迫る激突
先の敵エース機との戦いで弾薬を消耗していた俺たちではあったが、ウィンドホバー、アバランチ、レッドアイ、カスター、アラモ各隊の奮迅によって、ラルゴム・ビーチ上空の制空権はほぼエメリア軍側が掌握することに成功しつつあった。敵増援の航空戦力は決して少なくは無かったけれども、各方面の基地からバラバラにスクランブルさせられたせいか、戦域に対する逐次投入の愚を犯すこととなった。おかげて俺たちにしてみれば、何とか対処出来る範囲で敵増援を各個撃破出来たこととなる。地上の戦いは、一度はエストバキア側に傾きかけた天秤を、クオックス隊とワーロック隊の面々が無理矢理引き戻す事に成功し、狩る者が狩られる立場へと変貌した。エメリア軍は疲弊している、という油断もあったのだろう。実際、地上部隊は疲弊と弾薬欠乏の瀬戸際に立っていた。だが、ケセド島からはるばる大陸に戻ってきた軍団の士気がどういうものか、彼らは完全に見誤っていた。「窮鼠猫を咬む」の言葉通り、圧倒的優位にあったはずのエストバキア軍は、想定外の大損害を被って壊走寸前の状態にまで追い込まれていたのである。

「ええい、連中もしぶといな。さっさと尻尾を巻いて逃げりゃいいものを……」
「向こうにだって命令と立場がありますからね。敵戦闘ヘリ、9時方向!」

ホバリング状態で地上部隊を狙っているAH-64Dの群れに対して、タリズマンは横っ腹から突っ込んでいく。既にAAMは全弾撃ち尽くしてしまい、残るは機関砲弾のみ。オルタラの空港まで戻れば勿論補充は可能だったが、「上に居るだけでもプレッシャーになる」場合がある。特に浮き足立っている敵地上軍の兵士たちにとっては、効果覿面であった。最前線の友軍部隊が次々と炎の中に没していく様を目の当たりにしてしまった後方展開部隊の中には、撤退命令を待たずして退却した隊も出ていたのである。混乱と動揺ほど、士気を低下させるものは無い。俺たちの前方にいるヘリ部隊のように、戦闘継続の意志を持ち続けている部隊も無いわけではなかったが、一度崩れ始めたものはそう簡単には戻せない。タリズマンがトリガーを引き絞り、機関砲弾が戦闘ヘリの細い胴体を叩く。2機がたちまち炎に包まれ、1機は真ん中からへし折れて、バラバラになった残骸がぐるぐると回転しながら地上へと短いダイブ。かろうじて撃墜を逃れた機の至近距離を轟然と通過すると、敵パイロットのものらしき言葉にならない悲鳴がヘッドホン越しに聞こえてきた。

『とっ、鳥のエンブレム!』
『さっさと逃げろ!クソッタレ、あいつらだけでどれだけやられたって言うんだ!?』
『……なんじゃ、すっかり悪役扱いじゃのう、ワシらは』
『なんでもいいさ。エメリアからエストバキアが出てってくれるんならね』

低高度を維持したまま、タリズマンは敵部隊の真上を通り過ぎていく。コクピットから見下ろしている間にも、攻撃を食らって燃え上がる敵戦闘車両の姿が何台かあった。どうやら、1発を撃つ間に、数発を撃ち込まれている状況らしい。放っておくと、クオックス隊などは敵戦車に体当たりをかましていきそうな気がしてきた。広域レーダーに映し出される光点も、今やラルゴム・ビーチ周辺ではほとんど友軍のものばかり。エストバキア軍の光点の大半は、既にオルタラ市の北部地区に集中しつつあった。もしここで、ケセド組のもう一隊、スティールガンナーズ隊がいたならば、今頃は敵残存部隊の追撃が始まっていたに違いない。ここにいない彼らは、その代わりに別の重要な任務を遂行している時間のはずだった。もしここで、北部地区に留まっていた敵部隊が再び反攻に転じていたら、ラルゴム・ビーチの戦局は新たな局面を迎えていたに違いない。だが、強硬策に踏み切るには、余りにも損害が大き過ぎた。程なく、相も変わらず言葉尻だけは威勢の良い声が、「名誉の撤退」と「エメリア軍による非道な殺戮に必ずエストバキアは報いるだろう、再戦の日を待て」と負け惜しみを伝えてきた。即ち、エストバキア軍に撤退命令が出された、ということだ。たちまち、エメリアの兵士たちの歓声が爆発した。この日、ラルゴム・ピーチからの撤退命令を受けたエストバキアの兵士は、「地響きのような恐ろしい声が背中から迫ってきて、一目散に駆け出したよ」と証言している。きっとそれは、誇張では無かっただろう。国の最果てまで追い詰められた兵士たちにとって、ようやく故郷の一部を奪い返した瞬間だったのだから。


