天使は空に散った
アンノウン機に相応しい、何かトンデモ機能でも搭載しているのか、広角稼働ノズルの恩恵か――いずれにしても勝負は仕切り直し。ハーマンにしてみれば取り逃した感が強いのは否めない。タリズマンと同等の腕前を持つことが分かっただけに、撃墜までは至らなくても損傷を与えて撤退させたかったというのが、ハーマンの真情であった。だが、タリズマンと同等であるからこそ、それはかなわないとも認識している。なぜなら、手加減を一切している余裕が自分に無いからだ。旋回体勢からヘッド・トゥ・ヘッドでの撃ち合いを何合か繰り返し、再び2機は牽制し合うように旋回する。例の戦車砲攻撃を敵は仕掛けてこないと分かったからといって、撃ち合いが楽になるわけではない。敵にギリギリ近づくということは、それだけ敵からも狙われやすくなるということだからだ。かろうじて被弾は無いとはいえ、有効弾も無かった。また派手に仕掛けるか、このままのやり方を続けるか、悩みどころ。間違いなく言えるのは、帰路が長い分、敵機よりは早くこの戦域から離脱しなければならないということだ。もちろん、敵さんが見逃してくれれば、という条件付きではある。いざとなったら万難を排してトンズラするさ、とハーマンは呟いた。
『おい、聞こえているか、エメリアのエース』
「何だ。降伏勧告ならご免被るぞ」
『このまま互いに手を引かないか。お前とは、もっと対等な条件でやってみたくなった。もともと教育不足の部下の不始末のために出張った空域だ。放棄することに、俺は何の拘りもない』
「余裕かませられて、羨ましいぜ。まぁ、有難い提案ではあるが……」
相手の真意がこちらと同じなら、信ずるに足る提案であった。実際のところ、あのアンノウン機に乗ってる奴なら、信用を置くことはできる、とハーマンは得心していた。だが、それは敵エースにのみ言えることであって、彼の部下までがその対象ということではなかった。自身の部下たちの状況を確かめるべく低空へと視線を動かしたハーマンは、国道に沿って連続して膨れ上がる土煙を確認し、戦慄した。そこには、エメリア地上軍部隊の姿は一つもない。あるのは、安全地帯を目指してひたすら脱出を図る民間人たちの車列。攻撃によって粉々に粉砕され、原形すら留めない車の残骸から逃れるように人々の群れが散る。その頭上を、超低空飛行で通過していったのは、先ほどハーマン自身が損害を与えた、もう1機のアンノウン機であった。
『クックックック……死ね、死に絶えろ、愚かで怠惰なエメリアの豚どもがぁぁっ!!』
『ちっくしょう、何てことしやがる、このエストバキアの×××野郎!!』
「!待て、エンジェル3!そいつに真正面から仕掛けるな!!」
許しがたいエストバキア軍機の暴挙を止めるため、真正面からの攻撃を挑む3番機。だが、あの敵機は「戦車砲」攻撃をためらうような相手ではなかった。あれが「戦車砲」ではなく、もっと物騒な代物だとしたら――ハーマンの疑問は、現実のものとなった。敵機の機体の一部が光ったと思った次の瞬間には、3番機のコクピットを含む機首付近は粉々に粉砕され、そして胴体は真中から真っ二つに寸断された。それだけでは済まず、強烈な衝撃波によって、機体の外板がめくり取られていく。破片を雪煙のように散らした部下の機体は、二つの火の球を空に出現させ、空に散った。悠然と旋回して再び民間人の群れを照準に捉えた敵機は、今度は機関砲弾のシャワーを所かまわず撃ち込んでいく。運悪くその射線上に当たってしまった女性の腹から下が、瞬時に血煙りと化す。断末魔の絶叫をあげて倒れ込む上半身を抱き止めた男性が、その名を呼んで号泣する。燃え上がる車の中からは、逃げ遅れた子供の親を呼ぶ泣き声が。片足を失った若者が、血を噴き出す足を引きずりながら、何とか逃れようと地を這う。殺戮を思うままにした敵機の姿は、まさに血塗られた赤いカラーリングが相応しいものだった。地上の惨状を確認したわけではなかったが、ハーマンは腹の底から怒りが湧き上がるのを感じていた。
