地に墜ちて……
この取調室を仕事場として、どれだけの時間が流れただろうか。変わり映えのない、無機質なデスクとパイプ椅子を見るだけでも、ヴォイチェクはうんざりとした気分になるようになっていた。最早征服されることはほぼ決定し、無気力となった捕虜たちの尋問ほど精神的な疲労が溜まる仕事は無い。この地に赴任する直前、プリスタフキンに指摘された通り、操縦桿を握っていた時代との落差はあまりに激しく、ヴォイチェクの鋼鉄の精神を以ってしても腐りたくなる時があるのだった。時折、グレースメリアの古城でジャン・ロック・バレンティンと歴史話に華を咲かせるのが、数少ない彼の楽しみになりつつある。その時間も、最近はヴォイチェク自身が多忙となったせいで最近ではご無沙汰となっている。多忙になる原因。それは、「取調べを要する捕虜が増加」したことに他ならない。そしてヴォイチェク自身、この数日の取調べを行う中で、明らかにエメリア兵たちの雰囲気が変わってきたことに気が付いた。無気力とは無縁の、意志と希望に満ち溢れた眼光を宿し、お決まりの説得文句を鼻で笑ってみせる――そんな連中が多くなってきたのだ。殊に、シルワート市の戦いで捕虜になった者たちになると、その傾向はますます顕著となった。

どうやら、一人のパイロットの存在が、彼らの背骨をシャキッとさせているらしい。そのパイロットは、絶望的な戦況にあったシルワート市のエストバキア軍に致命的な損害を与え、撤退させるきっかけを作った。自らに降りかかる危険を、全て払い除けたうえで。ヴォイチェクの脳裏に浮かんだのは、グレースメリアの空で戦った、あのF-15Eの姿だった。開戦当初、「天使の落書き」と共にエメリア残党軍の脅威として認識されていた敵エースパイロットの片割れ。「天使の落書き」は撤退戦の最中、市民たちの盾となって戦死したとの報告を受けているし、ヴォイチェク自身、その搭乗機と遺体を確認していた。その時、コクピットから回収した家族の写真と数少ない遺品は、今でも彼の鞄の中に納められている。いつか、その家族とグレースメリアで出会った時のために。だがもう一方、「鳥のエンブレム」のエースの戦死報告は未だに上がっていない。それどころか、最前線の兵士たちから聞こえてくるのは、恐るべき実力を以ってエストバキア軍の進軍を阻み、同朋のエースたちと互角以上に渡り合う凄腕たちを引き連れた、エースパイロットの噂話。間違いなく、あの時の男たちだろう。前席で機体を操る男の腕前も大したものだが、どうやら後席にあって戦況を把握し、友軍部隊に指示を飛ばしている男も、地味ながらなかなかのもののようだ。

そういう奴らのおかげ、か――。小さな窓から見える大空から視線を外し、後方に振り返ったヴォイチェクの視界には、不敵な笑みを終始浮かべ、最低限の回答と世間話にしか応じない捕虜の姿があった。ヴォイチェクは無言であごをしゃくり、尋問終了を告げる。部屋の入口に待機していた兵士たちが乱暴に男の身体を引きずり上げる。立ち上がる時、男は何やら楽しげな笑みを浮かべてみせる。何だ、こいつは?そう思うや、それまでだんまりを決め込んでばかりの男が、唐突に口を開いた。

「月並みな挨拶で悪いんだけどな、一言言わせてもらうぜ、鷲鼻の大将。天使とダンスでもしてな!!」

ヴォイチェクは思わず男の顔を凝視してしまった。そうその台詞だ。最近の捕虜たちが必ず口にして見せる決まり文句。事あるごとに国営放送をジャックしている海賊放送のDJが必ず口にする決め台詞。今や、祖国に対抗する者たちにとっての合言葉となったフレーズ。これほどシンプルで、しかも悪意に満ちた台詞というのはそうは聞かない。だが同時に、嫌味の無い、どこか気持ちの良いフレーズ。ヴォイチェクは思わず、苦笑を浮かべてしまった。

「……と言いたいところだが、天使とダンス出来るのは俺たちの特権だ。アンタらはせいぜい、ヨボヨボ婆さんの腰振りダンスが関の山だろうさ」
「ほら、余計なことを言ってないで歩け!」
「へいへい、ダンスどころかステップも踏めないと来たか」

