道を阻むもの
セルムナ連峰の上空からエストバキア軍機の姿が遠ざかっていく。ここぞとばかりに追撃をかけて敵戦力に損害を強いていた俺たちだったが、今は深追いを避けて戦域上空で哨戒飛行をしているような戦況。足元では、攻撃から逃れる事に成功したワーロック・クオックスの両隊が雪道を再び進軍し始めていた。終わってみれば、エメリア軍の完勝と言える戦果。地上部隊攻撃の切り札とも言えたXB-70をこの戦場で失った事は、エストバキア軍にとっても大きな痛手となるに違いなかった。

『ゴースト・アイよりスネークピット、及び展開中の各機へ。エストバキア軍航空戦力は全面撤退を開始した。当空域の制空権は我々の手に戻った。もうしばらく上空で待機しろ』
『アバランチ了解。それにしても、電子戦機の奴ら、随分しぶとく残ったもんだな。まだうろうろしているぜ』
『殿(しんがり)をつとめているんだろ。敵ながら天晴れだぜ』

パイロットたちの会話にも、どこか緊張感から解放されたような雰囲気が漂っている。実際、俺自身も緊張を解いて背中をシートに預けている状態。単独での出撃を何とかやり遂げた、という達成感と、辛うじて生き延びた、という安堵感のせいで、どっと汗と疲労が吹き出したような気分だった。この状態でもう一戦やれ、と言われたら、その発言をした人間に拳を向けるかもしれない。……そんな物騒な発想が出てくるようになったあたり、どこかの誰かに相当感化されてきたような気がする。良くない傾向だ。気を取り直してキャノピーの外に視線を向ける。雲の合間に、何やら機影が動くのが見えたような気がする。レーダーに視線を戻す。特に反応は見られない。再び先ほどの空域に視線を戻す。低空で、何かが光を反射させている。

『なんだこれは……?戦域に侵入する機影だ。小さい……そして速い……』
『シャムロックよりゴースト・アイ、こちらでも確認している。戦闘機の類のサイズではないぞ』
『待て、今照合している……UAV?既に戦闘が終了した空域で何故無人機を展開させる意味がある?』

気がついてみれば、俺たちの周囲に複数の無人機が展開していた。型式までは確認することが出来ないが、機動性はかなり高めの設計のようだ。しかしこの無人機……これと同じ物を、俺は戦場で見ている。どこだ。どこで見た?博物館の類でのんびり見ていたわけじゃない。緊迫した状態の時に、見たはずだ。思い出せ。あれは――。そして思い出した。俺は確かにこの無人機を見ている。そう、グレースメリアがエストバキア軍による侵攻を受けたその日、あの赤い戦闘機隊を退けて撤退する途上で、首都上空を飛ぶ無人機の姿を目撃している。あの時も思ったはずだ。戦闘が終わった戦域に無人偵察機を何のために飛ばしているのだろうか、と。でもその考え方は大きな間違いかもしれない。このUAVが、戦闘目的のために投入されたものだとしたら――!キリングス、ジュニアと共に手探りで進めていた「集会」の成果と回答は、ゴースト・アイの鋭い警告と共にやってきた。

『南方から接近する高速飛行物体を捕捉!!気をつけろ、弾道ミサイルだ、各機退避!!地上部隊全軍、進軍停止!!』
『第一波、間もなく戦域に到達する!低空に逃げろ、俺たちの頭上に来るぞ!!』
『てやんでえ、こっちが本命ってか?エストバキアの連中、人命軽視も甚だしいな』
『くそっ、グレースメリアで遭遇したあのミサイルか!!』

すぐさま降下し、手頃な渓谷の中へと機体を潜り込ませる。何機かが俺の後に続く。程なくして、空に巨大な火の玉が複数膨れ上がり、空を炎の色で包み込んだ。ズシン、という轟音と衝撃波は低空へと逃げ込んだ俺たちの機体をも揺さぶった。だが、これで終わりにはならないだろう。身を以って、俺はようやく敵の「システム」の構造に行き当たった。あのUAVは、戦域の偵察だけでなく、目標選定や攻撃地点の指定を司っている。そして、例の高速で飛来する巡航ミサイルはUAVによる誘導によって戦域に導かれ、ミサイル自身とUAVからのリアルタイムで送られるデータとに基づいて目標地点に到達、炸裂するのだ。空が静けさを取り戻し始めるや否や、今度はUAVが渓谷に侵入してきた。俺は手頃な距離にいる1機を目標に定めつつ、その様子を伺ってみた。無人機特有の不思議な機動で飛んできた敵機は、やがて少し高度を上げて機体を水平に戻す。渓谷のやや上空にポジションを取ったその機体は、ゆっくりと機体を安定させながら緩旋回を開始する。それから少しして、レーダーに再びミサイルの機影が出現した。そのうちの何発かは、まるで磁石に引き寄せられるかのようにUAVの舞う地点へと殺到していった。再び爆発。これまでの戦いの経験で、ある程度の距離を確保出来れば攻撃の影響下から逃れられることは分かってはいるが、一つ間違えればあの炎で消し炭になるまで焼かれる羽目になる。