「ふざけやがって……反撃も出来ない民間人を殺して、戦果稼ぎなんかしやがって。貴様それでも、人間かよ!?」
『お、おい、待て、天使の落書き!』
妻と娘の強運とサバイバル能力を疑っていたわけではなかったが、かといって、あの場に二人がいないという確信はない。狙うなら狙え、と言わんばかりに敵エースとの戦いを放棄し、低空へと舞い降りるF/A-18E。悠然と旋回する憎々しい敵機にレーダーロックをかけ、そして卑劣な敵の狙いに気が付いたハーマンは、トリガーから指を離さざるを得なかった。万が一ミサイルが外れれば、人々の群れの中にミサイルが突入してしまう。さらに、仮に命中したとしても、弾体片が人々にも襲いかかる。どこまでも卑怯な真似を……。ギリリと噛み締めた奥歯。怒りで腕が震えそうになる。
「2番機と4番機は、横から敵を抑えろ!ミサイルは絶対に使うな。行け!!」
『了解!くそ野郎め、必ず仕留めてやるぞ!!』
問題機と共に飛んでいたSu-33は既に部下たちの手によって撃墜されていた。どうやら隊長機らしいもう1機のアンノウン機と共に新手のSu-33もやって来ていたが、こちらは隊長の厳命を守って手出しをする気配が無い。おかげでハーマンたちにしてみれば獲物を集中して狙うことが出来るけれども、当の相手は一般市民を盾にしている。こちらが迂闊に手を出せないことを嘲笑うかのように、2番機と4番期が真横から至近距離で接近し、通過したにもかかわらず悠然と空を舞っている。その後姿をHUD越しに睨み付け、トリガーに指をかけた状態でホールドしたまま、ハーマンは仇敵を追い続ける。左方向へと旋回する敵機の先。そこには、脱出を図る市民たちの車列で渋滞する鉄橋があった。この平原を流れる川に沿ってはここ以外にも何本かの橋がかけられていたが、10キロ先の橋はエストバキアの勢力圏により接近しているため市民たちから敬遠されていた。いわば、この橋がサン・ロマ脱出のための唯一の出口でもあったのだ。旋回から水平へと戻した敵機が、矛先を橋へと向ける。くそったれ、間に合わねぇ!!既に最奥まで押し込んでいるスロットルレバーをさらに押し込みながら、ハーマンは敵機の上方目掛けてトリガーを引き絞った。機関砲弾の火線は敵機の至近距離を通過していくが、有効弾にはならなかったらしい。だが、敵の照準を外させるには充分有効だった。ほんの一瞬であったが、閃光と共に一瞬景色が歪み、明後日の空に向かって何かが飛翔していくのをハーマンの鍛えられた目が捉える。橋に突っ込むことを回避すべく、敵機が高度を上げる。自機が巻き起こす突風を極力避けるべく、ハーマンのF/A-18Eは急上昇。途中で機体ロールさせて、ハーマンは橋の無事を確認した。同時に、忌まわしき敵機の無事をも確認して憮然とし、そして不覚を悟る。橋の向こう側へと抜けた敵機を追撃出来る機が、いない。まるでスローモーションでも見ているかのごとく、敵は旋回を続けていた。
「メリッサ……マティルダ……」
コクピットに貼り付けた家族の写真に視線を向けたハーマンは、愛する家族の名を呟いた。今、この足元で何とか安全な場所へと避難している人々にも、それぞれ家族があるだろう。その絆を目の前で断ち切られた者たちもいるだろう。あの敵を放っておけば、いつかは自分の家族ですら、犠牲になるかもしれない。そして何より、この橋を守ることは、エメリアの多くの人々の希望を繋ぐことでもあった。やるこた一つか。……すまねぇ、メリッサ。心の中で愛する妻の名を呼び、ハーマンは自らの機体の踵を返した。川を渡る橋の姿を目前に捉えながら、一気に高度を下げて自らの姿を敵に晒す。旋回を終えた敵機の姿が、彼の真正面に捉えられる。退いてたまるか。俺の背中には、エメリアの未来を紡ぐ奴らが乗っかってるんだよ。スロットルを思い切り押し込み、父親の姿となったエースの愛機は轟然と加速した。
