転機
スタッフがわらわらと動き出し、カメラマンが相棒たるテレビカメラから身体を離す。OBCナイトニュースのスタッフたちの挨拶に手を挙げて答えながら、レベッカはスタジオの外へと向かう。スタッフの一人――音響担当の一人だったか――が押さえてくれていた扉をくぐり、やや無機質なオフィスの壁で囲まれた廊下を、休憩室へ向かって歩き出す。ここのところ、報じるニュースはエメリア軍の快進撃のニュースばかり。エストバキアの言う「残党勢力」は、迎え撃ったエストバキア軍に牙を突き立て、食い破った。オルタラ市上陸から始まったエメリア軍の進撃はまさに破竹の勢いと言うに相応しい。オルタラ一帯を確保したエメリア軍は、周囲のエストバキア軍を駆逐しながら勢力圏を拡大。別働隊はエストバキア軍の空白地域となった北西部一帯の解放を進め、ノルデンナヴィクとの国境本面まで解放区の拡大に成功した。そしてさらに、エメリア残存軍最大の篭城拠点となっていたシルワート市では、エストバキアの大軍に一時は全滅の危機まで追い詰められた篭城軍が、逆に包囲軍に致命的な打撃を与えることに成功したのだ。この大逆転劇においては、グレースメリアからケセドまで追いやられ、そこから数々の戦いを生き延びてきた航空部隊が大活躍したのだという。エストバキア軍の兵士たちの間では、「鳥のエンブレム」を付けた戦闘機が、最も恨みを買っているらしい。鳥のエンブレム。全く、いい歳をして、派手好きな性格は結局治っていないんだから。愛する良人の操る戦闘機の姿が、レベッカの瞼に浮かぶ。

辿り着いた休憩室はビルのちょうど縁に作られていて、首都の街並を一望する事ができる。ここから眺める夜景はちょっとした展望台よりも良いと評判で、シーズンになると社内恋愛組で賑わうこともある。だがこの時間、まだまだ社内は通常営業中らしく、休憩室の中の人はまばらだった。もっとも、その方がレベッカにとってはありがたかったが。手近の自動販売機でコーラを購入して、休憩室のソファの一つに背中を預ける。肥満とは全く無縁の体質を誇る彼女にとっては、一仕事終えた後の一服にコーラは欠かせないのだった。半分くらいを流し込んでテーブルの上に置き、それから伸びをして体の凝りをほぐしていたレベッカに、不意に横合いから声がかけられた。

「おや、ボールペン折りの達人もこれから休憩か?お疲れさん」

誰がボールペン折りの達人か、と言い返そうとして、慌てて言葉を飲み込む。こちらの反応を楽しむように微笑を浮かべていたのは、ブレット・トンプソン報道局長その人だったのだから。2005年に放映された特別番組「エースの翼跡 〜現代を生きるエースたちの記録〜」の立役者であり、2010年に発生した環太平洋事変では、オーシア・タイムズの不屈の記者たちと共に戦争の真実を暴いた、今やOBC局内の生ける伝説となりつつある男。あくまで現場に在り続けることを貫こうとするその姿勢は、局内の記者たちの理想の目標ともなっている。

「人が悪いですね、局長も。あんな簡単に折れる安物のボールペンが悪いんですよ」
「そうかい?局内の人間で指で折れた奴は一人もいなかったんだがね。両手でなら何人かは折れたけど……そのうち、折り方教室でもコーナー作って見るか。それはそれで、インパクトがあって面白いかもしれない」
「勘弁して下さい。あれはその……昔の癖です」

とはいえ、「ボールペン折り」が一部では話題になっていることをレベッカも耳にしている。今日の番組の中で折るか折らないか、それを楽しみにしている視聴者もいるのだという。さすがにやり過ぎているかしら、とレベッカも思わなくもない。とはいえ、昔の「地」が出るくらいなら、サクッと1本の損害で済んだ方が局としてもいいに違いない。さすがにプロとして、「地」を出した事は勿論無いが。