しかし、このシステムでは、相手方が攻撃を諦めない限りは延々とあのミサイル攻撃が続く事となる。まだ3次元で逃げられる俺たちはいいが、地上を撤退せざるを得ないワーロック・クオックス両隊を目標にされた場合、甚大な被害が――それこそ、全滅の憂き目を見る恐れがある。となれば、そうなる前に何とかするしかない。不規則な機動で左から右へと飛んできたUAVを捕捉し、レーダーロック。と、くるり、と機体を回すなり上へと逃れていく敵機。あれでは狙いが定まらない。行き当たりばったりで狙っていられるほど、弾薬も残っていない。確実に仕留めるなら、敵が動きを止める機会を狙うしかない。

『おい、頭でっかち、聞こえているか?』
「感度良好です。何か?」
『あの無人機野郎、ミサイルを呼んでいる間だけは動きが鈍くなるみてぇだ。試してみるから確認してみろ』
「了解」

次々と巨大な火の玉が膨れ上がる空。タリズマンの位置を確認し、その後ろに付ける。その前方には、UAVの機影がある。じっとその背後に付けながら、タリズマンは機会を伺っていた。と、敵機が翼を水平に戻した。その状態を維持したまま、速度を落とす。タリズマン、加速。ワイドレンジにしたレーダーに、新たなミサイルの姿が映し出される。着弾予想点は、ちょうど俺たちの鼻先だ。タリズマンの少し後ろのポジションをキープしたまま、俺も加速。タリズマン、ガンアタック。UAVの胴体に火花が爆ぜ、破片が飛び散る。左主翼の付け根あたりから炎が吹き出し、ロールを打った敵機はそのまま高度を下げていく。なるほど、やって出来ないわけではない、ということだ。

『聞こえるか、ガルーダ隊、貴隊は友軍部隊の撤退を支援しろ。観測機の残数、17!』
『ちょっと待てゴースト・アイ、囮役をやれと言うのか!?何か手立ては?』
『あの観測機が敵弾道ミサイルを誘導しているのだとすれば、観測密度の低下は即ち命中精度の低下に繋がるはずだ。ガルーダ隊、他部隊の支援に就け!』
『ドランケン、了解じゃ。シャムロック?』
『了解した!』

無人機の群れ 俺たちを取り囲むようにUAVの群れは展開している。ゴースト・アイの狙いは、ある意味正解だろう。弾道ミサイルの発射地点がどこにあるかは分からないが、少なくともAWACSからも把握出来ないような超遠距離からこの攻撃は行われている。それをカバーするような強力なレーダーを単体で持った兵器なり基地なりは存在しない。だからこそ、レーダー基地を連携させながらレーダー網を構築していくのだ。そう考えれば、あの観測機を殲滅する事が出来れば、発射地点は目標の選定すら出来なくなる。それまで攻撃を行っていた戦域に闇雲に撃ち込むことは可能だろうが、命中精度は著しく低下するに違いない。ならば、やってみる価値はある。

『無茶なオーダーも報酬のうちだ。ブラッディマリー、マルガリータ、ビバ・マリア、稼ぎ時だ。後でボーナスをゴースト・アイに請求するぞ』
『おっ、隊長にしちゃあ粋な提案だ。ブラッディマリー、了解!』
『マルガリータ了解、ゴースト・アイの硬い財布の口の調整は任せましたぜ』

あの弾道ミサイルの脅威が減ったわけではないが、傭兵たちには却って稼ぎ時と映っているらしい。そういった肝の太さと豪胆さが羨ましい。そして傭兵のもう一人は、タリズマンと俺のペアに加わり、隊長機の左翼にポジションを取った。シャムロックは俺たちのやや上空にポジションを取り、UAVの監視兼攻撃役といった役割に就いている。

『ガルーダ1より、ガルーダ2。すまねぇが、近辺に来た奴で攻撃するのに手頃な目標の指示を頼む。無闇に狙ってられるほど、残弾が無ぇ』
『分かっている。状況は皆同じだろう、可能な限り支援させてもらう』
『そうこう言ってる間に、敵UAV、接近。気のせいか、タリズマンを狙っているようにも見える』
『冗談は止してくれ、ビバ・マリア。無人機に好かれるような体質はエッグヘッドのもんだと思うがな』
「余計なお世話です」

