雪深き頂を越えて・前編
眼下に広がるのは、深い雪に覆われたセルムナの山並み。とうとう俺たちは、ここまで戻ってきたのだ。シルワート市を取り戻したエメリア軍は、シルワート市篭城軍を取り込んで改めて部隊を再編成、いよいよ本格的にグレースメリアを奪還するための準備を整えつつあった。シルワート市の解放がもたらした効果はそれだけではない。激戦の結果、壊滅的な損害を被ったエストバキア地上軍はグレースメリア方面へと大幅に部隊を後退せざるを得なくなり、シルワート周辺で息を潜めていた小規模な部隊が一つ、また一つとシルワートに集結していったのである。更には、エストバキア軍が完全撤退した領域の物資輸送ルートの整備も拡充され、オルタラ市をベースとする海路を使った軍需・民需の供給ラインが本格的に稼動を開始したのであった。

そして、俺たちに新たな作戦が令達された。エストバキア軍の展開状況などの分析に当たっていた情報部や偵察部隊による調査の結果、セルムナ連邦を抜けるルートが最も安全かつ効率的と判断されたのであった。切り立った峰が連なり、まるで大地の亀裂のように深い谷が広がるセルムナの山々ではあったが、ここを抜ける道路も存在はしており、陸軍部隊による雪山越えは充分可能、と結論付けられたのであった。先遣隊として選ばれたのは、ワーロック隊とクオックス隊。これにシルワート攻防戦で活躍したドラゴンバスターズ隊が本来なら加わるところであるが、部隊の再編中であることと、連日に渡りエストバキアの猛攻に晒され続けた兵士たちを休養させたいという指揮官たちの申し入れによって、今作戦については同行しないこととなった。もっとも、ワーロック隊・クオックス隊の戦力はシルワート攻防戦前後で比べれば、大幅に拡充されている。先の戦いにおいて、独立隊としての戦力を維持出来なくなったガビアル・グリズリーの両隊が編入されたのだ。飛行機に比べれば鈍足である地上部隊は先発してシルワートを出立し、エストバキア軍地上部隊の空白地となっているセルムナ連邦を驀進中。もっとも、敵さんとてエメリア軍の進撃を見過ごしてくれるほど甘くは無い。攻撃機を主体とした敵部隊が展開中、と既に情報が届いていた。

そして常ならば、そんな戦況を仕事場たる後席でリアルタイムで把握しつつ、彼我の展開状況、優先目標、攻撃ルートの指定等々をこなすのが俺の領分……だったはずだが、先の戦いで被弾して頭脳とも言うべき電子機器に被害を被った愛機はドック入り中。そんな状況下の作戦行動は不本意ながら待機、という俺の予測は完璧に外れた。それも場外ファウルと言っても良いほどに、だ。作戦機が無い、という指摘に、我らがゴースト・アイは不敵な笑みを浮かべながらこう言ったものだ。同じ機種なら二人とも扱えるだろう、と。俺たちが案内されたのは、予備機が置かれ始めたハンガーの一角。本格的に軍備の増強と刷新に着手し始めたおかげで痛んだ機体の更新や改善は急ピッチに進められつつあり、しばらくは夢物語だった予備機を確保する事が出来つつあったのだ。そして俺たちの前には、何機かのF-15Cが並べられていた。そのうちの2機が、俺とタリズマンに割り当てられたのだった。

『ママのオッパイは美味かったか?お腹パンパンのヒヨッコはそろそろベットに行く時間だぜ』
「もう少しマシな言い方は無いのかな。ビバ・マリアに撃墜されても知らないぞ」
『ああ、なんてこった。不肖の息子に餌なんてあげなければ良かったわ』
「――補給に感謝する。ディスコネクト!」

