バルトロメオ燃ゆ・後編
カンパーニャ飛行場から飛び立った俺たちは、後発で上空に展開した空中給油機での燃料補充を終え、再びバルトロメオ要塞戦域へと足を踏み入れようとしていた。機体故障の有無確認、機関砲・空対空ミサイル・爆弾の再搭載、燃料補給といった作業を整備兵たちが慌しくこなしていく間、搭乗員たちは休憩室などで束の間の休息を得る。再搭載する装備について馴染みの整備兵と打合せを終え、コクピットに乗り込むまでの間、俺が口に出来たのはミネラルウォーターがコップに2杯ほど。俺たちが再出撃を待つ間も、補給を終えて先発していく隊と、後発で戻ってきた隊とが入り乱れ、カンパーニャはまさにラッシュ・アワーの様相を呈していた。それでも声を枯らさずに指示を飛ばしているオペレーターたちの努力に感心しつつ、ケセドの大地を俺たちは飛び立ったのだった。
「ガルーダ1より、ゴースト・アイ。状況は?」
『ようやく戻って来たか。クオックス隊は砲撃陣地の最終防衛ラインに到達、戦闘中。ワーロック隊は1本鉄橋を吹き飛ばして針路を確保したが、瓦礫と残骸の撤去に手間取って、まだ抜けていない』
「ざっくり調べましたが、ワーロック隊の進撃ルート上の敵戦力は数が多いようです」
「……だな。ゴースト・アイ、クオックス隊にワーロック隊の進撃ルートをケツから叩けと伝えておいてくれ。空からだけじゃ、充分な支援が出来るかどうか分からねぇ」
『了解した』
機体がバンクし、視界が傾く。前方の空、少し高いところに、スネークピットの姿が見える。既に彼らの周囲でのドッグファイトは終わっているようで、周囲を警戒して旋回する友軍機の姿だけが見える。ワーロック隊支援のミッションに就く他部隊の編隊が、俺たちの後方に続く。徐々に高度を下げながら、低空侵入に備える。クオックスの進撃ルートほどには砲撃陣地が構築されているわけではなかったけれども、逆に今日はクオックスが手厚い加護を受け過ぎたということだろう。クオックス隊の損耗は思ったほどではなかったけれども、シプリ高原での戦いに比べると損害は目に見えて大きかった。彼らが吹き飛ばしたという鉄橋の残骸の少し先で、ワーロック隊は歩みを止めていた。その理由は極めてシンプル。彼らの進撃ルート前方にかかった次の鉄橋の上には、大口径の火砲を搭載した装甲列車の姿があった。型式は確認出来ないが、恐らくエストバキアの占領後に改造されたものであろう、と想像する。現代戦においては余り有効な兵器ではなくなったが、局地戦、特に防衛目的の戦闘であれば、評価はまた異なる。そして橋の下にはいくつかのトーチカが設置され、敵の接近を拒み続けている。
『21世紀に装甲列車を相手にするとは思わなかったゾイ。色々物騒な物も積んでいるようじゃ。各機、まんまと仕留められるんじゃないぞ!』
『ワーロックより上空の戦闘機部隊、来てくれたか!あのデカブツ、SAMも積んでいる。気を付けてくれよ。……よし、エンジン始動!進撃再開だ!!まずはあの邪魔なトーチカを取っ払うぞ!!』
『シャムロックよりタリズマン、レーダー照射を受けている。気をつけろ!!』
鉄橋の上に、2両の装甲列車が展開しているのを確認。一方は大口径の砲塔を車輌の上に積んでいるが、もう一方の車輌はSAMどころか対空砲までも搭載していた。浴びせられる火線を掻い潜りながら、鉄橋の上空をフライパス。一旦後方に抜けつつ、山肌に沿って上昇、反転する。通過する際に目視でも列車を確認したが、あれの装甲はチンケなものではなさそうだ。しかも橋の中央にいるわけではないから、下手すると橋を壊したとしても奴らは砲撃を浴びせ続けるだろう。進撃を再開したワーロック隊の頭上に、敵の放つ砲弾が降り注ぐ。あまり迷っている時間は無い!
