退路無き空
シルワートに対する包囲網を解いて、東へと撤退するエストバキア軍。その背中を追って、整然と隊列を並べながら追撃するエメリア軍。ワンサイドゲームは完全にひっくり返り、踏み止まって追手の足を止めようとするエストバキア軍部隊は、猛然と迫るエメリア軍部隊によって次々と撃破されていく。最早指揮系統は失われ、我先にと戦車やトラックにしがみ付き、よじ登り、追手から逃れようとする兵士たち。そこに砲弾が飛来し、直撃を喰らった車輌が一瞬にして炎に包まれ、中に乗っていた兵士たちが火だるまになって路上に放り出される。凄惨な断末魔が響き渡る中、生き残った者たちは次の寄る辺を捜し求める。それは少し前まで、エメリアの兵士たちが直面していた情景だった。その苦境を乗り越えた今、エメリア軍の進撃を止められる敵は、少なくともこの戦場にはいなかったのである。だが……退いていく敵の光点の群れしか見出せないレーダーモニタにいい加減飽き飽きし始めた頃、「それ」はやって来た。

『何だ?包囲100、俺たちの頭の上を飛んでいった奴らがいるぞ。どこの部隊だ?』
『助かるぜ、新たな援軍と来たか!』

聞こえてきた友軍の交信につられて、レーダーに再び視線を戻す。方位100――?だがそこに、友軍の光点も敵軍の光点も見出す事が出来ない。レーダーレンジを切り替えても同じ。だけど、方位100?その方角には未だエメリアの確保した拠点は無いし、オルタラからの増援があるとすれば南西だ。南東にあるのは、エストバキアの勢力圏だけ――。そう思い至るや、背筋がゾッと寒くなった。そう、レーダーに映らないからといって、敵がいないという保証はどこにも無い。ステルス戦闘機が開発された現在においては特にそうであるし、電子妨害を組み合わせる事が出来れば、非ステルス機であってもレーダーの目を撹乱する事は出来る。それは、あのSu-33であっても、だ。おまけに、南東。その遥か先にある海の上では、勉強会で議論をしている「何か」が鎮座している――。

「タリズマン、迎撃体制を!」
「フン、お出ましか。シャムロック!手遅れかもしれんが、高度を上げるぞ」
『了解した』

確証は持てなかったが、感じた危険は間違いではないと思う。それはタリズマンも同様だったらしい。特に説明を求められる事も無く、答えは行動で返って来た。ぐいと機首が持ち上げられ、愛機は空を駆け上がっていく。すぐ隣、シャムロック機がピタリと付けて続く。レーダーとキャノピーの外と視線を行き来させ、俺は敵の姿を探し求める。タリズマンが言っていたように、彼らは最初からこの機会を待っていたのだろうか?以前戦った時は、友軍の支援で疲弊しているところを攻撃して葬った。だが、どうやら今回は違うらしい。連中は、明らかに俺たちを獲物と絞り込んでいるようだった。

『いたぞ、あの2機だ。確実に仕留めろ、全機、攻撃開始!!』
『了解!!』
『何!?ガルーダ隊、気を付けろ!!上空に敵影、数は5……くそっ、魔術師のエンブレムか!!』

ゴースト・アイの警告が聞こえるのが先か、コクピットの中に警報が鳴り響いたのが先か。気が付けば、俺たちのほぼ直上に敵の光点が密集して出現していた。勢い良く機体がロールし、視界が回転しながら跳ねる。一瞬、鮮血の様に鮮やかな「紅」が視界を掠め、轟音と衝撃を横っ腹にぶち当てながら通り過ぎていく。タイミングをずらしながらダイブして来たのか、次の機影と、その翼から切り離されたミサイルの姿とが迫る。機関砲をその姿に叩き込む。くるりと機を回転させた敵機が、こちらの左下へと逃れながらダイブ。タリズマンが舌打ちしながら機をロールさせて針路を強引に捻じ曲げる。白い排気煙がキャノピーの外を通過し、低空へと伸びていく。これでポジションは逆転。だが敵の数が多い。敵部隊は二手に別れ、再び高度を上げてくる。

