少女たちのOLD YEAR
グレースメリアはこんなには暖かくなかったよなぁ。グレースメリアの冬とは異なり、「生暖かい」という表現がぴったりくる――そんなことを考えながら、ニーナは窓の外の風景に目をやった。勿論、ハイスクールはとっくにクリスマス休暇に入り、学生たちの姿はまばら。それなのに彼女の姿が教室にあるのは、ある意味自業自得の結果でもあった。『ダヴェンポート・ロック・フェスタ・オーディション』に単独乗り込んだ結果、見事予選通過!調子は上々……だったものの、そうなってくるとイベントやら何やらで意外と平日が潰されていく羽目に。結果として、潰された時間は補修として埋められることとなる。両立は正直なところしんどいのだが、自分でやると宣言した以上は簡単には曲げられない。父親や母親との約束をそうそう簡単に破るわけにもいかない。そんなわけで、ニーナは歌手としての日課もこなしつつ、同期の進学組が真っ青になるほどの集中力を発揮して、相変わらずクラス一の成績をもキープし続けているのであった。

「しかし、ニーナがこうやって追試の時間にいるってのは……何か調子狂うぜ」
「だよなぁ。自業自得の俺たちは仕方ねぇとしても、満点女王様の追試姿ってのはそうそう見られないからな」
「あのね……言っとくけど、私のは追試じゃないよ。テストの日が潰れちゃったからね」
「かーっ。音楽だけならともかくよ、勉強までは勘弁だぜ、俺は。その点そら恐ろしくなるぜ」
「初めから手付けないのがいけないのさ。たまには喧嘩に向ける根性の一つくらい、勉強に向けてみたら?」
「無理。絶対無理」
「最初から無理って言ってたら何も出来ないよ。あー、出来る不良ってのもいいんじゃないの?彼女出来るかも」
「なるほどな……その線もあるか」
「ま、その前に四則演算きっちり出来るようにならないとねぇ」

ニーナ自身にはあまり自覚は無かったが、教諭陣にとっては頭の痛いことに、彼女の親しい友人たちの多くが、ハイスクールの中ではいささか浮き気味の連中であった。「満点女王様」とは彼らが付けた渾名であったが、カラカラと笑うニーナのキャラクターが受けたのか、或いはそういった連中を束ねた頭領格であった父母の血が如何なく発揮されたのか、気が付けば彼女はいわゆる不良連中たちの輪の中にあったのだ。実のところ、怒らせたら容赦なくズバズバと繰り出される激しい口撃に、まともに対抗出来る男はいない。さらに言うなれば、学園の実質的な裏番の一人として「ニーナ・エルフィンストーン」の名が知れ渡る始末であり、母親たるレベッカは受け継がれた血を喜ぶ反面、とりあえず推薦枠での入学は絶望的になった、と新たな悩みを抱えることとなった。「友達は良く選びなさい」と指導をする教諭もいたが、ニーナにしてみれば良く吟味した結果が現状なのであるし、こういう時は「成績優秀」の看板が物を言う。その点、ワルを地でいっていた父母よりも、娘は輪をかけてしたたかであるかもしれない。

「でさぁ、どうなん、歌の方は?」
「ん、上々かな。来月に二次予選があるから、今はそれに向けた準備ってところ。バンドで参加してるわけじゃないから、色々面倒なんだよね」
「今からで間に合うなら、ギターやベースなら何とかなるけどな……」
「ありがと、ガンズ。でも難しいと思うよ。その辺、結構厳しくてさ。ちゃんと最初からエントリーしていないと駄目みたいだから」
「しかし、今でも震えてくるぜ。あーいう歌なら一日中聴いていてもいいな。でもよぉ、何であんな昔の曲なんだ?ちっとネットで調べてみたけどよぉ、アレヒット曲だけどマンガの曲なんだろ?満点女王なら、R&Bとか、もっとイケてんのあるじゃん?」
「あれ、言ってなかったけ?訳ありなんだよ。小さい頃から良く聞かされていた曲だから、すごく好きなんだ。それにね、ダディが大好きな曲だからさ、無事戻ってきたときに脅かしてやろうと思ってるの」
「あ……そうか、まだ親父さん、消息分からないんだったっけ。おいガデス、少しは気を使えよ、このバータレ!!」
「大丈夫だよ、フレディ。うちのダディはヘビー級の要塞をダース単位で持ってこない限りはくたばるような人じゃないからさ」