「タリズマン、橋の破壊だけでは装甲列車を止められません。車輌本体を潰しましょう」
「あのハリネズミをか?骨折れるぜ」
「橋を爆破しても、肝心の砲台部分を仕留められない可能性があります。それに、こちらが攻撃している間は敵だって安心して砲撃出来ないはず。ワーロック隊の進撃支援にもなります!」
『横から失礼するよ。タリズマン、こっちはAGMを持ってきている。対空兵装側の始末はこちらで引き受けられるよ』
鉄橋の根元付近に、高密度で砲弾が飛来し、炎と黒煙の塊がいくつも膨れ上がった。エストバキア軍からも反撃。エメリア軍から再攻撃。炎と炎の報酬が、地上を飽和させていく。装甲列車の砲台も相変わらず炎を吹いている。戦車砲というよりは、どちらかというと戦闘艦艇の艦砲を移植したようなイメージだろうか。大昔の砲台とは異なる証に、砲撃間のインターバルが結構短い。自動装填装置でも積み込んでいることは想像に難くない。もし万が一、戦闘機であの攻撃を喰らったとしたら、きっと跡形もなく吹き飛ばされることだろう。友軍の戦闘機部隊が低空から敵陣地に対して爆撃を開始。うち、1機が翼から火を吹き、ロールしながら地上に叩き付けられた。例の対空兵装列車からのミサイル攻撃が、一方の主翼をへし折った結果だった。車輌上に複数搭載されたSAMは、ご丁寧に複数目標を追尾可能らしい。
「……仕方ねぇ。ワーロックの地上の決路は自前で何とかしてもらおう。シャムロック!対空戦闘車両の料理は任せる」
『了解だ、タリズマン!』
「エッグヘッド、お前はワーロック隊の支援だ。重点攻撃地点を指示してやれ。……時にあのデカブツ、弱いのは上か横か?」
「順当に言えば上面でしょうが、砲身自体も狙い目かと」
「とりあえずぶつけてみるか」
鉄橋から距離を取って反転、再び低空侵入で装甲列車に向かう。すると、向こうもこちらを重点目標にしていたのだろう。耳障りなノイズに続いて、けたたましい警告音がコクピットの中に鳴り響いた。レーダー上、小さな光点が二つ出現、俺たちの真正面からやってくる。ぐるん、と視界が回転しつつ、低空へとダイブ。鉄橋よりも高度が下がったところで水平に戻す。少し離れた頭上に、炎を吹き出しながら接近するミサイルの姿を視認。数は3つ。追加で撃たれたらしい。シャムロック機はノーマーク。その翼から、AGMが切り離され、目標への加速を開始する。そして俺たちの目の前には、鉄橋の橋脚。
「タリズマン、前方注意!!」
「言われなくても分かってら!!」
90°ロール、翼を垂直に立てた状態を維持して、橋脚と橋脚の合間を突破する。ほとんど速度も落とさず。毎度の事ながら、無茶をしてくれる。砲撃の応酬が繰り広げられている一帯の真上で、機首上げ。上空へと駆け上る。シャムロック機は鉄橋を通過後、何とスプリットS。低空で反転し、タリズマン同様に鉄橋の下を潜り抜けていく。無茶な人はあっちにもいたらしい。それか、シャムロックが染まってきてしまったか、だ。レーダー照射は無し。シャムロックの放った対地ミサイルの直撃を喰らった車輌が、炎を吹き出しながら炎上している。それでも、生き残った対空砲とSAMが、周囲を飛び交う戦闘機たちに必死の抵抗を繰り広げている。今度はこちらの番だ。SAMで狙われる確率が低下した分、リスクは減った。水平に戻し、砲台を積んだ列車を正面に捕捉して加速開始。対空砲の火線をロールしながら掻い潜り、目標に急接近。と、真正面で炎が弾ける。機体が振動で揺さぶられる。左右に振れる機体を再びピタリと押さえ込み、投下ポイントに到達。爆弾切り離しによって軽くなった機体が少し上方へと跳ね上がる。