集会、開催
照明が抑えられた室内を、いつもと変わらぬジャズの旋律と、紫煙とがゆったりと漂っていく。この店の常連たちは、慌しい日常から逃れたくなった時にここを訪れ、昔と変わらぬ空気と時間を僅かな時間満喫し、そして日常へと戻っていったものである。カウンターには、今日も店主であるレノーアと、バーテンのクライドの姿がある。店内が満席になることは無く、今日もカウンターとテーブルに三組の客がいるだけ。これだけなら、今までと何も変わらないように見えるだろう。だが、開戦前と根本的に異なるのは、カウンター脇に置かれているつまみのメニューの半分以上が「在庫切れ」となって×印が付けられている。実際、カウンターの客のグラスのお付は、オイルサーディンの缶詰を缶ごと暖めてトマトを盛ったものにフランスパンを添えたものでしかない。チーズの盛り合わせやらナポリタンやら、本当にバーの食事なのか、と目を疑うような品々は、今ではお蔵入り。ある意味、本来のバーのメニューだけが残ったとも言えなくも無いのだった。

「ママのナポリタン、食べてみたかったんだがなぁ」
「そう思うなら、トマトソースとスパゲティ、食料庫から調達してもらわないとね。あいにく、配給じゃそんな高級食材、庶民の手には届かないからね」
「どっちも普通ならスーパーで手に入るもんだけどねぇ」
「あたしもそう思うよ。何なら、今から電話をかけて上げるから、直接聞いてみてもらえないかしらね。アンタ方の将軍様に」

返す言葉も無いカウンターの男が苦笑を浮かべてグラスを傾ける。スラックスにジャンパー姿など、ダウンタウンではごく普通の装いであるが、一つだけ違うことがあるとすれば、その客の所属がエストバキア陸軍であるということくらいか。そして、彼が軍籍、それも敵国の軍籍にあることは、レノーアも、店の中にいる他の客も承知の上である。初めて男がこの店に来た時、レノーアは軍服はお断りと門前払いを下したものである。ところが30分後、当人はすっかりと私服に化けてやってきたのだ。半ば呆れていた彼女に対し、男は言ったものである。「落ち着いて酒とツマミが楽しめる店に、どうしても行きたかった、10年ぶりに」とは、男の言い訳である。以後、彼と同じような境遇の軍人が、姿を変えて忍んで来るようになった。彼らは時々良質な食材を持ってくることがあり、レノーアの店にとっては貴重な供給ラインとなっている今日である。

「酒だけは今でも倉庫にあるんだけどねぇ。食べ物、特に新鮮な生物だけはどうにもならないからね。ウチに飲みに来る連中なんざ、どうせどこか頭のネジが一本飛んだのばかりだからいいけれども、グレースメリアの子供たちが心配さね」
「グレースメリアの冨を一旦全て我が物にして、適正なる配分をすることで人々の生活を安定させる……ってのが当初の建前だったんだが、所詮経済は生き物。軍人のお堅い頭で制御しようったって、無理な話さ」
「軍人のアンタが言っても説得力ないよ」
「そうなんだよ。だから、美味い酒とツマミを楽しんで、お代をちゃんと払いに来てる」

カウンターの奥へと差し出されたグラスの中で、ロックアイスがころりと音を立てる。彼の前に置かれているウィスキーボトルを取り上げたレノーアは、先程同様に同じものをグラスに注ぐ。注文より、ちょいとばかしサービスを付けて。再び男の前に帰ってきたグラスを受け取って、男は目の高さにグラスを掲げた。

「……近々、エメリアの食生活を根本的に改めるミッションが実施の予定らしい」
「へぇ。ユークトバニアから食料品を大量入荷して配給するつもりかい?」
「いやいや。この街の地下から調達するんだとさ」
「地下……?やれやれ、それのどこが根本的な解決になるんだい」
「仕方ないだろう。軍人のお堅い頭じゃ、どこかから持ってくるくらいしか能が無いんだから。折角肥沃なエメリアの大地に来ているんだから、兵隊総出で畑と田んぼに出張ったほうが建設的と俺は思うけどね」