同じようなことを母親も良く口にするけれども、時折夜遅く、ダイニングで腰掛けたまま、壁に貼られた穴だらけの父親の写真を寂しそうに眺めている姿を見ると、やっぱり何だかんだと言ってもラブラブ夫婦なのね、とニーナは納得させられる。そんなに心配なら仕事を放り出してエメリアに戻ればいいのに、とさえ思う。それに、所在が知れないのは父親だけではない。家族ぐるみの付き合いだったハーマン一家、父親の部隊の同僚たち、郷里の友人たち、そして、父親のワル時代の知り合いたち。たまたま家庭内騒動があったから難を逃れてはいるけれども、一つ間違えば自分だって混乱の渦中にあったかもしれないのだ。しかも、エメリアはただの混乱状態ではない。エストバキアによる占領、そして戦争という異常な状況下に置かれた、非常時の渦中なのだ。心配が無いと言えば、嘘になる。家に帰ったら、父親の死亡通知が届いていたなんて事になったとき、自分が正気のままでいられるかどうか、ニーナは全然自信が無かった。ただ、根拠も無く「そうそう簡単にくたばるなんて思うなよ?」ときっと言うであろう父親が、この程度でくたばっているとは到底思えないのも事実。きっと虎視眈々と、エメリアを解放する機を伺っているに違いない――それは、ニーナの根拠の無い大きな確信でもあった。

「さーて、と!試験も終わったし、あたしはこれからスタジオ行くよ。次は年明けだね」
「おお!?そうか、もう年末なんだっけな」
「慌てんなガデス、俺たちは明日も追試だ。年内いっぱいイジメられるんだよ。いっそフケるってのもいいか……」
「そんなことしてみな。追試程度も切り抜けられない根性なしだって吹いて回ってあげるからね」
「いいっ!?」
「そりゃあないぜ!!」
「やれやれ……コンサートの度に吹いて回られたらいい迷惑だからな。諦めてお勉強だ、お勉強」
「うへぇ……」
「ワルだったうちのダディの名言だよ。『ハイスクールくらいは出ておけ!後で苦労するから!』……筋金入りのワルの話だからさ、聞いといた方が身のためだと思うよ」

ワルども へいへい、といった感じで友人たちが机に向かう姿に、思わずニーナは吹き出した。いずれも四天王だの喧嘩王だのと異名を持つ連中のこんな姿を見たら、対立関係にある面子はきっと吹き出し、嘲り笑うに違いない。でもそれが、本当に格好悪いことなのだろうか?ハイスクールの日々は、卒業と共に否応無く終わりを迎えてしまう。けど、そこから先は?そもそも父親の場合は学校自体に通っていなかったわけだから、彼らに比べれば尚悪かったことになるが、戦闘機パイロットという道を見出したことで、それまでとは180°違う人生が動き出したのだ。母親も大して変わらない。あの父親が「心底恐れる」くらいのキャラクターが、今じゃ立派にニュースキャスターを務めているわけだ。時々地が出て、ボールペンをへし折っていたりするけれども。だから、ある意味自分に付き合わされて追試を喰らっている友人たちを、決して笑い飛ばすことはしたくない。今は無駄にしか思えないことが、もしかしたら将来役に立つかもしれないから。自分だってそうだ。歌という分野に一歩を踏み出してみたけれども、20年後にそれが役に立っているかどうかはまた別の話だ。大体、歌手にすらなっていないかもしれない。愛し愛される人と一緒になって、子供たちの面倒を見ながら毎日を送っているかもしれないし、どこかの会社でOLをしているかもしれない。運が悪ければ、事故にでもあって土の下かもしれない。それでもニーナが歌手を目指すのには、勿論それなりの理由があってのことだ。

それにしても、故郷から聞こえてくるのは悪い話ばかり。エストバキア占領後休息に治安が悪化しているだとか、食糧事情の悪化で餓死者が出ているとか、エメリアの完全占領を宣言したくせに長々と戦いが続いていたりとか……。今の自分が、エメリアに残された人たちのために出来ることなんて、たかが知れているとニーナは痛いほど分かっていた。でも、昔父親がパイロットへの道を踏み出したときのように、自分に出来ることで何か動きを変えられたとしたら――?歌うことで、苦しんでいる故郷の人たちを何か励ますことが出来たとしたら――?やらないくらいやら、やった方がいい。やってみなけりゃ、分からないことがある。だから、私は歌う。今はそれくらいしか出来ないから――。鞄に荷物を適当に放り込んで、肩に担ぐ。そして、追試問題を前にして頭を抱える友人たちに檄を飛ばす。

