針路をサン・ロマへ
「それでは、よろしくお願い致します。ええ、ええ、それでお願い致します。すみませんなぁ、ホントに」

目の前に相手がいるかのように何度も頭を下げながら、そして会話が終わるのを確認してから、カークランドは受話器を戻した。白いものが増えただけでなく、頭皮の面積が確実に拡大しつつある頭を撫でつつ、執務室のデスク――とはいっても、急ごしらえの執務スペースなので、安物の金属性デスクを無理矢理二つ繋げただけ――の脇に置かれた温蔵庫に手を伸ばした。これまた突貫作業で整理された部屋ゆえに、暖房の効きもイマイチなのである。そんな空間においては、温かい飲み物の存在が貴重となる。愛用の缶コーヒーを取り出すや、早速ブルタップの口を開けた。彼の愛用するコーヒーの在庫は、ここシルワート市に到着してようやく安住と拡大の地を得たのであった。勿論、サイダーについても同様である。

「今日もお疲れ様です、首相」
「いやいや、前線の兵士たちのことを思えばこんなの苦にもならないさ。……しかし、髪は減りましたね、確実に」
「それだけの苦労をされていらっしゃいます、首相は。多少は休暇を取られても良いのではないかと」
「そうしたいのはやまやまだけどね。でも、今はこの後の展開のヤマ場に差し掛かっているんじゃないかな、と思うとそうも言っていられないんですよね。ま、もうしばらくは大丈夫でしょ」

1本目を飲み干したカークランドは、2本目を取り出した。本当に甘いのがお好きな人だ、と秘書は感心しながらその様子を眺めていた。彼自身は、コーヒー豆を普通に入手出来る環境になるや、自前で豆を挽いてはドリップしていた。まだシルワート市の執務室は出来たばかり、という状況であったが、恐らくそれほど日を置かず、新たなスペースへと引越になるだろう。それを見越して最低限の荷解きしか秘書は行っていなかったが、僅かな日数の合間に膨れ上がった書類とメモの束の移動は秘書の新たな悩みの種になりそうである。

「しかし、エストバキアも甘くは無かったですね。わざわざ雪山の道を開いて、用意周到に罠を仕掛けて待っているとは。長い内戦で培われた発想を侮るのは危険だということが、実に良く分かりました」
「そうですね。でも軍も良く踏ん張ってくれました。結果的に地上部隊はほぼ無傷。航空戦力の損耗も最低限で済んでいます」
「グレースメリアを襲ったあのミサイルの攻撃を受けて、その結果ですからね。いやはや、我が軍の兵士たちも今や百戦錬磨の猛者に育ったということですね。――それが良い事とは言えませんがね。本当は百戦錬磨の兵士を生み出すような環境を作る事自体が間違いなんですから。そうそう、怪我の功名で、例のミサイルの仕掛けが分かったのでしょう?」
「はい。無人の観測機を攻撃目標空域の選定に使用していたことが明らかになったので、いざという時の対処方法も確立されたそうです。現時点ではその発射ポイントの特定は出来ておりませんが、やはり前々から噂されていた「空飛ぶ山」の話が有力ではないか、という話が出ています」
「ほほう。そういえば、空軍からも面白い報告書が挙がっていましたよ。読みましたか?例のミサイルの発射基地と赤いエース部隊の基地を兼ねた、空中機動要塞説。良く出来ていますよー」

粗末なデスクの中から一式の束を取り出したカークランドは、秘書にその束を差し出した。A4サイズのレポートは、作成者の気質を反映してか、ピチッとしたレイアウトで構成されていて、内容と参考資料との住み分けが良く整理されていた。なので、軍事的な知識が一般レベルに毛の生えた程度の秘書であっても、その内容を理解する事は然程難しくはなかった。その報告書は言う。グレースメリア侵攻以来、エメリアを散々悩ませてきた弾道ミサイル攻撃は、南洋を拠点にしたエストバキアの空中機動要塞群によるものである、と。平時なら、こんな報告書を作成するのはマニアか空想家かSF小説の筆者くらいのもの、と済ませてしまうに違いない。だが、この有事、エストバキアの侵攻自体が現実のものとは思えなかったこの戦争において、そういった整理の仕方はタブーであることをカークランドも秘書も痛いほど理解していた。それにしても、こいつは……。黙々と報告書を読み進めている秘書の姿を、カークランドが楽しそうに眺めている。