空中給油機との接続を解き、機体をパンクさせて離脱する。給油待ちの友軍機が給油機への接近を開始する。既に給油が完了した部隊はそれぞれ編隊を組み、給油機の周辺に展開している。その一角、F-15EとF-15Cのペアに合流し、トライアングルをもう一つ形作る。こうやって自分自身が操縦桿を握るのは久しぶりだったが、意外と身体は覚えているものだ。もっとも、この機体のペダルは俺には少々硬い。おまけに、日々の仕事場で見慣れたグラスコックピットとは異なり、俺の目前に広がるのは旧式の計器盤とメーター。もちろん、飛行と戦闘に必要な情報は網羅されているし、機体自体はF-15Cであることには違いない。だが、タリズマンの乗る予備機は近代化改修が施された機体であり、グラスコックピット化の図られたバージョンであった。

『なかなか乗れているようじゃな。実戦でお前さんの飛びっぷりを見るのはこれが最初だからの。これが最後にならないように気を付けると良いぞい』
「……不吉なことは言わないで下さいよ、ドランケン。そりゃまぁ、タリズマンには遠く及びませんが……」
『そう言われてみれば、俺もお前自身の飛びっぷりは初めてだな。ま、せいぜい墜ちないように頑張れ。新しい後席要員はなかなか見つからないだろうしな』
『ここでベイルアウトする羽目になったら雪山越え必至じゃしの。落ちないに越したことは無いわい』

どうやら俺が墜落することは大前提になっているらしい。いじられるネタを自ら提供するのも悔しかったので口をつぐむ。こうして、F-15Eの姿を外から眺める気分は新鮮だ。シャムロックとドランケンが乗りこむガルーダ2を先頭に、タリズマンと俺が両翼を固める構図。タリズマンもシャムロックも並はずれた操縦技量と戦闘技量の持ち主だけに、彼らの足を引っ張らないようにするのが今日の俺の役目かもしれない。

『ガルーダ1より3、まさかとは思うが、計器盤の読み方は習ってるよな?』
「グラスコックピット化された練習機なんてありませんよ、我が軍に。とはいえ、ペダルも操縦桿も重くて、疲れそうです」
『そこはそれ、俺に合わせたセッティングになっているからな。ま、筋力トレーニングと思って凌いでくれ』

そう、予備機として割り当てられたF-15Cのうち1機は、かつてプルトーン隊の一員だった当時の自分を、ミンチに変えてくれた有り難い教官の使用機だったのだ。グラスコクピットに慣れた感覚を計器盤の群れに合わせるのには少し手間取ったが、出撃前のタリズマンの有り難い洗礼のおかげで、戦闘と飛行には支障の無いレベルには到達したと自分なりには思っている。作戦機の数が必要な場合には、こうしてこの機体を操る場面も増えてくる事が簡単に想像出来るだけに、あまり泣き言を言ってられないのも事実だったが。

『それにしても……ようやく軍隊らしくなってきたな』
『全くだ。空中給油機で補給を受けられる日が来るなんて思いもしなかった』
『ゴースト・アイより、各機。戦闘開始前からあまりくつろぐなよ?我々の戦域接近に合わせて、エストバキアの航空部隊もセルムナ連峰の上空に展開を始めている。複数の電子戦機で構成された撹乱部隊と、多数の戦闘機部隊が我々の歓迎の準備をしてくれているようだ』
『ワーロック・リーダーより、航空部隊。今のところこちらも無事だが、物騒なジェットノイズが随分と近付いて来ている。雲がかなり低い高度まで下りてきているのは俺たちにしてみれば幸運か。よろしく頼むぜ、オーバー』
『今日はガルーダ1が静かだな、と思ったら、エッグヘッドも飛んでるのか。タリズマン、しっかりとカバーしてやれよ?』
『生憎だが、うちは放任主義なんでな。ま、落ちても雪山越えして戻ってくるだろうから、あまり心配はしてないぜ』
『やれやれ……シャムロックからエッグヘッド。ちゃんと俺たちがカバーしてやるから、好きにやってみろ。俺はお前さんの飛びっぷりが見てみたい。タリズマンを後席でじっくりと見てきた男が、どこまで戦えるようになっているのか、個人的に興味がある』

