リ・スタート!@
故郷と比べれば格段に温暖なオーレッドでは、11月に入ったからといって真冬用のガウンを羽織る必要が無い。長袖の綿シャツか薄手のパーカーにでも袖を通しておけば、少なくとも室内なら問題の無い程度の涼しさだった。毎日ポストに押し込まれている複数の新聞の朝刊に目を通しながら、レベッカは少し厚めのピザ・トーストにかぶりつく。いつも手抜きで済ませているところ、たまには奮起してピザソースにマヨネーズ少々、ピーマンと玉ねぎの薄切り、ウインナーの薄切りと置いて仕上げにチーズ。それでも簡単料理であることには違いないのだが、その手間分の味は間違いなく稼いでいるわね――そして、その味覚は今この場にいない相手と共通であることに思い至り、レベッカはため息を付いた。全く、世間は彼女の気を重くする物事で満ち満ちている。自分自身も番組で伝えている通り、連日第一面を埋めているのは、アネア大陸全土を巻き込みそうな、エメリア・エストバキア紛争のニュースばかり。ついに大都市の一つサン・ロマ市が陥落し、エストバキアの勢力圏はエメリア全土の半分以上へと広がっている。そして、カークランド首相はこれ以上の抵抗戦は最早消耗戦でしかないとして、残存戦力の全面撤退を指示。エメリアに残されたいくつかの軍港からは、グレースメリアから遥か西のケセド島への定期便で、生き残りの陸軍兵士たちの移動が急ピッチで進められているのだという。エストバキアとしても、労せずして勢力圏拡大を実現出来るならば願ったりかなったりというわけで、戦力の空白地帯を確実に手中に収める戦略への転換が始まっていた。このままのペースで事が進むならば、ケセドへの脱出がかなわない一部の都市を除いて、アネア大陸のエメリア領は年明けを待たずにエストバキアの占領下に置かれるであろう――とは、既に既定の予測として語られ始めていた。

もう一つの難事は……どちらかと言えば、難事というよりも意志の確認というべきか。その問題の種を摘むためにわざわざ朝早くから朝食の準備をしてみたのだが、一向に根源が下りてくる気配が無い。経済ジャーナル紙を一つ読んでいる間は黙っていようとレベッカも思っていたが、主要ページをほぼ読み尽くす頃になっても物音一つしないと来ては、さすがに眉をひそめざるを得なかった。うちの娘、まさか毎日こうなんじゃないでしょうね、と。少し冷めてきたコーヒーを飲み干して重い腰を上げようとしたレベッカは、二階から聞こえてくる慌しい足音を耳にして、首を振った。トントントントン、という小気味良いリズムがだんだん近くなり、「よっ」という声と共に階段を蹴る音が聞こえ、騒音の主が姿を現した。

「おりょ、今日は遅いんだね、ママ」
「……めくれているわよ、スカート」
「へーきへーき、スパッツはいているんだし。わ、ピザ・トーストおいしそう!」

階段を下りてきた時と同じ勢いでテーブルに突進した娘、ニーナは、鞄を無造作に床に放り投げ、椅子に座る前にトーストに噛り付く。さすがに年頃になってきた身体は、親譲りでスリム。クラブの運動も加わって、引き締まっていると言った方が適切か。小さい頃には長く伸ばしていた髪も今は運動の邪魔だからと短くしているが、これはこれで良く似合っている。そう、外見こそは自分の若い頃に確かに良く似ているとレベッカは思うのだが、肝心の中身はどうやら父親の血の方が濃いらしい。ま、ボーイッシュなのもいいんだけれども、近くでそれを見ているハーマン家のマティルダまで男女化してきていることに、母親でありレベッカの親友でもあるメリッサはかなり心を痛めていただけに、レベッカも頭が痛いところである。さらに悪いことに、双方の父親がそれを良しとしていることも、だ。

「でも珍しいね。何かポカやったとか?」
「誰に言ってるのよ。それよりニーナ、毎日こんな時間なの?知らないわよ。遅刻王の異名を取るようになっても」
「今日は寝坊!ちゃんと行ってますよーだ。学校から連絡、来てないでしょ?」
「そうね。少なくとも「遅刻」の連絡は来てないけどね」