エストバキア軍部の狙いを知って、レノーアは呆れて物も言えなくなり、目を伏せて首を振った。地下。確かに、グレースメリア市の地下には、食料が存在する。かつて、ユリシーズ落着に備えて作られた大規模なシェルターに保管された備蓄食料の山が。だがそれらの本来の使用目的は、緊急災害時であって、経済政策の誤りを是正されるために使用されるようなものではない。今がその緊急時だと言えなくもないが、冗談抜きで兵隊総出で畑と田んぼに出動しない限り、いずれはその食料とて尽きるに違いあるまい。だが、最大の食料庫の開放はエストバキア軍の実力を以ってしても難しいかもしれない。グレースメリアの大シェルターの中枢部はエメリア王城地下にあり、ここの開放には王家の許可が必要なのだ。詳しくは市民たちにも明かされていないが、噂では王家しか持たないマスターキーがあるのだとか。そして、当の王家は未だ国外に足止めされていて、当然のことながらエストバキアの依頼を是とはしないだろう。

ドアががらん、と開き、少し長めのコートを羽織った老人が入ってきた。杖を突いている割にはしっかりとした足取りでカウンターに近づき、そして「いつもの席」に腰かけ、隣の空き席にコートを置く。老人の顔にも、レノーアの顔にも苦笑が浮かんでいた。グラスを一つ取りだしたレノーアは、冷蔵庫から取り出した細長い瓶を取り出し、グラスの中に注いでいく。目の前に差し出されたグラスを「ありがとさん」と受け取った老人は、スタウトをぐいっと呷った。

「空きっ腹に効く。何しろ食料が尽きてるからの。効果てきめんというやつだな」
「元気そうで何よりだよ。減らず口が叩けるうちは耄碌しなさそうだしね」
「そりゃそうさ。どこぞの軍隊のおかげで、なかなか経験出来ない日々が過ごせるからの。これを楽しまない手は無い」

ちらりとカウンターに座る男を一瞥し、老人は再びグラスを傾けた。先程よりも少なめに。一方の男の方はと言うと、これまた苦笑を浮かべながらフランスパンに噛り付いている。レノーアはカウンターの下にしゃがみ込み、一見カウンターの裏側にしか見えない一角の小さなハンドルを回した。ぽっかりとその一角が開き、中から4段ほどに仕切られた棚が姿を現す。棚の中は、缶詰やらレーションやらでぎっしりと詰まっている。その中からコンビーフ缶をレノーアは取り出した。

「今日はどうするんだい?」
「可能ならさっと炒めてくれ。青い菜っ葉と」
「あいよ。ポテトチップは添える?」
「ツケ上乗せで良いから多めに入れてもらえると良いな」

冷蔵庫の中から野菜を取り出しつつ、コンロの上のフライパンに火を入れる。困窮状態を乗り越える目的での自家栽培まで、エストバキア軍は禁止はしていなかったし、むしろこういった自助努力に対して行われる犯罪行為――即ち無断で野菜を盗む行為に関しては、身内に極めて厳しい措置が取られていた。ただ、罰則が徹底していたのはエストバキア兵のみであり、残念ながら市民間での略奪まではカバーしていない。さすがにこのダウンタウンの住民たちの間ではそんな事は起こっていなかったが、時折やってくる部外者は必ずしもそうではない。露見していない者は運が良いだけであり、現場を押さえられた者たちは、じっくりとこの街での掟を叩き込まれることになる。

「ママ、俺がコンビーフ食べられるようになるのにあと何回必要?」
「そうさねぇ……エメリア全土からエストバキア軍が撤退したら、いくらでも作ってやるよ」
「冗談抜きでグレースメリアの市民権が欲しくなった」
「おあいにく様。ウチの店じゃ、エメリア国籍取らないと純粋な常連にはなれないのさ」
「まあまあレノーア。そうはいっても、こやつは良くやってくれとるよ。のぅ、お前さん?」
「さて……何のことやら」