空中給油機の群れが速度を落とし、俺たちの後方へと下がっていく。作戦機全機の補給が完了したのだ。作戦開始スケジュールに遅延無し。この山を越えれば、俺たちはようやく懐かしの首都、グレースメリアに到達出来る。グレースメリアから追われてケセド島まで追いやられたメンバーにとっては、ようやく手にした逆襲の時だった。自然と、操縦桿を握る手にも力が入るというものだ。作戦開始を目前にして、俺は素早く計器盤に目を走らせる。機体状況、燃料、各兵装、いずれも問題なし。後は作戦を完遂して、基地にちゃんと戻るだけ。

『――作戦開始!全機、奮闘せよ!』
『よし来た、遅れるなよ、お前ら!?』
『さあ、ペイバックタイムの始まりだ!!』

ゴースト・アイの命令が、鋭く発せられた。すぐさま、最先頭に立っているガルーダ2のF-15Eが加速。遅れないようスロットルレバーを押し込み、ポジションを確保しながらその後を追う。白い雲を翼で切り裂きながら、鋼鉄の翼の群れはセルムナ連邦を抜くべく、敵部隊の展開する空域目指して空を駆ける。やるだけやってみるさ、と自分に言い聞かせて、俺は敵の待ち受ける空をHUD越しに睨み付けることにした。
俺たちが戦域に到達する頃には、敵の電子戦部隊が既に広域に展開を完了していた。レーダーをワイドレンジに切り替えると、まるで虫食いのように電波妨害された空域の穴が開く。全てが大出力の電子戦機で構成されているというわけではなく、ECMポッドを搭載した戦闘機も組み合わせているように見受けられる。比較的広い範囲に展開しているのは、こちらの目をくらませて攻撃機部隊によるエメリア軍地上部隊攻撃を支援する腹積もりなのだろう。もっとも、こちらにも電子戦の専門部隊がいる。早速、警戒航空隊第303飛行隊第4飛行班の各機が対抗措置を開始。隊長機たるスネークピットが、ECCMを開始、展開する。

『スネークピットより各隊、電子支援は我々が引き受ける。存分にやってくれ!』
『ラナーよりスネークピット、今日はそう言いながら突出しないよう頼む』
『ハハハ、ちと手遅れかもしれない。敵戦闘機部隊多数、我が隊に向けて接近中!』
『言わんこっちゃない!!』

ウインドホバー隊とスネークピットのやり取りを横目に眺めながら、俺たちは比較的低空に機影を確認した敵の航空戦力の迎撃に向かう。切り立った崖の間には厚い雲が広がり、渓谷の姿を覆い隠している。そう、初めてタリズマンに出会った日も、ここはこんな空だった。LANTIRN-ADVの能力を最大限に活用しながら、シャムロックはその雲の中へと躊躇いもせずに飛び込んでいく。レーダーでその位置と高度を確認しつつ、以前叩き込んだここの地形を思い出しながら、岸壁とキスしないように愛機を操る。千切れていくようにキャノピーの空を雲が通り過ぎていき、時々その合間に白い雪に覆われた山肌が姿を現す。ぐいと先行するシャムロックが高度を下げる。こちらも追随して操縦桿を前に倒し、低空へと向かう。ちょうど雲の真下に出るや、戦闘機は渓谷の合間を縫うようにダンスを始める。

『ドランケンより、タリズマン、エッグヘッド。このまま低空で敵機をやり過ごして、後背から仕留めるぞい。取り敢えずは近場のA-10からじゃ』
『敵さん、あんまりここの地形に慣れてないかもな。A-10の機動性を考えれば、逆に低空侵入してきそうなもんだがな。アレじゃ狙って下さいと言ってるようなもんだ』
『遠慮なく仕留めさせてもらおうじゃないか。エッグヘッド、レーダーから目を離すなよ。タイミングはこちらが指示するから、しっかり狙って攻撃するんだ』
「了解です」

