雪深き頂を越えて・後編
戦闘開始後20分経過。エストバキア航空戦力による地上部隊への攻撃は成功せず、彼らは渓谷内の峠道を驀進し続けている。地上戦力の数においてエメリアのそれを上回る戦力を誇るエストバキアだけに、後でどうとでも料理できると考えたのかもしれない。むしろ、友軍に多大な被害を与え続けている航空戦力こそ叩くべき、と敵方は考えたのだろう。俺たちエメリア軍の航空戦力に対し、エストバキア軍は戦闘機中心の増援部隊を差し向けてきていた。特に賑わっているのが、スネークピット隊の周辺。もともと突出しがちな傾向があることに加え、電子支援とECCMを展開する辺りが敵部隊に気に入られたのかもしれない。

『こちらウインドホバー。スネークピットの周りは敵だらけだ。さながら、蚊の群れン中に突入したってところか』
『シャムロックよりスネークピット、状況はウォッチしているが、持ちこたえられそうか?』
『厳しいかもな。敵さんの増援部隊が、まっすぐこちらに向かって来ている』
『当たり前だろ!散々電子支援と電子妨害をやらかして目立ちまくっていたんだから』
『オーケー、良く分かった。ガルーダ1、3、それにビバ・マリア。俺たちはスネークピットの護衛に加わる。アバランチ、済まないがそっちは持ちこたえられるか?』
『ああ、カスターとアラモが良くやってくれている。こちらは任せておけ』

ワーロック・クオックス両隊を狙っていた敵攻撃機部隊の殲滅には成功した。俺自身はシャムロックとビバ・マリアの支援を受けて辛くも生き残ったような気がするが、タリズマン・シャムロックの二人は、渓谷内の敵部隊を文字通り手玉にとって殲滅したようなものだった。昔の俺――プルトーン隊がタリズマンとエンジェル1の二人にやられたように、雲と渓谷の地形を巧みに利用しながら、ほとんど敵にその姿を捕捉されることなく仕留めていったのだ。敵パイロットの気分が、俺には良く分かった。レーダーには映っているのに、その位置が特定出来ない。気が付いた時には時遅し。コクピットを撃ち抜かれているか、ミサイルが機体の傍まで迫っている。そういう戦いをこの環境下で繰り広げるタリズマンの馬鹿度胸には恐れ入る。

『ピパ・マリアよりガルーダ3、敵の数が段違いに多い。後ろと横の確認を怠るなよ?』
「――了解。他人の手を煩わせなくても済むよう努力する」
『ま、敵から見れば、そうそう簡単に落とせるレベルではないさ。その点だけは私が保証する』

褒め言葉なのか、と確認するよりも早く警告音が鳴り響く。どうやら射程の長いのを積んで来ている敵機がいるらしい。こちら同様にエストバキアも空中管制機を出しているのか。レーダーの遠方、戦闘機よりも小さな光点が出現する。警告音がより耳障りな音に跳ね上がる。今度の戦場は先ほどの渓谷ではなく、どこまでも広がる大空。隠れられるような遮蔽物は存在しない。