Garuda 歓声冷めやらぬ海岸の上空に集結した航空部隊は、ようやく戦闘の緊張から解放された。コクピットの周囲を見回すと、編隊を組んだ各隊が、悠然と浮かんでいるようにも見えてきた。損傷を負っている機体も少なくは無く、アネアへの第一歩を記すための戦いが如何に熾烈なものであったかを、無言で示しているようだった。

『ゴースト・アイより、各隊。良くやってくれた。これでようやく、大陸に留まった友軍たちを救出するための橋頭堡を確保出来た。グレースメリア奪還に向けた道のりが……』
『うお?うおおおおお!?エストバキア軍が全軍撤退だとぉ!?ヒューーーーーッ!!聞いたかエブリワン、レディース&ジェントルメン、朗報だ!!思わずダンスしたくなっちまう朗報だぜぃ!!俺たちのエメリアに、どうやら頼もしい奴らが戻ってきたらしい。ラルゴム・ビーチ――あそこはナイスが多くて夏には嬉しいスポットなんだが――とにかくあの一帯が、エメリアの元に戻ったってさ!!……ん、何々、何でも、そのめでたい頼もしい連中は、ケセドを飛び立った天使とその他大勢だそうだ。くーーーーっ、いいね、いいね、いいねぇ!!』
『……聞いたかキャンベル、俺たちゃ「その他大勢」だとよ』
『フン、まあそう言うな。どこかでとっ捕まえて、部隊名をきっちりと教え込んでやればいいだろ?』

「その他大勢」に括られてしまった地上部隊の長たちが物騒な会話を交わしている事など露知らず、底抜けのハイテンション、言葉のマシンガンは、ゴースト・アイの話の腰を見事に叩き折って続いていく。

『ケセドの連中ってことは、あの北の要塞バルトロメオに篭ったエストバキアの連中の向う脛を蹴っ飛ばしてくれた奴らってことだぜ!こりゃすげぇ。んでもって、リスナーの大半はちゃんと詫びを入れないといけねぇな。エメリアの軍勢がケセドに逃げ込んだとき、見捨てられたって思った奴ら、今すぐ挙手!!そして西を向いて、レッツ、土・下・座!!ま、ともかくこれで、俺たちの愛する祖国にも光明が見えてきたって事だ。果報は寝て待てっちゅうが、いやー、日頃の行いが良いとやはり報われるもんだなぁ、うんうん』
『……おい、軍事回線の不正使用は立派な犯罪だぞ!!発信源の探知……』
『はいはい、長々と続いているエストバキア野郎のプロパガンダ無線も妨害しているんだから贅沢は言わない言わない。今頃あっちは……とても素敵なことになっているぜ、うんうん。連中、総出で前屈み前進、なんちゃってな。ま、そいつはさておき、この記念すべき日、めでたい彼らに送るのは、このナンバー!暗闇を抜けた明日に相応しい一曲、「ブラン・ニュー・デー」。こいつを聞いてくれ!』

マシンガンの乱射が収まると共に静かに流れ出したのは、俺も何度か聞き覚えのあるナンバーだった。ボーイソプラノの独唱が透き通るような旋律を奏でるこの曲は、新たな一日を迎えることが出来た喜び、歓喜を歌ったもの。アネア大陸奪還の一歩を記した俺たちには、確かに一番ピッタリの曲なのかもしれない。と、相変わらずゴースト・アイの回線を「乗っ取っている」自由エメリア放送には不似合いの、連続した銃声が聞こえてきた。

『おおっと、ちょっとばかしおちょくり過ぎたか、銃声だぜ。じゃ、後は音楽を楽しんでくれよ。PEACE!!』
『……ようやく行ったか。全く、とんでもない連中だ!』
『まあそう言うなって、ゴースト・アイ。戦闘終了後は音楽の一つも流すもんだぜ』
『そうそう、ソルティードックの言うとおりだぜ。"こっち"じゃもっとド派手なナンバーも流れる時があるからな』
『……ヘルモーズ中尉、グルシェンコフ少尉、問題はそこではなくて回線を乗っ取ったことで……ええい、もういい。各隊は哨戒飛行を継続しつつ、順次着陸しろ。損傷機が最優先だ。一度補給を受けてピンピンしていて、しかも海賊放送を楽しんでいた奴らは一番最後だ。いいな!?』