レーダー上、複数の光点が間もなく俺たちと重なる。こちらの光点は先方にも見えているだろうが、雲の真下に入ったこちらの姿までは捕捉していないことだろう。そうこうしているうちに、敵の光点は後方へと抜けていく。どうやら敵部隊は雲の上にポジションを取っているらしい。タリズマンの読みはあながち間違いでは無さそうだ。

『シャムロックよりエッグヘッド、タリズマン、攻撃開始だ!』
『おうよ、周辺警戒を引き続き頼むぜ。付いて来い、マクフェイル!』
「エッグヘッド、エンゲージ!!」

操縦桿をぐいを引き寄せて、機首を跳ね上げる。再び真っ白な雲の中に突入。HUDに表示されるピッチ角を確認しながら、空を一気に駆け上がる。雲を抜けるや、視界に青い空が一気に広がる。すぐさま背面で水平に戻し、敵の姿を捜し求める。1時方向やや低空に、太陽の光を反射する敵の翼を視認する。4機編隊の一団は、ワーロック隊に向けて進撃中といったところか。頑丈なあの機体に遠慮は無用。SAAMを選択して、一気に敵との距離を縮めにかかる。襲撃者の接近を悟った敵部隊、ブレーク。4機がそれぞれの方向に散開する。そのうちの1機が、ループしながらこちらに機首を向けてくる。あの30ミリを喰らえば、たちまちミンチになってしまう。敵の射線から機体をバンクさせて逃れつつ、逆にその背中に狙いを定める。照準レティクルに敵の姿を捉え、トリガーを短く引き絞る。同時に敵も発砲。曳光弾の赤い火線が至近距離を貫くが、命中せず。逆にこちらの攻撃はすれ違いざまに敵の右主翼に何発かが命中して弾痕を穿つ。だが致命傷にはなっていない。

後方へと抜けた敵機に対し、右方向へと機体を倒し、急旋回。視界が上から下へと一気に流れていく。被弾した翼をかばうように機体をロールさせ、それでもワーロック隊への攻撃ルートに乗せようとする敵機を、今度は確実に真後ろから捉える事に成功する。レーダーロック開始……ロックオン!完全に捕捉した事を確認して、ミサイルを放つ。軽い震動と共に母機から切り離されたSAAMが轟然と加速を開始し、獲物の背中へと殺到する。切り返して攻撃をやり過ごそうとしたのも空しく、至近距離でミサイルが爆発。爆散した無数の破片は、相手が頑丈な胴体のA-10であったとしても遠慮なく襲いかかる。主翼、胴体中央部に致命傷を受けた敵機は、黒煙に包まれながら高度を下げていく。――1機撃墜。これが、俺自身が単独で記録した初の撃墜スコア。だけど、記録達成を喜んでいるような暇は与えられなかった。コクピットにレーダー照射警報が鳴り響く。僚機を葬られた生き残りが、俺に復讐の牙を突き立てんと狙いを定めていたのだった。

だがこの戦域には幸いにも、身を隠すに相応しい場所が用意されていた。白い雲に覆われた渓谷の口の一つに、俺は迷わず飛び込んだ。山肌に視界と狙いを遮られ、敵機は攻撃の機会を失う。視界を確保出来る高度で渓谷内に飛び込みつつ、周囲を確認する。ここなら上昇に転じても遮るものは何も無い。先ほどと同様に機首を引き上げ、俺は雲の中を上空目指して駆け上がる。再び雲を突き抜けるや背面のまま水平に戻し、周囲に目を凝らす。程なく、俺が突入したポイント辺りで旋回を続けている敵機の姿を視認した。HUD上をミサイルシーカーが滑るように動いていき、そして目標の姿を捕捉した。