「面白いでしょう?ここまで資料と証拠を揃えて説明されると、逆にその意見を批判することに十分な証拠を持ってこなければならないことに気が付くわけですよ。ちなみに、この資料をまとめたのは空軍の若手パイロットたちが中心なんだそうです。色々レポートは挙がっていますけれど、この報告書が結果として最も真実に近い位置にいたわけですね」
「なるほど……そうか、戦闘機の発着も可能な設備を有する要塞であれば、無人機の発着や運用管理も十分可能になる。発射地点となる基地、目標選定を行う観測機、そして弾道ミサイル、この三者が揃って初めてその運用が可能になるわけですね」
「そういうことです。――だから、我々は「空飛ぶ山」を何とかしなければならないわけです。そのための、サン・ロマです。随分と長くエストバキアに貸し出してしまいましたからね。そろそろ利子付きで返してもらう時期と言えるでしょう。「空飛ぶ山」対処の拠点としての意味も大きいですが、我々にとってもかの街の奪還は大きな意味があります。サン・ロマは新住民の多い都市ですから、昔から革新系の候補が強かった。事実そうでしょう?クルード君はあの街の出身でした」
「クルードといえば……って、ええ!?」

カークランドの言う「クルード君」とは、エメリア議会最大野党「社会連盟」の長たる、クルード・ベンティンクのことである。戦争の始まる前、実質的に有力候補たちのつなぎ政権の長として就任したカークランドを傀儡政権として痛烈に批判したのも、ベンティンクまさにその人であった。威風堂々、精悍な風貌には女性の支持者も少なくなく、あらゆる面でカークランドとはあらゆる意味で対極にある政治家の一人であった。

「そうです、そのクルード君ですよ。彼はあの日、グレースメリアにはいなかった。サン・ロマで開かれていた集会に参加している状況で戦端が開かれ、そのままエストバキア軍に掴まったようです。今は市内近郊にある邸宅にて軟禁状態にあることが分かっています。今回の作戦では、彼とその指揮下にある議員たちの解放も、重要なミッションの一つとなります。革新系の市民の多いサン・ロマからの支援を確実にするには、彼らの協力が不可欠――それにまぁ、グレースメリアに行くまで役に立たない与党の皆さんを待っていても仕方ないですからね。たとえ相手が野党の党首であっても、協力を要請するに十分な理由と大義名分があります。……そういうことです」
「しかし首相、あのベンティンク議長ですよ?首相の就任演説の後、散々にこき下ろした張本人ですよ?」
「いや、あれは実に痛快で見事な啖呵でした」
「感心してどうするんですか、感心して。あの議長が、助けられたからといってそうそう簡単に協力するとはとても思えません」
「そうですねぇ、私もそう思います。だからこそ、協力を仰ぐ必要があるんですよ。私のためにも、彼のためにも。彼の率いる「社会連盟」は、最大野党。つまりは敵方です。その党首と、この冴えない私とが協力して事に当たる、と内外に宣言してごらんなさい。クルード君は、一時の屈辱の代わりに、色々な可能性を手にすることが出来ます。私は私で、あの敵方を味方に付けた、という宣伝効果を手にすることが出来ます。どちらにとっても、こいつは魅力的な提案……というわけですな」

そう言って愉快そうに笑うカークランドの姿を見て、秘書は瞠目する。いやはや、平和ボケしたエメリアを体現した政治家と酷評された彼の姿はどこに行ったのだろう、と。この戦争が無ければ、文字通り「冴えない政治家」として終わったであろうカークランドは、国難のこの時を迎えてますます精力的に政治家としての責務を果たそうとしている。グレースメリアに留まっている重鎮の面々が今の首相を目にしたら、一体どんな表情をすることだろう?それは、グレースメリア解放が為った時の、秘書の楽しみの一つでもある。