完全にとばっちりだ。言うまでも無く、一番最後に回されたのは、俺たちガルーダ隊であった。同様に、レッド・アイ隊がブービー。ある意味空の激戦地真っ只中にあったはずの二隊が、殿(しんがり)として友軍部隊の護衛を仰せ付かったようなものだ。それにしても、自由エメリア放送の面々、エストバキア側にどんな「仕込み」をしたのだろう。そこら辺が実に気にかかる。後でキリングスに「例のミサイル案件」の話ついでに聞いてみることにしよう。視線をコクピットの外に向けると、俺たちの左右にポジションを取っているジュニアとビバ・マリアの2機が、目に入る。ミラージュに乗る小柄な人影が、こちらの姿に気が付いて、バイザーとマスクに覆われた顔を向ける。すると、控えめに伸ばされた左手で、ビバ・マリアがサムアップした。「ようやく戻ってきたな」という事かもしれない。そんな彼女に、俺はラフな敬礼で返事を返す事にした。

この日、ラルゴム・ビーチ一帯とオルタラ市、さらにオルタラ市北方の海岸から上陸したエメリア軍は、展開するエストバキア軍戦力を退け、ついにケセド島からの逆上陸作戦を成功させた。一方で、ケセド島からの大部隊襲来の報を受けたエストバキア軍は、これに対処するための手段として、アネア大陸本土に留まったエメリア軍に対する攻勢を強めてこれを排除し、大軍を差し向ける方針を「将軍たち」が決定した。この方針を受け、エメリア軍の大部隊が籠城するシルワートタウンに対し、エストバキアの大部隊が移動を開始したとの報告が飛び込んできたのは、俺たちがオルタラの滑走路に降り立ち、ようやく休憩時間を手に入れた時から、わずか5時間後のことであった。

エメリアによる反攻宣言と時を同じくして開始された逆上陸作戦は、どうやら我が軍の敗北に終わったらしい――。その噂は瞬く間に兵士たちの間に伝播し、不安そうに遠くの空を見上げる姿がそこかしこに散見される。ここからじゃどうせ見えないよ、と言ってやりたくなるのを抑えながら、パステルナークは愛機のタラップをゆっくりと降り、台地の硬さを踏みしめた。整備班長に対して、被弾なし、異常なし、でもエンジンのフケが少し悪い、と簡単に伝え、長い付き合いのヘルメットを抱え直して歩き出す。やはりSu-33はいい――テストパイロットを務めて以後、もう一つの愛機となったノスフェラトゥも良い機体ではあったが、ヴォイチェク隊長のしごきを受け、内戦期のエストバキアの空を駆け巡った相棒でもあるSu-33は、比べようの無い愛着を感じるのであった。

「隊長、お疲れ様でした!」
「何の何の、こんなの疲れるうちにも入らないだろ。どうだ、もう二周りくらいしてみないか?」
「勘弁して下さいよ、ホントに」

隣に並んだノストラの泣きそうな顔を眺めながら、パステルナークは苦笑した。全く、徒労感たっぷりという点では精神的な疲労がたまったのは事実である。それでも、戦闘が無かったという点では、身体的な疲労は溜まっていない。早い話が不完全燃焼。一番気分的に疲れた気持ちになるパターンだな、と彼は結論を出していた。シルワート市など、旧エメリア領の西側が激戦区になってきたことに伴い、冷や飯を食らわされ続けてきた「ヴァンピール」も、サン・ロマ市まで借り出されるところまでは良かった。しかし、彼らに課せられた任務は、新編成の航空部隊の教練や強行偵察、そして護衛任務といったものであった。表面に出す事は無いにせよ、隊員たちの気分は最悪だろう。軍人であるからには命令は絶対ではあるが、納得するかどうかはまた別の問題なのだから。そして、パステルナークの今日のミッションは、本来の護衛部隊たる「シュトリゴン」の代わりとして、アイガイオンの護衛に就くことであった。大陸西側がきな臭くなっているこの時期に、安全地帯たるグレースメリアに「シュトリゴン」が招聘される理由は腑に落ちなかったが、ヴォイチェク隊長の負傷後、どうも調子の上がらないシュトリゴンのメンバーに喝でも入れるんだろう――とりあえず、そのように彼は想像をしていた。

