天と魔と
エメリアの防衛線が、ついに崩壊しようとしていた。ここぞとばかりに激しい砲撃を加える戦車部隊。後退する敵兵を狙って銃撃を加える歩兵部隊。サン・ロマ市街の大半が友軍の勢力下に置かれ、エメリア軍はいよいよ残り少なくなった彼らの領土を西へ西へと退却している。もちろん、彼らとてただ無為に討たれるようなお人よしではなかったから、難民が通るであろう主要幹線道路以外の退却路には工兵部隊の仕掛けていったブービートラップが設置されてもいたし、追撃に向かった部隊が殿の部隊の必死の抵抗に遭って大打撃を受けるなんてことも起こっていたのだった。それでも、エメリア軍の敗北という事実には何ら変わりは無い。功を焦らず、敵の退いた重要拠点を固めていれば良いものを、欲に任せて突出するからしっぺ返しを喰らうのさ――積極攻勢をかける友軍部隊の姿を、パステルナークは空から冷ややかに見下ろしていた。「サン・ロマ上空に展開し、反攻勢力部隊に備えよ。但し緊急時は臨機応変の対処を認める」というのが、今回ヴァンピール隊に下された命令である。上層部の連中の功績争いは相変わらず熾烈らしい。ドブロニクの大将も気苦労が絶えないな、とヴォイチェク隊長の次に付き合いの長い上官の疲れた顔を思い浮かべて、パステルナークは独り苦笑する。そんな状況下、ヴァンピール隊にお呼びがかかった理由は至極簡単だ。陸軍部隊に比べて、航空戦力については予想外の損耗を強いられている。エメリアの「天使の落書き」や「ガルーダ」のエースを狙った連中が、片っ端から叩き落されてきたからだ。

だが聞くところによれば、「ガルーダ」のエースはサン・ロマから遠く離れたケセド島方面まで既に退いてしまったらしい。パステルナークとしては残念極まりなかったのだが、その潔さが却って好敵手への好意となって尚更興味が湧いてくる。もっとも、彼の存在は疫病神以外の何者でもなかったし、色々と人の知らないところで何かやっているらしいクエスタニアの野郎に隙を見せるのは上策ではなかったから、あくまでパステルナーク個人の思いとして心に留めているに過ぎなかったが。そして、さらに残念なことがあった。折角サン・ロマに出張ってきたというのに、エメリア軍の航空戦力がほとんどいないのだ。いや、厳密には、「ヴァンピール」に割り当てられた空域は、既に友軍が制圧済みの領域であり、言ってしまえば「ナワバリの護衛」であったのだ。その実力ゆえ、1機で並みの航空隊なら二中隊に匹敵すると評された部隊に対して、何ともひどい役を回したものである。ま、功を急ぐ他の部隊にしてみれば、最前線をパステルナークたちに抑えられてしまうと活躍の場が無いのも事実ではある。そんなわけで、パステルナークは部隊をいくつかのペアに分け、市街全域上空の「哨戒」に向かわせると同時に、必要に応じて他部隊を支援せよ、とだけ命令していた。

『――隊長。どうやらお目当ての連中、来てないみたいですね』
「ガルーダの大将か?まあ仕方ないだろう。勝敗決した戦場で無為に散らせるほど、エメリアの将軍たちだって馬鹿じゃない。陸軍の連中も早く気が付いた方がいいんだけどなぁ。この街はエメリアに「譲られた」のだ、とな」
『意地でも認めないでしょうな。追撃部隊の指揮官、知ってます?あのライアス大佐殿ですよ』
「こりゃまた……我が陸軍の指揮官はそんなに枯渇していたっけなぁ?」