そう応えたニーナは、テーブルの上に置いていた一枚の紙をニーナの目の前に広げる。うっ、と黙り込んだ娘に対して、レベッカはさらに言葉を続ける。

「まったく、折角オーレッドに来られたのだからオーシアの大学目指す、と言ってたのは誰だったかしら?昨日、先生から電話があってね。選考委員から素行資料が欲しいって連絡があったそうよ。で、どういうつもりかしら、ニーナ?」
「あっちゃぁぁぁ、何でよりにもよって学校にかけるかなぁ」
「普通かけるんじゃない?で、詳しく説明してもらおうかしら」
「アハハ……ママ、青筋浮いてる」
「後ろの写真みたいになりたくなければ、さっさと説明なさい」

降参、といった風で、ニーナは椅子の背もたれに体重を預けると重い口を開いた。ハイスクールの思い出に、何か突拍子もないことをしてみようという話になったこと、どうせなら目立つことがいいなと思ったこと、学内カラオケコンテストで最高得点をマークしたこと、歌うのは今でも大好きなこと、音楽の得点はクラス一番をキープしていること、ちゃんと勉強もしていること……エトセトラ。一通り、娘が話し終えるのを待っていたレベッカは、改めてチラシに視線を移す。『第4回 ダヴェンポート・ロック・フェスタ・オーディション』という一際大きいタイトルが、まず最初に視線を引く。早い話が、一端のアーティストを目指す卵たちの登竜門。バンドやグループで応募する者たちが多いこのイベントに、ニーナは何と単独で応募し、しかも1次選考を既に通過していたのだった。

母と娘 「えーと、ちゃんと話をしようとは思っていたんだよ。ちゃんと」
「全部終わってからのつもりだったでしょ」
「う……図星」
「全くこの子は……」

とはいえ、たまにチェックしている成績が落ちているわけでもないし、クラブをサボっているわけでもない。自分の昔を思い出せば、余程真面目に学業生活を送っている娘の方が真っ当なのである。やりたいことがあったらグウの音も出ないくらい普通のことをこなしたうえでやっちまえ、という父親の言葉をニーナは率先して守っているのだ。これでは確かに、グウの音も出ない。ま、実際、自分の血が突然変異でもしたのか、小さいころからロックやメタルやその他諸々、音楽が何かしら流れている環境で育ったせいか、ニーナの音感と歌唱力はいい線にいっていたとは思う。だがそれは趣味でおさめている間の話であって、それを生業にしていく世界で通用するかは別問題なのだ。

「黙っていたのは悪かったよ。ごめんなさい。でも、やってみたいんだ。どうせなら、どこまで通用するものなのか、突っ走ってみたいんだよねぇ……若いうちに」
「ま、突っ走っていた私やあの人はあんまり偉そうなこと言えないんだけどね。あー、私とあの人の子供だもんねぇ。後先考えて行動するような頭は入って無くて当然か」
「何だか私までひどい言われ様」
「どうすんの。優勝でもした日には、大学どころじゃ無くなるわよ」
「あ……そか」

今頃気付いたような顔でピザ・トーストを頬張る娘の顔を見て、レベッカは首を振った。自分の昔の時代の父親の気分が今なら良く理解出来るような気がしてきた。そんなこちらの不安など素知らぬ顔で、ニーナは牛乳瓶を飲み干していく。レベッカは椅子の背もたれに背中を預けて、目を閉じる。かなうものなら、至極真っ当な表通りを歩いていくことを娘には望みたかったのも事実。だがそれで本当に良いのか?レールの上を走っていくだけの生き様が、本当に娘のためなのか。レベッカは、今ここにはいない男の姿を思い浮かべた。結論は、すぐに出た。ろくすっぽ考えることも無しに、「やってみろよ。面白いから」と即答するのが目に浮かんだからだ。