「……ところで、そろそろ旦那さんの事が心配なんじゃないか?」
「いいえ、全く、あの無節操な下半身は死んでも直りませんから。どうせ今頃、エストバキア相手でもピンピンしてるに決まってますわ」
「やれやれ、素直じゃないね。まあいい。レベッカ、たまには長期出張に出てみる気は無いかな?」
「長期出張?」
「ああ。まだ時期は未定なんだが、エメリアによる大陸の解放が順調に進んでいるおかげで、ユークトバニア経由で取材班をエメリアに送り込むことが出来そうなんだ。従軍のような形は難しいかもしれないが、少なくとも安全が確保されている地域での報道活動は出来るだろうと我々は考えている。OBCナイトニュースの看板アナウンサーの不在を埋められる奴はそうはいないのだが、向こうの地理にも詳しいガイド役は必要だろうからね。で、どうだろう?」
「ご提案は嬉しいのですが……受験を控えた娘もいますので……」

そう答えながらも、既に背中に翼を生やして飛び立とうとしている自分がいることをレベッカは自覚している。そしてそんなことは承知の上で、報道局長は提案を投げてみたのだろう。ひょっとしたら、姿を見ないということは無いけれども、この時間に休憩室に現れたこと自体が計画済みだったのかもしれない。ということは、自分は相手の手中にあるってことかしら?まんまと搦め手に成功してみせた局長を、レベッカはじっと睨み付けてやることにした。

「そんな怖い目をしないでくれよ。実は番組の君の相棒……マクワイト君からも相談を受けていてね。エメリアの、君の祖国の窮状を、祖国とは遠く離れたこの地で平静を装って報じなければならない君を見ているのが辛い、とね。叶うものなら、エメリアの特別取材班として派遣することは出来ませんか、そのためなら視聴率は落ちるでしょうが代役は自分が何とかします、とも言っていたかな」

ボールペンをへし折る度にびくり、と反応していたマクワイトの表情を思い浮かべ、その観察眼にさすがは記者の一人……とレベッカは認識を改めることにした。だが困ったことに、その分析は事実に限りなく近かった。そう、良人自らの失態に原因があるとはいえ、別居の期間が長引くにつれ、そして祖国が戦火に焼かれ、その人も否応無く戦争に巻き込まれていったことが明らかになるにつれ、レベッカの心の中に焦りが生じていった。そして、一時は国土の大半を失った祖国が再び息を吹き返してエストバキアを退け始めると、喜びの反面、何故自分はここにいるのだろうという思いが膨らんできたのだ。軍人で無い自分は、もしかしたら彼の足手まといになるかもしれない。それでも、あの国には、グレースメリアには、レベッカの良く知る仲間たちがいる。ニーナを連れて行くわけにはいかないけれども、やはり自分だけが安全なオーレッドにいることには、忸怩たる思いが募るばかりなのだった。

「局長も人が悪いですよ、本当に。……それで、いつ頃から取材チームを送り込むつもりなんですか?」
「そうだね、まだ今はその時点ではないと考えている。エメリアが急速に勢力圏を回復しているとはいえ、まだ本来の国土の半分にも到達していない。少なくとも西側の安全は以前よりは確保されているとは思うけれども、シルワートのギルバートの話によれば、小規模な残存部隊が未だに抵抗を続けているだけでなく、義勇兵となった市民たちとの小競り合いも起こっているらしい」
「義勇兵……!正規軍相手に無茶なことを……」
「珍しい事じゃないさ。ベルカ事変の時も、環太平洋事変の時も、立ち上がった市民たちはいた。今度はエメリアの番ということだね。で、時期の話だけど、目安はサン・ロマ市の奪還後と私は考えている。サン・ロマはもともとグレースメリアから逃れたエメリア軍が一時は拠点としていた都市だ。軍事的な拠点だけでなく、生産拠点としても規模が大きく、大規模な港湾施設も持っている街だ。この都市の奪還は、エメリアの勢力を更に拡大する事になるだろう」

サン・ロマの奪還が目安。既にエメリア軍はシルワート市まで進軍し、さらに勢力圏を拡大している。あの街を取り戻すことが出来たなら、グレースメリアへ至る一大拠点をエメリアは手に入れることになる。そして、その日は決して遠くはないに違いない。再び、エメリアへ。そして祖国の真実の姿を、自らの手で伝えること。大任に気が引き締まると共に、背中に翼が生えてくるような気分になってくる。

受け継がれる「真実」 「――で、返事はどうだろう?」
「ここまで外堀を埋めておいて、返事も何も無いもんですけれどもね。……ガイドとしても、私以外の適任はいないでしょう。――やらせて下さい」
「分かった。スタッフ、派遣時期、バックアップ体制については、私に一任して欲しい。社内の腕っこきを集めてくる事にしよう。それと……これは私からの餞別だ」