「エッグヘッド、フォックス2!!」

敵の後背を確実に捉え、ミサイルを放つ。旋回状態から機首を押し下げ、少し前に俺がそうしたように渓谷の中へと敵機が下っていく。雲と渓谷の壁に覆われた空間は、確かに隠れ蓑としては最適かもしれない。だが、入り方を間違えれば、ホワイトアウトに遭遇したような状況になるのは言うまでもなかった。シャムロックが教えてくれたように俺は視界を確保出来る隙間から渓谷内へと飛び込んだけれども、敵機は白い雲の中へとまっすぐ突入していった。その姿を追って、ミサイルも雲の中へと突入していく。熱源を追い求めて突撃するミサイルにとっては、敵機の熱源が格好の道案内役となるに違いない。雲の中で赤い光が爆ぜ、レーダー上から敵の光点が姿を消すまでにそれほどの時間は必要なかった。これで2機!

『攻撃機相手に派手に動きすぎだぜ、相棒。――ま、単独飛行としては上出来だがな』

何事も無かったかのような声の主は、もちろんタリズマンのもの。俺のすぐ横にポジションを取った彼の周囲に、敵の姿は既に無い。きっと、俺とは違って攻撃の機会を敵に与える間もなく葬ったに違いない。レーダー上にも、この近辺に敵機の姿は消え去っていた。だが戦闘は始まったばかり。再び渓谷に沿って、敵戦闘機の光点が複数出現、接近中。今度の敵は動きが良い。先ほどのA-10はひょっとして露払い役といったところか?

『シャムロック、敵の新手が接近しているみたいだ。見えてるか?』
『ああ、今度はちと手強そうだ。敵の中に俺たちと同じ連中がいる』
「ということは、F-15Eってことですか?」
『全部がそうではないみたいだが、こっちが本命というところだろう。奴さんたち、しっかりと渓谷の中を飛んでやがる』
『あっちもLANTIRN持ちか。かくして軍事メーカーばかりが肥えていく、と』
『ぼやいてる場合じゃなかろ。タリズマン、エッグヘッドを連れて足止めするんじゃ!』
『言われなくても分かってるよ。来い、エッグヘッド』
「了解!」

早くも敵に動きが現れる。渓谷を引き続き進んでいく一隊と、光点の方向がくるりと回転している一隊とに分かれる。戦闘機個体としても過分な警戒装置を搭載している愛機が敵に回れば、こういうことが起こり得るということだ!渓谷を覆い被さっている雲の中で、敵機はこちらの攻撃に対処すべくポジションを変えつつある。――だが、視界が無い状況下で機械の指示通りに機体を操る事は、簡単な事ではない。真っ白な雲の中で急激な起動を繰り返していれば、パイロットが決して避けることが出来ない空間識失調症に陥るリスクもある。タリズマンの排気ノズルに火が灯り、加速を開始。この状況下でさらに速度を上げるあの神経は理解に苦しむところではあるが、置いていかれるわけには行かない。何も考えていないようで、きっと脊髄反射の如く戦いに反応している1番機の動きをトレースして付き従う。反転を仕掛けているらしい敵機の動きは、想定しているよりも遅い。確証は無いが、雲の中で高度を稼いで飛び出し、こちらに対して有利なポジションから攻撃を仕掛ける腹積もりか。一方、俺たちは速度を上げながら視界を確保出来るギリギリの高度で渓谷内に突入する。これで敵が上方から降下体勢にあるものなら七面鳥撃ちにあっても仕方ないが、警報すらならずに光点が重なり、後方へと離れていく。いや、そらにその後方で、シャムロック機がミサイル発射。雲の中の一団に対して攻撃を開始したらしい。