「こちらガルーダ1、魔術師のエンブレムのお出ましだ。こいつらは俺たちが引き受ける。間違っても手を出すんじゃねぇぞ!」
『ソルティードックよりタリズマン、そんな生易しい連中じゃないんだろう?加勢する。ジュニア!ビバ・マリア!付いて来い。ガルーダ隊を支援するぞ。』
『了解!』
『了解した』

こちらは編隊を解かず、距離を取りながら旋回、攻撃の機会を伺う。だが、敵は早い。一方がこちらの側面に回り込む。もう一方はそのままさらに上昇しながら旋回し、俺たちの頭上から被ってくるコース。再びコクピットの中には警告音が鳴り響く。右方向、敵に向けて機首を向けて急旋回。突っ込んでくるフランカーを出迎える。攻撃ポジションを取れないこちらに対し、敵機が発砲。バレルロール気味に機を螺旋回転させながら射線から逃れる。再び敵機と交錯。後方へ抜けた敵を追撃すべく、タリズマンが急旋回に機体を入れる。もう一方の敵機の群れは、追撃に転じようとしている俺たちに飛びかかろうとしたところで、横合いから突入してきたレッド・アイの3機に阻まれる。とりあえずあちら側はソルティードック……ガイナン・ヘルモーズ中尉たちに任せて、前方の敵に集中する。ほぼ水平方向ですれ違った敵部隊と、再び交錯。今度は互いに攻撃ポジションを取れないが、クロスアタックをタリズマンは狙っていたらしい。通り過ぎるポイントを待っていたようだが、それを見透かしたかのように鋭く旋回した敵部隊が遠ざかっていく。その後背に喰らい付くべく加速。時折鋭く、エッジを刻み込むように飛ぶ彼らに対して、今はミサイルを撃つ事も出来なければ捕捉も困難。我慢比べの鬼ごっこが始まる。

『ったく、すごい動きをするぜ、こいつら。正直F-16Cじゃキツいか』
『愚痴をたれているうちはまだ余裕がある証拠だ、ジュニア。俺がお前くらいの時の教官の訓練なんざ、ゲロは吐いても声すら出なかったぞ。しっかり付いて来い!』
『了解。しかし隊長、地が出てますよ』

そういえば、ヘルモーズ「中尉」――レッドアイの飛び方を間近で見る機会はこれまであまり無かったように感じる。エメリア空軍から貸与されているF-15Cを難なく操り、トライアングルを崩さずに飛び回る敵部隊を、彼ら同様に編隊を維持したまま、レッドアイが翔る。幾度か牽制し合うように交錯した後、「先に片付けた方が良い相手」と敵は判断したのだろう。編隊を解いて水平になるや、レッドアイの3機に襲い掛かっていく。迎え撃つレッドアイ、ビバ・マリア、ジュニアの3機も編隊を解き、それぞれの相手に対して攻撃開始。真正面からすれ違った後は、翼端から互いに雲を引きながらのドッグファイトが始まった。

『シュトリゴン4より各機、一対一で仕留めようと思うな。そんな生易しい連中ではない。機会を待って、必ず複数で狙え』
『了解。シュトリゴン12、手頃な獲物だ。そのF-16Cをさっさと沈めてしまえ』
『そうは言いますがね、侮れなさそうですよ、コイツ!』

小さく軽い機体特性を活かし切った場合、F-16Cは特にドッグファイトにおいては高いポテンシャルを発揮し得る。1機当たりの単価では遥かに上回るF-15シリーズですら、模擬空戦で食われる事がある。ベルカ戦争における戦果でも、F-16Cを運用して高い戦果を挙げた部隊がいくつも存在しているし、かの「円卓の鬼神」の2番機だった若きエースの愛機は、F-16Cだったと聞く。そしてジュニアの腕前は、エメリアに来たばかりの頃と比べれば、間違いなく上がっている。その証拠に、以前と異なって、ジュニアは冷静さを失わずに敵機に相対していた。推力の差が如実に出る上下方向への機動に敵を踏み込ませず、水平方向の土俵に相手を付き合わせ、敵が離れたら無理に追撃せず仕切り直す――初めて一緒に飛んだ時とは別人のように舞う若者の姿が、そこにはあった。冷静に戦場を見ている。あれならば、いちいち俺が気にしなくてもそう簡単にやられることはないだろう。加えて言うならば、ジュニアが相対している敵機のパイロットは、グレースメリア上空で遭遇した隊長機ほどには鋭くない。