老人と男とは含み笑いを浮かべながら、互いのグラスを軽く打ち合わせた。キン、という澄んだ音が店の中に広がる。

「お裾分けじゃ。少しつまむといい。味は保障するぞ。何しろ、エメリア大シェルターの保管食料だからな」
「こいつはありがたい……って、保管食料!?」
「蛇の道は蛇ってね。占領下の市民を舐めてもらっちゃ困る。ま、緊急避難として「金色の王」も笑って許してくれるさね」
「はてさて、エストバキアの兵隊さん方、何人辿り着けるか楽しみだ。お前さんも、間違っても同行しないことじゃよ」
「おお怖ぇ。今日話を聞いておいて良かったよ」
「とはいえ、地下に手が入ると闇市場の価格がまた上がっちまうねぇ。冬だってのに、厄介なことだよ」
「……そうなんだよな。市内の子供たちの健康状態と生活環境は深刻な問題だと思う。何とかしてやりたいんだが、正直なところ出来ることが限られちまってね」

男の脳裏には、「天使とダンスしてな!」の少女のはつらつとした姿が思い浮かんでいた。祖国による侵攻が無ければ、今頃はクリスマスや新年のパーティを楽しみにして浮かれてしまい、授業の中身がそっちのけになる子供たちが続出する季節だ。それをぶち壊した祖国のやり方に、男は全く納得していない。本気で市民たちを、子供たちを救うつもりがあるならば、市場経済を知らない軍人たちでも出来ることは山ほどあるというのに、上層部の頭にはその発想がどうやら存在しないらしい。それでも東部軍閥系の将官はまだましなようだが、どうも「何か」あったらしく、最近は東部軍閥に吸収されていった派閥の人間の発言ばかりが目立つ。これがまた、ろくなことを言わないのだ。結果として、男たちのようなエストバキア軍の末端組織に属する兵士たちと、軍上層部の間には亀裂が深まるばかりなのであった。

今まで見せたことの無いような真面目な顔つきになって黙り込んだ男の姿に、レノーアと老人は思わず顔を見合わせた。これまでも、話が街の子供たちに及ぶと笑い顔が引きつることはあったが、ここまで真剣な表情になったのは初めてかもしれない。多少アルコールの影響も入っているかもしれないが。腕を組んでしばらく貧乏揺すりを続けていた男であったが、どうやら何か思い付いたらしい。元の表情に戻って、カウンターに身を乗り出して口を開いた。

「ママ、駄目もとで話すけど、こんなことは出来ないかい?必要なものはちゃんと揃えるからさ」
「宿題」として渡したレジュメの山。その一部を両手に持ったまま、ジュニアは石像よろしく固まったまま身動きしない。何だかんだと理由を付けて逃げ回っていたジュニアは、朝食中にガブリエラに襟元を掴まれ、引きずられてきたという寸法だ。なお逃げようとして、タリズマンに「お、集会初開催か、頑張れよ」と声をかけられてジ・エンド。そして渋々やってきたジュニアに、多少嫌がらせも込めて資料の山を渡して説明を始めたら……石像が出来上がったというわけだ。

「それにしても面白いシミュレーションですね、これ」
「全然データが足りていないから、まだまだ想像の産物でしかないさ。AWACSとかでもう少し近付いてデータが取れるといいんだが」
「どうですかねぇ。データ取って送る前に撃ち落されておしまいでしょう。あの物騒なミサイルで、ドカーン、てね」

石像をそっちのけにして、俺はもう一人の参加者と勝手に話を進めている。俺自身も驚いたのだが、彼は空軍の所属ではない。陸軍の電子戦部隊に配属されている男で、名はディビット・キリングス。どうやら、エストバキアによるカンパーニャ襲撃時、地上支援に就いていた部隊の一員らしい。どこで話を聞いてきたのかは分からないが、ゴースト・アイことローズベルト少佐が彼を連れてきたのにも驚いた。少佐曰く、「エメリア各地を襲っている例のミサイルを調べているそうだな。彼が色々と話を聞きたいそうだ。君が持っているデータを説明してやってくれ」――。キリングスはジュニアとは正反対のタイプであり、良く話す。口の回転が早い。早い話がおしゃべりということだ。