『スネークピットよりガルーダ隊、電子支援は任せろ!』
『本領発揮って奴だな。しっかり頼むぜ』

回避機動に転じた俺たちだったが、放たれたミサイルは俺たちに向けて機動を修正し切れず、後方の空域へと漂流を始める。電子支援――電子妨害の賜物か。再び編隊を組み直した俺たちは、大空に白いエッジを幾重も刻み込んだ混戦空域へと突入する。至近距離を、敵と味方の機体が通り過ぎていったが、機種や所属を確認している間など無かった。シャムロックとタリズマンが鋭く翼を立てて散開。手近の獲物を求めて動き出す。周囲には敵、敵、味方、敵、味方、味方。警報が鳴ったり止んだり。実に慌しい。交わされる無線もひっきりなし。時々混戦して敵機のものらしい会話が飛び込んできたり、被弾した機のパイロットの断末魔が聞こえてきたり。動きを止めた奴から食われて終わり、と周囲を伺いながら、獲物を探して視線を巡らせる。圧倒的な速度と推力を持つ機体、例えばMig-31のような機体であればヒット・アンド・アウェイに徹して一撃離脱を繰り返す戦法も有効だが、この機体ではそれは望むべくも無い。と、ジジジジジ、とコクピットが鳴り始める。針路方向、やや下に敵機を確認。針路から判断してもこちらを狙ってきている。その敵機に狙いを定め、正面から出迎える。瞬く間に彼我距離が縮まる。この速度ではミサイルは撃てない。機関砲を選択し、照準レティクルを睨み付ける。敵の姿が点で見えた、と思うや否やトリガーを引き絞り、すぐさま機体をロールに入れる。「点」はすぐに戦闘機の姿へと化け、衝撃波で互いの腹を叩きながらすれ違う。後方へ抜けた敵機を追い、右ターン。幸い、俺を外から狙っている相手が今はいない。圧し掛かるGに耐えつつ、敵の光点を頼りに旋回を続ける。反対方向にターンしてやり過ごそうとしている敵の姿を正面に捉える事に成功。その後背に迫る。

敵機、右へ捻りこんで急旋回。全く、エストバキアの軍事費はどこの財布から出ているのかを疑いたくなる。敵機はデルタ翼――ラファールだ。小気味良いほどに機動性を活かしてこちらを振り切らんとする敵機。だが、設計は古いとはいえ、イーグルも最強戦闘機の一つ。多少オーバーシュート気味になりながらもポジションを保ちつつ、敵機に食らいつく。まだ背中を捉えている。速度を上げて近付いていく。と、敵機が再びターン。さらに回して真っ逆さまにダイブ。大丈夫。目と体は反応している。機体も付いて来ている。タリズマンのような馬鹿根性は無いので正直怖いが、こちらもダイブに入れる。加速度が途端に跳ね上がる。速度がぐっと上がり、高度計の数値が一気にゼロへと近付いていく。だがいつまでも敵も降下しているわけではない。どこかで引き上げる。相手の動きを良く見ろ。タイミングを図れ。意識を集中させながら、ぐいぐい高度を下げていく敵の姿を睨み付ける。高度計の数字を小声で読み上げながら、まだ高度はある、と自分に言い聞かせる。

『フラック2、フラック3、そろそろだ。降下を開始しろ』
『了解した。でかい奴をしっかり届けてやるぜ』

敵の交信が混線して聞こえてくる。敵機がくるりと機体を回転させた。来る。来るぞ!イチかバチか、仕掛けてやる。タイミングを図りながら頭の中で3つ数える。1……2……3!!降下体勢から引き起こしへ。頭上から巨大なGが圧し掛かり、首と身体が軋んで悲鳴をあげる。次いで視界から色が失われていって、モノトーンに少しずつ変わっていく。それでも俺は照準レティクルを睨み付け続けた。水平へと戻っていく視界の中に、特徴あるカナード翼を持つ機体の姿が飛び込んできた。すかさずトリガーを引き絞る。火線が敵機に殺到し、火花が爆ぜる。命中痕の穴が機体に穿たれ、敵機が痙攣したように震えるのを確かに見た。敵機の姿が視界から消える。急減速した敵機はコントロールを失い、よろけるように右方向へと倒れこんだ。そのまま引き起こすことなく高度を下げていく。だがその戦果を喜んでいる暇は無い。友軍機の撃墜を目の当たりにした敵機の一つが、今度は俺を獲物にせんと襲い掛かってきたのだ。真っ直ぐ飛ばないこと。敵の射線上には入らないこと。うまくいっている時に自分の飛び方を変えないこと。タリズマンの後ろに座りながら学んできたことを思い出しながら、とにかく回避に専念する。撃ち落されたら一巻の終わりなのだから。無理な減速、単純な機動はとにかくしないようにする。いちいち頭で考えていると疲れることこのうえない。タリズマンやシャムロック、それにビバ・マリアたちは身体が反応するのだろう。羨ましい限りだ。