「んじゃね。追試頑張れ!赤点脱出したら、私の将来のコンサート予約入れたげるからね」
「じゃあ一生行けねぇな、俺ら」
「ぼやいてんじゃないよ。少しは根性みせな!」
「い、イデッ!椅子を蹴り上げるんじゃねぇよ、ネリア!!」

手を振って教室を出ようとしたニーナは、呼び止める声に振り返った。フレディが、珍しく真面目な顔でこちらを見ている。

「何?どしたの?」
「コンサートの予約は必ずゲットする。だけどニーナ、余り根詰めすぎるなよ。楽しんで歌うくらいが、多分丁度いい」
「……そんなに無理してるように見える?」
「ああ。前みたいに、純粋に楽しんで歌っている時と、ちょっと違うような気がする」
「……ありがと、フレディ。肝に銘じておく」

鋭いところを突かれた気分。確かに、ちょっと焦っていたかもしれない。原点を忘れるな、ってことよね。友人の忠告が、ニーナにはとても有り難かった。実際、焦りというか、不安があるのは事実だったから。未だに所在の知れない父親の健在を、根拠も無く信じ続けるのは意外にパワーが必要なのだった。全く、インターネットが普及した現代なんだから、メールの一本でも打って寄こせばいいのに。そうするだけで、私もママも全然気分が変わるのに。ニーナは、窓の外に見える空へ、視線を向ける。勿論、そこにはオーシアの空しか無い。父親が飛んでいるであろうエメリアの空が見えるはずも無かったけれど、何となく、今はそうしていたかった。そうすることで、戦いの空にある父親の姿を、感じることが出来ような気がしていたから――。
去年の今頃だったら、何をしていたっけ?ああそうだ。おっちゃんの家に遊びに行くか、おっちゃん一家がこちらの家に遊びに来て、賑やかなパーティタイムを楽しんでいる時期だ。ニーナお姉ちゃんに最近の流行の歌を教えてもらったり、おっちゃんとパパが酔っ払った挙句に庭で乱闘を始めたり、楽しかったな。それに比べて、今年は何という差だろう。彼女たちの生活空間としてすっかりと定着した地下通路の秘密の間の中で、マティルダたちの旧年がゆっくりと過ぎ去ろうとしている。グレースメリアの冬はなかなか厳しく、夜ともなれば通路の中もピンと空気が張り詰めた寒さとなる。幸い換気が良く出来るので、いざとなれば焚き火をしてしまう手もあったが、うっかり通路の中で延焼させたらひとたまりも無く、結果として毛布や布団が重宝されることとなる。電気は残念なことに通じていないから、電気ストーブや電気毛布を使うことは出来ないのが、子供たちの悩みでもあった。

夏の終わりから始まった籠城生活は、いよいよ4ヶ月に到達しようとしていた。籠城といっても、日中になれば街中の何箇所かに作った秘密の出口から外に出ているわけだから、常に立て篭もっていたわけではない。マティルダだけでなく、他の子供たちも外に出て生活に必要な「活動」をこれまでも続けてきたわけだが、平時でない街は時に子供たちにも牙を剥く。外に出ている間に偶然親と再会することが出来たメンバーはまだ良かったけれど、そうでなかった仲間たちもいた。犯人が誰かを知る術は、マティルダたちには無い。でもこれまでに、彼女たちの仲間のうち、2人が犠牲になっていた。

そのうちの一人、スタークは、信号を無視して交差点に入ってきたエストバキア軍のトラックに轢かれ、そのまま引き摺られていった。血まみれで転がったまま放置されていた彼の亡骸を回収する術はマティルダたちには無く、泣く泣くその周りに花束を置くしか出来なかった。2日ほどして現場に行ったときには、もう亡骸は無かった。エストバキア軍が「ゴミ」として回収していって、どこかに投げ捨てたのかもしれない。以来、その現場に時折花を添えにいくのがマティルダの日課になってしまったが、他にも彼の死を悼んでいる人がいるらしく、大抵の場合、少し大きめの花束とクラッカーの箱などが道路脇にひっそりと置かれているのであった。