「さて……ええと、次の予定は何時でしたかね?」
「16時半から、軍部の報告と提案があります。恐らくは、サン・ロマの件かと」
「分かりました。さっき言ったことも作戦計画に盛り込んでもらわなければなりませんね。それでは、時間もまだあるからもう一件くらいは電話でもしときましょうかね」

2本目のコーヒーを飲み干したカークランドは、再びデスクの上に置かれた電話機の受話器を挙げた。ケセド、オルタラ、シルワート……下積み生活の長かったカークランドの直接訪問と直電による協力要請は、解放された都市の市民たちの絶大な支持を得ていた。この時点のカークランドが知る由も無かったが、戦後に行われる事になる総選挙において、カークランドが圧倒的な票数を集めて大勝する素地が、既に芽吹き始めていたのであった。
楽しくない酒は酔えないし、身体にとっても悪いという。それは、エメリアが戦渦に巻き込まれてから初めて実感した経験則であり、可能であれば避けて通りたい場面であった。だが一方で、どうしてもアルコールが必要になる場面もある。この二律背反する状況に追い込まれると、俄然酒量がかさんでいくのが大抵世の常である。先日のセルムナ連峰の戦いは、終わってみればエストバキアの一人負けに終わったが、一方で俺たちはグレースメリアに至る橋頭堡の確保に失敗した。その事実は、グレースメリア生活の長いパイロット中心に、落胆の種となっているのであった。特に、帰らなければならない理由がある人間ほど、その思いは強い。

「エストバキアめ、人の国から勝手に首都を奪い取っておいて、大した居候ぶりだ。そして俺たちはあのミサイルを何とかしない限りグレースメリアに辿り着けない。畜生……ようやくここまで戻ってきたというのに!」
「気持ちは分かるが……いい加減気分を切り替えようや。胃と身体に悪いぜ」
「これが飲まずにいられるか!くそ……モニカ……ジェシカ……」

夜の食堂の一角で、小台風が吹き荒れている。台風の中心にいるのは、ランパート大尉その人。首都グレースメリアに愛する妻子を残してきた大尉は、誰よりもグレースメリア奪還を切望している。それが故に、先の敗戦は相当に堪えたらしい。あれ以来、日中でも笑っているところを見たことが無い、とのもっぱらの評判になっている。作戦終了後、ようやく"専属ドクター"から解放されたジュニアなどは、人の気も知らずに"専属ドクター"たるビリングス嬢に睡眠導入剤の注文をしに行ったものだ。

「やれやれ、今日も荒れとるのぉ。酔えない酒は美味くない。どうせなら美味く飲んだモンの勝ちじゃて」
「ま、とっつぁんの言う通りかもな。マーカスの気持ちも分からなくもないが、どうも陰気で良くねぇ。マクフェイルじゃ無いんだから、もう少し楽観的にしてもらいたいもんだが」

ちらり、とタリズマンに一瞥をくれてから、俺はグラスを飲み干した。陰気だの陰湿だの陰険だの、といった代名詞で使われるのはすこぶる不満であったが、下手なツッコミを入れれば格好の酒のツマミを提供する事になる、と学んだ今は敢えて無言で通す事にしている。我ながら、この戦争の間に随分と気が長くなったものである。

「……とはいえ、聞こえてくる話にはロクなのが無いからな。血の気の多い古いダチたちが早まったことをしでかさないことに期待したいが……まぁ、言うだけ無理か。アイツらはアイツらなりにグレースメリアが気に入っているから、それを乱すような連中に寛容になるはずもなし、か」
「今となっては、亡きアルバート・ハーマンに感謝するしかないのぅ。レベッカとニーナ嬢ちゃんをグレースメリアから早めに退避させてもらってありがとう、とな」
「フン、感謝する気にもならねぇよ。でもま、その代わりに占領下の街で暮らしているらしいメリッサとマティルダに罪はないからな。早くエストバキアを何とかして、助け出してやらねぇと」
「素直じゃないのぅ、相変わらず」
「そういうとっつぁんこそ、そろそろゲロってみないか。何であの時敵さんにしつこく突っかかって行って、敵地単独横断なんて危険なことをやってきたのか、ってな」

