天使の残した希望
サン・ロマ市から立ち昇る黒煙は微かに見えるくらいに遠ざかり、空は夕暮れに紅く染まっていく。その色が、まるで戦闘の犠牲になった人々の血の色のようでもあった。ただひたすら、エストバキアの手が及んでいない西方地区へと逃れるため、人々の車列が続く。長い影を落としながら進むその群れは、端から見れば葬列そのものであったかもしれない。事実、エストバキアとの戦闘に巻き込まれて死んだ市民も大勢いるのだから。そんな車列から少しそれた草原に、一台の車がボンネットを開けて止まっていた。筋骨隆々の大男が、上半身を窮屈そうに折り畳んでエンジンルームの中を色々と調べている。その脇では、ライトグレーのジャケットを羽織った男が、不機嫌そうに顔をしかめながら瓶ビールをラッパ飲みにしていた。
「……トッド。空きっ腹のビールは胃に悪い。あと、空き瓶はゴミ袋に」
「キッド!これが飲まずにいられるかっていうんだ!!俺たちの大事な街がまた一つ、エストバキア野郎の手に陥落した!しかも抵抗出来ない民間人をエストバキアの戦闘機が無差別虐殺した!!そのクソ野郎を追い払ってくれたエメリアのヒーローが、クソ野郎に撃墜されちまった!!!とどめに、エストバキアの蛮行を世界中に知らしめようと思ったら、機材がオシャカだぞ、オシャカ!!!!」
「……機材が盾になって、お前は助かった。そうじゃなきゃ、死んでた」
「それ以前にエメリアに攻め込んでこなけりゃ、誰も死ぬ必要など無かったさ!くっそぉぉぉぉ、思い出すだけでも頭にくる!!折角人が朝のすがすがしい時間に相応しい一曲をかけ始めた直後に、「王様橋」を吹き飛ばしやがって!!おまけに、スタジオだって乗っ取られちまった!!」
「……あまり怒ると、抜け毛が増える。それに、侵入した連中は全員裸に剥いて逆さまに吊るして来た。向こうにも、恨まれてる。お互い様」
「なっ、かっ、はぁぁぁぁ……。お前に当たっても仕方ねぇか」
やっと分かったか、とでも言うように、タイタレス(T)・ボーンは似合わぬウインクを寄こしてきた。ヤンチャ時代の愛称「キッド」は、聞くところによれば、奴が属していたチンピラグループの長が命名したらしい。ボーンは未だにその愛称を仕事場でも愛用し、本名で呼ばれると返事をしないことすらある。ただし、女性だけは例外だが。そんなわけで、奴の名刺にはこう書いてある。「T・ボーン・キッド」と。もっとも、2メートル近い上背に黒光りする筋骨隆々の体格では、誰もラジオ局の一職員とは想像出来ない。基本的に口数も少ないから、トッドの「用心棒」と勘違いをしている関係者も多いことだろう。それはそれで便利な時もあるので、トッドは詳しい説明をする気もないのであったが。いずれにせよ、トッドにとってこれ以上無い相棒であることは、疑いようの無い事実である。
「それにしても、あのエメリアのF/A-18E。痺れたぜ。まさか本当に俺たちの盾になるなんてな……。もし家族がいたんだったら、ちゃんと死に様を伝えなきゃなんねぇよな」
「……手がかりは、先の方に書いてあった「天使」のイラスト。何か、名前も書いてあった」
「良く見てるなぁ。俺なんか、何か書いてある、しか分からなかったぞ」
天然パーマの髪を無造作に掻きながら、マイセン・トッドは降参、とばかりに首を振った。いよいよ監視も外出も厳しくなるグレースメリアから荷物を詰め込んで脱出し、サン・ロマで仮の宿を確保したと思ったら再びエストバキアの襲撃。再び積めるだけの荷物を積んで逃げ出した彼らの頭の上に、今度は鉛玉が降り注いだ。例のクソッタレが撃ち込んできた弾丸はトッドたちの車を直撃こそしなかったが、その攻撃で砕けたアスファルトは遠慮なく彼らの車をへこませ、屋根の上に積むしかなかった機材類をガラクタに変えたのである。ラジオ局の人間としては命に等しい道具の損害ではあったが、確かに命あっての何とやら、だ。そして、トッドは人の悪い笑みを浮かべる。身代わりとなった機材たちのためにも、このトッド様が生き残ってしまったことをエストバキア野郎たちに思い知らせてやらなければ気が済まない。かといって、義勇兵となって戦闘するのは無理だ。キッドは別だが。というより、どこの世界に自動小銃を普通に持ち出す一般市民がいる!?……なら、昔の事例に倣えばいい。祖国の独立を求めて戦うレジスタンスたちを陰から支えた「海賊放送」。これぞ、トッド様ならではの腕の見せ所というものだろう。さすがにロケット弾の作り方を自分で歌にするのは難しかろうが、抵抗を続ける人々を「文化的に」に支えることも侵略者に対する反抗の証しである。何しろ、エストバキアのおバカどもと来たら、面白味の一欠けらもない政見放送ばかり流すことが文化と勘違いしていやがる。そこにこのトッド様が、心と魂震えるソングと語りを投下してやるのだ。クックック、こいつは面白いことになるぞ。ガチガチの頭のエストバキア兵士たちを、ハートから洗脳してやれるのだから。