そう言いながらトンプソン局長が取り出したのは、見るからに古びた1本のビデオテープ。今時珍しくなったVHS。一つ間違えると、デッキの中で引っ掛かりそうな年代物だ。ラベルも何も貼られていないそのテープを、局長はわざわざ持ってきたらしい。首を傾げつつもレベッカはそのテープを受け取った。

「その中には、私の原点がある。きっと君も……これを見たら、立ち止まれなくなる。いや、そうなってもらいたい。局の設備を使ってくれて構わないが、必ず一人で見ること。いいね?」

何が入っているか分からないけれども、念を押すとどこか楽しげな微笑を浮かべて、トンプソン局長は休憩室から出て行った。その後姿を見送りながら、少し冷静になってきた頭でレベッカは考えた。不在期間中のニーナの生活の手配をして、派遣中の準備をして、それから後は……。急に動き出した歯車。でも、自分の背中を強引に押してくれた局長に、レベッカは心から感謝したくなった。いざ、祖国へ――。彼女の心は、既にグレースメリアへ向かって飛び立っていたのだった。
やっぱり似合わないよなぁ。自分の服装と現状とを眺めながら、ディビット・キリングスは何度も心の中で呟いていた。所属していた原隊を離れ、派遣されたのは敵地のど真ん中となった、エメリア首都グレースメリアへ潜入する特務部隊。電子機器関連のエキスパートという肩書が、今回の特殊任務では欠かせない事からの動員であることは明白だったが、いざ実際に加わってみれば要員の大半は筋骨隆々とした戦闘のプロばかり。勿論兵士としての訓練も受けているし、銃撃の腕前も並より上の水準を維持してはいるキリングスではあったが、それでも集団の中では浮いているのは否定のしようも無い事実なのであった。

「信じられねぇな。ここらまで来ればグレースメリアの街並の光が煌々としているのが見えたんだが……。見てみろよ、真っ暗だぜ」
「一体何をすれば、ここまでエメリアの経済をメタメタに出来るんだかな。ある意味、大した能力だ」

暗い夜道を走るトラックの荷台からは、戦争前なら見られたであろうグレースメリアの夜景はほとんど見ることが出来ない。灯火管制が敷かれていることもあるのだろうが、まるで大都市が丸ごと存在しなくなってしまったような情景だった。冬の冷たい風が車内にも入り込んできて、この地が真冬の最中であることを嫌というほど知らしめてくれる。白い息を吐き出しながら、キリングスは今や遠く離れた地でエストバキア軍との戦いを続けている友人たちのことを思った。

「さて、既に分かっているとは思うが、念のため再確認しておこう。俺たちは、グレースメリアの建設会社に雇われた作業員ということになっている。先導隊がグレースメリアの義勇兵部隊と渡りを付けてくれてはいるが、いずれにせよ敵地のど真ん中だ。いざとなれば強硬手段で道を切り開くことも考えねばならん。ま、数日は力仕事が続く。昼間張り切りすぎて、肝心の時に役に立たない……なんてザマは見せるなよ、おまえら?」

オイルやペンキの付いた、お世辞にも綺麗とは言えないつなぎを着た男が、一同に顔をめぐらしてそう話しかける。その男こそ、この一団を率いる隊長、ダントン・バンディッツ少尉であった。ちなみに、そんな格好をしているのは何も隊長だけではない。トラックの荷台に乗り込んでいる男たちは、グレースメリア潜入に当たって現地から集めてられてきた本物の作業服に着替えていた。キリングスに至っては、見かけが真面目すぎるという理由で、髪型を今時の若者風に染められる始末であった。とはいえ、服装はともかくとしても、軍人の眼光はそうそう覆い隠せるものではない。自分たちと同じような任務に就いている相手に見つかる事が最も恐ろしいのだ、とバンディッツはキリングスに語ったものである。

「それから、今回は電子機器と電子戦のエキスパートを一人借りて来ている。おまえらには悪いが、今回はこいつの安全を確保することが何より重要だ。よって、喜んで楯になるように。ま、1発や2発撃ち込まれても死なねぇ奴しかいないから大丈夫だと思うがな。おまけに、こいつは通訳としても使える。いざとなったら協力を仰ぐように」