その名前は、「東方軍閥」の将兵たちの間ではあまり好意的な印象を与えない。内戦勃発当初は「諸島連合」に属していたこの男は、早々に「東方軍閥」へと寝返った指揮官の一人である。「東方軍閥」としての初戦において、彼はかつての味方であった部隊を完膚無きにまで壊滅し尽くした。投降も一切認めず、である。時に残虐性が前面に出るこの男の評価は、現在でも二分されている。だが、陸上戦闘における彼の指揮官としての能力は比較的優秀な部類に入るため、今日に至るまで彼は最前線に強い将官の一人として、戦場に在り続けている。お願いされても一緒に酒を飲み交わすことは無いな、とはパステルナークの人物評である。職務上止むを得ず、ヴォイチェク教官は同席したことがあったが、苦笑だけ浮かべて何も語らなかったところをみると、大体の想像は付く。ま、逃げるエメリア軍を追う猟犬としてはぴったりの役回りだろうさ――そんなことを呟いていると、コクピットの中に無線のコール音。ヴァンピール隊のものでは無い。

「――こちら、ヴァンピール・リーダー。感度良好、どうぞ?」
『こちら陸軍第8師団第45戦車大隊、ダリル大尉です。貴隊の支援によって、我が隊は敵の追撃を快調に進めております。いや、さすがですなぁ。敵の抵抗勢力を積極的に排除して頂いたおかげであります。一騎当千と称えられたパステルナーク隊長に、その礼をお伝えしたかったのです』
「そんなに褒められると照れてしまうのだがな……。でもそういう台詞は、どちらかというと綺麗どころから言われたいもんだな」
『ハハ、確かに。作戦が無事に終了したら、うちの部隊名で良い店を押さえますよ。では!』

上機嫌に交信を切ったダリル大尉殿に対し、パステルナークの眉間には皺が寄り、不快な気分を断ち切るかのように彼は激しく首を振った。陸上部隊の積極的支援を部下に命じた覚えはないし、パステルナークの信頼する部下たちにそんなくだらない戦果稼ぎをするようなパイロットはいない。どうやら、何のために実戦投入されたばかりの機体を渡されているのか、嬉々としてポイント稼ぎに走っているクエスタニアには理解することは不可能らしい。レーダーをワイドレンジに拡大すると、確かにサン・ロマ市街上空から突出し、隣接する北西空域に突出しているクエスタニアと、奴の腰巾着たるヴァンピール8の姿が確認出来た。かなり高度を下げているのは、対地攻撃に専念している証拠だ。対抗手段を持たない相手に対してはこれ以上無いくらい傲慢に振舞い、強敵がやって来れば図々しくも救援を要請する。救いようの無い奴め、とパステルナークは吐き捨てた。

『――隊長、どうします?』
「どうするって、何を?」
『クエスタニアのクソッタレですよ。あの野郎、トコトン隊長の命令を無視しやがって……!』
「ほっとけほっとけ。奴に人並みの知能があるんなら、そもそもこんな蛮行なんぞせんさ。それに、あんなことやってたら、嫌でも目立つというもの。お手並み拝見と行こうじゃないか、ノストラ」
『お、エメリア空軍機が来たみたいですよ。F/A-18Eの敵編隊、北西空域に接近中』

へえ、と気の無い返事を返した刹那、パステルナークは思い出した。サン・ロマ市の戦いにおいてエストバキア軍に甚大な損害を強いたエメリアの戦闘機部隊の一つが、F/A-18Eで編成された部隊であったということを。そして、その隊長機のコクピット下には、現代の戦闘機としては珍しく、麗しき女性の落書きが描かれているということを。
――ふざけやがって!口を開けばエンドレスで罵詈雑言を浴びせかけることは分かっていたので黙っていたが、ハーマンのはらわたは煮えくり返っていた。サン・ロマ放棄は既定の方針だから仕方ないし、撤退戦が戦闘において最も困難を極めることも事実だから、陸軍部隊の奮闘を空の上から見守るしかないことも理性では分かっていた。だが、追撃部隊と共に現れた敵戦闘機は、常軌を逸しているとしか言いようが無かった。データにも存在しないアンノウン機は、難民もろとも攻撃されることを避けて退却を続ける陸軍部隊だけでなく、国道を安全地域へ向けて走る民間人の車列にまで執拗に攻撃を浴びせていたのだった。メリッサ――マティルダ――!グレースメリアに残してきた妻と娘が巻き込まれていないことをひたすら祈るハーマンは、彼の人生において例が無いほどの焦りを感じていた。本来の担当空域をアバランチ隊に任せてサン・ロマの北西空域へと急行したエンジェル隊であったが、「制空権はエストバキアのもの」と過信しているらしいエストバキア軍は、まともな迎撃戦力も置いていない状況だった。