無駄口を叩きながらも、タリズマンはシャムロックとゴースト・アイの指示を受けつつ、弾道ミサイル誘導態勢に入って動きの鈍ったUAVに的確に狙いを定め、攻撃指示を出していった。タリズマン以上に弾薬を消費している俺に出来る事は、ひたすらバックアップに徹して無駄弾を撃たないこと。そして、不用意に敵の攻撃範囲に入り、損害を負わないこと。空には次々と撃ち込まれる弾道ミサイルの巨大な火の玉が膨れ上がり、空を震わせている。その合間をすり抜けながら、俺たちは一つずつ確実に観測機を仕留めていく。時に集中砲火を浴びそうになったら離脱して攻撃をやり過ごし、再び攻撃目標への接近を試みてアタック。その繰り返し。敵機の弱点――誘導時は動きを止めざるを得ない――に気がついた今となっては、弾道ミサイルの破壊力と攻撃範囲の広さは必ずしもアドバンテージを発揮出来てはいなかった。観測機の数が減っていくにつれ、攻撃は散漫なものに変わり、そして予測通り命中精度が低下していく。

『観測機の残数6。だいぶ攻撃の密度が下がってきた。攻撃を続行しろ』
『くっ、こちらラナー、弾薬が尽きた』
『こちらウインドホバー、後は任せて先に撤退しろ。セイカー、お前はラナーに付いて行け』
『了解』

残弾はいよいよ底を尽きようとしていた。と、俺の目前をUAVが掠めるようにして飛んでいく。あれに攻撃兵器が付いていないのはせめてもの救いだ。狙いを定めようとすると派手な機動を繰り広げる敵機の背後に付け、機会を伺う。目標は、やがて緩旋回に入り、俺たちを遠巻きに監視するようにしながら飛び始める。程なく、ミサイルがこの辺に殺到してくるのだろう。素早く目標をレーダーロック、ロックオン。ミサイルレリーズを押し込む。ミサイルの吐き出した白煙を引き裂くように高度を下げ、回避機動へ。南方から飛来するミサイルの光点が、やがて俺たちの頭上に達して炸裂する。だがそれよりも少し早く、目標たるUAVに追いついたミサイルは、その小さな胴体のすぐ傍で炸裂し、破片を撒き散らした。爆風と衝撃波、それに弾体片のシャワーを浴びた敵機は呆気なく破壊され、木っ端微塵と化していた。

『ナイスキル、エッグヘッド!なかなか堂に入った飛び方じゃないか。なぁ、レッドバロン?』
『全くだ。複座の後ろに乗せておくより、単機で飛ばしておいてもいいんじゃないか』
『スカイキッドよりブルーマックス、人の世話の前に目前の敵だ。お前の右下、1機行ったぞ』

UAVの中に、明らかに動きが良い機体が混じっている。完全自律行動に任せているのではなく、観測機の中でも有人操縦のものもあるのかもしれない。だが、攻撃態勢に入る際の弱点は結局同じだ。どうやらスカイキッド隊を狙おうとした2機の観測機は、スカイキッド隊の巧みな連携によって撃ち抜かれ、空に四散した。ここまで来ればもう力押しだ。レーダーロックをかけられて退避行動に転じた敵機を、複数方向からの攻撃が襲いかかる。撃ち砕かれた敵機が一つ、また一つとレーダー上からロストしていく。そして、最後の1機は、シャムロックがきっちりと仕留めた。まだ黒煙の漂っている空に、ようやく静けさが戻る。それでも、ゴースト・アイの読みが外れた場合を想定してレーダー画面を注視しているが、新たなミサイルの光点はついに現れなかった。――何とか、凌いだか。今度こそどっと冷や汗が吹き出して来て、背中の不快な感触に思わず眉をしかめる。

『観測機の全滅を確認。ガルーダ隊、各隊、よくやってくれた。作戦空域から撤退しろ』

いつもなら歓声があがるはずのタイミングだったが、誰一人としてそうする者はいなかった。結果的に見ればエストバキア軍の航空戦力に大きな損害を強いた俺たちの勝利と言っても良いだろう。だが、本来の目的であったグレースメリアへの突破口を開くことは、全く叶わなかった。完全なる作戦失敗、敗北。その事実が、俺たちの口と心を重くしていたのだった。針路をシルワート市に向けてからも、敗北したという事実の前に気分が高揚してくる事は無い。