こいつもか! 最後の最後まで減らず口が聞こえて来た。毎日毎日そのフレーズを繰り返されるのも、ヴォイチェクがうんざりとした気分になる原因の一つであった。全く、これではどちらが上位にあるのか分かったものではない。同僚たちの話によれば、どうやらヴォイチェクの尋問は「甘い」らしい。だが、諜報部がやっているような尋問とは名ばかりの拷問や自白の強制のどこに正義があろうか?立場は違えど、自らの祖国のために戦っている兵士なのであれば、その人間の権利を尊重すべきだ――そうヴォイチェクは考えていた。結果として、「あいつの尋問は甘い」という評価に繋がっているのであるが。

小窓から見える空を懐かしむヴォイチェクの心情は全く考慮されず、次の捕虜が衛兵たちの手によって連れられてきた。かったるそうに椅子に腰を下ろした捕虜は、座るなり手錠をはめられた両手を挙げ、ヴォイチェクの背中に言い放ったものである。

「天使とダンスでもしていやがれ」

これで今日は6回目か、この台詞を聞くのは。さすがのヴォイチェクも、忍耐の限界に達しようとしていた。大きくかぶりを振り、そしてため息と共に愚痴がこぼれ出た。

――こいつもか!
キャノピーで覆われたコクピットとは異なり、吹きさらしのジープの運転席はなかなか寒い。もちろん、手袋もしていれば上着を羽織ってもいるのだが、真冬真っ只中のアネア大陸の大地は、これでもか、と言わんばかりに冷風を送り込んでくる。隣に座るタリズマンなどは身じろぎもせずに向かい風を受け止めているが、ドランケンの解説によれば、貼付タイプのカイロを仕込んでいるからさ、ということらしい。さすがの俺でも、面と向かってその使用有無を確認する気にはならないが。激しい戦闘に晒されたシルワート市とその周辺は、未だに戦いの残滓が至る所に残っている。さすがに戦死した兵士たちの亡骸の多くは集められ、埋葬の準備が進められてはいる。だが、焼け焦げた戦車やトラック、そして戦闘機の残骸は畑や道路の上に無残にも放置され、着弾の後のクレーターは俺たちの針路を幾度も阻むのだった。この寒空の下、整備班のジープを借り出したのには訳がある。先日の戦闘で俺たちが撃墜した白いラファールの残骸が、シルワート市郊外で発見された、という一報が伝えられた。ネタを持ってきたのは、この手の情報についてはずば抜けて耳の早いベンジャミン大尉。戦闘後のささやかなプレゼント、ということではないだろうが、非番待機を割り当てられていたタリズマンが「見に行こう」と言い出したのが全ての始まり。どうやら退屈な時間を持て余した結果らしく、俺は否応なく運転手の役目を申し渡されていた。

もっとも、俺たちが非番になっているのは他の理由もある。先日の戦い、あの白いラファールが最後に撃ち込んだ機関砲弾は、機体自体には大した損傷を与えない代わりに俺の仕事場たる電子装置と火器管制装置に致命傷を与えてくれた。コクピット内部の損傷はモニター1つだけで済んではいたが、電子系は一式交換しないとアウト。激しい戦いを最前線で戦い続けてきた機体だから、この際しっかりとドックで点検するべきだろう、というローズベルト少佐のありがたい一言も加わって、俺たちの愛機は新しく割り当てられたハンガーの中に匿われてしまったのだった。オルタラ市で保護されたメーカーの技術者もメンバーに加わり、何やらバージョンアップも施すつもりらしいが、俺としては余計な装備を増やされるのは少々困るのだが。もっとも、整備班の面々はじっくりと点検する時間が確保出来たことを喜び、さらに言ってしまえば、新しいメカが加わることに陶然としているのだった。こんな戦況下でもマッドエンジニアの血は健在であることに呆れもしたが、彼らに言わせれば例の「空飛ぶ山」の研究を続けている俺たちの方がマッドに見えるらしい。まあ確かに、最新鋭の装置に入れ替わるのだとすれば、これから熾烈さを増すに違いないエストバキアとの戦いにおいて、アドバンテージを発揮出来ることになるだろう。

「うう、寒い!バターブルの兄貴なんざ、こんなところに連れてきたら仕事せずにずっとベットの中にいるぞ、これは」
「私が見ている限り、気温はあまり関係無さそうだったがな」
「同じ南出身の割には我慢強いよな、ガブリエラは」
「ファルネーゼが寒がりなだけだ」

ジープの後席には、俺たち同様に非番で暇を持て余していたらしいファルネーゼ少尉と、「私も連れて行け」とこちらは強引に同行してきたガブリエラの姿がある。この二人が揃っていればもう一人騒々しい奴が本来ならいるところであるが、その騒がしい当人――ジュニアは、専属の医師の手によって治療室へと強制連行されたまま、事実上軟禁されていた。例の白いラファールによる攻撃を受けた際、ジュニア自身も無傷とはいかなかったらしい。とはいえ生命に関わるような傷は負ってはいなかったはずが、当番が例の「エンゼル・オブ・ナイトメア」。嬉々として迎え入れた結果は……という訳である。