「エンジェル・リーダーより、2・3へ。お前らはアンノウンの腰巾着になっているSu-33を血祭りに挙げろ。4・5は敵地上部隊を叩け。深追いはするな。牽制攻撃だけでも充分効果はある。行くぞ!!」
『了解!』

手短に指示を飛ばし、ハーマン自身は余裕をかましているらしい敵アンノウン機に狙いを定める。アンノウン機も敵の接近を察知したらしい。低空から高度を上げて来た。タイマンを張る気か。いい度胸だ――常と違い、ハーマンの口元に笑みは無い。こちらを舐めているのか、その動きはどちらかと言えば鈍い。宝の持ち腐れか?なら後悔させてやる。MAAM、スタンバイ。牽制と様子見の意味を込めて、レーダーロック。程なく、敵の姿は火器管制コンピュータによりしっかりと捕捉され、ロックオンを告げる電子音が鳴り響く。指先の力を少しだけ強め、ハーマンはトリガーを引いた。母機から切り離されたミサイル本体のエンジンに火が点り、加速開始。敵の射線上から逃れるため、右方向へとロール、針路修正。敵機、上昇から水平に戻し、ほぼ同高度、真正面。その鼻先にミサイルが迫りつつある割には、随分と余裕をかましてるもんだ――余程の大物か、何か策でもあるのか。敵機の死角からの近接攻撃に備えて機体を若干傾けたF/A-18Eの頭上を、高速の「何かの塊」が通過したのはその時だった。振動であおられた機体姿勢を立て直す間に、敵機は加速してまんまと後方への離脱に成功していた。何だ、今のは?喰らわせたはずのミサイルは跡形も無く消し飛んでいる。ミサイル同士をぶつけたなら、今頃大きな火球が空に膨れ上がっているだろう。ところが、放ったミサイルは爆発すら起こさずに四散していたのだった。仕組は良く分からないが、物騒な代物を搭載しているらしい、と確信したハーマンは、レーダーに映し出される敵の姿に視線を向ける。ようやく本領発揮というべきか、ヒラヒラと舞うように方向転換を決めたアンノウンがハーマンの後背に迫る。くるりとロールしたF/A-18E、右方向へ旋回。アンノウンも同じコース。