『ガルーダ2よりガルーダ3、無事か!?』
「保護者不在ですが、何とかやってます。後方敵機、まだ振り切れません!」
『ウォッチしとるぞい。幸い連携出来る相方があっちにはおらんようじゃの。もう少しの辛抱じゃ。シャムロック?』
『捉えたぞ。敵機捕捉。そのまま引きつけておけるか?』
「やってみます」

レーダーにちらりと視線を移す。後方の敵機の、さらに後方。友軍機を示すアイコンが近付いてきている。囮役を拝命したからには、しっかりと引き付けておかないと。俺を追い詰めていると敵に思わせておいて、敵を確実に追い込むために。右方向へロール、旋回状態へ。速度を殺さない程度に引き上げ。敵も後方から追随している。タイミングを図りながら、反対方向へとロール、旋回へ。敵は焦れてきているだろうか?スロットルを若干絞る。敵の光点が少しずつ近付いてくる。――心臓に悪いことこのうえない。さあ、食らいついてこい!右へ、左へ。目の前に広がる大空が慌ただしく向きを変え、角度を変える。

『おい、チェックシックス!!真後ろに敵だ!!』
『何!?――しまった、図られたか!』

敵機の後方に、小さな光点が出現し、後背に迫る。敵機は急ターン、ミサイルをやり過ごさんと回避機動へ転ずる。が、間に合わない。敵とは反対方向に旋回していた俺の頭上で、火球が一つ膨れ上がった。機体後方をもぎ取られ、反動でぐるん、と後方に回転した敵機の残骸が煙を吐きながら落ちていく。逃げ切った、と実感するや、背中に汗が一斉に吹き出してきた。見事敵を仕留めたガルーダ2のF-15Eが俺の隣にポジションを取る。ドランケンがキャノピー越しに何やらサインを送っている。

『囮役ご苦労じゃ、ナイスアシストじゃのう』
『いい逃げっぷりだった。その調子で、残りも片付けるとしよう。気を抜くなよ、エッグヘッド』
「了解!」
『……フラック4より1、目標空域に到着、降下を開始する』
『フラック1了解。戦域は激戦になっている。一撃離脱を徹底しろ』

シャムロックの励ましを素直に喜びつつ、ガリガリ、という雑音と共に混線してくる敵の交信に眉をひそめる。さっきから何の連絡を交わしているのだろう?レーダーを見る限り、爆撃機の類の姿は見えない。ひょっとしたら、アバランチが対応している電子戦機展開空域の中に爆撃機ないしは攻撃機が紛れ込んでいるのだろうか?でも、アバランチだけでなくカスター、アラモも展開しているなら、何かしら気がついている可能性が高い。まして爆撃機の類なら、レーダーはごまかせても肉眼でその姿を捕捉する事も出来るに違いない。

「ガルーダ3より、ゴースト・アイ。先程から敵の交信が混信して聞こえてきている模様。戦域周辺に爆撃機の類の展開は確認出来ますか?」
『ゴースト・アイよりガルーダ3、今のところ、周辺空域も含めてそのような敵の増援は確認出来ない。肉眼で確認したか?』
「目視でも周辺空域にそのような敵の存在は確認出来ません」
『了解した。貴機は引き続きスネークピットの護衛に当たれ。周辺、敵の戦闘機だらけだ。単独出撃で落ちられると、その指示を出した私の立場が無い。意地でも生還しろ』