酒が入って酔っ払うような二人ではなかったが、多少はアルコールの効果が効いているのか、二人とも口数が多い。しかもついでに議論モードのスイッチでも入ってしまったらしい。互いにグラス片手に、じろり、と視線が交錯する。こうなってしまうと、俺はますます黙り込む以外の選択肢が無くなる。ついでに言うと、黙り込む場合は必然的にグラスを傾ける回数が増える事になるので、酒が一層回ってしまうのが悩みどころだ。しばらく睨みあっていた二人だが、やがてベンジャミン大尉が「降参」というジェスチャーを取りながら、苦笑を浮かべた。

「全く我ながら大人気ないと思ったがのぅ。見過ごせない敵がおったんじゃよ、あそこには」
「そう言われてみれば、「訳アリ」という話が聞こえてきましたね、確か」
「そうじゃ。……もう20年も前の話じゃ。ベルカ戦争が一応の終結を見た後、「国境無き世界」を名乗る集団による騒動があったことは、二人とも知っているじゃろう?ワシも連合軍の一員として、あの戦いには加わっておったんじゃ」
「初耳だぜ、とっつぁん」
「当たり前じゃ、何しろ機密扱いで口外も禁じられておったからの。まぁ、今はもう時効だが。その際、エメリアからも複数の航空部隊が派遣され、突如勃発した緊急事態に対処すべく出撃していった。ワシが所属していた部隊は円卓を越えた先にある敵要塞への攻撃任務を負っていたのじゃが……そこで敵の、「国境無き世界」に属していたエース部隊の襲撃を受けてしまった。Su-47で構成された、生粋のベルカ人エースたちが属する部隊じゃった。ワシらも必死に対抗したが、数の差などは話にもならず、連合軍の部隊は文字通り血祭りに挙げられていったワイ。ワシの部隊は、ワシだけを残して全滅。辛うじて敵の包囲網から命からがら逃げ出した時には、他に2機しか残っておらんかった」

その時の苦い記憶を思い出しているのだろうか、ベンジャミン大尉の顔には珍しく険しい表情が浮かび、皺が刻まれる。空になったグラスに、タリズマンは無言で新たなビールを注いでやった。礼を言いながら新たな一杯を飲み干し、ベンジャミン大尉は話を再開した。

「後になって分かった事じゃが、そのSu-47の部隊は「円卓の鬼神」たちの手によって殲滅されたそうじゃ。撃墜された隊長や同僚たちの仇を、ワシはウスティオの至宝の手で遂げてもらったというわけじゃな。……じゃが、戦闘機が撃墜されたからといって、中に乗っているパイロットも必ず死ぬわけじゃない。あの部隊に属していたパイロットの幾人かは地下に潜伏し、今日に至るまで生き残っておるのじゃよ。――あの日見た機動、戦い方をワシははっきり覚えておる。機体こそSu-33じゃったが、あれに乗っているのは、あの時に戦った部隊の生き残りだと確信しておる」
「Su-47、Su-47……確か「国境無き世界」に所属したエース部隊の中で、その機体を使ったのは……「ゴルト隊」でしたか?その生き残りが、あの時の敵だと?」
「こらこらエッグヘッド、とっつぁんの話を真に受けすぎるなよ?飛び方が似ている、というだけなら、当時ベルカ空軍に所属していた連中は皆そういう傾向があるかもしれないんだ。それに、とっつぁんだって確信はあっても証拠を持っているわけじゃない。そうだろ?」
「……そう突っ込まれてしまうと、そうじゃな。証拠は無い。ワシの思い込みかもしれん。じゃが、ベルカの息のかかったモンが、あの時、あの戦域におったこと自体がおかしいとは思わんかの?しかも、奴らはどうやらサン・ロマの近辺を根城にしているらしかった。勿論傭兵として参戦しておるなら戦線は選ばないじゃろうが、最前線からどちらかと言えば離れたサン・ロマ近郊に、そんな傭兵たちを置くじゃろうか?……ホレ、ヒントじゃよ、エッグヘッド?」