その実、ハーマンは後ろを取られたとは考えていない。敵の位置を背中越しに感じながら、スロットルを巧みにコントロールして敵に狙いを絞らせない。タイミングを外すようにローリングと旋回を組み合わせて、相手を翻弄する。反対方向へ急ロール。反動を利用してさらに旋回。敵機は反応が遅れて少し遅れて膨らむ。が、そこはフランカーのように機動性に優れた機体らしく、ぐいと機首をインに入れて付いてくる。その間に距離のマージンを稼ぐことに成功。なんだい、アンノウン機の割に随分とラフな飛び方をしやがる。引き離されたことに頭に来たのか、敵機が速度を上げてくる。いいのかい、そんなにがむしゃらに加速させて?ふらりふらり、と機体を揺らして、頭の中で3秒だけ数える。3……2……1……0!反対方向に切り返し。スロットルMIN。大気の圧力をまともに受けた愛機は急減速。敵パイロットからは「反対方向に跳んだ」ように見えたかもしれない。と、先ほどまでいた空間を再び何かが通過した。ほぼ瞬時に、大地にボコッと大きな穴が穿たれ、土煙がまきあがる。機体をロールさせて、敵の針路上に捻り込む。ほぼ頭上に敵機の姿を眺めながら、ぴたりとその後方に付ける。それにしても、あの攻撃は何だ?エッグヘッドがそばにいたなら聞いてみたいところだが、どうやらミサイルの類ではないらしい。どちらかと言えば、大砲の類か?戦車砲担いで空でダンスたぁ、物好きな奴もいるもんだ。だが、こいつは張り子の虎だ、とハーマンは確信した。攻撃力、機動力、どちらを取っても機体性能はこちらよりはるかに高い。だが、目の前の相手は、その性能に振り回されているだけの木偶の坊だ。今頃コクピットの中で真っ青になっているだろうか。独特のノズルに点火して、こちらを振り切る目算のよう。すかさずスロットルを押し込み、ぴたりと食い付ける。ほんのコンマ数秒、トリガーを引いて機関砲弾を虚空に撃ち込む。驚くように反応した敵機の速度がガクンと落ちる。やれやれ、根性無しめ。HUDの向こうに見える敵機の姿を睨み付けて、今度は本気でトリガーを引く。

敵機の右前方へと殺到した機関砲弾の雨は、右主翼前縁の辺りに降り注いだ。右カナードが弾け飛び、胴体の一部にも命中弾!だが、敵機は命中直前に機体をスライドさせて致命傷だけは避けていた。特に、コクピット付近への直撃を避けて、だ。まさに気に食わない相手を物理的に仕留めようとしていたハーマンにとっては、「SHIT!」という気分。だが、傷を負った獲物を追うことはそれほど難しくは無い。まして、カナードを脱落させ、本来の機動性を失った相手ならば――煙を吐きながら旋回を続ける敵機の内周へと入り込もうとした矢先、コクピットの中にけたたましく鳴り響いたのはミサイルアラート。レーダーを見れば、手負いの奴のほかに新たなアンノウンの光点が出現し、真正面から突っ込んでくるところだった。

エース vs エース 『命令を無視して余計なことをしているからだ、クエスタニア。お前程度でかなう相手じゃない。後ろで黙って見ていろ』
『じ、自分は祖国のため忠義を果たしていたまでのことです!命令違反など――』
『聞こえなかったのか?死にたくなければどいていろと言ったんだ』

ヘッド・トゥ・ヘッドで放たれたミサイルを、最初のアンノウン機を盾にするように旋回してハーマンは回避。うまく命中でもしてくれればラッキーなんだがな、とつぶやく。新たに現れたアンノウン機はカラーリングこそは全く同一だが、どうやら中に乗っている人間のスペックが全く別物らしい。動きに無駄が無い、というよりも、その高い機動性を冷静に制御しながら舞っている、と言った方が良いか。翼を立てて緩やかに旋回する敵機と、ミサイルを回避しするためバレルロールへと持ち込んだF/A-18Eの航跡とが交錯する。互いの胴体を衝撃と轟音とで揺さぶりながら、2機が反対方向へと抜ける。少し強めの負荷をかけつつ、F/A-18E、インメルマル・ターン。アンノウン機、右上方へと機首をはねあげるようにしてこちらも反転。再び互いの姿を捕捉。みるみる間に縮まっていく彼我距離。と、例の「戦車砲」攻撃があることを思い起こし、ハーマンはワンテンポ短くガンアタックを切り上げ、左方向へローリング。さらにもう一回転。

『――安心しろ。俺の機体にはさっきのバカが積み込んできた物騒なものは搭載されてない。だいいち、お前ほどの好敵手相手に、反則技のオンパレードじゃ、男が廃れるというものだ。"天使の落書き"!!』
「フェアな奴で助かるってもんだ。いいダンスが踊れそうだな、お互いに」
『こちらも見せてやろう。魔の名前を冠した者の舞いを』