「時にファルネーゼ少尉。ジュニア本人はともかく、奴の機体はどうなんですか?」
「あー、レンタル主には悪いんだが、当たり所が悪かったみたいだ。修理するにもすぐには直らんらしい」
「そうですか……しかし、例のエース相手とすれば不可抗力でしょう。替えの機体の手配くらいはローズベルト少佐あたりがやってくれそうな気もしますけどね」
「そこは抜かりないさ。ま、実際のところ、エストバキアの連中の装備と実力が予想よりも上でな。俺たちとしても少し持て余し気味なんだよ。でだ、この際機体を更新することにした。ついでにジュニアの機体も"本来の"奴を注文してある」
「へぇぇ。で、どこから機体を持ってくんだ、ファルネーゼよ?」
「そいつは企業秘密ってやつで。ま、期待していて下さいな」

企業秘密の国元が何となく分かる俺としては、正直なところ羨ましくもある。それは俺のような正規軍人では望んでも得られない、空の傭兵ならではの権利だからだ。もっとも、その代償として彼らは相当額の資金を必要とするに違いない。だが、高性能な機体とそれに見合う腕前の双方を揃えることは、彼ら傭兵の生命の安全を確保することと同義でもある。それは、彼らが傭兵として生きていくうえで必要な投資なのだとも言える。それに対し、職業軍人の俺たちには、そんな自由が無い。この戦時という非常時にあっては必ずしもそうとは言い切れないが、既に充分高価なF-15Eを扱っている俺たちの機体がさらに上位のものになる可能性は限りなく低い。ダウングレードされる可能性の方が高いかもしれない。シルワートの籠城軍団と合流を果たし、規模の大きい都市を勢力圏内に得たことは、反抗軍の財政面でのプラス要因にはなるだろう。だがもともと、高性能故の高コストな機体を運用してきたのだ。「壊さずに今の機体を限りなくエコに使え」というのが、火の車の財政を支え続ける後方部隊の本音という奴に違いない。

シルワート市の東側に抜け、さらに郊外へと車を走らせて5分ほど過ぎただろうか。俺たちが目指していた残骸が、その姿を現した。煤と土埃にまみれてはいるが、それは紛れもなく「白いラファール」のものだった。機体の傍らには、先客――ベンジャミン大尉たちの姿があった。こちらに気が付いたランパート大尉が右手を上げてゆっくりと振る。少し硬めのブレーキペダルを踏んでジープを減速させ、残骸の傍で停止させる。見れば、結構長い距離にわたって地面が抉られていて、最終的に半壊した建物の塀に突っ込んで停止した……そんな状況だった。

「どうだ、マクフェイル?」
「うん?どうとは?」
「いや、この状況……機体の状態だ。てっきり墜落したものだと思っていたが……」
「ああ、確かに。想像だけど、結構うまい角度……ほぼ水平まで持ってきて、接地したような感じに見える。胴体が折れたりしていないから、地面にハードクラッシュ、ということは無かったんじゃないかな」

とはいえ、反動か衝撃かは分からないが、最終的に機体は右方向に傾いた状態で止まっていて、少し離れたところにはもがれた主翼の残骸が転がっている。滑走には成功しているものの、ランディングギア無しの不時着が相応の衝撃を伴った事は容易に想像が出来た。そして、白い胴体にはいくつもの命中痕が穿たれ、溢れたオイルが純白の機体の上を流血の跡のように汚している。それは勿論、タリズマンと俺が浴びせた攻撃によるものだった。少し曇った表情を浮かべ、無言で機体に近寄っていくガブリエラに続いて、俺も残骸の傍へと足を進める。キャノピーはどこかに吹き飛んでしまったのか、跡形も無い。ほぼ90°傾いたコクピットの中は、もぬけの殻だ。その中を覗き込むようにしていたベンジャミン大尉の隣で、タリズマンが不機嫌そうな表情で残骸を眺めている。

「どんな感じだ、とっつぁん?」
「そうじゃのぅ……少し時間も経ってしまっておるから想像の範疇を出んし、だいいち医者ではないからの。助かっていたとしても、相当の傷を負ってる可能性が高いワイ。それこそほれ、ジュニア専属の先生を連れてきた方が分かる事もあるじゃろうよ」
「この様子じゃ、友軍に助け出されたような風にも見えないしな」
「同感じゃ。まぁ、最悪のケースは、亡骸だけが運び出されて、どこぞに葬られた……ということになるかのぅ」