次の犠牲者が出たのは、11月の終わりだった。クラスメートの一人だったカーラは、ようやく連絡が取れた親類の下へ向かうはずだった。穴蔵に残ったメンバーも、てっきり彼女は親類の家で安全な暮らしを始めたのだと思っていた。ところが、いつものように街へと出ていたマティルダは、心配そうに街中を歩き回っているカーラの親類の姿に気がついた。聞けば、引き取りに向かった夫ともども、帰ってきていないのだという。慌ててねぐらに戻り、バレンティンたちにも協力を仰いで街中を歩き回った結果、まず最初にカーラの叔父が見つかった。首に、紫色の痣がはっきりと残り、恨めしげに天を仰いだ姿勢のまま、路地裏に転がされていた。そして、カーラの亡骸は、そこからあまり離れていない、ダウンタウンの袋小路で見つかった。エストバキアの占領下に置かれてから、幾度も人の亡骸を目の当たりにしてきたマティルダでさえ、正視することが出来なかった。子供にも、彼女の身に何が起こったのか分かった。そのうえで、彼女を殺した相手は子供の身体に何発もの銃弾を撃ち込んでいた。どす黒く広がった血溜まりの中に仰向けで倒れていたカーラの亡骸は、そのまま引き取ることが出来なかった。でも、バレンティンが何かうまくやってくれたらしく、カーラの事件はちゃんとした捜査をしてもらえることになったのだ、と後から話を聞いた。さらに、亡骸は親類の下へと引き渡され、ちゃんとした墓地に埋葬されたのだと聞いて、マティルダはほっとしたものである。

ふと、気配を感じてマティルダは目を覚ます。この寝床にエストバキアの兵士が足を踏み入れたことは無かったけれど、ぐっすりと夢も見ないほどの安眠が取れたことは少なく、どちらかと言えば寝の浅い日々が続いていた。寒さが一段と厳しくなってきたことも原因の一つではある。身体を起こし、寝ぼけ眼を擦ってみれば、バレンティンが他の子供たちの毛布や布団をかけ直しているところだった。

「おや、起こしちゃったかい?」
「ううん。何だか目が覚めちゃった。結構今日は冷え込んだし」
「そうだね。本当はここでも暖が取れるといいんだけど、ちょっとしばらくは自重した方が良いみたいなんだ」
「自重?」

毛布を肩にかけながらマティルダは起き出す。バレンティンは、珍しく眉間に皺を寄せながら腕組みをしていた。言うか言うまいか迷っているようにも見えたが、他の子供たちが熟睡していることを確認して意を決したのか、重い口を開き出す。

「さっき、食料や燃料を取りに行ったんだけど、シェルターの外郭通路に灯りが見えたんだ。ついでに言えば、エストバキア語の会話付き。ほら、軍隊では赤外線の暗視装置とかあるんでしょ?慌てて隠れてやり過ごしたんだけどね。幸い、向こうさんは気がつかずにスルーしてくれたんだけど、彼らが何話していたと思う?」
「まさか、私たちを探している……とか?」
「そこまで警戒する必要は無いよ。少なくとも、今の時点では。……どうやら、彼らシェルター中核部の保存食料庫を解放したいらしい。エメリアの食糧事情が非常に悪くなっているの、マティルダも知ってるだろ?ところが、一向に中核部を開ける鍵が見つからなくて、連中焦っているみたいなんだ」
「ちょ、ちょっと待ってバレンティン。じゃあ、うっかり通路に出たところで、エストバキアの兵士と鉢合わせしちゃったりするかもしれない……ってこと言いたいの?」
「――ご明察。シェルター通路経由の出口は当分使わないが吉だろうね」
「ええー。じゃあ遠回りの狭いルートしか使えないのかぁ……」

バレンティンは無言で頷いた。マティルダたちが使っている「表」へのルートは何本かあるが、そのうちいくつかは、地下シェルター外郭通路ハッチから表に出るコースとなっていた。これを使わないルートというのは、バレンティンが良く知る「昔々」の秘密通路であり、よく出来ている反面古かったり狭かったり、という点が問題なのであった。さらに、出る場所が森の中だったり、或いは王城のど真ん中に出てしまったりするので、運悪くエストバキアの兵士に見つかった場合の説明が大変というのも悩みどころであった。

「でもさ、バレンティン。食料が目的なら、さっさと中核部に入っちゃえばいいんじゃないの?」
「ふっふっふ。簡単には行かないんだな、これが。なあマティルダ、この城って、誰の持ち物だと思う?」
「王様の末裔」
「ご名答。だから、シェルターを使って良いかどうかは、今も続くエメリア王家の了解が必要なんだ。そのために、中核部の入口には鍵がかかっていて、部外者お断りになっているんだよ。だから、エストバキアの兵隊さんたちは血眼になって他の入口が無いかどうかを探し回っている……というわけさ」
「じゃあ、私たちの食料はどうして手に入れられるの?」
「鍵とは無関係なところを通っているからさ。しかも、外郭通路からは見つからないおまけ付き」
「……バレンティン、楽しんでるでしょ?」
「そうでもないさ。もし、エストバキア軍が本気になれば、シェルターの弱いところを爆破するなんて無茶もしかねない。今のところ彼らも冷静みたいだから大丈夫だろうけど、切羽詰ったらどうなるだろうね。まぁ、メンテナンス用通路のドアなんかはそこまで強くないから、軍用の爆弾でも使えば開けられちゃうだろうけど、食糧をいっせいのせ、で運び出すには小さい。うまく中に入れたとしても、結局メインの入口を開くことは出来ない――というわけさ」