どうやら一応は心配してくれているらしい。事実、混信の内容に意識を向けていられるほどの余裕はすぐに無くなった。上方にポジションを取った敵編隊の攻撃を回避、そのまま低空へとダイブしていった1機を次の獲物に選んでこちらもパワーダイブ。その後背を追いかけ回す。それほど降下せず水平に戻した敵機は、旋回状態を維持してレーダーロックから逃れんと回避機動を展開する。と、敵機が水平に戻した。好機、と思うや否や、180°ロール。真下を向いた敵機の姿が、視界の下へと消えていく。前方に放り出されつつも、こちらも同様に真下を向く。敵機は弧を描くように降下反転――スプリットSから水平に戻すべく機体をロールさせている。こちらも同じ高度に到達し、水平に戻る。敵機、ブレイク。こちらも切り返して追随。旋回勝負。敵機の姿は肉眼でもその形状がはっきり捉えられるほどの至近距離にいる。でも攻撃ポジションに入れないのがもどかしい。もっとも、敵さんとてこちらを振りきれないのがもどかしいに違いないが。敵機が機体をバンクさせる。次いで機首が持ち上がる。くそ、また反転するつもりか。斜めの姿勢から反転にかかる敵機を追い、こちらも操縦桿を引く。圧し掛かるGがそろそろ鬱陶しい。

と、閃光が煌き、赤い炎と黒い煙とが膨れ上がる。かなり近いところで、戦闘機が火球と化した瞬間だった。ごう、というジェット・ノイズが響き、至近距離を敵か味方かが通り過ぎていく。敵機が翼を振る。どうやら、左へ振る時の癖らしい。タイミングを図るように、翼が触れる。ならその鼻先を押さえてやる。敵機、左方向へとターン。それよりもワンテンポ早く、こちらも左方向へとターン。ようやく敵機の姿が攻撃軸線上に乗った。心地良い電子音が鳴り響く。ミサイルレリーズを押し込む。翼から切り離されたSAAMのエンジンに火が点り、目標目掛けて突進を開始する。撤退戦の頃に嫌になるほど使用した旧型ではなく、機動性と追尾能力を向上させた新型モデルだ。そうそう簡単に振りきれる代物ではない。第二撃を叩き込めるよう、敵の姿を追う。急旋回でやり過ごそうとした敵機のすぐ後ろで、ミサイルが炸裂した。爆発の直撃を受ける距離ではなかったが、飛散した弾体片と衝撃波が敵機に襲い掛かり、エンジンノズルを弾き飛ばし、垂直尾翼を引き裂いた。黒煙を吐き出した敵機は若干の間は姿勢を維持していたが、やがてフラットスピンに陥った。キャノピーが飛び、次いでパイロットの姿が虚空に打ち上げられたのはその直後だった。

――次!タリズマンの後ろにいる時はあまり意識した事が無かったが、自らの目で敵を探し、自らの腕で操縦桿を操り、敵と合戦することは多大なストレスと疲労を伴う。たった2機落としただけでこれだ。まだまだ身体の鍛え方も戦闘機動への慣れも足らないと痛感させられる。ジュニアに負けるのは悔しいが、ビバ・マリアあたりならこれは仕方ないとまだ納得出来る。そうだ、ビバ・マリアは?

『動きを止めるな、マクフェイル!まだ敵が周囲にいるぞ!』

凛とした声にスパンクを喰らったような気分。そう、まだ戦闘は終わっていない。レーダーには、スネークピットを覆うように展開する敵の光点が未だに存在している。だがその数は、確実に減りつつある。タリズマンやシャムロックも加勢した事で戦力差が逆転し、今や追われる立場に在るのは敵部隊のようだった。敵部隊の空白空域に一旦針路を取って距離を稼ぎ、仕切り直しとばかり反転する。すると、同じように離脱してきたミラージュが俺の頭上を通り過ぎ、そして後方で反転して隣に付いた。キャノピーの向こうに彼女の姿が見えるが、マスクとバイザーに覆われた状態では表情まで伺うことは出来ない。恐らく、次に浴びせる皮肉の一つや二つ、考えているに違いない。