『だ、駄目です、隊長ぉぉぉぉぉっ!!』
『ククククク……わざわざ殺されに来るとは、酔狂な奴め。望み通りぶち殺して、俺がエースになる!!』
「ガタガタうるせえんだよ、三下が!!弱い者いじめしか出来ねぇクソが、エースなんざ語るんじゃねぇっ!!」
F/A-18Eの翼から切り離されたミサイルが、ハーマンの怒りを点火剤にしたかの如く、獲物目指して加速する。恐ろしく高速で何かを撃って来る相手だ。光ってからじゃ間に合わない。なら、姿勢を崩させて橋に狙いを定めることを妨害するまでのこと!ヘッド・トゥ・ヘッドで相対する敵との彼我距離はみるみる間に縮まっていく。だが、突如として水しぶきが巻き上がる。悪寒を感じたハーマンが操縦桿を倒すのと、衝撃が機体を揺さぶるのとはほとんど同時だったかもしれない。まるで堅い壁にでもぶち当たったかのような衝撃。キャノピーが砕け散りながら弾け飛び、破片のいくつかは逃げ場のないハーマンの身体へと降り注ぐ。そのうちの一つは、まるで槍の如く鋭く長い刃となって、右胸を貫通して座席に深く突き刺さった。噴き出した赤い血が、ハーマンのパイロットスーツを赤黒く染めていく。それでも、彼は操縦桿を離そうとはしなかった。
「うおおおおおおおおおお!!」
『な、何!?まだやるつもりなのか!?』
損傷を受けた機体に鞭打って、再び正面に捉えた獲物に対してトリガーを引く。全身を貫くような激痛に耐えながら、渾身の力を込めて機関砲弾を撃ち尽くす。だが、損傷を負った機体は本来の安定性を保てず、アンノウン機の周囲に激しい水柱を立てるばかりだった。その機体に乗っているのが、もしハーマンと同レベルの腕前を持つ人間であれば、そのままの姿勢を維持してやり過ごしたに違いない。だがこの時、その操縦桿を握っていたのは、ギャバン・クエスタニアだった。慌てて機首を引き上げたアンノウン機は、橋に対する攻撃ポジションを維持出来ず、上空へと舞い上がる。獲物の機体と至近距離ですれ違ったハーマンの機体も少し高度を上げて右方向へと旋回する。煙を吐き出しながら針路を変えていくF/A-18Eであったが、それはもう虫の息となったエースの、最後の意地だった。一般市民を巻き込まない場所に、機体を落とすという――。
『ぬくっ……ぬぐぉぉぉぉぉ!!どこまでも邪魔をしやがって、エメリアのクソ虫がぁぁぁぁっ!!』
……何とか、なりそうだな。指先を動かすことさえ苦痛になり始めた体から力を抜いて、ハーマンはシートに体重を預けた。緩やかに旋回しながら、川の中へと突入するコースに乗った愛機は最後の一仕事を完遂すべく高度を下げていく。キャノピーの亡くなったコクピットには容赦なく風が吹き荒れ、ハーマンの身体から噴き出す血液を赤い霧に変えて持ち去っていく。
『隊長、隊長、ベイルアウトしてください!!こんなところでアンタが死んだら、奥さんと娘さんはどうするんですか!!起きてください、隊長ッ!!』
「騒々しいぞ、マルコ。いつもの無口はどうした?……すまねぇが、悪友に……タリズマンに伝言を頼む。色々、後のことを頼む――そう伝えてくれ」
『何を弱気なこと言ってるんです!!さあ、早く!!』
「お前な、伝言役は生きてこそだ。――命令だ、撤退しろ。今す……」
苦笑すら浮かべながら命令を伝えようとして、ハーマンは最後まで言葉を続けることが出来なかった。自らの身体から断末魔のように噴き出した血で視界が真っ赤に染まり、赤一色に塗り込められた視界の中に微かに映るのは、家族たちの笑顔――それが、ハーマンがこの世で見た最後の光景となった。F/A-18Eの細身の機体は、連続して撃ち込まれた強烈な衝撃によって軽々と引き裂かれた。真ん中からへし折れた機体は推力を失い、前方へと何度も回転しながら大地に叩き付けられ、そして炎に包まれていく。