やってらんねぇ、という笑い声が少し控えめに車内に響く。1発だって、当たり所が悪ければ即死するのが現実だが、どうもここで乗り合わせている面々はその辺の恐怖感というものが無いらしい。歴戦の戦士たちとも言えるが、ちょっとネジが緩んでいるか外れている軍団と言えなくも無いか、とキリングスは勝手に分析する。

「とはいえ、キリングス。お前さんの出自を無断使用するようなミッションで済まない。だが今回、「訛りの無い」エストバキア語を使いこなせる人材は貴重なんでな。悪いが、その能力は最大限利用させてもらうことになる。そのつもりでいてくれ」
「分かっていますよ、バンディッツ隊長」
「ああ、そうそう。こいつは今では俺たちと同じエメリアの同朋だ。今攻め込んできているクソ虫どもの同朋だなんて言った奴がいたら、この俺が再教育をしてやるから、遠慮なく名乗るように。とりあえず頭に風穴開けて、そこからタバスコをダース単位で流し込んで刺激を与えてやる。いいな!?」

どこまでが本気でどこからが冗談なのかが分からなかったが、この豪快な隊長が「微妙な」出自のキリングスを気遣ってくれていることは充分過ぎるほど伝わってきたので、彼は素直に感謝する事に決めた。そして幸いにも、この部隊に所属している面々はそんな細かい事を気にする神経は持ち合わせていないことも、キリングスにはありがたかった。もっとも、自分の出自がこうして役に立つ日が来るとは、何とも皮肉なものだったが。そう、キリングスがこのミッションの要員として選ばれたのは、彼が電子戦のエキスパートであると同時に、エストバキアで生まれ育った経歴を持ち、流暢なエストバキア語を今でも使いこなせることも、要件の一つだったのである。

隊長の話が終わり再び沈黙が戻った荷台で、キリングスはベストの胸ポケットを漁った。彼が取り出したのは、少し古びて色の褪せた小さな箱と、角が折れて少し千切れてしまっている、こちらも古い一枚の写真だった。その写真の中では、30人くらいの子供たちと二人の大人が、変わらぬ笑顔を浮かべている。30人のうちの一人が、キリングス自身。あの頃の自分をあまり良く思い出せなくなっているキリングスだったが、少なくとも、明日や未来というものが何か明るいものだと根拠もなしに信じていたんじゃなかったか――。そんなごくごく普通の日々が、宇宙から落ちてきた隕石の欠片によって一瞬にして断ち切られ、全ての歯車が狂うなんて現実を目の当たりにするなんてことを知らなかった、幸せな頃の記憶。もう、その写真を撮影した校庭は、この世界のどこにも存在しない。エストバキア国内に降って来た隕石の欠片の一つが、学校だけでなく彼の郷里を根こそぎ削り取ったのだ。灰燼と化した街のあった場所には、クレーターしか残らなかった。キリングスが助かったのは、偶然がいくつか重なった結果でしかない。数日前、友人と遊んでいて怪我をした指先が、その後何かの細菌によって派手に膿み、腫れてしまったので、車で1時間ほどの所にある病院に母親と共に来ていたその時、あの悪夢がやってきたのだ。

悪夢が奪っていったのは、故郷だけでは無い。父親も、妹も、共に学んだ級友も、キリングスの成長を綴ったアルバムの数々も、全てがこの世から消えてなくなった。ついでに言えば、生活していくための基盤も。程なくして始まった内戦は、キリングス同様に家族を失った人々の困窮に拍車をかけた。それでも彼にとっては幸運な事に、エメリアで起業した叔父夫婦を彼は頼る事が出来た。なけなしの預金をかき集め、エメリアへ脱出するための切符と当面の生活費を手にしたキリングス少年だったが、エメリアへ向かうバスには一人で乗った。母親は「同じバスが取れなかったの。後から行くから、先にグレースメリアで待っていて」と彼を見送ったが、実際は違った。子供を送り出すのが精一杯だったのだ。グレースメリアで、キリングスは母の到着を待ち続けた。叔父夫婦は実の子供としてキリングスを受け入れてくれていたし、第二の故郷でも友人たちに恵まれたことは、キリングスにとって何よりも幸運だった。それでも、生き別れた母親の事は忘れられない。別れ際の言葉の通り、いつしかここにやって来る――そう信じ続けた少年の思いが失望に変わるのに、それほどの時間は必要無かった。