「ま、いいわ。やるだけやってみなさい。中途半端にやるんじゃないわよ?どうせやるからには、トップをかっさらうくらいの気持ちでかましてきなさい。それと、もちろん勉強もちゃんとしておくこと。それが出来るなら、このままやってみなさい」
「ホント?ホントに言いの?いやったぁぁぁ!!さすがはママ!!やっぱりワル上がりは違うぅぅ!!」
「……何ですってぇ?」
「あ、しまった。じゃ、遅刻しそうだから、行ってきまぁぁぁす!!」
「こら、ニーナ!!」

こういう時の逃げ足はずば抜けて速い。軽やかなリズムの足音が遠くなり、そして玄関のドアが閉まる音が聞こえてきた。再び一人になった空間で、レベッカは苦笑を浮かべる。時代も世代も違うとはいえ、血はどうやら争えないものらしい。ここまで来たら、どこまでいけるか見守ってやるのも一興というものだろう。何気なく動かした視線が、壁に貼られた写真に再び到達する。何度も目標にされてきた写真は、いい加減穴だらけになっていたが、獲物を見るような鋭い視線になった彼女の手がしなやかにひらめく。壁まで数メートルの距離をまっすぐ飛んだフォークが目標地点に突き刺さり、ビィィィンという震える音を伝えてきた。全く、今頃どうしているのやら。少しやり過ぎたかしら、と最近は後悔することも少なくないのだが、結果として事件のおかげでエメリア侵攻の危機を回避出来たのは事実なのだ。だが、音信不通となった夫は、今でも激戦の最中にいるであろうことは間違いなかった。殺しても死ぬような男ではないから一応安心はしているものの、万が一ということもある。そうなってしまった時に、冷静に事実を受け入れられるかどうか、レベッカにはまだ自信が無かった。

「まったく、手紙の一つでも寄越したら、許してあげるのに。うちの宿六と来たら……」

慌てて弁解をするその姿を思い出して、レベッカは微笑を浮かべた。そう、あの人は生きている。エストバキアが超機動要塞をダース単位で動員でもしない限りは――。
風に乗って、気の早い粉雪が気流に吹き飛ばされ、はらはらと舞う。管制官や整備士たちにとっては、忌々しい季節の到来とも言えるだろう。真冬ともなれば重労働である雪かきが必須となるこの地方では、「風の華」の到来は本格的な冬の始まりを意味するのだから。主だった格納庫の扉がしっかりと閉ざされている中で、時折整備士たちが冬用のジャンパーを羽織って行き来するハンガーがあった。内部の照明を全点灯し、真昼間のような明るさが保たれた格納庫の中からは、工具の音や戦闘機のエンジン音が聞こえてくる。時折、凛とした良く通る怒鳴り声と、「イエス、マム!」という絶叫も風に乗って滑走路に広がっていく。フライトジャンパの両肩にうっすらと白いものをまといながら、「活発に活動している」ハンガーへ向かって歩く男の姿がある。その姿に気が付いた整備士たちが慌てて敬礼を施すのにラフな敬礼を返しながら、どんよりと厚い雲に覆われた表とは対照的に明るい空間へと男が到達する。男は肩に積もった雪をパッパッと払っていたが、そんな男の姿を見つけた整備士の一人が、じろり、とその姿を睨み付けながら、地面を軽やかに蹴るように歩きだす。金髪の長いポニーテールが、一挙一動に合わせて揺れる。

「こらぁぁ!体調管理に気を付けろとあれほど言ってるでしょ!傘くらいさしてきたらどうなの!!」

ぎょっとした表情を浮かべた男は、苦笑を浮かべながらサングラスを外してポケットにさした。右の額から眉のあたりへと刻まれた古い傷跡が、はっきりと姿を現す。腰に両手を当てて頬を膨らませている相手の姿に、助けを求めるように周囲を見回すが、整備士たちの中でも年配の男から「逃げ場はないぞ」というようなゼスチャーを示されて、観念したように肩を落とし、ジャンパを脱ぐ。