『ハーマン隊長ォォォォォォォ!!』
遺言を託した部下の絶叫すら、もう「天使の落書き」のエースには届かない。そして、燃え尽きたハーマンの愛機を妻メリッサが目の当たりにすることなど、ハーマンが知る由も無かった。
レーダー上からも、好敵手の姿が消えた。その代わりに、天に届くには少しばかり勢いの少ない弔いの炎が、彼の愛機から噴き上がる。あれほどの相手と命のやり取りが出来たことはパステルナークの渇きを潤してはいたが、今や彼は怒り心頭の極みにあった。その原因は、レシーバーから聞こえてくる耳障りな笑い声をあげる男の存在そのものにあった。
『やった、やったぞ。エメリアのエースがお笑い草だ。ほっときゃすぐに増えるような愚民どもを守って何になる?馬鹿だ、馬鹿!俺こそが、エースだ。エメリアのエースですら及ばない――』
「史上最悪の糞虫ってな、お前のような奴のことを言うんだよ、クエスタニア」
戦域から離脱していくエメリア軍機の追撃などしないよう、部下たちには伝達してある。彼らには、生き残る権利がある。だが、生きる資格すら無い男に対しては、相応の制裁こそが相応しかった。クエスタニアのような男が、「ヴァンピール」のエンブレムを身に付けていると考えるだけで、パステルナークは反吐を吐き捨てたい気分に駆られるのだった。だが、それも今日ここで終わる。
「――今日のお前さんに関しては、命令不服従、敵前逃亡、民間人虐殺、とまぁ軍人だけでなく人間としてあるまじき行為を散々っぱらやってくれたわけだ。「北部高地派」のお偉方も真っ青になるだろうなぁ。誉れ高きヴァンピールの名に泥を塗った畜生が、自分たちの政治ゲームのために送り込んだ工作員だったわけだからな」
『な……何を根拠にそのような……!』
「阿呆が。ヴァンピールとシュトリゴンは、俺やヴォイチェク隊長が選りすぐりのパイロットを集め、更にその腕前を磨き続けることが出来る者だけがエンブレムを背負う事が出来る部隊だ。俺の部下たちに一勝も出来ないようなお前が、技量試験をちゃんとクリアしてきた奴で無いことくらい、最初から気づいていたさ。俺のお目付け役としての密命を帯びて送り込まれたスパイだとな」
そう、とっくにパステルナークは気づいていた。今まで泳がせていたのは、単にアクションを起こす必要が無かっただけのことだ。それでも、充分に目障りな存在ではあったが。上空からクエスタニアのCFA-44を見下ろしながら、パステルナークは「天使の落書き」相手には封印していた全兵装のロックを解除した。全く、あんな下手糞が同じ機体を与えられるとはね。ドブロニクの大将も、その実寄せ集め集団たる上層部のバランス取りには想像を絶する神経を使っているに違いない。そういえば最近広がったな、額が――上官の姿を思い浮かべ、パステルナークは苦笑する。なら、今ここですべきことは一つ。頭痛の種を少しばかり消して差し上げるだけだ。
「各機は手を出すな。隊長として、俺が全ての責任を負う。ギャバン・クエスタニア!貴官はみだりに人民の命を損なうに留まらず、命令違反、命令不服従を繰り返し、我が軍の軍規を乱し続けた。さらには、守るべき人民のために正々堂々と戦ったエメリアの兵士に対し、人民の命を盾にした。――軍規に明記してある。いたずらに部下が軍規を乱した場合、上官は処断する権限を有すると、な。ここまで言えば、もう分かるな、クエスタニア。更生の余地の無い貴様には、ここで死んでもらう。「天使の落書き」とは違って、お前の行く先は地獄の釜の中だがな」