その反動を利用して上昇、加速。列車の頭上を飛び越えて後方へと抜ける。母機から切り離された爆弾は放物線を描くようにして落下し、装甲列車の分厚い装甲にぶち当たって、信管を一斉に作動させた。火球が一斉に膨れ上がり、サイクロンが列車の車体に吹き荒れる。爆発の衝撃によって弾かれ、先頭の二つの車輌が脱線。さらに直撃を受けた一車輌の砲台が、内から炎を吹き出して爆発を起こす。衝撃で連結部分が損傷してへし折れる。脱線し、車輌の重みに耐えられなくなった欄干が脱落。バランスを崩した先頭車輌が、スローモーションの様に傾き、そして鉄橋下へと落下していく。大地に叩き付けられるや否や、砲弾が一斉に炸裂したのか、一際大きな火球が膨れ上がった。弾き飛ばされた土塊が、細かい砂の雨となって両軍の兵士たちの頭上から降り注いでいく。
『随分と派手にいったのぅ。ナイスキルじゃ!!』
「まだ終わってません!落ちたのは一両目のみ。攻撃を継続して下さい!」
『こちらワーロック・リーダー。ここからも見えたぞ。派手なのは嫌いじゃない。支援に感謝!!』
「エッグヘッドより、ワーロック・リーダー。鉄橋下トーチカ群、左側区域の砲撃が熾烈です。こちら側を優先されたし」
『了解だ』
そう、頭を吹き飛ばされたとはいえ、未だ列車は健在だ。脱線したままの2両目も含め、仕切り直しとばかりに砲撃を続けている。旋回して再攻撃に備え反転。と、鉄橋の上で火球が複数膨れ上がる。シャムロック機からの攻撃が、鉄橋上の装甲列車に命中。砲台の一つが、根元からもぎ取られて橋の上に転がり、次いで大爆発を起こす。対空戦闘車両側にも命中。残っていたSAMが吹き飛ばされ、紅蓮の炎に包まれていく。反対側から再侵入した俺たちは、先ほど脱線した2両目に、トドメとばかりに爆弾を投下した。ズシン、という衝撃と共に爆炎が膨れ上がる。一発が車輌から逸れ、橋の上で炸裂。レールと枕木と橋の構造物が千切れ飛び、橋の一部が崩落する。重砲による攻撃で足止めされていたワーロック隊は、機動力を活かしながら敵陣地に肉迫、集中攻撃を浴びせていく。鉄橋周辺の地上支援を完了させたと見るや、他部隊が次々と装甲列車に襲い掛かった。走行不能になった車輌を切り離し、安全地帯へと逃れようとする敵を先読みし、一隊が横方向からトンネルの中へ爆弾を放り込んだ。ぽっかりと空いたトンネルの口から炎と黒煙とが勢い良く吹き出す。その只中へと飛び込んでしまった一方の車輌は、瓦礫と残骸に埋もれ、身動きできなくなってしまう。ここまで来れば、この局面の趨勢は決まったようなもの。断末魔のように目標点の定まらない砲撃を続けていた装甲列車には、容赦の無い攻撃が繰り返し浴びせられていく。ついに全ての車両が炎に覆われて機能を停止するまでに、然程時間は要さなかった。ワーロック隊の車両が、ついに鉄橋付近を突破するのにも。
攻撃完了と見るや、タリズマンは要塞本体への進撃ルートに機首を向ける。ワーロック隊の行く先には、もう一つハードルが残ったままである。要塞へと至る途上に、敵の迎撃部隊と砲撃陣地が居座っているのだった。装甲列車相手に爆弾を消費した今、場合によっては再補給に戻らなくてはならないかもしれない。或いは、帰投中の友軍部隊に再爆装を依頼する方法もある。レーダー画面には、展開する敵部隊の姿がはっきりと映し出されている。そして、敵陣地では激しい砲火の応酬が繰り広げられていた。燃え上がる炎と黒煙とが、俺たちの行く先を覆っている。その理由は、陣地後方に展開した、友軍の光点の群れだ。装甲の分厚い戦車を最前方に並べ、陣地後方から砲弾と銃撃の雨あられを降らしていたのは、もう一方のルート攻略を完了したクオックス隊であった。