「悪かったよ、悪かったから。でも、みんなの前で怒鳴りつけるなよ。恥ずかしいじゃないか、ジェーン」
「隊長が雪かぶって風邪ひいたなんて、他の国のいい笑いモノよ。ちゃんと自己管理もすること!」
「分かったよ。時に連中は?」
「奥で腹抱えて笑ってると思うわよ」
「威厳台無しってやつだな。こういう時だけは、ガイア隊長みたいな風貌が欲しいもんだ」

そう言いながら、男はジェーンの肩を素早く抱くと、その頬にかるくキスをした。一瞬にして、ジェーンの顔が真っ赤に染まる。整備士たちから歓声と「やってらんねぇ〜♪」という叫びとがあがる。

「な、な、な、な、な」
「お返し。機体整備サンクス!」
「こら待て、ウィリス!!」

ウィリス・シャーウッドは、愛する妻にラフに敬礼しながら格納庫奥へと歩き出す。後ろからジェーンの甲高い怒鳴り声が聞こえてくるのに肩をひそめながら。格納庫の中には、出撃を控えて最終チェックが進む戦闘機たちが翼を休めている。F-15Cの姿の向こうには、Mir-2000DやF-16Cの姿もある。それらの機体には、共通した特徴があった。ヴァレー基地の所属なら当然付いているはずの、ウスティオ空軍を示す記章がどこにも見当たらないのであった。だがそんなことは意にも介さず、シャーウッドはずんずんと歩いていく。滑走路の一角に設けられた簡易ブリーフィングスペースには、既に5人のパイロットたちが集められていた。1人は苦笑を浮かべながら。残りの4人はどちらかと言えば呆然とした表情で、シャーウッドの到着を待っていた。

「何だかシリアスな気分がどこかに飛んでいきそうですよ」
「何、いつものことさ。お前の場合、それくらい力が抜けていた方がいい、ヘルモーズ。そうでないと、正体ばれちまうからな」
「そうなんすよねぇ。ヘルモーズの旦那、もともとがカッチコチですからねぇ。話し方もなんとかしないと」
「ミハイルはもとから軽いからなぁ。でも、ま、祖国のカッチコチだけど腕前もなってないようなのに比べれば天と地の差ってやつですが」

ガイナン・ヘルモーズは実際には傭兵ではなく、正規のウスティオ空軍士官でもあり、シャーウッドの古くからの戦友でもある。何より、忘れがたい恩師に鍛えられた者同士、部下を持つ身になった今は、あの頃のシゴキっぷりを現在に伝える数少ない生き証人でもある。そんなヘルモーズを囲んで陽気にこきおろしているのは、ミハイル・グルシェンコフとマリオ・カタラーニ・ファルネーゼ。ウスティオ空軍に属する傭兵としては新しい方になるが、陽気な人柄は基地の連中にも評判だった。もっとも、ファルネーゼは純然たる傭兵ではなく、正規兵崩れ。祖国での軍の暗闘に嫌気がさして、同じ部隊の同僚と共にウスティオの玄関を叩いて今日に至る。

so cool 「――早くブリーフィングを始めましょう。俺たちの任務に補足があるのならば聞いておきたいですし」
「逸るなよ、ジュニア。大体お前、本格的な戦争は初めてだろう?」
「戦争はともかく戦場は違います!実戦経験があることは、ビバ・マリアだって知ってるでしょう?」
「実戦経験があるのと、戦争経験があるのとは違う。だから、焦るなと言っている。死に急ぎたいわけではないのだろう?」
「それは……そうですが」