『あのミサイルを何とかしない限り、俺たちはグレースメリアに戻る事が出来ない。何てことだ……!!』

首都に残してきた妻と娘のことを思い出しているのか、シャムロックの声は悲痛に震えていた。多分それは、グレースメリア組たる俺たち全員の気持ちを、最も代弁していた一言だったに違いない。
今日も薄暗い店内には、いつもジャズソングが静かに流れている。冬本番を迎えているグレースメリアの街は、夜になると冷たい北風が吹きぬけていく。それでも従来なら人通りが絶えることは無く、繁華街の明かりは灯り続けたものだが、今年の冬は全く異なる風景に街は姿を変えていた。レノーアの店のように細々と店を開けている例外を除けば、せいぜい日中営業のみ。しかも店頭に並ぶ品はわずかな種類のものだけ、という有様なのだった。グレースメリア進駐軍が「市民の生活環境を守るため」地下シェルターから搬出した非常食は、最大規模を誇る中央地下シェルターの門を開けず、周辺の予備シェルターから運び出したものに過ぎず、全市民の食事を一冬まかなうようなものでは無かった。過酷な冬は、占領民の上に等しく覆い被さっている。

「コンビーフ……コンビーフがこんなに美味かったとは。戦争が終わったら、毎日でも食べ続けてやる。ついでにスパムもね」
「やめときな、どうせ3日で飽きるのが関の山さね。それにこんな状態が続いたら、夏が来る前に全市民餓死するのがオチってやつだよ」
「フォッフォッフォッ、その時にはエストバキアの将軍様たちも道連れにしてやりたいところだけどな」

今日もカウンター席では、物騒な会話がツマミに上がって繰り広げられている。レノーアが収穫した冬の野菜は、保存が効くように塩漬けにしたり、干していたり、限られた食料を最大限活用する措置が取られていた。そのせいで、店内は「場末のバー」という雰囲気から、少々生活感の溢れた情景に様変わりしている。

「とはいえ、とうとう牛乳も手に入らなくなったからね。酒は在庫で何とかなっても、このままいくとミネラルウォーターだって危ないだろうね」
「国際社会も今や基本的にエストバキア総スカン、という状態らしいからなぁ。この間なんか、人権保護を掲げたNGOのチャーターした輸送船がユークトバニア領海を抜ける前に拿捕されたそうな。ニカノール首相もなかなか手厳しい。批判を浴びることを覚悟した上で、エストバキアの首をじわじわと締め付けているのさ」
「なるほど。とはいえ、少しやり方が変わってきたように感じるのは気のせいか?これまでは街並を破壊してまで要塞化を進めるようなことはしていなかったはずだが、強制立ち退き、強制取り壊し、それのオンパレードが始まっているじゃろ?少し前までのドブロニク将軍のやり方と合わんような気がしてならないのじゃよ」
「あー、その話か」

ペレルマンはグラスをぐっと呷り、そしてレノーアの前に差し出した。すっかりと「いつもの」になったウィスキーのボトルを取り出したレノーアは、新たなグラスに琥珀色の液体を注いでいく。礼を言って一口傾けたペレルマンは、姿勢を正して口を開く。

「兵士たちの間でも話題になっているよ。将軍閣下は、娘さんが戦死してから人が変わったようだ、と。シルワート市がエメリアに奪還された話は海賊放送で聞いて知っているだろう?あの戦いの時、どうやら上空で戦っていたらしいんだ、娘さん」
「へぇ、将軍様の娘さんは戦闘機乗りだったのかい?」
「ああ。で、最近話題の「鳥のエンブレム」に落とされたらしい」
「鳥のエンブレムだって!?」
「ほぅ、やはり健在だったか、キングは」

ニンマリと笑みを浮かべたレノーアと老人の姿に、ペレルマンは首をかしげながら視線を行き来させた。レノーアに至っては、明らかに嬉しそうな、楽しそうな表情を浮かべている。……「キング」ねぇ。どうやら「鳥のエンブレム」はこの街、しかもこの店に縁のある人間らしい、と彼は一人納得した。彼らのことだ、そのうち隠し事の一端をツマミついでに明らかにしてくれることだろう。

「――で、愛しの娘さんを殺された父親は、我を失った復讐に逸っている……そんなところかい?」
「恐れ多くてとてもまともに答えられないな。想像に任せる。……というか、さすがにそこまでは知るもんかい。こちとら、軍の最下層スレスレ。そんな重要な情報なんか下りてくるはずないさ。なぁ?」