『いいぞいいぞ、ケツから突っ込まれて、敵さん大慌てだ。焦らしちゃ悪いから、徹底的にかき回してやれ!!』
『何てこった、隊長が突出した!全車突撃、突撃!!』
「今度あいつには加減てもんを教えた方が良さそうだな。……おいおい、まさかとは思うが全部隊でこっちに来たのかよ?」
「――みたいですね。思い切りが良いというか……」
思慮が足らないというか、とは口に出せず黙り込む。ここまで言ったら続きは分かってしまうかもしれないけれど。苦笑してしまったことに、クオックス隊は何と全軍引き連れてワーロック隊の進撃ルート側に突撃していたのだ。中途半端に戦力を分散させて両者殲滅を喰らうことに比べれば、妥当な判断ではある。ただ、無防備に開いたクオックス側のルートから敵の増援が現れた場合、今度はクオックス隊が挟撃の憂き目を見ることになる。なるはずだったが、エストバキア軍の動きは鈍い。案外、全軍がコースを変えたことで、何らかの罠を仕掛けていると敵方は考えたのかもしれない。山脈の上部に位置する要塞本体から敵部隊が下りて来る形跡も無い。気の毒なのは、突如として後背から攻撃を受けた敵陣地の部隊である。友軍の支援を受けることが出来ずに奇襲に対処しつつ、前方から接近するワーロック隊にも対処しなければならない。前後からの挟撃の憂き目を見たのは、クオックスではなくエストバキア軍の方であったのだ。そして、彼らは頭上からの攻撃にも晒されることとなる。高度を下げて敵陣地の頭上へと低空侵入した俺たちは、ワーロック隊側に展開している戦車の一団に爆弾の雨を降らせる。シャムロック機からは、AGMが容赦なく放たれ、目標地点に突入、炸裂した。爆風と火炎のサイクロンが吹き荒れ、粉砕された戦車の残骸が吹き飛ばされ、草原の上に無造作に転がる。物言わぬ骸と化した、一瞬前まで兵士だった黒焦げの塊が路上に放り出される。その光景を俺たちが見ることは無いが、レーダー上から敵の光点が消えるたび、敵兵の命の火が消えていくのだ。
『くそっ、本部は何をしているんだ!援軍はどうなっている!?』
『――何?援軍は出せない?現状戦力で対処しろだと!!俺たちに全滅しろって言うのか、山の上のモグラどもはっ!!』
『敵新手から攻撃、来ます!砲撃の射程内に捉えられてます!!』
前門の虎、後門の狼とはまさにこの事か。装甲列車からの砲撃を突破したワーロック隊は、損害を被った車両や負傷兵たちを安全地帯へと退避させ、進軍しながら再編成を行い、まさに破竹の勢いでここまで到達したのだった。後方の地上が、横一線に炎に覆われる。戦車部隊から放たれた炎の塊が高速で飛来し、エストバキア軍陣地を炎の海へと変えていく。
『ワーロック、これで借りを一つ返したぜ!』
『ああ、今日は素直に支援に感謝する。詰め誤ってやられるなよ、ドイル?』
『へっ、この俺様がエストバキア野郎にって……どわぁぁぁっ!?』
『げっ!隊長車に敵弾命中!!……被害は軽微だが……やべぇ……』
『どこのエストバキア野郎だ、この俺様にちょっかい出しやがったのは!!ケツから拳突っ込んで、うたわせてやるからなぁぁぁぁっ!!』
『隊長車吶喊、隊長車吶喊!!全軍、死にたくなければ遅れるな!!それと、早めに敵に降伏勧告を出せ!!皆殺しにされちまうぞ』
「騒々しい奴らだ、本当に」
「とはいえ、あの猛烈な突撃はそうそう簡単には止められないでしょう。残るは、要塞本体ですね」
「――だな」