「決めたぜ、決めたぜ、キッドォ!!俺たちの次なるチャンネルの素晴らしいネーミングがビビッと届いたぜ!!」
「……トッド、それじゃまるで電波系だ」
「馬鹿言え、神様の啓示ってやつだ。”愛と自由と希望の反エストバキア放送"!どうだい、このスッキリかついかしたチャンネルの名前は!?誰が聞いても間違えようが無い、純度100%、エメリアのエメリアによるエメリアの人民のための放送だ!!」
「……ひねり、足らない。それに、大事なことを忘れている」
「何だとォォォォォォ!?」
「……エメリア軍が完全敗北したら、解放どころじゃない」
「ノォォォォォォ!!そうだった。うちら負けがこんじまってるじゃないかよ、畜生!!」
「……よし、修理完了。まだまだいけるな、こいつ」
頭を抱えてのたうち回る相棒の姿を横目に苦笑しながら、T・ボーンは工具をツールボックスに仕舞いこみ、トランクへと置く。続けて、窓から手を伸ばし、キーを回す。機嫌悪そうに声をあげたエンジンに、ようやく火がともる。まるで腹に詰まったガスを吐き出すかのように、黒い排気煙が噴き出した。その塊を吸い込んでしまったトッドが、人一倍大げさに咳きこむ。相棒がのた打ち回っている間に、T・ボーンは修理に使ったシート等を手際よく片づけると共に、積むだけ邪魔になってしまった機材類をテープを使って車の屋根にしっかりと固定してしまった。物理的に「盾」として使うつもりらしい。
「……トッド、エストバキアに捕まりたいなら置いていく。ケセドまで、まだ遠い」
「誰が捕まるか、誰が。平和のメッセンジャー、戦士たちのキューピット、「予定」のトッド様だぞ!!」
「……「予定」を「実行」に変えるには、安全地帯に行くしかない」
「ああ、分かってるさ。ケセドへ向かって、全速前進!!」
「……今度はトッドの番」
T・ボーンは一足早く助手席へと乗り込んでしまう。巨体を器用に折り畳んでシートに収めた彼は、「早くしろ」と言うように、右フェンダーを軽く叩いた。思い切り叩いたら、間違いなくへこんでいただろう。渋々立ち上がったトッドは、足元に転がしていたビールの空き瓶を拾い上げ、後部座席に積んであるダストボックスに放り込む。この期に及んで箱が分別されているのは、T・ボーンの趣味である。トッド自身は気が付いていないが、すっかりと彼にも「ゴミの分別はエコ」の発想が染み付いている。運転席へと乗り込んだトッドは、試しにアクセルを踏み込んでみる。先ほどまでウンともスンとも言わなかったエンジンが再び軽快さを取り戻し、タコメーターの針がピンと振りあがった。
「たいしたもんだ。まるで新車じゃないか!車輌整備士の資格持ちとは聞いてなかったなぁ」
「……昔、こうやって車を拝借していた」
「へぇぇ、拝借か。拝借。拝借!?ちょっと待て、そんな暗い話は聞いてないぞ!!」
「……昔の話。今はやってない」
「勘弁してくれよ、相棒が犯罪者だったなんて、ヤバイじゃないか!!」
「……エストバキア兵士を裸に剥いたうえに落書きしてきたトッドも、既に人権侵害者」
「ノォォォォォォォ!!」
叫びながら、トッドはクラッチを切ってシフトレバーを手繰る。ニュートラルからファーストへ。回転数が噛み合わず、軽いノッキングで抗議を返してきた車に対し、T・ボーンは眉をひそめ、トッドはアクセルを踏み込むことで応える。土煙をあげて動き出した古いハッチバックは、今や車線に関係なく西へと向かう車の群れの中へと加わって走り出す。周りの車のエンジン音に全く負けないくらいの声量と絶えることなく回転し続けるトッドの舌に、T・ボーンは楽しげに相槌を返す。普通に走れば退屈な旅路も、どうやらこの二人にとってはいつもと変わらぬ楽しき日々のようであった。