『おい、頭でっかち、俺のケツが見えているか?』
「渓谷の壁面同様に良く見えてます」
『上出来だ。いいか、この先に先行している敵部隊がいる。お前飛び込んで、少し撹乱して来い』
「――冗談では無さそうですね」
『ああ、大マジだ。俺の後ろに乗った時点で、多少の無茶は織り込み済みだろ?』
『ビバ・マリアよりタリズマン、いくら何でもそれは無謀ではないか?』
『過保護じゃ強い男は育たないもんだぜ、お嬢ちゃん?』
『なっ!?』
『無茶なのは百も承知さ。根性見せてみろ、相棒』

孤軍奮闘 拒否権が無いのはいつものこと、か。――やってやろうじゃないか。雲の中での戦いなら考えどころではあるが、幸い前方の敵は間もなく既雲の中から脱するポジションに到達する。それに対して雲の下の低高度に潜り込んだこちらは、襲いかかる一瞬において敵の虚を突くことが出来るかもしれない。と、タリズマンの姿が視界上方へと舞い上がり、そして雲の奔流の中へと消えていく。相手は4機、まともに仕掛けても勝ち目は無い。とにかく動きを止めないこと。ロックオンさせる暇を与えないこと。何より、防衛目標たるワーロック隊まで進ませないこと。後は?人使いの荒い上官殿が何か考えるさ!先に上がったタリズマンがこちらの後方、上方へとポジションを取ったのを確認し、俺も少し操縦桿を引き寄せて高度を上げ始める。あっという間に乳白色の雲に視界が覆われる。前方の敵機が散開する素振りは無い。こちらが仕掛けてくるとは考えてもいないのだろうか。それならそれでいい。進行方向に山の壁が存在しない事を確認し、敵との彼我位置をもう一度確認し、俺はスロットルを押し込んだ。

一気に視界が開け、山肌と日光とが視界に飛び込んできた。バイザーをしっかりと下げておいたおかげで、目がくらむ事は無かった。首を巡らせて、敵機の所在を確認する。想定よりもやや左方向、肉眼で敵の姿を確認する。翼を傾けて針路を修正し、敵集団のうち2目標に対して狙いを定める。虎の子のMAAMを武装選択し、レーダーロック開始。タリズマンの乗る新型に比べれば旧式のはずのこの機体ではあったが、慣れてくると実に扱いやすい。HUD上を滑るように動いていくミサイルシーカーが目標を見失わないようにコントロール。程なく、ロックオンを告げる電子音が鳴り響く。一瞬ためを作り、そしてミサイルレリーズを押し込む。母機から切り離されたミサイルに火が灯り、轟然と加速を開始。白い排気煙を吐き出しながら、槍が敵機めがけて襲い掛かっていく。翼を立てて左方向へと旋回、敵部隊最左翼の1機を次の目標に選定して、攻撃態勢に入る。ミサイルに追われた敵機が回避機動を開始。残りの2機もようやく戦闘態勢に入る。と、遅れてミサイル攻撃の第2波が襲来。どうやら足の長いミサイルを積んできたシャムロックの援護攻撃らしい。狙われた1機が攻撃を断念して回避機動へ。散開を余儀なくされた敵部隊を横目に、敵集団の中へと切り込んでいく。