『さてタリズマン、こっちも負けていられないな』
『全くだ。しかし向こうもやるな。きっちり録画しておいて、今後に役立てたいものだ』

幾度か右へ、左へと切り返した後、敵機はダイブ……と思いきや、くるりと機体を回転させて急上昇。一気に高空へと駆け上がっていく。ああいった鋭い動きには、こちらは同じようには付いていけない。追撃を一旦諦め、速度を上げつつ旋回。敵機との距離を稼いで、再び敵に立ち向かう。上空へ向かった敵編隊は、今度はレッドアイの3機を牽制するつもりだろうか。乱戦となっている戦域に向かって、被っていく態勢を取る。タリズマンがスロットルを押し込む。ごう、と加速した愛機が、大気の抵抗を翼で引き裂きながら獲物の後姿を追う。双方の機体が複雑なエッジを刻んだ戦域の中に飛び込む。狭い空間の中に10機の戦闘機が入り乱れると、レーダーモニター上の表示がややこしいことになる。斜め下へと倒れこむように旋回していったのはビバ・マリアのミラージュのようだ。直後、機関砲弾を放ちながら敵の赤い機体がすぐそばを通り抜けていく。先ほどの敵は、上空からポジションを変えつつ……視認。鈍い光を翼に反射させながら、覆い被さってくる。と、スロットルが絞られた。急な減速に一瞬身体が浮いたようになり、頭から倒れこんでいく感覚が加わる。レーダー上、こちらの光点と敵機の光点とが重なった。機種が真下を向くや否や再び回転数が跳ね上がり、重力に推力を重ねてパワーダイブ。少し上を見上げれば、Su-33の下っ腹を肉眼で確認出来るポイントに。既にスピードに乗ったこちらとの彼我距離は離れない。

ようやくここに至って敵部隊が編隊を解く。一方がゆっくりと90°ロールしたかと思いきや、両翼から白い雲を引いて引き上げる。こちらの視界からは、左上方向へと勢い良く消えていくイメージ。「シャムロック、あれは引き受けた」『了解』という短いやり取りがかわされた直後、俺の身体の上にはGが圧倒的な質量で圧し掛かってきた。タリズマンがGリミッタをカットして機体を急旋回させた結果だ。機体のスペックならもっと激しい機首上げも可能であろうSu-33ではあったが、中の人間が耐えられる荷重はそう違いが無い。結果、敵の軌道をなぞる様に飛ぶこちらは、速度を向こうほどは殺し切れずにその後姿に向けて滑り込んでいく。絶好の好機。だがこれで仕留められないのが連中の腕前の恐ろしさだ。敵はもう一度強引に機首を引き上げ、上方へと跳ね上がる。あれぞ、フランカーシリーズやMig-29系の後期型ならではの機動。パイロットには相当な負荷がかかるはずだが、機体に殺されないギリギリの線でやってみせるあたり、そういう死線を幾度も潜り抜けてきた相手であることを嫌というほど味わう羽目になる。が、今操縦桿を前席で握るタリズマンも、それは同様だ。

「舌噛まねえようにしていろ!」

怒声が聞こえてきて、瞬間的に俺は身構えた。続けて、壁にでもぶつかったかのような衝撃。舌噛むどころか、首をやりそうだったじゃないか!?推力を失って不安定な状態になった機体は、こちらをオーバーシュートさせて背後にへばりつこうとしていた敵機のやや下方、機首を持ち上げるような姿勢で滑り落ち始める。しかし、流線型の流れるようなフォルムの赤い胴体を、今度ははっきりと捕捉していた。