ヒィィィィィ、とまるで笛の音のような甲高い悲鳴が聞こえ、ついでクエスタニア機の機首が跳ね上がる。馬鹿の一つ覚え、か。操縦桿をゆっくりと倒しこみながら、ステップを蹴って機体をスライドさせる。少し前までいた空間を、レールガン・ユニツトから撃ち出された弾体が空しく通り過ぎる。天使の落書きが、もしCFA-44に乗っていたなら、あんなことにはならなかったに違いない。事実、F/A-18Eでも見切っていたのだから。二度、三度と放たれるレールガンの攻撃をかわしながら、その鼻面へと迫っていく。タイミングを測り、スロットルMIN、Gリミッタ解除、スナップアップ。フランカーを凌ぐ機動性を持つCFA-44は、簡単に搭乗員を殺すことが出来る凶悪な性格を併せ持つ。だが、そのピーキーさを使いこなせるのであれば、近接格闘戦において高いアドバンテージを持つことが出来る。パステルナークは、エストバキア空軍のパイロットの中でも数少ない、CFA-44の本来性能を引き出せる人間であった。低空から上空へと舞い上がった獲物の後姿を正面に捉え、スロットルレバーを押し込む。「天使の落書き」によって傷を負ったクエスタニアの乗機は、本来の機動性能を失っている。もっとも、万全であったとしても使いこなせるわけが無いのであるが。パステルナークを振り切ろうと加速するクエスタニアであったが、無駄な努力を嘲笑うようにピタリと付けたパステルナークは、一定距離をキープしたままその背中を追い回す。
『くそ……くそ……くそぉぉぉ!同じ機体なんだぞ!?何で振り切れないんだ!!』
「答えは簡単だ。お前が下手だからだよ。ま、今のお前じゃ、フランカーですら振り切れんだろうけどな」
『な、今度は何だ?何で警報が鳴ってる!?』
クエスタニアの声の向こうで、確かに甲高い警告音が鳴っている。だがそれは、パステルナークがレーダーロックをかけているからではない。その理由は、クエスタニア機の真後ろに付いているパステルナークからは一目瞭然であった。胴体部中央付近から別の煙と、そして炎が噴き出し始めているのだった。その傷を負わせたのは、言うまでも無くエメリアのエース。レールガンを装備した戦闘機という認識は無かっただろうが、あのエースの渾身の一撃はレールガン・ユニットのジェネレーターを傷つけていたのだろう。クエスタニア機の中で鳴り響いている警報は、レールガン・ユニットが異常加熱していることを何よりも証明していた。――その執念と無念、この俺が預かった。好敵手への、せめてもの手向けだ。放っておいても高熱に耐えられなくなった機体がお釈迦になって自滅したに違いないが、そんなことでは生温い。下衆には下衆に相応しい凄烈な死をくれてやる。そう呟いたい彼の眼が、鋭く細められた。
パステルナークのCFA-44は、クエスタニアのものと同じ機体ながら、実際には数々のチューンナップが施された実験機でもある。それは兵装の違いにまで現れていた。パステルナーク機の胴体部のシャッターが引き開けられる。その下から姿を現したのは、イージス巡洋艦などに搭載されるVLSのようなミサイル発射口であった。同時に、彼のヘルメットに内蔵された照準機構が作動し、複数のカーソルが視界に広がる。その数は、同時発射可能なミサイルの数の分。その全てを、ただ一点へ。同朋であることすら許しがたい男の姿があるコクピットへと合わせる。
「……そろそろ終わりにするか。祖国の誇りを踏みにじったことをたっぷり後悔しながら逝くがいい」
『た、隊長!自分が、自分が間違っておりました。ただ、私は常に祖国のことを思って……!』
「あと10年早く気が付けば良かったな。本当に救えないよ、お前……」
全てのミサイルシーカーが獲物を完全に捕捉したことを告げる。ためらう必要性すら感じず、パステルナークは発射ボタンを押し込んだ。上下から垂直方向に撃ち出されたミサイルは、ある程度母機から離れたところで水平方向へと針路を変更し、目標へと加速を開始する。合計12本のミサイルが、まるでクエスタニアを包み込むかのように殺到していく。絶体絶命の危機に際し、必死の回避機動を取ろうとしているらしいが、「天使の落書き」によって傷を負わされた機体まで、クエスタニアに反発しているらしい。ジェネレーターの放つ高熱が、機体の内部構造にも損害を与え始めているに違いなかった。今頃、コクピットの中にも熱が回って、ダイエットには適当な状況になっているに違いない。一つ間違えれば、火葬場の窯の中だが。