『くそっ、敵の位置が掴めない。どこにいやがる!?』
『焦るんじゃない。敵はたったの3機だ。包囲して畳み込めばいい!!』

敵の混乱に乗じた俺は、最初の獲物の後背をとることに成功した。もっとその機体なら振り回せるだろうに、と普段散々前席に振り回されている身を思い出しながら敵の姿を追う。と、ミサイルが炸裂。致命傷を与えるには少し距離が遠いが、弾き飛ばされた弾体片は敵機の機体を切り裂き、その翼から黒煙が吹き出す。がくん、と姿勢を崩した敵機に対し、俺はトドメの一撃を叩きこんだ。ミサイル攻撃によって傷を負った右主翼に狙いを定め、すれ違いざまにガンアタックを叩きこむ。立て続けに弾痕が穿たれ、そして炎が膨れ上がった。敵の下を潜り抜けるようにして回避。後方を振り返ると、ベイルアウトしたパイロットたちの白いパラシュートがちょうど開くところだった。まずは1機。レーダーに視線を移す。近辺の敵の数はもう一つ減っている。どうやらシャムロックの支援攻撃が命中したらしい。これで相手は2機まで減った。だがその2機はミサイル攻撃を回避し、僚機を撃墜した侵入者に復讐せん、と態勢を整えつつあった。最優先事項は、こいつらをワーロックに近づけないこと。その点において、こちらを目標にしてくれたことは喜ぶべきではあるが、狙われる当のこちらにしてみれば命がけだ!案の定、ジジジジジ、と耳障りなノイズがコクピットに鳴り始める。距離と高度を稼ぐべく、ループ上昇。対応して敵機も高度を上げてくる。ぐい、と機首を切り込ませつつ、機をロールさせて水平に戻す。俺の正面に、追撃してきた2機のF-15Eの姿が飛びこんでくる。高速ですれ違いざま、敵からも機関砲弾の雨が降って来る。こちらもコンマ数秒機関砲のトリガーを引き絞り、敵の射線を外すように機体を跳ねさせる。すれ違い、後方に抜けた敵機の姿勢は乱れていない。互いに命中弾無し。仕切り直し。

『よう頭でっかち、まだ生きてるか?』
「おかげさまで。こちらは任せろ、と言えないところが悔しいですが」
『落とされてないだけ上等だろ。待ってろ、もうちょいで片付く……』
『私が行く。支援は任せろ、ガルーダ3』

凛とした声は、紛れもなくビバ・マリアのもの。やれやれ、ちゃんとソルティードックの許可を取ったんだろうか、アイツ。コクピットに今度はありがたくない警告音が鳴り響く。二手に分かれた敵機は、いよいよ俺を仕留めようと挟撃を仕掛けてきていた。踵を返し、敵の射線上から逃れようと旋回。敵もさる者。一方がこちらの針路を阻み、一方が攻撃役に徹して俺に襲いかかって来る。一旦振り切ろうか、と考え始めた矢先、どうやら焦れたらしい一機が、肉迫して攻撃を仕掛けて来た。機関砲の火線が視界に広がる。ロールさせつつ左に逃れ、敵の攻撃をやり過ごす……つもりだったが、そこはもう一方の敵機が巧みに仕掛けた罠のポジション。被弾を覚悟で反撃、と思った矢先、頭上から再び鋭い声が聞こえて来た。

『そのままダイブしろ、エッグヘッド!そっちの相手は、私が引き受ける!』

身体が瞬時に反応し、俺は機体を真っ逆さまに向ける。重力と推力の助けを得た機は、低空へと向けてダイブ。直後、俺が先刻いた空間を機関砲弾の火線が貫いた。まさに危機一髪。一方のビバ・マリアは、この戦域に高高度から侵入、そこから急降下で仕掛けて来たのだ。新手の突入に対し、敵の反応は遅れた。彼女の目前に広い背中を晒した敵機は、格好の獲物となった。獲物の姿を確保したビバ・マリア、満を持してガンアタック。頭上からの攻撃に反応出来ない敵機は、機首から胴体真ん中の辺りまで、上から下へと撃ち貫かれた。黒煙が膨れ上がり、そして程なく大きな火球が空に膨れ上がった。――ナイスバックアップ。危地を脱した俺は再び高度を上げ、恩人の横にポジションを取った。

『無事か、エッグヘッド?』
「助かった。礼を言う」
『それは帰還してからにしてくれ。残りを仕留めて、他の隊の援護に向かうぞ』
「ああ、了解した」

形勢逆転。俺たちは二手に分かれ、逃げにかかる残りの敵機に襲いかかる。これでこの戦域の片は付くだろうが、まだ敵は多数展開している。気合を入れ直しながら、俺は逃げ惑う敵機に狙いを定めるべく、集中することにした。

「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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