『しまった!?』
「チェックメイトだ」

乱戦 ロックオンの電子音が鳴り響くのももどかしい、といった風に、タリズマン、SAAM発射。後ろから滑り落ちていく機体は加速度を増し、敵との距離が開いていく。敵機は水平に戻して離脱を図ろうとしたが、今回ばかりはその特異な機動性が仇となった。至近から放たれたミサイルは敵に加速させる暇を与えず、その背中に突き刺さった。瞬時に亀裂が敵機の全身に走り、そして炎の塊が内から膨れ上がった。敵のパイロットが断末魔の悲鳴をあげる暇も無く満身炎と化した機体は、臨界に達するや否や引き千切られた。かろうじて戦闘機の形を残した機首から右主翼までの大きな残骸が、風圧に晒されてゆらりゆらりと回転しながら地上めがけて落ちていく。

『こちらシャムロック、タリズマンが敵機撃墜!ナイスキル!!』
『くそっ……さすがはエメリアのトップエース。ヴォイチェク隊長を落とした腕前は嘘じゃないって訳か。畜生め!』
「さーて、次はどれがいい、エッグヘッド?」
「どれも強敵ですがね。ジュニアの相手が手薄かと」
「根拠は?」
「ジュニアに付き合わされているから、というのは理由になりませんか?」
「OK、それでいくぞ」

当人が聞いたらきっと怒るに違いない会話を繰り広げながら、タリズマンはジュニアのサポートに回る。だが、それは事実だった。他のパイロットたちは少なからずフランカーの領域に相手を引きずりこもうとしているのに対し、ジュニアの相対しているエースは、ジュニアの土俵に合わせてしまっている。だから、フランカーの本来の性能を引き出し切れていない。結果、ジュニアのF-16Cに振り回されている――そう俺は看破した。シザースからぐいと切り込み、敵の旋回内周へと突入しようとするジュニア。その目論見を見抜いて、旋回方向を切り替えて逃れようとする敵機。まさにその鼻先に対し、タリズマンは愛機をねじ込んだ。

『何!?』
「ジュニア加勢するぜ。存分にやりな」
『支援に感謝!さて、やってやるぜ』
「気持ち悪いくらいに素直だな。昔が嘘みたいだ……」
『聞こえてるぞエッグヘッド!』

こちらの奇襲を辛くも回避した敵機は、くるりと機体を回転させて俺たちをやり過ごし、その後背へと収まった。コクピットの中にジジジジジ、という警告音が鳴り始める。だがそれも長くは続かない。さらにその後背にポジションを取ったジュニアが、ガンアタックを敵機に浴びせかける。バレルロールで攻撃を回避した敵機は、俺たちの追撃を早々に諦めて急旋回、強引に反転してジュニアを迎え撃つ。相対速度が速過ぎて狙いは定まらず。虚空を火線が貫き、次いで二機が至近距離ですれ違う。その間にループを描いて彼らの上方へとポジションを取ったこちらは、敵機がインメルマンターンに入ったタイミングでダイブ。レーダーロックをかける。敵機、右へ倒して急旋回。さらにタリズマンが同調して機首を向ける。敵機加速。レーダーロックが外れる。敵機の後方を抜けて一旦離脱。だが敵の受難は終わらない。すかさずジュニアがその後背にへばり付き、牙を突きたてんと追いすがるからだ。旋回のタイミングを先読みしたジュニアが、ピタリと敵機を射程に収める。右から左へ。しかしジュニアは振り切られず、その背後をキープ。好機をじっと待っている。今度は敵機がぐいと内周へと切り込む。鋭く反転する相手に対し、ジュニアのF-16Cも一旦機首を持ち上げながら捻り込む。

火線が交錯した。偶然の産物であったかもしれないが、ジュニアの機動はベストポジションから1テンポずれていた。それが故に、敵機に致命傷を与えるには至らなかったが、敵機の後部に対してその攻撃が集中した。数発が右エンジンを上から下へと貫き、その機能を停止させた。黒煙が勢い良く吹き出し、赤い機体を覆う。姿勢を立て直そうとする敵機にトドメを刺すべく、勇躍ジュニアが襲いかかる。この戦場にいるのが俺たちとあの戦闘機隊だけであったら、間違いなくあのパイロットは機を失うか、自らの命を失っていたに違いない。まさに絶好のポジションを彼が取ろうとしたその時、ただひたすらにシルワート市から逃れ行く敵の群れから猛然と飛び出した3つの光点の一つからミサイルが放たれていた。