ケセド島へと逃げ落ちていったエメリア軍航空部隊も、かつては使っていたという滑走路。そこには今、パステルナークたちエストバキア空軍の機体がずらりと並んでいる。居並ぶ機体の群れを見回していたパステルナークは、自らの率いる戦隊と全く同じカラーリングに染められたSu-33の群れを見出し、口笛を鳴らした。数ある航空戦隊の中でも、「ヴァンピール」と「シュトリゴン」の二隊にしか認められていないこのカラーリングである。当然、それは「シュトリゴン」の面々の機体、ということになる。うぇ、面倒くせぇと呟いたのをノストラに咎められたパステルナークは、翼を休めている機体中に、見知ったナンバーを見出していた。その足元には、実戦経験豊富なベテランパイロット中心の二隊にあって、異色の存在である若者の姿がある。その若者の顔を、見誤るはずは無かった。

「おおぃ、トーシャ!トーシャじゃないかぁぁぁ!!」
「へっ!?パステルナーク隊長!?」
「へっ、て何だ、へっ、て。そんなだからお前、ルドミラちゃんは他の国に留学に行っちまうんだぞ」
「いや、それは関係が……」
「災難だったね、トーシャ。お、一端の顔になってきたね」
「元気そうで何よりだぜ、トーシャ。で、そのルドミラちゃんとはうまくいってんのかい?」

照れながら頭を掻いている若者――トーシャ・ミジャシクは、シュトリゴン隊に所属するパイロットとしては最年少ながら、今や部隊の中でもトップレベルの腕前のエースへと成長していた。内戦、そしてエメリアとの戦いの中で教官として指導した若い世代が失われていく中、トーシャは天才の片鱗を存分に発揮してしぶとく生き残っている。もっとも、グレースメリア上空での戦いではその若さを敵に利用され、ヴォイチェク隊長撃墜の一因を作ってしまったが、そのショックからはもう立ち直ったらしい。もっとも、そんな若者の姿を、ヴォイチェク隊長はきっと嬉しそうに見守っているだろう。

「――そうか、失恋したか。まぁ、仕方ないな、お前不器用だし」
「失恋はしてません!!」
「――冗談だよ。質問を変えるか。どうだった、グレースメリアは。ドブロニクの旦那は相変わらず景気の悪い顔をしていたかい?」
「た、隊長!司令長官でしょ、司令長官!!」
「目の前にいないから問題なしだ、頭の固い奴め。大体な、向こうは向こうで裏に回れば下々が自分勝手に上層部の評価を下していることくらい、百も承知なんだぜ?で、向こうではお説教タイムかい?」
「隊長、トーシャも困ってますよ。いじめるのもそれくらいにしておいてあげましょうや」
「ノストラの言う通りだぞ、パステルナーク。前途ある若者のまっすぐな人格に埃をかぶせないでくれ」

ノストラとトーシャの顔が引き締まり、挙手敬礼を施すのに対し、パステルナークはラフな敬礼。ノストラの咎めるような視線に面倒くさそうに応じている彼の姿に、苦笑を浮かべながらラフな敬礼を返した男の姿があった。

「どうした、冷や飯食いはもう散々、って顔だな」
「隊長こそ、お偉いさん方のご機嫌伺い、ご苦労様です」

相変わらず口が悪いな、とこれは嬉しそうに応じた現シュトリゴン隊長――ダリオ・コヴァチは、手を下せ、とトーシャとノストラに目配せを寄越す。隊の中では年少の部類に入る自分が同格の部隊の隊長に就いていることに関して不満を持つ者も少なくない「シュトリゴン」と「ヴァンピール」において、コヴァチは積極的にパステルナークの隊長就任を推した数少ない人間の一人であり、理解者でもあった。入隊にはその技量が何よりも物を言うとはいえ、元々は激烈な内戦で殺しあった者同士が同じ部隊で並んでいる点も特徴である二隊では、作戦中は別としても、作戦後の人間関係が必ずしも良くないのが日常でもあった。先のクエスタニアのような極端なケースは珍しいが、内戦時の戦闘で、部下をパステルナーク一人に皆殺しにされたエースが「シュトリゴン」には存在する。フリーの時間においては、彼の姿を認めるや、踵を返して去ってしまう事も珍しくない。見かねたヴォイチェク隊長が一席設けてくれたこともあったのだが、踵を返すのがじろりと睨み付けて通り過ぎる程度に変わったくらいに留まった。この時ばかりは「人間関係とは難しいものだ。空の上でのことは恨みっこ無しとは言ってもな……」とウィスキーの入ったグラスを傾けながら、ヴォイチェク隊長がぼやいていたことをパステルナークは覚えている。その点、コヴァチはヴォイチェク隊長不在の「シュトリゴン」を束ねられる数少ない適任者であろう。