陽気に上官をこき下ろしている二人とは対照的に、クールにその様子を眺めているのが二人。そのうちの一人、「ジュニア」は最年少ではあり、本格的な戦争状態を経験したことは無い。だが、今後の成長と非凡な才能が評価されてのノミネート。彼が選ばれたことに対してはシャーウッド自身も意外ではあったが、彼の上官はこう言ったものだ。「いずれ初陣はやって来る。それはお前自身、良く知ってるじゃないか」と。そう言われてしまったら、返す言葉は無い。そしてもう一人、騒ぎには加担せず、そしてじっと冷めた視線でシャーウッドを睨み付けている「ビバ・マリア」はメンバーの中の紅一点。だがこの基地での実力を男女で評価するのはもっとも愚かな行為だ。この基地では珍しいデルタ翼機の愛用家である彼女は、機動性を重視したドッグファイトにおいて、トップレベルの実力の持ち主であることを短期間の間に証明してみせているのだから。そんな彼女であるだけに、今回の任務はいささかプライドが許さないらしい。だが、そんな些細なことはどうでもいいというのがシャーウッドの立場であった。非常に地味な役目ながら、今回のミッションは一つの国の将来を左右しかねない、重要なものなのだ。

「さて、既に命令書には目を通しているだろうが、改めて要点だけ説明しておく。諸君らはこの基地を出立し、ウスティオ領空を出た時点で「エメリアに雇われた傭兵」となる。間違っても、本来の所属を口外することのないように。今回重要なのは、建前を貫くことだからな。その代わり、戦闘において敵に容赦する必要はない。同盟国の敵は、俺たちにとっても「敵」だ。叩き潰せ。その点は、いつもとあまり変わらない」
「シャーウッド隊長、それならば何もこのような面倒な手順は取らず、エメリア自身が傭兵を雇えば良かったのでは?」
「ビバ・マリアの指摘は正しい。が、今回に関しては間違いだ。今般のミッションは、ウスティオ政府のオフィシャルな判断なんだ。傭兵の扱いに長けたヴァレー空軍基地の人脈を通じ、優秀な傭兵をエメリアへと派遣すべし――という建前でのな。現状は無理だが、戦況がひっくり返るような事があれば、ウスティオの全軍に出撃命令が下ることも有り得る」

相変わらず不承不承、といった風で頷くビバ・マリアに苦笑しつつ、シャーウッドは視線を隣の若者へと移す。恐らく、本当の意味で「怖いもの知らず」というのは、「ジュニア」のコードを持つこの若者であるに違いない。かつての自分がそうだったのかもしれないが、クールに見える彼の内面には、隠しきれない興奮と炎とが見て取れる。それは、どちらかと言えば危ういものであることを、シャーウッドは容易に認知することが出来た。かつて、彼の恩師が彼自身を見抜いたように。

「さらに言うなら、今回の作戦は俺たちにとっても無縁な話ではない。先の環太平洋事変でも明らかになったように、未だに旧ベルカの残党が裏で暗躍しているのは事実だ。今回のエストバキアによるエメリア侵攻に関しても、不審な点が多い。オーシアのPMC経由で「東方軍閥」入りした傭兵の中に、旧ベルカに連なる連中やノース・オーシア・グランダーから追放された連中が混じっているという情報もある。これが事実なら、ウスティオとしては看過出来ない。エメリアに肩入れする理由が必要なら、この一点だけでも十分だ。出来るものなら俺自身が出張りたいところだが、とりあえずはヘルモーズと貴様らに任せる。話は以上だ。質問は?」
「――うちの面子でエメリアの戦績のトップを牛耳った場合のボーナスは?ついでに、エメリア軍の指揮を執るようなことも考慮済みですか?」

ニヤ、と笑いながら質問を投げてきたのは、今回は「マルガリータ」のコールサインを背負うファルネーゼだった。いわくつきの経歴を持つ男ながら、実力は折り紙つき。祖国でのゴタゴタに嫌気が差してフリーランスの道を歩んだ変わり者であるが、空戦での技量なら、この五人の中でもトップクラスといえるだろう。

「任務中の収入は、傭兵に相応しく出来高払いだ。もっとも、撃墜ランクのトップ5に入ったなら特別ボーナスを付ける準備があるそうだ。ただ、そう楽にいくとは思うなよ。報道じゃ負け続きのエメリアだが、その割にエストバキアが攻めあぐねている。以前ベルカによってウスティオが攻め込まれたときなんざ、本当にあっという間にベルカ色に染められたもんだが、エメリアはそうじゃない。噂じゃ、グレースメリアから脱出した生き残りの中に、相当な腕利きたちがいたらしい。連中がもし生きているなら、そうそう簡単に貴様らにトップは譲ってくれないだろうな」
「げっ。楽勝かと思ったのになぁ」
「ま、その目で見て確かめて来い。他には?」