『フラック1、フラック1、こちらフラック2、攻撃目標の位置を確認した』
『攻撃地点まで油断するな。支援隊を活用して侵入しろ。敵にはかなりの腕利きがいるらしい。捕まるなよ?』
『了解した』

だが聞こえてきたのは、さっきから聞こえてくる敵部隊の会話だ。一体こいつら何をしていやがる?セルムナ連峰の周辺空域で大規模な戦闘が行われているとは聞いていないし、そもそもこんなに鮮明に遠方の通信が聞こえてくるはずも無い。後の可能性は、ステルス機――F-117やB-2Bを運用する爆撃隊がこの戦域に突入して息を潜めているか、レーダーに映らないところに敵がいるか――。低空ということはこの戦域に限って有り得ない。なら、後はどこだ?やっぱり電子戦機の展開している空域に何か潜んでいるのか?まさかとは思うが、「空飛ぶ山」の攻撃?

『んー?こちらスネークピット。戦域北東にレーダー反応……消えた。いや、反応ありだ!恐ろしく足が早い。何だ、こいつら?』
『ゴースト・アイよりスネークピット、こちらでも捕捉した。そちらのデータを送れるか?解析する』
『了解した――まずいな、こいつらの目標は恐らく地上部隊だ。高高度から狙いを定めたように降下してきやがる。誰か迎撃に回れるか?』
『こちらビバ・マリア。手は空いている』
「ガルーダ3、行けます」
『ソルティードックだ。ここはブラッディマリーとマルガリータに任せる。迎撃に加わらせてもらう』
『新たなお客さんか。おい、ソルティードック。うちの頭デッカチの面倒を頼むぜ』
『了解。エッグヘッド、しっかり付いて来い』

ソルティードックのF-15Cを先頭にして、挟み込むようにトライアングルを作る。北東から出現した光点は、確かに相当の速さで接近しつつある。先発隊なのかどうかは分からないが、取り敢えずは2機。コース上に陣取った俺たちの真正面から急速接近。しかしこの光点の大きさ、生半可なサイズの機体じゃない。高度と速度だけならSR-71も同様だが、このサイズはそれよりもさらに大きい。信じがたいが、爆撃可能で同種の性能を有する機体といったら、俺は僅かな種類しか知らない。

『思ったよりも早い。頭上から降ってくる感じだな。間違っても突っ込まれるんじゃないぞ。足の長い奴をスタンバイさせておけ。後はゴースト・アイたちの仕事だ』
『すまない、私は弾切れだ。二人のサポートに回る』
「ガルーダ3了解。B目標は私が」

そうこうしている間に、敵は目前に迫りつつある。幸い、戦闘機のように回避機動を取る事もなく、コース上を高速で突っ込んでくるので狙いやすい。レーダーロック。肉眼ではまだ捉えられない敵を追い、ミサイルシーカーがHUDを滑る。程なく、ロックオンを告げる電子音が鳴り響いた。これでも食らえ、と毒づいてミサイル発射。こちらを追い抜いたミサイルが、目標目掛けて空を駆け上がり始めた。操縦桿を倒し、敵の針路上から退避。遠くで、何かが太陽の光を反射した。恐ろしく大きな背中が見えたような気がした。その目標目掛けて加速していく槍。敵の姿はどんどん大きくなり、純白の胴体がはっきり見えたと思った瞬間。その左主翼付近に命中したミサイルが閃光を発した。だが、戦闘機に比べて遥かに巨大な機体の勢いは止まらない。ミサイルの直撃を受けて次第に全身を炎に包みながら、しかし、ほぼ音速に近い速度を保ちながら、それは俺たちの横を高速で通過していった。ドシン、という衝撃波に機体が弾かれ、大きく揺らぐ。同様に揺さぶられ、バランスを崩しかけたビバ・マリアが短い悲鳴を発するのが聞こえてきた。