シュトリゴンの男たち 「"隊長"は止めてくれ、少なくとも、二人で話している間はな。我々にとって、隊長とはヴォイチェク中佐ただ一人……だろ?私自身、むずがゆくてたまらないんだ。副隊長と今まで通り読んでもらった方が、どんなに気楽なことか」
「そりゃそうですが、隊長ならではこそ、でかい顔が出来るってのもありますよ。おかげで、夕飯のメニューを毎日ノストラに指示する事が出来るようになりましたしね」
「コヴァチ隊長、何とか言ってやって下さいよ。隊長ときたら、最近食後にケーキを出せ、ドーナツ出せ、ですからね」
「ノストラさん、まさか本当に作っているんじゃないでしょうね?」
「最後は隊長命令だもの。ちゃんと作ってるよ、毎日ね!」
「――なるほど、ささやかな職権濫用には効果的、というわけだな。ヴォイチェク隊長が言ってた通りだ。パステルナークの気楽さを少しだけ見習ってみろ……そう言われたよ。私もノストラの作ったスイーツは食べてみたいものだ」
「そんな、殺生ですよ、コヴァチ隊長……」
「隊長、お願いですからパステルナーク隊長の悪いところを真似しないで下さいよ……」
「ヴォイチェク隊長に会えたんですか?……元気なわけは……ないでしょうね」
「まあ、な。おくびにもそんな風に顔に出す人ではないが……空に上がれないことが、やっぱり寂しいみたいだった」

部下たちのぼやきは完全に無視しつつ、グレースメリアの地で不本意な任務に従事する上官のことをパステルナークは思い浮かべる。戦闘機乗りとして空を駆け巡ってきた者にとって、地上勤務となることは失望以外の何者ももたらさないことを、彼は良く知っていた。何らかの任務などで、時限的に外れる者はまだいい。戦いの結果、空で散った者も、地上での時間が与えられないという点では幸せかもしれない。問題は、戦闘による負傷によって、生き永らえても二度と空に上がれなくなった者たちなのだ。特に、第一線に在って、部隊を率いてきたような者たちになればなるほど、その傾向は強いように彼は感じている。事実、パステルナーク自身も、地上でデスクワークに追われる日々というものを想像出来ない。人一倍責任感の強いヴォイチェク隊長の事だから、軍人として与えられた任務を黙々とこなしていることは疑いようは無かったけれども、充実しているということも無いに違いない。それも、捕虜の尋問が任務という話なので、ストレスを内部に溜め込んでひたすら耐え続けているのではないか、と彼は推測した。

それにしても、「シュトリゴン」の戻りが早過ぎる。居並ぶSu-33の群れに素早く目を走らせたパステルナークは、全ての機体がフル兵装状態にあることに気が付いた。サン・ロマ近郊は未だエストバキアの勢力圏内にあり、エメリア軍の姿は無い。となれば、シュトリゴンの行く先は、敵の真っ只中、ということになる。それほどまでに、エメリア軍によるアネア大陸再上陸の報は、お偉いさんたちの横っ面を張り、驚かせたという事になるだろう。

「ところで、もう耳にはしているよな。大陸西方に上陸したエメリア軍を阻止出来ず、空港などの拠点と都市を一式失った、という話は?」
「公式にはまだですが、飛んでいる最中に聞こえてきた無線で大体は把握してますよ。ついでに言えば、うちの広報官のチャンネルが例の海賊放送に乗っ取られたことも、ね」
「ああ、アレだな。ブラックジョークにしちゃパンチが効き過ぎていたがな。あれではきっと、撤退速度が上がらずに指揮官たちも苦労しただろうに。……まぁ、そういう発想をする奴がいるエメリアという国が、少し羨ましいがね」
「同感です。我が軍の広報官にも見習ってもらいたいもんですな」