ワーロック隊の突破は最早時間の問題。となれば、バルトロメオ要塞を巡る戦いはいよいよ終盤を迎えることとなる。コクピットからは、まだ損害を受けていない火砲の群れが、うっすらと肉眼でも確認することが出来る。その数、レーダー上で見ても尋常な数では無い。が、必ずしも数の多い方が戦況を有利に進めるとは限らないことを、俺たちは嫌というほど知っている。耳にキンキンと響き渡る怒声をあげている彼らが、きっとうまくやってくれることだろう。
『ゴースト・アイより、全部隊へ。残るは要塞本体だ。航空部隊は先行して砲撃陣地を叩け!爆弾を使い切った奴らは、爆撃隊の支援に就くんだ。ここが正念場だ。根性を見せろ!!』
俺たち同様にカンパーニャでリフレッシュしてきた戦闘機たちが、一斉に要塞本体――山頂付近へと殺到する。ついに敵からも対空攻撃の火線が怒涛のように放たれ、弾幕を形成していく。ワーロック・クオックス両隊の安全は確保されたと確認するや、タリズマンは愛機をマルチェロの山頂へと向かわせた。仕上げは地上部隊の仕事だが、その前に少しでも敵戦力を削ぎ取っておくこと!一旦高度を稼いで空を駆け上がった俺たちは、弾幕に煙る敵要塞本体へと突入を開始したのだった。
エメリア軍のケセド残党部隊がバルトロメオ要塞本体への総攻撃を開始する時点から少し時を巻き戻した、エメリア本土上空。大陸の最西端の海岸線を沿うように、大柄の機影がゆっくりと空を飛んでいた。専門的な知識を有する人間が見れば、その機影は旅客機のDC-10型ではなく、軍用に改造された空中給油機KC-10であることを見抜いただろう。この日、エメリア本土ではゲリラ戦を仕掛けては姿を消すエメリアの残党軍に対する掃討作戦が実施されていた。その成果はともかくとして、それなりの数の部隊が動員されていたことは間違いない。安全地帯であるこの空域を大きく旋回しながら飛行していた彼ら給油機の下で、いくつかの部隊が帰投のために必要な燃料を補給に立ち寄っていった。次の部隊でラストという連絡を受けてからしばらく時間が経っていたが、お客さんはなかなかやって来ない。安全空域とはいっても、安全だったはずのケセド島では、空軍も陸軍も痛い目を見て、今やバルトロメオ要塞まで後退して再編中らしい。大規模な戦闘自体は終息したと言えるのかもしれないが、戦争自体は決して終わってはいない。それは前線の兵士たちの間では最早暗黙の了解であるはずだったが、グレースメリアの安全地帯で偽りの太平を享受している指導層たちがその現状を理解しているとは言い難いのであった。
「それにしても……遅いすねぇ、キャプテン」
「そうだな。まさか撃墜されたってわけでもなかろうが……?お、噂をすれば何とやら、だ」
レーダー上には、彼らの後方から接近する友軍の光点が2つ、映し出されていた。俺たちはたった2機のためにこんなに待たされていたのか?護衛機の姿も無い空域で待機を強いられていたパイロットたちには、どこか落胆した雰囲気が漂う。無線のコール音。渋々と回線を開こうとして、ふとその姿を目の当たりにした機長の表情が、一瞬で緊張したものへと変貌する。それに気が付かないコ・パイロットは、怪訝な表情を浮かべた。
「どうしたんすか、キャプテン?」
「バカ!いいから回線を早く開け。……畜生、最後のお客がこれとは、俺たちもツイてる」
何が何だか分からないという表情で回線を開いたコ・パイロットも、補給待ちの戦闘機の姿を見て、機長と同じような表情に変っていた。優美な流線型のスタイル。そして、流れ出る血の色を彷彿させるように赤く彩られたカラーリング。その姿を見て戦慄しないエストバキアの兵士はほぼ存在しない。
『済まないな。途中で敵と遭遇してしまって到着が遅れてしまった。こちらは異常ないか?』
「ありませんが……驚きました。まさか、最後のお客がシュトリゴンだなんて……光栄です」