照明が抑えられたドリンク・コーナーは、この場を愛用する兵士たちの落胆した気分をそのまま表すかのように薄暗い。いい加減冷めているであろうブラック・コーヒーの紙コップをテーブルの上に取り残したまま、腕組みして動かない上官に断り無く去ることも出来ず、俺もまた無言で座り続けている。つい先ほどまで、この場にはグレースメリア組の面子が所狭しと並んでいたのだが、俺たちを除いてはそれぞれの部屋へと既に戻っていた。最初から最後まで泣き通しだったマルコ・エリア・ピリカ少尉は、彼同様に部隊全滅の憂き目に遭った「サーベラス」ことバックス少尉と「アバランチ」ことデュラン大尉に抱えられるようにしてこの場を去った。多分今頃、どちらかの部屋で励まされていることは間違いない。ピリカ少尉がもたらした報告は、グレースメリア組に衝撃と落胆を与えるに充分過ぎるインパクトを持っていた。アルバート・ハーマン大尉の戦死、エース部隊たる「エンジェル隊」がピリカ少尉を残し壊滅――戦力的にも、メンタル的にも取り返しの付かない損失に、俺たちはエストバキア軍の強大さを今更ながらに思い知らされたようなものだった。
俺自身のハーマン大尉との付き合いは決して長いわけではない。開戦前、まだプルトーン隊が存在していたあの頃、タリズマンとエンジェル1に完膚なきまでに敗北したあの模擬戦が、大尉と直接会った初めての機会だったのだから。もっとも、その後は随分みっちりとしごかれたし、話す機会も増えた。この戦争が始まってからはタリズマンの副官として意見を交わすことも多くなったし、作戦行動中の交信で会話をかわすことも多かった。少々プライベートな話に付き合わされたこともあるし、逆に相談を持ちかけたこともある。何しろ、タリズマンはあの強面だから、相談を持ち掛けようにも気が引けてしまうのだ。もっともハーマン大尉曰く、「実はお人好しだからちゃんと話は聞いてくれるさ。ただし、回答はぶっきらぼう、言葉足らず、不親切だから役に立たん」ということになるのだが。そんなハーマン大尉が、もう二度と俺たちの前には現れない。その喪失感は、スパンクラー中尉を失った時とはまた異質で、しかも非常に大きかった。何というか、バンジージャンプ台の端から、遥か下の大地を見下ろした時のぞっとした感覚が、ずっと胸の中で続いているような気分。それは決して俺だけの話では無かったらしく、アバランチ・ウインドホバー両隊の面々もふさぎこんでいたし、パイロットメンバーの中では紅一点のラナー……ソフィア・フロイデンタール少尉に至ってはポリーニ大尉に肩を支えられないと立っていられないような状況だった。だが、付き合いも長く関係も深かったタリズマンの受けたショックは、俺たちの比ではなかったろう。その証拠に、いつもの仏頂面が一層今日は険しく、いつも以上に無表情に見える。こんな時に、ハーマン大尉のように気の利いた言葉の一つか二つ出てくれば良いのだろうけど、思い付くセンテンスが無い。だから、沈黙だけが流れていく。
「……いい奴から戦場では死んでいく。だがあいつはなぁ……こんなところでくたばるようなタマじゃ無かったんだよ。俺みたいなチンピラとは違ってな……」
沈黙に耐えかねたのはどうやら俺だけでは無かったらしい。先に沈黙を破ったのは、タリズマンの方だった。内心、気が楽になったのは言うまでもあるまい。普段からかけっ放しにしていることが多いサングラスをテーブルに置いて、彼は冷めたコーヒーをようやくすすった。
「あいつは昔から変な奴でな。俺の同期の中では上から数えた方が早い位置にいながら、いつもつるんでんのは下から数えた方が早い俺たち愚連隊ばっかり。実際、家柄も良かった。ジュニア・ハイスクールからの付き合いのメリッサと結婚する時にも、実家と一悶着あったくらいだからな。……意地の悪い教官連中なんか、「ハーマンとつるんでポイントが上がるなんざ思うなよ、落ちこぼれども。所詮お前らクズはクズのままだ」なんて、有難いご宣託をくれたくらいだからな。ま、その通りだったから仕方ねぇんだがよ」
「でも、隊長は落第しなかったからここにいるわけですよね?」
「フン、根っからの悪たれの俺が、心は改心しても頭の中身が変わるわけねぇだろ。人の三倍は理解するのに時間かかってな。いい加減本気で嫌になっていた時に、アルの奴がフォローしてくれてな。さすがに理解出来なかったぜ。だから、俺みたいのを助けて何の得になる、って言ったら、あの野郎何て返したと思う?」