「大丈夫か、ビバ・マリア?」
『――すまない、問題は無い。しかし敵の機体、あれは――』
「ああ、信じがたいが、XB-70だ。エストバキア軍め、とんでもない代物を持ってきやがる」

XB-70。かつて、オーシアとユークトバニアが超大国としての覇権を争っていた時代に設計・開発され、核戦略の一端を担う予定だった超音速戦略爆撃機。そのオプションには、当然のことながら核爆弾も入っている。多額の投資が行われた、飛行可能な試作機と実用モデルとがロールアウトした直後、試験飛行中に発生した事故で1機が失われ、結局オーシアでは採用される事のなかった幻の機体。その貴重な機体の一つを、俺はたった今叩き落したことになる。攻撃成功。ソルティードックの攻撃した一方は、胴体付近から二つに機体が千切れ、錐もみ状態になりながらセルムナの峰の一つに叩きつけられ木っ端微塵となった。俺の攻撃した一方は、俺たちの遥か後方で巨大な火球を出現させ、そして消えた。だが敵の攻撃は止まらない。さらに新たな光点が3つ、この空域に突入してきたのである。何を積み込んできているのか知らないが、弾の大きいやつなら、直撃させずとも山を崩して地上部隊を叩く事も出来る。ここを通過させるわけにはいかない。

『ゴースト・アイより各機。第二波が来るぞ。確実に仕留めろ!』
『分かっている。それにしてもエストバキアめ、運用機種の多様さまでベルカに倣うか!!』

再びソルティードックと並んで、迎撃態勢。俺たちの後背と周囲をビバ・マリアが確保してくれているので、俺たちは安心して迎撃に専念出来る。XB-70の愛称は「ヴァルキリー」だったはずだか、こうして攻められる立場から見れば戦乙女どころか死神そのものだ。再び巨体で大気を切り裂きながら、音速の死神が高度を下げてくる。再びレーダーロック。ゴースト・アイ、スネークピットの電子的な支援を受けながら目標を捕捉。ロックオンを確認して、ミサイルレリーズを押し込む。今度は2発ずつ、計4本のミサイルが白煙を噴き出しながら加速していく。動きが単調なのがせめてもの救いか。前方のやや上方、XB-70の白い姿が微かに見えた。つっかけられるのを回避すべく、その針路上から退避。

『くそっ、また迎撃機がいるのか!?』
『諦めるな。何としても攻撃を成功させろ!――エストバキア万歳!!』

3機の目標のうち、1機が前面に突出し、そしてミサイルの前に身を晒した。音速を超える速さで目標に突入したミサイルは、敵の機体を砕き、引き裂き、そして内から炎と黒煙を吹き出させた。一瞬の後、巨大な火球が空に出現する。もう1機、片方の翼をもがれた敵機が、勢い良くロールしながら破片をぶちまけていく。だが、膨れ上がった火球を振り払うように、もう1機のXB-70が後方へと逃げ去る。それも、無傷の奴が!

「くそっ、1機逃した!!クオックス隊、退避出来るか!?」
『無茶言うなべらぼうめ、今から雪に穴掘っても遅いわ!!』

タリズマン すぐさま反転、スロットルを押し込んで機体を加速させるが、如何せん相手の速度が段違いに早い。彼我距離は縮まるどころか開く一方。あの爆発四散した機が、まとめて攻撃を引き受けて後続の機を生かしたのだ。何たる覚悟。それほどまでに、エストバキアはエメリアの反撃を食い止めなければならない理由があるとでもいうのか。それにしても早い。こうなったら、と最後の1本になったMAAMをスタンバイさせようとしたところで、唐突に敵機の胴体から炎が吹き出し、次いで腹の下からも火炎が膨れ上がった。小爆発を起こして破片をばら撒いた敵機は、姿勢を維持することが出来ずに傾き、そしてセルムナの峰の一つに接触。雪と氷と山肌を削りながら滑走し、そして爆発した。何が起こったのか分からずにいる俺やビバ・マリア。そこに、聞き覚えのある不機嫌そうな声が聞こえてきた。