『く、来るな、来るなッ、来るなぁぁぁぁぁぁっ!!!』
右旋回するクエスタニアのコクピット付近に到達したミサイルの群れが、一斉に炸裂した。四方八方から襲いかかった爆圧と衝撃によって、キャノピーは瞬時に粉々となり、ひしゃげたコクピットによって上半身を押し潰された胴体は、次の瞬間には風船が潰れるが如く破裂した。続けて襲いかかった炎と熱が、哀れな男の遺骸を跡形もなく焼き尽くしていく。機体の前半分をもぎ取られたCFA-44の残骸は、ゆっくりと右方向に回転しながら高度を下げ、そして一際大きな水柱をあげて川の中へと姿を消した。CFA-44と道連れとは、「天使の落書き」と違って何とも不釣り合いな死に様だな――水流の中に没して姿の見えなくなった唾棄すべき男に対して、パステルナークは一瞥を与えた後は意識の外へと存在を追いやることにした。深呼吸を一度だけして息を整え、回線を開く。
「ヴァンピール隊隊長、イリヤ・パステルナーク少佐から周辺の友軍部隊に告ぐ。北西戦域の敵性戦力は消滅した。なお、我が隊のギャバン・クエスタニア大尉は民間人殺傷及び上官反逆の罪を犯したため、隊長権限により処断した。エメリアの民を無為に損なうが如き愚劣な行いは、祖国の誇りを踏みにじるに相応しい所業である。同様の蛮行を上空から確認した場合には友軍であっても攻撃は辞さないと知れ。同志の「良心」に期待する」
AWACSの記録によって、クエスタニアのやらかした事はより客観的に実証することが可能である。クエスタニアの処断が部隊に災厄をもたらすことが無いよう、政治的にやるべきことは山ほどあった。怪我人に協力を求めるのは酷かもしれないが、ヴォイチェク隊長の力を借りることも必要かもしれない。自分についてはどうにでもなるだろうが、部下たちのため部隊を守ることも隊長の務めなのだから。
『……やりましたね』
「ああ、これから大変だがな。ま、せいせいしたのは間違いないか」
『閑職に回されたら、日替わりでカレーを堪能してもらいますよ』
「ハハハ。毎日は困るが、そいつはいいな。先のことはまた相談するとして、今晩も頼むぜ、辛い奴を」
『――了解です』
多少は風通しの良くなった空を見渡して、パステルナークは安堵のため息を吐き出した。全く、同朋の方が信用出来ないなんてどうかしている。ためらうことなく市民を守るために自らの身を盾にした「天使の落書き」の潔さと比べて、何たる差だろう。大地を見下ろした彼の視線の先に、守ろうとした橋の近くで燃え上がる好敵手の愛機の姿があった。片手を離したパステルナークは、不本意な戦いと死を強いられたエースに対して敬礼を手向ける。ゆっくりと墜落地点を中心に周回する間、微動すること無く敬礼を続ける。
「ここしばらくで、最高のダンスだった。――安らかに眠れ、エメリアのエース」
この日、エメリアのサン・ロマ駐留軍は市内から完全に離脱し、サン・ロマ市はエストバキアの勢力下に置かれることとなった。執拗な追撃によって損害を重ねながらも、エメリア軍残党が目指したのは未だエストバキアの手が及ばないケセド島。エストバキア側に圧倒的に傾いたミリタリーバランスに、世界は「エメリアの併合」を既定のものとして捉えようとし始めるのだった。
「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る
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