「さあ……」
「「痛快じゃないか。エメリア最強の愚連隊なんて」だぜ。さすがに呆れちまったわ。こいつの頭ン中、超が付く阿呆だってその時初めて知ったわけよ。ま、それからさ。本気でつるんで色々馬鹿やりだしたのは。けどまぁ、あいつの足ばかり引っ張るのも癪だったんで、我が人生の中で最も勉強したのも事実だよ。おかげで、操縦桿握る前に落第する危機は避けられた」
苦笑しながらコーヒーを飲み干したタリズマンは、ポケットから小銭を取りだすと販売機へと歩み寄る。戻ってきたときには、新たなブラック・コーヒーが二つ、テーブルの上に置かれていた。礼を言って小銭を出そうとすると、「アホ」と言われたので引き下がる。
「飛び始めてからは……まあ昔から実戦本番の方が得意なクチだからな。例の意地悪教官をアルと二人で蹴散らしたりとか、本領発揮ってわけだ。もっともその頃は日課が終わって家に戻れば娘の泣き声が待っていて、睡眠時間の確保に苦労したもんだぜ。整備兵に協力してもらってコクピットの中で寝たりとかな」
「娘って……タリズマン、娘さんもいたんですか!?」
「お、言ってなかったか?今年で17になる。俺に似ず、優秀な娘でな。あー、先に言っとくが、手出したら……殺すぞ」
「出しませんて!あれ……17?タリズマン、その……計算が」
「へっ、アルと同じこと言いやがる。仕方ねぇだろ。当時の俺は、悪真っ盛りだ。本能に忠実に生きていたわけだからな。んで……失敗した。そんなわけで、俺も人並みに平和な家庭を作ってきたつもりだったんだが、そこに危機を持ち込んだのもアルの野郎だ。メリッサとの夫婦喧嘩を「お前が悪い」と忠告してやったのに、人を罠に嵌めやがった!!おかげで今度はこっちがピンチだ。カミさんと娘、二人揃ってオーシアに行っちまったんだからな」
その話なら、ドランケンからも聞いている。飲み会の後、どういうわけか「タリズマンの昔の姿を見せてやろう」という話になり、ハーマン大尉が手配した綺麗どころをタリズマンが酔った勢いで押し倒してしまった……そして、その時の写真を見てしまった奥さんは、かのタリズマンが蒼白になるようなコメントを残して家出をしてしまったのだという。もっとも、この話には後日談がある。まず、タリズマンが「本格戦闘」に入る前に酔いが冷めてしまい、肝心の事に及ばなかったこと。さらに、この悪戯が夫人同士のネットワーク……即ち、タリズマン夫人とハーマン夫人の会話で露見してしまい、ハーマン大尉も家に入れてもらえなくなったのだ。そして、大尉が復縁作戦を検討している間に、この戦争が起きてしまった。
「きっと今頃、奥さんも娘さんも、タリズマンの安否を心配している頃ですよ。全部終わったら、謝りに行けばいいじゃないですか」
「お前な……お前はうちのカミさんの恐ろしさを知らないからそんな事が言えるんだよ」
「とはいっても……証拠写真まであっては……」
「だ・か・ら!手は出してねぇンだよ。大体、お前にこの話教えたの誰だ?大方ドランケンあたりだろうが……余計なことを。きっちりオトシマエをアルの奴に付けさせるつもりだったのになぁ……メリッサとマティルダに、何て伝えりゃいいんだよ。マティルダなんか、まだ9つだぞ。これから父親が必要って時に、らしくねぇ死に方しやがって……」
ピリカ少尉の話では、大尉は民間人への攻撃を執拗に行っていた敵機から、脱出路である鉄橋を守り抜くための盾となって戦死したらしい。らしくないどころか、あまりにもハーマン大尉らしい話じゃないかと思う。もちろん、タリズマンはそんなことを百も承知で言ってるのだろうけど。
「エッグヘッド。確か、アルの奴は「戦車砲だか良く分からない謎の兵器を積んだ、新型戦闘機」にやられたんだったよな?」
「ピリカ少尉の話では、そのようです。何となく、積んできた兵器の素性に思い当たるものもありますが……」
「加えて、人質を取ってという悪条件付きか。俺たちの場合は、超機動要塞がダース単位で必要だな。そうでもしないと、あの世とやらでアルにいぢめられそうだしな……」
超機動要塞!頭に思い浮かんだのは、子供の頃に見ていたテレビアニメに出てくる巨大要塞の姿だった。タリズマンらしい言い方に思わず苦笑いしてしまう。エストバキアがあんな代物をダース単位で持っていたら、エメリアどころか世界中を簡単に掌握してしまいそうな気がするけど。でもまぁ、確かに巨大兵器よりもそれに搭載されていた戦闘機とそのパイロットの方が強かったのも事実ではあるか。