場末のバーにて 店内にはペレルマン同様に常連客となってしまった、私服姿のエストバキアの兵士たちの姿がある。ペレルマンの問いに相槌を打つ者、無言でグラスを傾ける者、関心無さそうに煙草を吹かす者、共通しているのは、熱く燃えるような愛国心とは無縁なところだろうか。

「とはいえ、正直なところ俺たちも困っている。本国から厄介な連中が出張ってきて、肩身が狭くなってきているんだ。全く、将軍閣下もどうしたものかな。呼び寄せたのがよりにもよって特殊部隊と来たもんだ」
「そいつは厄介どころの話じゃないね。なんだい、そんなにグレースメリアのゲリラ兵は優秀なのかい?」
「ま、ピンキリというところだが、奴ら本国筋の面子だからな。頭が固い。おまけに命令にだけは忠実。そのうえナショナリズムにどっぷりと浸かる事を美徳としているような阿呆ばかりときている」
「最悪だな」
「全くだ。連中とだけは一緒の空気を吸いたくないね。瘴気を吸い込んで思わずエストバキア万歳、と叫びたくなる。奴らは身体から幻覚を催す体臭を漂わせている生体兵器みたいなもんだ。で、さらに言えば、命令とあれば女子供が相手でも兵器で残虐なことをしてのける。本当に最悪さ。何のために連中を呼び寄せたのか知らないが、却ってエストバキアの立場を悪くするだけだろうに」
「――詳しいのぅ。何やら因縁あり、というところか?」

老人の指摘に、一瞬だけペレルマンは鋭い視線を浮かべた。今となっては、酔いたくても酔えない身体になった原因とも言える過去を思い出し、ズキリとした痛みが彼の胸を突き刺していたのだ。空になったグラスに、レノーアは新たな一杯を注いでやった。

「俺の見たところ、将軍閣下がどうのというよりは、その部下やら配下やらに本国筋の連中が紛れ込んだ、という雰囲気だな。豊かだった町をここまで追い込んだ張本人たちが、さらに不正を取り締まろうって腹なのかもな。例えば、ストリートチルドレンの駆逐、とか」
「物騒な事を言うもんじゃないよ、アンタ。それこそ、親と子供を引き離したのはどこかの軍事国家だろうに」
「全くその通りだ。却って状況を悪化させている事実に背を向けて、取り締まりだけ強化しようなんて発想自体、内戦時代の副産物でしかないってのに……。俺の祖国は隣国の子供たちを同じような目に遭わせたいだけらしい。くそったれ」

そう吐き捨てながら、ペレルマンは上着のポケットから、古びた一枚の写真を取り出した。大勢の子供たちに囲まれて、大人が一人だけ写っている。それは、若かりし頃のペレルマンの姿だった。裏の無い、無邪気な笑顔を浮かべている子供たち。同じように笑顔を浮かべているペレルマンの姿は、今の姿とは似ても似つかない、別人のようにも見える。

「アンタ、まさか本当に先生だったのかい?随分と子供たちの面倒見がいいとは思っていたけれど。それにしても、古い写真じゃないか」
「ああ。何しろユリシーズの惨事の前の写真だからな。そして、ここに写っている子供たちは、今は一人もいない。あの大隕石の破片が、街ごとごっそり、全て消してしまった。……たまたまその日、研修に出ていた俺だけが、あの学校での唯一の生存者だったよ。もう15年以上も前なのに、こいつらの名前は今でも覚えているものさ。……子供たちに害が及ぶことだけは、何とか防いでやりたいところだな」
「――抜け荷でなんとかならんか?シルワートまで辿り着ければ、エメリアの勢力圏内。この街にいるよりは、安全は確保出来るだろう?」
「大量には無理だな。少しずつなら何とかなるかもしれないが、あの厄介な連中が出張ってきたとなると、監視体制は強化されると見た方がいい」
「街の行き来も不自由、住むところも不自由、生活にも不自由、か。そして逃げたくても銃口が道を阻む、と来たもんだ。さすがにそろそろ激発する連中が出てくるね。アンタも巻き込まれないよう気をつけなよ?一応お得意さんだ。野垂れ死にされると、うちの店の収入に響く」

写真に視線を止めたまま、ペレルマンは笑みを浮かべた。その写真の彼が浮かべている笑顔とは全く異質の、どこか乾いたような微笑が、貼り付いている。長年の内戦の日々がそうしたのか。それとも、全てを奪ったユリシーズの悲劇が、彼を変えたのか。誰かの吐き出した紫煙が、静かな店内を漂い、そして消えていく。誰もが押し黙った店の雰囲気はどこか重苦しく、まるでグレースメリアの街がこれから遭遇する未来を暗示するかのようだった。

「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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