確証はないが、どうやら信じるには足る男が相手らしい。もっとも、相当の実力を持った難敵であることと同義ではあるが。螺旋を描くように機体を捻りながら、再び2機が相対する。照準レティクルの中に敵を捉えた刹那、トリガーを引き絞る。互いの機体から放たれた機関砲弾の火線が交錯し、次いで至近距離で機体同士がすれ違う。互いに有効弾無し、損害無し。光学照準の良いものでも付いているのか、敵の狙いは予想以上に正確であることにハーマンは舌打ちする。このままフェンシングよろしく撃ち合いしていても、劣勢になるのはこちらかもしれない。数瞬考えたのち、ハーマンは積極策へと転換した。Gリミッタを外し、機体本来の持つ機動力を引き出す。当然パイロットにかかる負荷は非常に高いものとなるが、引き換えに通常よりも鋭い機動が可能となる。反転攻勢をかけるため、先刻よりもはるかに鋭く切り込んでインメルマル・ターン。レーダーで敵の位置を確認すると、敵は三角の先端をこちらの後ろに向けて、ちょうど6時30分の位置に――こっちを向いてだって?ハイGをかけて反転するこちらよりもさらに鋭く身を翻して、後背に敵は付かんとしていた。鋭く舌を鳴らし、反転を諦める。右方向へと倒れこみながら、旋回態勢。先ほどまでいた空間を火線が撃ち抜く。あと一瞬遅ければ、間違いなく仕留められていただろう。翼端から白いヴェイパートレイルを引きながら、2機が青い空にエッジを刻みこんでいく。反対方向へ急ロール、左旋回。タイミングを合わせるように敵機も旋回。さっきの奴のようにはいかないようだ。何と言うか……タリズマンを相手にしている時のような感覚だ。

何度かシザースで互いに航跡を刻むが、敵は追撃ポジションから外れることなくぴたりと付けてくる。普通のやり方じゃ、絶対にやれないってことだ。だが、焦りより興奮が湧きあがって来てしまうのは悪いクセなのかもしれない。心が……いや、魂が震えるような強敵との戦いには、自らの全てを注ぎ込んでやりたくなる。だからこそ、今の自分があるという自負も、ハーマンにはあった。まだこいつには、捻り込みを仕掛けてはいない。そうそう連続で出来るようなものではないのだが、やってみる価値はあるだろう。うっかりしていると撃ち抜かれるから、慎重に、慎重に――。後ろをちらり、ちらり、と窺いながら、機会を待つ。少なくとも、これで撃墜されないのは、敵もちゃんとはこちらを捉えきれていないということなのだから。ロールから水平へと戻り始めるタイミングを待ち、心の中で一瞬ためをつくり、そして操縦桿を強引に引く。まるで壁にでもぶち当たったかのような感触と共に身体が舞い上がる。だがこれで終わりじゃあない。推力が消えないうちに機体をロールさせ、倒れ込んでいく。手加減は一切無し。とりあえずこの機体とこの身体で耐えられるギリギリのラインで、敵機の針路上に割り込んでいく。至近距離で互いの機体を捉えながら2機の航跡が絡み合い、ようやくハーマンは敵機の後背を取ることに成功した。だが、すぐに敵機は鋭く機体をバンクさせ、斜め下方へとダイブ。休んでる暇も無しかよ、と毒づきながらその後ろに喰らい付いていく。翼端から白い筋を刻みながら高度を下げていく敵機は、その行く先に大地があることを忘れているかのように空を駆け下りていく。何度か見せられた機動性から考えれば、F/A-18Eでは到底不可能な低空ギリギリの引き起こしもあるだろう。あー……機体に関係なくやる馬鹿もいたっけな。タリズマンの無謀としか言いようのないダイブを思い出して、ハーマンは苦笑した。