『クソッタレ、絶好のチャンスに水を差しやがって』
「馬鹿言っている暇があったらさっさと回避しろ!方位330、新手だ。狙われてるぞ」
『分かっている!』

フレアを放ちつつ、回避機動へと転じるジュニア。乱戦空域へと飛び込んできた敵機の一つが、速度を上げながらジュニアの機体に向かっている。白いラファール!純白のカラーリングが施されたデルタ翼の機体が、傷を負った魔術師のエンブレムをかばうように突進し、そしてジュニアに相対した。一緒に突入してきた敵機のうち一つはソルティードックの手で早くも撃墜されていたが、どうやらそれは予定の範疇だったらしい。ヘルモーズ機が足止めされている隙に、白いラファールはジュニアのF-16Cに対し猛攻を仕掛けていたのである。俊敏さでは決して劣らないかの機体は、ジュニアに対して近接格闘戦を仕掛けている。おかげで、俺たちはミサイルによる攻撃ポジションを選択する事が出来ない。舌打ちしたタリズマンが、その後を追う。二合、三合と2機が軌道を交錯させる。浴びせられる機関砲弾をジュニアが辛くもかわす。だが、やり過ごそうとして仕掛けた急旋回は、敵に看破される結果となった。2機の軌道が交錯する刹那、敵機の仕掛けたクロスアタックが的中した。F-16Cの胴体に幾度か火花が爆ぜるのを、俺の目は見逃さなかった。

「ジュニア!応答しろ!?被弾状況は!?」
『――そんな大きな声出すなよ、こっちがびっくりするだろーが。コクピットは無事。機体は……まあ飛行に支障は無さそうだ。火も出ていない。さっき仕留めそこなったあの赤い奴と同じ感じか』
『今のうちに戦域外に出るんじゃ!やばくなったら機を捨ててベイルアウトするんじゃぞ?』
『了解、後は頼んだ!』

ジュニアに一撃を与えたラファールは俺たちの前方を加速して行き、そしてインメルマン・ターン。どうやら本命は、俺たちということらしい。反転するやくるりと機体をロールさせた敵機は、真正面から轟然と立ち向かってきた。敵の射線からいち早くタリズマンは位置を変える。敵の放った火線が虚空を撃ち貫く。少し横の空間を敵機は通過。速度を維持しつつ、タリズマンはループ上昇へ機体を入れる。

『イレーナ・ドブロニクよりシュトリゴン隊。友軍の撤退を支援すべく、加勢する』
『なっ……!?無茶だ、あんたのかなう様な相手じゃないぞ!!』
『シュトリゴン12、貴様は当戦域を離脱せよ。シュトリゴン4、私はシルワート攻撃部隊の撤退を支援する任務を受けている。かなうかどうかが問題ではない。――落とさねばならないのだ、あの敵を!!』
『ええい、馬鹿なことを。トーシャ!撤退しつつ、待機中のメンバーに対し増援を要請しろ』
『しかし……シルワートとの距離が……』
『それまでは持たせる。俺たちの実力を舐めるなよ。……行け!』

乱戦空域からジュニアと、片方のエンジンを潰された敵機とがそれぞれの方向へと離脱していく。ビバ・マリアが片肺飛行の敵機を狙おうとしたが、彼女とやり合っている敵機がその針路を阻む。そして、白いラファールはいよいよ俺たちに対して攻勢を強め始めた。どちらかと言えば小柄な機体は、ジュニアのF-16C同様の俊敏性を持つ。旋回勝負になれば、向こうに軍配が上がることになるだろう。事実、強引に急旋回を決めた敵機は、こちらの後方にポジションを確保し、牙を突き立てる好機を伺っていた。これに対し、タリズマンも右へ、左へと揺さぶりをかけ、狙いを定めさせない。業を煮やしたかのように放たれる機関砲の火線が至近距離を掠めるが、命中する事は無い。とはいえ、火線を間近に見るのは精神衛生上まことによろしくない。そんなに撃ってると肝心なときに弾切れになるぞ、と心の中で毒づいてやる。