横たわる残骸 お前も見てみろ、と言うようにして、タリズマンがあごをしゃくる。二人が立っているコクピット傍に近付いて、彼らがそんな物騒な会話を交わしていた理由が良く分かった。コクピットの縁にべったりと付いた、赤黒い手形。コクピットの中を見れば、原型は留めているものの中身が歪んでいるようにも見えるモニタや計器盤にも、固まった血液が付着している。この分だと、シートやその周辺にも血痕があるに違いない。そんな凄惨な有様を呈しているコクピットに、一枚だけ、少し色褪せた写真が貼り付けられていることに俺は気が付いた。血飛沫を少し浴びてしまっているその写真には、軍服を着た男と、恐らくは標準よりもずっと上の部類に入るであろう美貌の女性、そして二人の雰囲気を併せ持つブロンドの少女の姿がおさまっている。その軍服の男のことは、良く知っている。現在は、我が国の首都であったグレースメリアにおいて、占領軍の指揮を執っているグスタフ・ドブロニクその人だ。どうやら本当に、この機体を操っていたのはドブロニクの娘だったというわけか。

「エッグヘッドも写真に気が付いたようじゃの。良くは分からんが、きっとユリシーズが落ちる以前に撮影されたものじゃないかのぅ。ドブロニクの妻はの、エストバキアの内戦中、無数に発生していた無差別テロの犠牲に遭って亡くなったそうじゃ。それから父親一人、娘一人、余りにも厳し過ぎる日々を過ごしてきたんじゃろう」
「ドブロニクのプライベートな人柄は知らないが、そんな愛娘を落とした相手は無条件で憎めるだろうな。これからますますガルーダ隊に対するプレッシャーは強くなるだろうな」
「ま、ランパートの言うとおりだ。うちの娘をそんな目に遭わせた奴は、生皮剥いでグレースメリアの街中引き回してやら無いと気が済まねぇ」
「はいはい、子供がいない独身者の私のせいですよ。その分、他の部隊のマークは甘くなるんですから、全体で見ればプラスマイナスは無いでしょう?タリズマンもランパート大尉も、そんな簡単に落とされるような腕前じゃない事を、よーく分かってますから、頼みますよ」
「ドブロニクがもし飛んできたら、お前だけ打ち出して逃げるのもアリだな。煮るなり焼くなり、ミンチにするなり好きにしてくれ、ってのはどうだ?」
「その時は、引き金を引いたのはあっちだ、と打ち出される前に叫んでみせますよ。一蓮托生です」
「エッグヘッドも言うようになってきたな。タリズマン、そろそろ元のコードに戻してやってもいいんじゃ無いか?」
「いいや、今のを聞いて当分変えてやら無いことに決めた。決めたぞ。やはり甘やかすのは良くないということが良く分かった」

この際どっちでもいいですよ、とぼやきながら動かした視線の先に、無言で残骸に手を当てたまま立ち尽くしているガブリエラの姿があった。上官軍団の傍にいると際限なくいじられそうなので、その傍らへと近付いていく。一度俺に視線を向けて、再び彼女は残骸を見上げた。

「……彼女は、どんな思いで戦っていたんだろうな?」
「祖国を守るため、友軍の撤退のための時間を稼ぐため……とかか?」
「いや、お前たちに絶対勝ち目が無いと分かっていながら、それでも挑み続けて、一矢を浴びせた彼女だ。最後の最後まで戦い抜いたその意地が、どこから来ていたのかな、と思って、な。そもそも、何故戦いの空に上がることを選択したのだろう?ただ飛ぶだけなら、空はどこまでも青く美しいと私も思う。けれど、戦いの空は違う。その美しい空を、オイルと硝煙と血で汚すのが、戦いの空だ。それと分かっていて、何故ドブロニクの娘は飛んでいたのだろう……?」

ガブリエラの問いは、どこか彼女自身に向けられているようにも聞こえてきた。そして、俺はその問いに明確な答えを持ち得ず、沈黙で応えるしかなかった。そう考えてみれば、俺もガブリエラが何故戦闘機パイロットの道を、それも傭兵稼業をしているのか、その訳を全く知らないし、聞いてもいない。"傭兵の過去を詮索するのはタブー"だから、と俺も敢えては聞こうと思わなかったからだ。もっとも、頑なに本名を語ろうとしないジュニアの件などは、そのうち何とかして素性を暴いてやろうかという気になることはあるが。俺同様に沈黙してしまったガブリエラの横顔をちらりと見ながら、俺は少し論点をずらすことにした。何より、沈黙に耐えかねたから。