既に命令書と伝達文書に目を通していることもあって、特には質問は出てこない。一同の顔を一通り見渡して、追加の質問が無いことを確認する。ヘルモーズとは今回の作戦に当たって、散々確認と議論をしてきている。今更確認することは残っていない、というのはシャーウッドも同じだった。

「良し。では、出立は明日の正午。各員の健闘を祈る。ま、せいぜい稼いで来い」

今度は少し真面目に敬礼を施す。ヘルモーズたちも立ち上がり、一斉に敬礼。もっとも、こんな風景もしばらく連中には無縁となるだろう。傭兵の立場を貫くからには、多少の演技は必要だからだ。もっとも、傭兵暮らしが性にあっているらしいファルネーゼとグルシェンコフの二人は、今度はジュニアを目標に定めていた。まだシャバっぷりの抜けない若者は、この二人にしてみれば格好の後輩いじりの対象なのである。当惑したような表情を浮かべるジュニアは、陽気な二人組に肩を担がれて連れて行かれてしまう。シャーウッドはそんな若者の姿をどこか心配そうに見守りながら、その表情を怪訝そうに眺めているヘルモーズとビバ・マリアを呼んだ。

「何か?」
「ガブリエラから見て、どうだ、奴は?」
「ジュニア、ですか?」
「ああ。腕と将来性は大したものだが、戦争の最中に身を置くのは今回が初めてだ。それも、今の時点では負け戦のな。――お前から見て使えるか?」

ビバ・マリア――セレスタ・ガブリエラは腕組みをしながら小首を傾げる。普段軍人言葉で話すことが多いだけに取っつき辛く見られてはいるが、そういう仕草は非常に女らしいとシャーウッドは思う。そんなことを公言しようものなら、コクピットの中に画鋲がぴっしりと装備されるか、スパナの雨が降るか、とにかく大変なことになるのは間違いない。ま、仕事としての表情とプライベートの表情とが全く異なるということは、シャーウッド自身が身を以って知っていることだ。

「通常のミッションなら、まず墜ちることはない。ただ、背中を任せる気にはならないかと」
「理由は?」
「冷静さを欠く。特に、敵方に腕利きが出てきた時の行動は、傍から見ていても危なっかしい。その無謀な行動が、味方を危機に陥れることもあることを、まだ理解しているとは思えない」
「いい分析だ。俺の見解も似たようなもんだ。そのうえで、頼みがある」
「命令ですか?」
「いや、プライベートなお願いだ。奴をフォローしてやって欲しい。無茶な依頼とは分かっちゃいるが、若い奴を無為に散らせるのは本意じゃないんでな」

ガブリエラは少し驚いたような表情で上官の真意を読み取ろうとしていたが、シャーウッドは努めて無表情を装った。もちろん理由は外にあるが、今はそれを伝えるべき時ではない。必要以上の荷物を積む愚だけは、シャーウッドも避けたかった。嘘をついているのは丸見えだろうが、出来ればそれを見抜いたうえで、引き受けてもらいたいところだった。

「――了解。傭兵の過去は詮索するな、どうせまともな理由はありゃしない――鉄則の一つでした。絶対とは約束しかねますが、私で出来る範囲ならば」
「それで構わない。任せたぞ」

コク、と頷くと、自分の機体の最終点検をするのだろう。くるりと踵を返したガブリエラは、自らの愛機へと向かって振り返ること無く歩き出した。今回に限っては、出来るものなら自ら出張りたいというのはシャーウッドの本音だった。だが、今となっては自らの立場が足かせとなる。そんな彼の悩みを知ってか、ヘルモーズは似合わぬ笑い顔で、サムアップした。本当に似合わないその姿に、シャーウッドは思わず吹き出す。古くからの戦友の不器用な気遣いが、今はとにかくありがたかった。
「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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