コクピットに耳障りな警告音が鳴り響く。後ろの敵機では無い。見れば、ソルティードックと戦っていたはずのSu-33が、横合いから俺たちを狙っていた。レーダー上、高速で飛来する小さな光点を確認。だが位置関係が充分じゃない。ミサイルの方向へと機首を向けつつ、低空へ向けダイブ。ミサイルが軌道を修正してくる。肉眼でもその針路が曲がって来ることを確認する。そして獲物の動きを見失ったミサイルが、こちらの後方の空間を通過した。ちょうどそれは、こちらの後方を追うあの白いラファールの目前でもあった。敵機の速度が落ちる。降下速度を上乗せにして、敵機を引き離しにかかるタリズマン。それでも懸命に敵機は追い続ける。

『――チェックメイト。隙だらけだ』
『くっ……こんなところで……!』

敵エースを落とせ! 一際大きな火球が膨れ上がった。ソルティードックの攻撃を浴びたSu-33が、炎の塊と化した瞬間であった。それも道理だ。ソルティードック――ヘルモーズ隊長ほどの腕前の持ち主相手に、違う戦場に首を突っ込むからそういう事になる。しかし、あの集団にあるまじき行為だ。或いは、あの連中がそうまでせざるを得ない何かがあるか――。ソルティードックのF-15Cがフリーになったことで、戦域のバランスが大きく崩れる。撤退した1機も含めれば、都合3機のSu-33が戦闘不能になった計算となる。そのうえ、もしあのラファールを護衛しなければならないとしたら、敵のパイロットにかかる負担は相当なものになるに違いない。これを利用しない手は無い。しかし、あの機体、どこかで見覚えがある。あれは確か、エストバキア占領軍の放送している番組ではなかったか?戦闘をタリズマンに任せて、記憶の棚に並べられた過去の資料を漁ってみる。そう、そうだ、間違いない。わざわざ前線で目立つような白のカラーリング。あれは、エストバキアのエースの一人として名を連ねた、エストバキア軍総指揮官、ドブロニク上級大将の娘だ。危険を省みず、自ら最前線を希望して戦場に臨む天使――そんなテロップが流れていたような。シュトリゴンの名で呼ばれる魔術師のエンブレムたち同様、かの機体の撃墜はエストバキア軍の戦意を挫く格好の材料になる。

「タリズマン、後ろの白い奴……落としましょう」
「藪から棒に何だ、珍しく物騒だな?」
「多分お好きじゃないでしょうが、敵の広告塔潰しはエストバキア軍全体の士気を下げるのに効果的です。本意ではありませんが、撃墜を」
「女みたいだけどな、あのパイロット。ビバ・マリアを落とせと言ってるのと同じようなもんだと分かって言っているんだろうな?」
『なっ……そこで何で私を例に使う、タリズマン!!』
「このひねくれ者に本音を吐かせるのに丁度良いからさ。で、どうなんだ、相棒?」
「――そうです。意地をかけて戦いを挑んできているからこそ、有効なんです」
「――了解。俺たちの進撃の、礎になってもらおうか」

敵機は速度を上げながらこちらの後方に近づいてくる。――それが、タリズマンが仕掛けようとしている罠とも知らずに。向こうは向こうで、自分に課せられた役目を果たすために必死で戦っているに違いない。だがその「必死さ」は、冷静さの欠如にも繋がっている。自らの実力を凌ぐ相手に意地でも一対一での戦いに固執しているのは、決して良い判断とは言えないのだ。だからこそ、その「弱み」に付け込ませてもらおう。ゆっくりとロールし始める愛機。徐々に「近付かされている」敵機に仕掛けるタイミングを伺うかのように、タリズマンは機体を揺さぶり始めていた。

「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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