「ドブロニク家の内情は分からないけれど、父親や家族との関係は、彼女にとって大事なものだったんじゃないかな」
「――何故そう思う?」
「そうでなければ、写真なんか貼らないさ。それも、家族全員の写った写真なんか、尚更。タリズマンだって、何だかんだ言いながらコクピットに奥さんと娘さんの写真を貼ってるし、亡くなったハーマン大尉もそうだった。この戦いで俺は初めて「戦いの空」を知ったわけだけど……家族や恋人との大切な絆や関係、そういうものを守りたいと思うから、飛ぶ。そういう考え方もあるんじゃないか、と最近は思うようになってきた」
「ふうん……エッグヘッド、お前時々、気が付いていないだろうが、鋭い指摘をするな」

そんなつもりは無い、と言いかけて、俺は言葉に詰まる。ガブリエラがいつの間にか俺の横顔に、その大きな双眸を向けていたからだ。柄にも無いことを言ってしまった、と顔が火照って来る。ジュニアがエンゼル・オブ・ナイトメアに捕まった頃からだろうか、ガブリエラの態度というか雰囲気が少し変わってきたように思う。そのギャップが作戦行動中と比べて大きいから、正直俺は困るのだ。

「……と言っても、俺の想像でしかない。俺はまだ写真を貼る気になった事が無いし、そういう相手もいない」
「陰険に加えて友達も少ないと来たか。まあ、納得だが」
「機械とパソコンが友達だと良く言われているからな。……陰険は余計だ」
「全く、思い込みの激しい男だな、お前も。実際は違うのに、な。――ま、早くコクピットに写真を貼る相手が見つかるといいな」
「ん?どういう意味だよ」
「本人が一番自分のことを分かっていない……そういうことだよ、全く」

問いをはぐらかしたつもりが、はぐらかされたのはどうやら俺らしい。いつか、"詮索するのはタブー"のガブリエラの過去を聞くことが俺にはあるのだろうか?垣間見えた彼女の過去だって生半可なものではないだろうことは容易に想像が付くだけに、聞く方もなかなか負担が大きそうな……そんな感じがする。改めて残骸に視線を戻し、コクピット周りの血痕に視線を動かした俺は、あの時の戦況を思い出していた。そして、ふと疑問を感じた。俺たちが「白いラファール」と戦っていた時、既にエストバキア軍の軍勢は猛烈な追撃を受けて撤退中だったはず。事実、この機体を操っていたパイロットは、そんな友軍の脱出する時間と機会を稼ぐために奮戦していたはずだ。例外はあるとしても、エメリア軍だらけになった戦域にわざわざ留まって、重傷を負っていたに違いないパイロットを救出して脱出するような医療部隊がいるものだろうか?答えは、ノー。いたとしても極めて困難。となると、次に救出する可能性があるのは俺たちエメリア軍だが、少なくともそういった報告は挙がっていない。一番最悪のケースは捕虜を勝手に殺害することになるが、実際にそれをやった兵士はあのカークランド首相ですら「やってしまいなさい」と快諾して断罪に処せられた。だから今、敢えてその愚挙を犯すエメリア兵はいたとしてもごく僅か。両軍にその機会が無いとしたら、では一体誰が……?

「案外、まだシルワート市にいたりしてな」
「ん?誰がだ?」
「いや、この機体のパイロットさ」
「何を言い出すかと思えば……大体、重傷を負った、それも瀕死かもしれない人間を誰が好き好んで連れて行くんだ?」

こればかりは、ガブリエラの言う事が至極当然、ごもっとも。散々エストバキアに辛酸を舐めさせられた市民が、相手が重傷だからといって慈悲深くなるとは到底思えない。やはり、絶命して埋葬されたのか。家族にも、同僚にも、そして友軍にも見捨てられた地で、独り死を迎えたのだとしたら、それは何と残酷なことだろう。"ビバ・マリアを落とせと言ってるのと同じようなもんだぞ"、とタリズマンに言われた一言が、今頃になって胸の奥に突き刺さってくる。傍らで白い機体を見上げるガブリエラの姿を見て、同じような目には遭って欲しくない、と痛感する。当然、父親たるドブロニク将軍もそう思っていたに違いない。そんな愛娘を撃墜した俺たちは、多分彼にとっては決して許すことの出来ない存在として認識されたに違いない。


公人として、俺たちを狙い撃ちにするようなことは無いだろうと俺たちは思っていた。だがそれこそ、血で血を洗う凄惨な内戦を生き延びてきた人間たちを甘く見過ぎていたのだと、俺たちは後日思い知らされることになる。

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