エメリアの新聞では、エストバキアの苦境と内戦とが、まるで他人事のように報じられていた。そんなある日の新聞の一面に、彼は見慣れた地名を見出した。それは、母と別れた、あの街の名だった。対立する軍閥同士が、拠点の確保を競って市内に乱入、双方の協力者を根絶やしにするため無差別に市民を虐殺した、というニュースだった。――毒ガスと銃撃とを以って。驚いた事に、それはキリングスがエストバキアを起って、わずか2日後の出来事だったのである。生存者のいなくなった街は、くだらない勢力争いの格好の舞台となり、さらに多くの兵士たちの血によって染め上げられていった。もう、僕が失うものは何も無い。全て、無くなってしまった。その日以降、自分の家族の事をキリングスは決して語らないようにした。叔父夫婦に余計な心配をかけたくないと、子供心に思ったせいもある。だが、それだけではない。口にしたら、もう会えない家族たちのことを思い出して、胸がはち切れそうになるのが怖かったから、だから自分で自分の心に鍵をかけたのだ。そして、今ではもう、母親どころか父親と妹の顔もはっきりと思い出すことが出来ない。住み慣れたかつての故郷の風景は思い出すことが出来るのに。医者によれば記憶障害の一つだということらしいが、断ち切られた過去を懐かしんでも仕方が無いと、いつしかキリングスは思うようになっていたのだった。

そんな自分の出自が、こうして役に立つ事があるというのは、最早皮肉以外の何者でもなかった。ただそれだけでの抜擢なら、キリングスはミッションへの参加を拒んだかもしれない。だが、このミッションが成功した暁には、エストバキアとの戦いで嫌でも避けて通れない「謎の巡航ミサイルとその発射基地」の謎を解き明かすことが出来るだけでなく、彼の現在の大切な友人たちの支援が出来るというオマケが付いていた。キリングスが集められる限りのデータと資料は、全てエッグヘッド――マクフェイルに渡してきた。勘所の良い彼なら、必ずや独力でも謎を解き明かしてくれるに違いない。時間をかければ、だが。そして今回はその時間が惜しい。加えて言うならば、実際に空の最前線で戦い続けるエッグヘッドやジュニアたちの役に立ちたかった。そして今、キリングスは敵の秘密兵器の正体について、ほぼ確証を持ちつつある。エストバキア軍のエメリア占領軍司令官である、ドヴロニク上級大将の経歴を改めて調べ直すうちに、その情報は見つかったのだ。それだけではない。内戦で疲弊しきっていたはずのエストバキアが、何故あれほどの規模の軍備を整える事が出来たのか――その謎の一端を彼は掴みつつあった。

古びた写真から目を離し、キリングスは荷台の外に広がる星空を見上げた。昔のように点灯している街灯は一つも無く、平原は黒一色で塗り潰されている。そのおかげか、今までに無く星空は本来の輝きを取り戻し、瞬いているように見える。だが、キリングスにとって、夜空は忌まわしい記憶を呼び覚ますものでしかない。写真をポケットに戻し、腕組をして、キリングスは目を閉じた。他に出来ることが無いなら、せめて体力くらいは温存しておくよう努力しよう……そう彼は決めた。そうでないと、体力自慢の猛者たちに迷惑をかけることになってしまうだろうから――。


「申請のあった車輌の通過を確認」
『周辺に異常は無いか?』
「あるわけないだろ。ろくに点検もしてないんだろうな、排気ガスのにおいがひどいぜ。それにしても寒い。さっさと引き上げて、ストーブの前に陣取りたいもんだぜ」
『あと1時間だろう?我慢しろよ。ここには例の「鳥のエンブレム」だって飛んでこない安全地帯だ。まだ寒さの方がましだろうよ』
「見たことの無い敵よりも、寒さの方が難敵だっての。まあいいさ、交代は早めに頼む。オーバー」

街灯の明かりすら無い平原では、遠くを走る車のテールランプの赤い光をはっきりと確認することが出来る。グレースメリアの「再建」に必要な労働力が徹底的に不足する状況下、なし崩し的に街の封鎖を解除するに至った。結果的に周辺都市間の流通が活性化して、一時のような困窮状況からは脱しつつあったが、かつての首都は戦争前の豊かさが嘘のように疲弊し、荒れつつあった。焼け石に水にならなきゃいいが……と、先程のトラックを見送りながら、ペレルマンは煙草に火をつける。平原を吹き抜ける冷たい風がどう、と吹きつける。法外に安い給金でこき使われることになるであろう労働者たちに同情しつつ、彼は星空を見上げたのだった。

「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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