「うちの部隊でも結構有名な話なんですよ。『山が飛んでる』ってね。ケセドに撤退する直前だったかな。船を待っている間に周辺警戒も兼ねて望遠レンズ構えていた先輩が、たまたま妙なものを見つけたんですよ。かなり遠くの雲の中を動いている影というか、物体を見つけたんす。ネタならここでUFO、と言うところでしょうが、この時レーダー画面でも南側に強いノイズを捉えていたんですよ。UFOの可能性を除くと、その「何か」と関連がある、てのが自分の読みです。電子妨害をかけてでも隠さなきゃいけないものがね」
「俺はミサイルの発射点が何処なのか、という観点で調べてきているんだが、例のミサイルが飛んできたケースで分析していくと、どうもおかしいんだ。地上発射型のものであれば、発射ポイントはある程度一箇所ないしは数箇所の固定ポイントに限定出来るはず。だけど、このミサイルの発射地点はその都度バラバラ。しかも、想定発射点はユークトバニアとアネア大陸の間の洋上。じゃ洋上艦か、というと、既存の戦闘艦艇であんなものが発射出来るかどうか疑わしい」
「シンファクシ級でも譲渡されましたかね?」
「ニカノール首相が渡すとはとても思えないね」
「そこで、空飛ぶ山、なんですよ」

キリングスの発想というのがまたぶっ飛んでいて面白い。彼はこう言ったのだ。空飛ぶ山とミサイルの発射点が一緒だったらどうします、と。笑い飛ばそうとして出来ず、そして俺は思い出した。2005年にOBCが放映した特別番組、「エースの翼跡 〜現代を生きるエースたちの記録〜」を。あの番組の中で、確か「国境無き世界」の所有していた兵器の中に、"重巡管制航空母艦"なるものがあったはずだ。1995年のベルカ戦争終結後に発生している動乱において、ウスティオ空軍の「円卓の鬼神」たちの手によって撃墜された、空中要塞。今から20年前に実用化されていたプロトタイプが存在するのであれば、その改良型が世の中に存在していても不思議ではない。だが、普通に考えてもそんなデカブツの建造には莫大な資金と極めて高度な技術力が必要になる。あのエストバキアが、一体どうやって両者を手にしたと言うのだろう?

集会の風景 「――空飛ぶ山もいいけどさ、んなデカブツが飛んでいたらレーダーとか衛星写真に引っかかるんじゃないの?今まで見つけられませんでした、となると、エメリアは何をやってたんだってな話になるんじゃねぇか?」
「うーん、切り札中の切り札として、エメリアのレーダー範囲外で運用されていたとしたら、察知は難しいかもしれない。エストバキアの東側って、ユリシーズ落着後、未だに上空航路が国際的にも開放されていないのって知ってる?エストバキアの内戦が激化したんで空域自体が閉鎖されたことも影響してるんだけど、内戦終結後も未だにあの空域は閉鎖されたままなのさ。ユークトバニアとかオーシア辺りなら衛星写真での分析はしているだろうけど、そう簡単に情報を提供してもらえるとは思えないからね」
「でも、そんなデカブツどうやって着陸させるんだ?まさかずっと飛びっ放しってわけじゃないだろう?昔読んだ小説にそんなのが出てきたことはあるけどさ。最後は墜落するんだよ。衛星軌道から落ちて」
「ジュニアの言うことももっともだね。重量から考えても、戦闘機のように頻繁に離着陸が出来るとはとても思えない。仮に空中要塞があったとして、どんな運用しているんだろう?」