『かなうものならミサイルなんかも補充したいところだがね。まあ燃料だけでも補給出来る分、まだましさ』
「せめて、燃料タンクだけでも満腹にしていってくださいよ」
『そうさせてもらおう。ん……済まない、司令部から呼び出しだ。切り替える』
Su-33の性能を最大限に引き出すだけでなく、個々の戦闘能力がずば抜けて高いパイロットたちだけが候補として選ばれるという「シュトリゴン」隊は、エストバキア空軍の兵士たちの憧れであり、目標であった。各地を転戦している彼らの姿を目にすることは極めて難しいとまで言われるエース部隊の機体とコネクトしているだけでも、機長たちは報われたような気分になっていた。そのシュトリゴンのパイロットは、何やら司令部と別回線でやり取りをしているようだ。とはいえ、それほど長い時間であったわけではない。再びコール音。
『……やれやれ、本当にミサイル補給が出来たらありがたかったな』
「敵ですか?どの方面に?」
『貴機は我々の補給で任務終了だったな?念のため海岸ルートは避けて、内陸の空域を取った方が良さそうだ』
「まさか……ケセド島ですか?」
『さて……な。心配はありがたいが、我々にも我々の自負があるのでね。さて、そろそろか。やはり満腹はいい』
「これは失礼しました。――健闘を祈ります」
『ありがとう。そっちも道中気を付けてな』
給油完了。ディスコネクトするや、2機のSu-33はKC-10のコクピットと同じ高度を取る。機長たちからも、シュトリゴンのトレードマークである魔術師のエンブレムと血の色をまとうエースの姿が、はっきりと視認出来た。一方のパイロットが、左手でサムアップしている。見えているかどうか分からなかったが、機長とコ・パイロットは自然と彼に敬礼を返していた。シュトリゴンの2機が加速。彼らの前に水平に並んだかと思うと、まるでエア・ショーを見ているかのように鮮やかな航跡を残して、あっという間に見えなくなった。全く、あんな連中を相手にしなければならないエメリア軍が、本当に気の毒になって来る。グレースメリア襲撃時には思わぬ抵抗に遭って隊長機を失ったと聞いていたが、その教えを受けた者たちがしっかりと部隊を支え続けている。生半なことで出来ることではない。
「戻ったら、基地の連中にいい土産話が出来ますね」
「全くだ」
機長はそう言いながら、レーダーに目をやった。推測通り、シュトリゴンの2機は南西方向に針路を取って遠ざかっていく。その先にあるのは、エメリア残党軍の最大拠点ともいうべき、ケセド島だ。彼らがわざわざ呼び出されるほどの事態が、どうやらあの島では起こっているらしい。
「――燃料の残りは充分にあるな?」
「ええ、こっちの飛行分と、補給分、両方とも余裕はありますが……」
「よし、我々はこのままこの周辺に留まるぞ」
「ええっ!?何でです!?」
「馬鹿たれ、命令とはいえ、連戦を強いられてるシュトリゴン隊が、ケセドから補給も無しに戻れるわけがなかろう。俺たちに出来ることは少ないが、その手助け程度の事は出来るからな。2番機にも伝えておけ」
最前線において最大限の戦果を重ね続けているエースたちのために、せめて残り燃料を気にしながら基地へと帰投するストレスくらいは解消してやりたい――そんな機長の配慮だった。だが、彼らは知らなかった。シュトリゴンが向かったケセド島では、怒涛の勢いで進軍するエメリア軍部隊によって、友軍が壊滅的な状況に追い込まれつつあったことを――。
「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る
トップページへ戻る