「さて……沈み込んでるのもこれくらいにするか。辛気臭いのはあいつが一番嫌がることだったからな。やんなきゃいけねぇことも山ほどある。明日は黙り込んでいる連中のケツを蹴り上げることから始めるか。お前もだぞ、エッグヘッド。生き残った奴には、生き残った人間なりに果たすべき役目がある。死んでいった仲間たちのことを語り継ぐのもそのうちの一つだ。無理でも笑っとけ。そうすりゃ、神様は駄目でも、タチの悪い悪魔が手を貸してくれる。代償もいるかもしれんがな」
「――自分はどちらかというと天に召されたいんですがね」
「諦めな。俺もお前も、今となっては同じ穴の狐……タヌキだったか?」
「ムジナですよ」
「それだ。何しろ、エストバキアの連中から見れば、俺たちだって大量殺人者だ。ミサイル撃ち込んで、機関砲弾ばら撒いて、身元確認に困る亡骸を生産し続ける呼吸する殺人マシーンてとこか?とてもとても、清廉なる神様からお呼びがかかるとは思えねぇ。じゃ、行くとこ決まりだろ。出来れば、悪魔の特等席で高みの見物がいいけどな。そうでなければ、ラーズグリーズたち戦乙女のお呼びがかかるのを待つか、だ」
「地獄行きよりは、ラーズグリーズ待ちの方がいいですねぇ」
かつての強国ベルカの地方に伝わる古代伝承では、戦士の魂は戦乙女によってヴァルハラに召され、そこで新たな生を受けると伝えられている。戦士としていかに勇敢に戦い、勇敢に死すかが評価の対象となり、戦士にあるまじき行いを働いた者には蔑みと裁きが下る――だからこそ、男たちは戦場で獅子奮迅の戦いぶりを見せ、自らの手で葬った敵の数を競い合ったという。事実、ベルカは現代に至るまで、そうして強国で在り続けた。本当に戦乙女が、かの国の兵士たちを迎えに来たのかどうかは分からないけれども。
空っぽになった紙コップを二つ重ねて、タリズマンが立ち上がる。どうやら、会話の時間は終わり、ということらしい。だけど、ゴミ箱のところまで行ったところで、タリズマンはそのまま立ち止まってしまった。大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出す音が聞こえてきた。その背中が、微かだけれども震えたのを、俺は見逃さなかった。こちらに振り返ることなく、タリズマンは呟いた。どちらかと言えば、いつもの印象とは正反対の、静かな声で。
「まったく、えせ天使が天使になったなんて、悪い冗談にしか聞こえないよなぁ。どうするよ。天に召される時が来て、横を向いたらアルの顔だったらよ?」
「きっと、同じ事をハーマン大尉も言ってると思いますよ」
「フン、確かにその通りだ。じゃ、道連れで仲良く地獄行きとするか」
いつになく饒舌で、いつになく陽気なタリズマンの声が、逆に悪友を失った深い悲しみを何よりも物語っているようで、正直俺は辛かった。でも、誰よりもハーマン大尉のことを知り、誰よりも彼を信頼していたであろうタリズマンが、表面上は微塵も落ち込む素振りをみせようとしないのだから、俺が落ち込むわけにはいかなかった。
「俺の許可なく死ぬんじゃねぇぞ、相棒」
振り向きざま、いつもと変わらぬ精悍な笑みを浮かべたタリズマンは、手をひらひらと振りながら暗い廊下へと姿を消していった。ケセドの冬は早い。ドリンク・コーナーに立ち尽くす俺の身体は、すぐに冷たい空気で覆われていく。冬を迎える大地に「しっかりしろ!」と冷水を浴びせられたような気分になって、俺は両の頬を何度か手の平で叩いた。明日になれば、また戦場へのフライトが俺たちを待っているのだ。しおれた顔で立っていたら、きっとハーマン大尉が喜んでケツを蹴り上げに化けて出てくるだろう。テーブルの上に残っていた紙コップを重ねた俺は、慎重に狙いを定めてダストボックスへと放る。勢いが良すぎたのか、ホップアップするように一瞬舞い上がったコップは、今度は失速するように曲線を描きながら目標点を飛び越える。床に転がったコップの乾いた音が、誰もいなくなったドリンク・コーナーに静かに木霊した。
「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る
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