ようやくいつもの笑みを顔に戻したベンジャミン大尉は、俺に話を振ってきた。もうここまで来れば、キリングスやジュニアたちとまとめた仮説に、新たなスパイスが加わるだけの事だ。「空飛ぶ山」、破壊力抜群の弾道ミサイル、その弾道ミサイルを誘導するためのメカニズム……信じがたい話ではあるが、エストバキア軍は空中要塞を保有し、現に運用している――その仮説を、今俺は確信している。

「つまり、そのベルカ出身の傭兵は、我々の行く手を阻んでいる「空飛ぶ山」に関る任務――例えば護衛任務などを請け負っている、と大尉は考えていらっしゃるんですね?」
「上出来じゃ。或いは、そもそもの運用管理や技術の供与、といったところまで食い込んでいるかも知れん。仮にワシらが戦ったのが本当に「ゴルト隊」だとしたら、奴らは「国境なき世界」の運用した超兵器群の技術に精通していたはずじゃ。その経験と知識をエストバキアが受け継いだのだとしたら、空中要塞みたいな馬鹿げた話も、現実のものになるじゃろうて」
「なるほどなぁ。でもな、とっつぁん、間違ってもそのベルカの亡霊をシャムロックに相手させようとは思うなよ?今のアンタは後方システム士官待遇。仮にその相手とやらが空中要塞に関りのある奴だとしたら、死に物狂いで立ち向かってくるだろうし、要塞本体から引き離そうとかかるだろう。そうなると、俺たち全員に影響の出る話だ。私怨は分からなくもないが、巻き込んでくれるなよ」
「わかっとるワイ、まぁ、ワシの出番はないじゃろうから、タリズマンに譲るとするさ」
「いや、譲る事はないだろう。俺たちの機体もドック入りの予定だろう?先の戦いのように、今度は俺たちがF-15Cに乗る番が回ってくるんじゃないか?」

まだ陽気な、とはとても言いがたい声はシャムロック――ランパート大尉のものだった。どうやら不機嫌モードの毒気に当てられたのか、相手をしていたはずのスカイキッドたちの姿がいつの間にか消えている。さすがに多少は思うところがあったようだが、ランパート大尉の表情は相変わらず明るくは無い。

「とっつぁんを煽ってどうするんだよ、全く。だがまぁ、さすがにそろそろ気持ちを切り替えてもらわんと、士気に影響が出てくる。大体、グレースメリアに到着する前に僚機に落ちられるのは、俺としても寝覚めが悪い」
「ああ、そうだな……すまない。ハーマン大尉の妻や娘たちは、もう再会すらかなわないのだからな。それに比べれば、俺はまだマシだ。そう考える事にしてみようと思う。思うのだが……」
「ワシには家族がおらんから、その痛みをお前さんと共有する事は難しいのじゃが……それだけ家族を心配し、家族の事を想う父親であることを、きっと妻も娘も誇りに想っているじゃろうて。だから決して、死に急ぐもんじゃないぞ。ちゃんと生きて、空中要塞もエストバキア軍もぶっ飛ばして、胸を張って家族の下に帰るんじゃ」
「分かっている。……ふう、やれやれ、だ。俺がこんなでは、妻と娘が却って心配するに決まっている。タリズマンを見習って、少しは落ち着くように頑張ってみるよ」
「その意気じゃ」
「悪いな、少し夜風に当たって、頭を冷やしてくる。ドランケンたちはごゆっくり」

結構な量のアルコールが入っているはずだが、そんな様子を毛ほど見せず、ランパート大尉は食堂を後にした。少しして、入れ替わりのようにスティングレイ隊とスネークピット隊の面々が食堂に入ってきた。どうやら場が落ち着くのを待っていたらしい。食堂の一角を占領した彼らは、こちらに軽くグラスを掲げてみせる。こちらも応じて、何杯目か忘れてしまったグラスを向こうに掲げ、そして傾ける。