もっとも、それは王城直下の中核部に限った話であり、それ以外のシェルター群についてはそこまで徹底したセキュリティは施されていない。それ故に、既に地元住民たちの手によって食糧調達庫として機能しているシェルターもあるし、逆にエストバキア軍によって接収されてしまったシェルターも存在する。市内の食糧事情の悪化には歯止めがかからず、これ以上の民心離反は統治にも甚大な支障を引き起こすことが分かっているからこそ、エストバキア軍はシェルター中核部をこじ開けたい、というわけだ。何でもかんでも軍隊に持って行っちゃったら、当然食べるものなんて無くなることくらい想像がつきそうなものだけど、とマティルダは思う。おやつだって、今目の前にあるものを片っ端から食べ続けていたら、あっさり無くなってしまう。だからこそ、ちょっとずつ隠し持っておいて、後でコッソリ食べるのに。それでみんなで野良仕事するならともかく、街から洗いざらい持っていくことばかりしているから、生活も苦しくなるし、餓死する人が出てしまうのだ。それは戦争を続けているおっちゃんたちのせいでは絶対に無い。

穴蔵の安穏 「……明日、みんなには良く説明しよう。あと、食糧の取り出し時間や回数も要検討かな。場合によっては、予め多めに運び込んでおくことも必要になるかもしれない。いないとは思うけど、建築の専門家でも連れてこられたら、城の隠し通路なんて見破られてもおかしくないだろうからね。みんなが無事に帰れるところに帰れるまでは、きついだろうけど我慢しよう。時にマティルダ、遅ればせながらだけど、何か願い事はないかい?」
「いきなり願い事って言われてもなぁ。実現可能な範囲でしょ、バレンティンが」
「……ご明察なんだが、そう冷めて言われると悲しいぞ、僕は」

拗ねた表情を浮かべるバレンティンに苦笑しながら、マティルダは「今やりたいこと」を考え始める。勿論、エストバキア兵をみんな追い出して、とか、ママとパパを今すぐ連れてきて、とか、実現不可能な願い事は山ほどある。でも、バレンティンの手に余ることは無理であるし、そうでなくても彼が自分たちを必死に支えてきてくれているのは痛いほど分かるから、極力迷惑をかけたくないというのも彼女たちの想いである。じゃあ、彼に出来そうな上限は?色々と考えた結果、ここしばらく一度も実現出来ていないことに思い出した。

「……暖かいシャワーがいい。駄目ならお風呂」
「お風呂と来たか。……でも、そうだな。考えてみると、僕もここしばらくお湯を浴びていない。身体は毎日拭いているけどね」
「昔ね、パパの同僚のみんなと一緒にキャンプに行ったことがあったの。その時、おっちゃんがドラム缶持ってきたから何に使うのかと思ってたら、お風呂だったんだよねぇ。ニーナお姉ちゃんが入るときは追い出されていたけど」
「なるほどね。うーーーん、ハードルは結構高いけど、確かに何とかしてあげたいな。ちょっと考えさせてくれるかい?」
「本当に!?」
「うん……まあ、いけるだろう。我に名案アリ、さ」

バレンティンの言うことなので、期待半分不安半分、と勝手に理解して、マティルダはサムアップした。でも、もし実現出来るなら、とにかく暖かいお湯の中で身体をほぐしたい。シャワーが実現出来るなら、目いっぱい身体をゴシゴシと磨きたい。実現したらいいなぁ……と考えて、バレンティンがいきなりそんなことを言い出した真意にようやく気が付いた。全く、頼りないくせに、人一倍頭が回るんだから、この人は。

「……ありがと。グレースメリアが解放されたら、ちゃんとお礼するね」
「ん?よせやい。僕は親御さんたちに平謝りするしかないよ。お子さんたちを長らく穴蔵に住まわせてしまって申し訳ありません、てね。さて、他にどんな厄介事を言われることやら……」

苦笑いをしながら頭を掻くバレンティン。けど、このメンバーの中にバレンティンがいてくれたことに、マティルダは心の底から金色の王様に感謝したくなった。マティルダたちだけだったら、もうとっくに音を上げていたことは間違いなかったから。

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