっているらしいスタッフがいることは、こんな状況下では幸いかもしれない。結局敵影は例のアンノウン以外は確認出来ず、俺たちは無事にベルーガ基地へのファイナル・アプローチへと入った。グレースメリアやカヴァリア基地と比べれば格段に小さな基地の姿に、俺たちが置かれている状況を何よりも証明していた。ここまで、俺たちは追い込まれてしまったのだ、と。
レーダー上に映し出された光点は、結局方向転換することなく遠ざかっていく。その姿を眺めながら、男は独り安堵のため息をつく。まったく、エメリア領内は既に我が方のもの、と豪語する好戦派の連中の浅薄な様は、いつぞやの祖国のようだ、と彼は呟いた。戦争とは、その一幕だけ勝っていても実はあまり意味が無い。勝ち続けなければ目標は達成しえない。長い内戦でそれを思い知っていたはずの連中でも、安泰な椅子の上に座ってしまうと呆けるらしい。

『敵編隊、北西方向へと進路変更。どうやら大丈夫そうですね』
「みたいだな。エメリアの奴らがもう嗅ぎ付けたのかと思ったんだが……とりあえずは杞憂で済んだらしい」
『F-15Eが混じってましたからねぇ。ちょっと冷や冷やしたんですよ。まさか、噂のやり手じゃないか、と』
「F-15Eだと?」

一部の部隊の人間にとって、エメリア軍のF-15Eはちょっとしたインパクトを持っていた。グレースメリア侵攻の初っ端において、シュトリゴン・リーダー機を手玉に取った敵エースの乗る機体。もしその男の機体だとすれば、戦線から遠いこんな領域に配備されるのは何らかの意味があるのかもしれない。それにしても、またもF-15なのか。男の脳裏に思い浮かんだのは、20年近くも前の戦争の記憶だった。同じF-15系統の試作モデルを実戦用に改造した機体を操り、同志たちの理想をことごとく打ち砕いたあの男――!

『――隊長?追撃はいかがしましょうか?』
「ん?ああ、済まない。必要ないだろう。こちらから仕掛けてボロを出すのも馬鹿馬鹿しいからな」
『了解です』

再び沈黙が舞い戻ったコクピットの中で、男は改めて記憶の中へと意識を沈ませる。その圧倒的な機動の前に、次々と落ちていく仲間たち。そして、自らの機体にも傷が刻まれ、何とかベイルアウトして空を漂う自分の目の前で、隊長機までがその牙によって噛み砕かれていった。静寂が戻った円卓の上を、「ここは俺のテリトリーだ」とでも言うように舞う、F-15S/MTDの姿。その尾翼の赤い猟犬。忘れようにも忘れることの無い、忌まわしい記憶。あれ以来、どうにもF-15シリーズの姿は好きになれないのだった。もし、エメリアの反撃が現実的なものとなったら、もしかしたら合間見えることもあるかもしれない。その時は、今度ばかりは、必ず打ち倒す。自らの過去に決着を付けるためにも。既に敵の去った方角に視線を向けながら、男は静かに誓ったのだった。

Su-33の機上にあった男の名。その名を、ロレンズ・リーデルという。
「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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