少し前からオンエアを始めた海賊放送は、「自由エメリア放送」を名乗り、エストバキア軍の軍事無線にまで乱入して放送を繰り広げる……という、教条主義を掲げる連中が血眼になって追いかけている奴らであった。ラルゴム・ビーチからの撤退に当たっては、将兵たちを鼓舞し、士気を高めんと演説をぶとうとした広報官を押しのけて、何とブルーフィルムの音声だけを流したのである。もし初心なトーシャあたりが耳にしていたら、間違いなく操縦をミスっていただろう。大勢の兵士たちが前屈みになって進軍を強いられる状況は滑稽ではあったが、惨敗によって命からがら逃走する兵士たちの姿としては、あまりに悲し過ぎる。大体、数の上では完全にエメリア軍を圧倒していたはずなのに、かくも見事に惨敗するというのはどういうことなのか。陸軍の連中が油断をしていた?それもあるだろう。だが、理由はもっと他のところにある。その理由の一つを、パステルナークは確信していた。

「――奴、ですね」
「……そうだ。ヴォイチェク隊長をグレースメリアの空で撃ち落したエースが、この大陸に舞い戻ってきた。「鳥のエンブレム」を付けたF-15Eの姿を、多くの兵士たちが目撃している。ついでに言うと、「南部のハゲワシ」も奴に落とされたそうだ。――アイツの飛び方なら、俺もこの目で見たから覚えている。そうだな、お前やヴォイチェク隊長ともまた違う、どちらかと言えば豪気な飛び方だったが……隙が無い。そういう奴がいるだけで、軍隊ってのは雰囲気が変わっちまう。まだその辺りが陸軍の連中には分からないらしいが、少なくとも俺たちは気を引き締めておかないとな」
「じゃ、この重装備は連中の歓迎ってことで?」
「まあそうなるな。アイガイオンへの帰還後は、例のエメリア軍の残党が立て篭もっているシルワート市の支援に回されることになりそうだ。陥落したオルタラ市と連携される事を恐れているんだろう。お前たちも気をつけろ。ともすれば、「天使」の上を行く相手かもしれないからな」
「ほぉ、あの好敵手の上を行きますか」

エメリアの「天使」――クエスタニアの野郎の暴走が無ければ、再びダンスを踊る事が出来たかもしれない、エメリアのエースパイロット。あれ以降、対等な戦いを繰り広げられる好敵手についに会う事がなかったパステルナークの顔に、自然と笑みが浮かぶ。それほどまでにコヴァチが評価するエースならば、たとえ「シュトリゴン」のメンバーであったとしても苦戦は必至だろう。さらに聞くところによれば、「鳥のエンブレム」だけでなく、奴と共にケセドへ逃れていった航空部隊の連中は、いずれも猛者揃いらしい。奴らと出会ったならば、久方ぶりに奮い立つようなダンスが踊れるに違いない――好戦的と言われればその通りかもしれない。強敵とのダンスを望んで止まないもう一人のパステルナークが、まだ見ぬ敵とのドッグファイトを切望している。ちらり、と視線を動かしたパステルナークは、そこにもう一人、情熱の焔を燃やす男の姿を見た。なるほど、どうやらトーシャはそうすることで自責の念を乗り越えて来たらしい。

「あちゃあ……隊長の悪い癖がまた始まった」
「おいおいパステルナーク、それにトーシャ、そう逸るな。奴を狩るのは、まずは俺たちの仕事だぞ。残念だが、お前の出番は多分無い。大体お前、私が敗北する前提で考えているだろ。ヒドイやつだな、相変わらず」
「うんにゃ、そこまでは言ってないですが……」
「ふふ、まあそういうことにしておいてやろう。――もし、無いとは思うが万一、俺たちが敗北したら、その時は済まないが、お前に任せるとするさ。ヴォイチェク隊長の申し子たるお前さんに、な」
「縁起でもない」
「全くだ。そうならないように努力したいもんだ」

コヴァチを呼ぶ声が聞こえてきて、会話の時間は終了。苦笑いを浮かべながらラフに敬礼した相手に、パステルナークもラフに応じる。次は軽く一杯やるか、という誘いに諒解を返すと、コヴァチは「隊長」の顔を取り戻して声のした方へと歩き出した。トーシャも一礼をすると、コヴァチの後を追う。彼らの後姿をパステルナークは見送る事となったが、結果としてこの日の僅かな時間が、パステルナークの後任副隊長を務め、そしてヴォイチェク隊長の後任隊長を務め上げたエースパイロットの姿を見た最後の日となる。不吉な予言が的中する日は、「シュトリゴン」隊の目前にまで迫っていたのであった。

「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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