「切り替わったようじゃな」
「ま、内心は分からねぇが、さっきよりは遥かにマシだな。……でもま、俺だってレベッカとニーナがいなくなっちまっていたら、どうなってたモンかな。意外と今頃はいないかもしれないぜ。頭に血が昇った挙句、冷静さを見失って敵エース部隊の餌食……なんてところか」
「そういう……もんですか」
「何を冷静に言ってやがる。お前だって、ビバ・マリアが撃ち落されたり、知ってる奴が死んだらカッカ来るだろうによ」
「何でそこでビバ・マリアが出てくるんです」
「おお、最近確かにイイ女になってきてるからのぅ。ここに来たばかりの頃はなんちゅークールな女子じゃと思っとったが、いやはや人は変わるもんじゃい」
「ベンジャミン大尉、話がややこしくなるので交ぜっ返さないで下さい」
「素直じゃないねぇ、お前もよ。ま、家族持ったらお前にも分かる時が来るさ。それとな、もう一つ覚えておけ」

すっかり酒のツマミと化した俺だったが、タリズマンは表情を改めて、俺の方に向き直った。

休息 with 酒 「俺たちはそんな家族想いの人間を山ほど殺してきている。子供を抱き上げ、或いはカミさんと腕でも組んでいるのが似合うような普通の人間を、機関砲でぶち抜き、ミサイルで焼き焦がし、その屍の上に立っている。――それに気がつくと、大抵の奴らが迷うのさ。自分に家族を持つ資格があるのか、とな」
「殺さなければ殺される。その覚悟は持っているつもりです」
「それだけじゃ足らねぇんだよ。お前みたいな分からず屋は、戦争が終わったときに必ずその罠にはまる。……でも、本当は逆なんだよ。生き残った奴には、生き残った奴にしか出来ない、大切な役目があるのさ。生き残ったら、自分の家族たちとさらに幸せになってみせる、っていう役目がな。ま、当人の問題だから俺が言えるのはこれくらいだが、少しは自分の身の回りも考えてみろ。悪くは思っていないんだろうが。ああ?」

ビバ・マリア――ガブリエラのこと、か。突っ込みを入れる相手がいなくなってしまった今、矛先は完全に俺に向いてしまったが、タリズマンの駄目出しは結構身に染みた。生き残った人間の果たすべき役割、か――そんなことを真剣に考えた事は、正直なところ、これまでほとんど無かったかもしれない。この戦争を生き延びた先、自分はどう生きていくのか、何を為すのか。……ガブリエラとの関係をどうするのか。浮いた話をする機会も無かったし、そもそもそんな話を持ち出す相手ではないし、だいいち何を考えているのか良く分からない相手だ。だが、来た当時と今とでは、確かに全然違うだろう。それは自覚している。

「さてさて、この堅物の若いのがどこまでタリズマンの薫陶を受けて変貌するのか、見物じゃて」
「なあに、俺とレベッカのラブラブぶりには到底及ばんさ。青臭いガキとは次元が違うぜ」

珍しくのろけてみせたタリズマンが、照れたように笑う。そろそろ自分の量としては厳しい領域に入りつつあったが、どうやら今日の酒は「良い酒」と「良い酔っ払い」の部類には出来そうな予感がする。それにしても、そんなに細君が大切なら、ハーマン大尉の仕掛けたハニートラップに何であっさり引っ掛かるのだろう?そう聞いてみたかったけれど、後の反撃が非常に怖くなってきたので、俺は質問をビールの泡と一緒に飲み込んだのだった。


翌日、シルワート市に集結したエメリア軍各部隊に、作戦が令達される。新たな大規模拠点を確保すること、そしてエストバキア軍の弾道ミサイルを無力化すること、そのための拠点として、サン・ロマを解放する――。新たな作戦が、ここに始まろうとしていた。

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