ベルカ戦争か――俺はごく近くに当時を知っている人間がいることを思い出した。ベンジャミン大尉は、ベルカ戦争だけでなくその後の戦いにも参戦していたと言っていた。ならば、何か知っているかもしれない。愛用のノートに走り書きで、「ドランケンに確認」とメモを記す。俺のノートPCをキリングスは膝の上に置いて、何やら打ち込み始めている。いずれにしても、今は情報が少な過ぎる。ちなみに俺はというと、環太平洋事変でユークトバニアが運用したというシンファクシ・リムファクシ級の大型攻撃型潜水艦あたりじゃないかと想定している。あれだけの巨体であれば、弾道ミサイルや巡航ミサイルを多数搭載することも可能だろうし、射出後急速潜航して、それこそ「閉鎖空域」や氷に覆われた北極海にでも逃げられた日には追跡は困難を極める。とはいえ、エメリア本土への奪還作戦を実施するに当たっては、あのミサイルと改めて正面から向かい合う必要がある。その発射点が空中要塞でも潜水母艦でも何にせよ、対決は必至になるだろう。

「仮に空にいる相手だったら、航空戦力総出動で潰しちまえばいいじゃないか。本当にデカブツだったら爆弾でも命中するだろうしさ。F-15Eとかのでかい爆弾あるだろ?あれ落とせば相当キクだろうし」
「片道切符というわけにもいかないでしょう?給油機とか空母とか手配しとかないと、皆さん総出で遠泳を満喫することになりますよ」
「じゃ、こっちも巡航ミサイルぶっ放すとか」
「あれだけ強力な電子妨害をかけられる相手ですからね。迷走して海に突っ込むのがオチです。万が一、民間船舶や民間機を巻き込んだらそれこそ国際問題になっちゃいますって」
「面倒だなぁ」
「面倒ですねぇ」
「エメリアだって軍事衛星持っているんだろう?怪しいエリアを狙い撃ちで撮影できないのか?」
「ケセドの設備じゃ無理だ。衛星の管制施設は本土にあるんだ。それに、今となってはそれらの衛星群はエストバキアの手で運用されている。ご丁寧に運用コードの類も全部書き換えられているだろう。……もし管制施設を取り戻したとして、こっちにコントロールを切り替えるような事は出来るものかな、キリングス?」
「ハッキングの腕前のある奴と、充分な設備が揃っていれば出来る可能性はあると思いますよ。とはいえ、本土に戻らないことにはどうしようもないっす」

結局そういうことだ。この間偵察してきたバルトロメオ要塞を奪還し、エメリア本土に乗り込まないことにはこれ以上事態の解決は進まない。データも決定的に足らない。ただ、この話を議論するに当たり、キリングスの協力は得がたいものになるかもしれない。もちろん、ジュニアはこの件に関しては役立つことはないだろう。

「とりあえず、ジュニアは宿題が優先だ。小難しい教本とか持ってきたところで読むはずも無いと思ったから、うちの軍の交戦記録資料を持って来たんだ。タリズマン他、エメリアのエースパイロットたちの過去の交戦記録も入っている。読まないとは言わせないからな」
「んなこと言ったって、紙でイメージしろと言われても……」
「じゃ教本がいいか?」
「どうせなら、新型機体のマニュアルがいい」
「分かった。じゃ、用意してやるから、それまでに目を通しておけよ」
「……頭と腹の両方が痛くなって来たよ……」

そう言いながらも、興味はあるらしい。俺自身もそうだったが、こういった実戦の記録は、いざそうなった時にどう対処すべきか、どんなミスをしたからこうなったのか、もっと打つ手は無かったのか、そんなことを学ぶのにはうってつけだ。タリズマンの後席になってからは、この局面なら俺はどうすべきだろうか、ということを考えるようになったし、実際の戦闘後のレポートは何度も読み返してきた。最近は、時折タリズマン自身が俺のレポートを覗きに来る。それはそれで困るのだが。

「マクフェイル少尉、まとめてあるデータファイル、コピーもらっても良いですか?自分の方でも、色々考えてみたいんで」
「ああ、構わない。いっそローズベルト少佐に頼んでみるか。AWACSとかで捕捉してるデータが無いかどうか」
「まぁ、わざわざ自分を連れてきたのが少佐ですからね。多分協力して頂けると思います」
「どうだろ。案外頭固いよな、ゴースト・アイ」
「必要ならタリズマンから言ってもらうさ。ジュニアの教育に必要だ、と言ってな」