『――全く、詰めの甘い後席だぜ。おいエッグヘッド、一つ貸しだ。ちゃんと返してもらうからな、覚えておけよ』
『スネークピットより、ゴースト・アイ。最後の1機はタリズマンが仕留めてくれた。その後侵入する敵の機影は確認出来ない』

ひらり、と翼を立てて旋回していく前席殿の姿が実に小憎らしい。実際のところは、万一敵が抜けてきた場合に備えてバックアップをしてくれていた、というところなのだろう。確かにこいつは大きな貸しだ。それ以前に、俺はタリズマンに押し付けられた分も含めて貸しだらけ、負債だらけに陥っているような気がしてきた。

『ゴースト・アイより各機、敵超音速爆撃機の全滅を確認。スネークピット、貴隊の周辺の状況はどうだ?』
『こちらウインドホバー、ガルーダ隊、レッドアイ隊のおかげで敵さんガタガタだ。ほぼ全滅状態』
『こちらアバランチ、小物は残っちゃいるが、大物の電子戦機は粗方片付いた。残っている奴ら、腰が引けてきたようで近付いても来ない』
『よし、作戦の総仕上げだ。全機、敵残存戦力を駆逐し、グレースメリアへの道を開け。首都解放に至る血路を切り開くぞ!』

ゴースト・アイの飛ばした檄に応じるように、各飛行隊が敵機に襲い掛かっていく。敵の数は依然として多数だったが、対地攻撃のために展開したはずの部隊が殲滅されていく様を目の当たりにして、戦意を失ってしまっているかのようだ。これまでの勢いはどこへやら、踵を返して彼らの勢力圏を目指して逃げていく。どうやら、撤退命令でも出されているようにも見受けられる。

『ここまで生き延びたんだ。最後に落とされるなんて無様なことはしてくれるなよ、ガルーダ3?』
「当たり前だ。こんなところで死んでたまるか。まだグレースメリア解放の道半ばでしかないんだ」
『そうだな。簡単に落ちられたら、私も困る』
「ん?何か言ったか?」
『空耳だろう。行くぞエッグヘッド、頭でっかち』

不機嫌になったビバ・マリアの返答に首を傾げつつ、彼女の後ろに続いて俺も残存戦力への攻撃態勢を取る。最早この戦域の勝敗は決した。これで俺たちは、グレースメリアへ至る門をこじ開け、首都解放作戦への足がかりを手にすることが出来る。逸る気持ちを抑えつつ、最短距離に展開している敵戦闘機部隊の追尾を開始したのだった。


薄暗い空間の中に、多数のモニタが浮き出すように光っている。そのモニタの群れの間に、静かに画面を眺め、端末の操作をするオペレーターたちの姿が、モニタの光で浮かび上がっている。
『観測機、1番から18番、作戦空域に間もなく到着予定。ETD、タイムラグ無し』
『友軍部隊の戦域からの撤退、順調に進行中。ただし、エメリア軍からの攻撃による被害は多数』
『作戦は予定通り実施する。攻撃開始まで、180秒』
『了解しました。攻撃開始まで180秒、カウントダウン開始』

前線に送り込まれた観測機から送られてくるリアルタイムの画像には、時折膨れ上がる火球も見受けられる。そして空に無数に刻まれた白いエッジの姿も。広域レーダーには、展開する敵航空戦力と、地上部隊の光点も映し出されている。最前線から遠く離れたこの空間では、その姿は戦闘機や兵士のものではなく、単なる光点の一つでしかない。まるでオフィスのような空間の中で、白銀の峰の上で繰り広げられる戦いの新たな幕が開かれようとしていた。

「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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