「いい度胸してやがる。俺のダチにもいるぜ。背中を任せられる阿呆がな」
『お褒め頂いて光栄だな。こっちゃ人口不足でな、なかなかそこまでの男はいなくてね』
「……ユリシーズ、か」
『そういうこと。ま、おかげでお前の様な凄腕とやり合える』
「光栄だぜ」

ダイブしながらゆっくりと機体を捻じっていく敵機。何をやるつもりだ?念のため警戒して速度を落とす。右か、左か……或いはホップアップから急上昇か?どれでも対処できるように構えるハーマン。緩やかにロールした機体は、180°ロールした状態で回転を止める。自爆するような相手ではない。どう来る?まさか……と思うや否や、排気ノズルが大きく動いた。カナードの角度が限界角にまで到達している。急制動がかかった機体は、降下するハーマンの視界下へと姿を消した。いくら機動性能が良いからって、そっちに跳ぶか!?当然、この機体で同じことをやれば引き起こせないまま墜落するか、空中分解するか、そのどちらかに過ぎない。追撃を諦め、スロットルを押し込んで加速。ゆっくりと機首を引き上げて距離を稼ぐ。充分に距離を稼いだところで反転。敵機はこちらとほぼ同一円上に乗せて旋回中。

蠢く闇 「無茶しやがるなぁ。何だか、俺のダチに良く似てるぜ」
『ダチってのは、うわさの「鳥のエンブレム」か?だとしたら、褒めすぎだろうさ』
「トンデモ機動するなら、早めに言ってくれ。距離取ってミサイルぶち込むから」
『そいつは勘弁だな。だが……まだ踊り足らないな。フラメンコ・ギターが欲しいところだ』
「今日に限ってはエレキ・ギターでもいいぜ」

攻撃の機会を窺うようにしていた2機は、次第に旋回半径を縮めていき、そして再び互いの姿を正面に捉えて突撃する。その熾烈で、しかも優雅なドッグファイトに、エメリアも、エストバキアも、手出しをすることが出来ずに見守るだけとなっていた。――ただ一人を除いて、は。
祖国の誇るトップエースと、エメリアの悪名高き「天使の落書き」の戦いは、見事の一言に尽きるものであった。実際には、駆け引きと駆け引きとがぶつかりあう熾烈な戦いであるわけだが、余人を介入させる隙のない戦いに、いつしか両軍のパイロットたちまでが戦いを忘れて魅入られていた。だが、祖国から預かった大切な機体に深い傷を負わされたクエスタニアは、屈辱の暗い炎を両眼に燃やしてその戦いを見上げていた。もともとピーキーな機動特性を持つCFA-44にとって、安定翼の損傷は本来の機動性能を著しく制限することと同義でもあった。無論、それでも高い機動性能を発揮することは可能ではあったが、クエスタニアにはそれを引き出すだけの実力が無かった。さらに悪いことに、その現実を受け入れられるような器でも無かった。「天使の落書き」に対する妬みと怒りは、正常に収斂すればクエスタニアを成長させる良い糧となったかもしれない。だが、もともと狭窄気味の彼の心と視野は、エメリアへの憎しみをさらに掻き立てる結果となったのだ。もともとクエスタニアは「東方軍閥」の所属ではない。「東方軍閥」の古参兵たるヴィクトル・ヴォイチェク同様に、「東方軍閥」の専横を防ぐ目的で送り込まれた監視役であった。それならそれで他のやりようもあったのだろうが、その役目を完遂するには、クエスタニアは不適格な人材であったろう。今や理性を欠いた彼の視界には、地上を芋虫のごとくのろのろとうごめく、憎むべきエメリアの民の姿しか映っていなかった。愚かな愚民どもに死の鉄槌を。祖国に永遠の栄光を。歪んだ笑みを口元に浮かべながら、クエスタニアはレールガン・ユニットの砲門を再び開いたのだった。
「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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