渋々、といった表情を浮かべながら、ジュニアはどうやらレジュメを読む気になったらしい。山の中から数枚を手にして、真面目な顔で紙面を追い始める。それにしてもジュニアの奴、何でこの歳でわざわざ傭兵の道を志したのだろう?まさか黙って逃げることも無いだろう、と思いながら、聞いてみることにする。

「……なぁジュニア。何でお前、傭兵として戦闘機パイロットの道を歩む気になったんだ?」
「答え聞いてどうするんだ?マクフェイルには関係ないだろ」
「まぁ関係ないと言えば関係ないけど、その気になれば正規軍のパイロット養成コースだってあるだろ?何でわざわざ傭兵なんだ?」
「……知りたいことがあるんだよ。だから手っ取り早く戦闘機に乗れると思って、傭兵になった」
「知りたいこと?」
「ああ。俺にとって、知っておかなきゃならないことがあるんだよ。それが答えだ」

あっさり断られるかな、と思っていただけに、ジュニアの答えは少し意外だった。その理由と、本名を名乗らないことと、もしかしたら関係があるのかもしれない。今はまだ聞く段階ではないな、と了解して、次の質問を投げることは止めにする。開催は不定期になるだろうが、集会は今回限りになることは無いだろう。おいおい聞いていけばいいさ。そのうち、タメ口を直せとも言ってやろう。そんなことを考えていた俺の頭の上から、紙コップが下りてきた。

「さながら、宿題に追われる学生だな。今まで逃げ回っているからそんなことになるんだぞ、ジュニア」
「げっ……分かってますよ、ビバ・マリア」
「腕は悪くないが頭は弱いからな、こいつ。しごいてもらって構わないぞ、エッグヘッド」
「ああ、勿論そのつもりだ。コーヒーありがとう」
「気にするな。お安い御用というやつだ。しかし似合うな……さすが板についている」
「何が」
「出来の悪い生徒をいじめて楽しむ陰険教師」
「なっ……!!」

ひらりと身をかわすと、ガブリエラはひらひらと手を振ってさっさと歩いていってしまう。全く、何のつもりだ、あいつは!ムッとしながら飲んだコーヒーは、意外にも美味かった。単調な味の、販売機のコーヒーではないらしい。じゃ、わざわざ淹れてきてくれたのか?俺をからかうために?何だか良く分からん。

「綺麗な人っすねぇ。ジュニアと少尉が羨ましいっす」
「マクフェイルの天敵」
「ほっとけ!」

ほわんとして表情で彼女を見送っているキリングスの奴は、どうやら会話を聞いていなかったらしい。へいへい、どうせ俺は陰険教師がお似合いですよ。陰険教師らしく今日はジュニアをいじめてやる、と視線を動かすと、ジュニアは真面目な顔でレポートを読み耽っている。――もしかしたら、様子を見に来たのかもしれない。案外、あれで気配りタイプなのだろうか。んなわけないな。俺には全然気配りしてないもんな――そう結論付けて、俺は改めてコーヒーを呷った。


レポートをめくりながら、ジュニアはムッとした表情のまま腕を組んでいるマクフェイルの姿を盗み見していた。あの様子じゃ、当分手玉に取られ続けるな、ご愁傷様、と心の中で呟きながら、人の悪い笑みを浮かべてみる。ヴァレーの猛者どもの中にあって、全然引けを取ることの無いビバ・マリアだ。マクフェイルみたいな坊ちゃんがかなう相手では無い。無いのだが、あのビバ・マリアが他人のためにコーヒーを淹れてくることがあるとは正直驚いた。その点では、何とも羨ましい奴。

ま、奴がかわいそうだから「集会」にはしばらく付き合ってやるか、と呟いて、ジュニアは手元の交戦記録に視線を戻すことにした。

「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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